第46話(ファナーリの町5/治療完了)
[四十六]
交代でアスピスに付き添い、アスピスの好奇心により精神的に半壊する人が続出する中、ようやく迎えた1週間目の抜糸の日。待ってましたと、この日は早くから、アスピスを退屈病から抜け出させるために、みんなでいそいそとカルタモの元へ向かって行った。
みんな、できる速やかにアルサルミンを退屈病から回復させたかったようである。
「なんだ? 随分と早い時間のお出ましじゃねぇか」
「アスピスの足、よろしくお願いします」
頭を下げるフォルトゥーナの勢いに圧され、カルタモは「おう」と告げると、エルンストからアスピスを受け取り中へ入って行った。そして、アスピスをベッドに座らせる。
「ちょっと痛いが、我慢しろよ。これで、俺の治療は終わりだ」
「ありがとうございました。カルタモ先生」
「治すのが、俺の仕事だ。気にするな」
そう言うと、アスピスの頭をかい繰り、手を洗いに行き。戻ってくるときに消毒液と無菌処理されたセッシと先が細くなっているハサミを一緒に持ってくる。
「じゃあ、始めるぞ」
「はい」
緊張の一瞬である。
ハサミで糸をパチンと切り、セッシで皮膚に残った糸を摘まんで抜き取って行く。その作業を何度も繰り返し、気づいたときには、両足にあったメスで作られた傷跡を繋いでいた糸が全部抜き取られていた。
「よーし。よく我慢したな」
「痛くなかったよ」
「そうか? ならよかった」
アスピスの傷の治り具合を確認し、中の筋の様子をさわりながら、カルタモは満足げにアスピスを見つめる。
「今日まで、よく我慢したな。じっとしているのは辛かっただろう」
「うん。でも、足を治したいから……」
「そうか、そうか。お嬢ちゃんは我慢強かったもんな」
偉いぞ。と、カカカと笑うカルタモは、アスピスを抱え上げると、みんなが待っているところへ連れて行く。
「これで治療は完了だ。俺ができるのはここまでだ。後は、この嬢ちゃんの頑張り次第だ。最初は突っ張るだろうが、無理ない範囲で動くようにしてくれ。ただし、走るのは禁止だ。残念ながら、そこまで直してやることはできねぇからな」
「普通に歩けるだけでも十分だよ」
「確かに、あれじゃあ、満足に歩けなかっただろうからな」
「うん」
「だがな、お嬢ちゃんの筋は固まっていた上に癒着もひどくてな、可能な限り修復したが、おそらく、今回の手術の傷が完全に治っても、そんなに長い距離は歩けないだろう。その辺は覚悟しておいてくれよ」
「ちょっとでもいいの。普通に歩けるようになれるんだったら」
「そうか、そうか。頑張ってリハビリするんだぞ」
いい子だ。と、アスピスに何度も告げてくる医者は、エルンストにアスピスを受け渡す。
「外側の傷口は、綺麗に塞がっているから、もう動いても大丈夫だ。ただ、最初は少しずつにしてくれよ。頑張るのはいいが、物事には順序ってもんがあるからな」
「大変お世話になりました。リハビリの件は、きちんと気を付けて、アスピスにさせていきたいと思います」
深々とお辞儀をし。姉弟子で、姉代わりに。時に保護者として母親代わりにもなってくれるフォルトゥーナは、さりげない素早さでカルタモに封筒を手渡す。
「おいおい。治療費はもう……」
「私たちには、行ってもらっただけの治療費を払う力がございます。普通の病院で診てもらったら。このような治療はしてもらえなかったと思います。痛みを和らげる薬を処方してもらって終わりだったでしょう。しかもその上、診察料が金貨1枚で済んだとも思えません。ここはとても良心的な病院だと、治療していただいて、よくわかりました。もし、余剰な分がございましたら、どうか、他の方の治療に回してあげてください。治ることはないだろうと諦めていた、アスピスの足を治していただけたことに対する、私たちの感謝の気持ちですので。どうか受け取ってください」
ことさら丁寧に言葉を重ね、みんなで話し合って決めた事柄を、カルタモに語って聞かせる。
瞬間、カルタモは大きく笑って頷いた。
「そういうことだったら、遠慮なくもらっておくか。薬代もばかにならないからな」
「ありがとうございます。そう言っていただけると信じておりました」
「おう! じゃあ、嬢ちゃん元気でな!」
「はーい。先生も頑張ってね」
にこにこと、はしゃぐようにしてカルタモに手を振るアスピスの様子は、年相応の少女であった。どこまで歩けるようになるのか分からないものの、希望に溢れていて、嬉しくて仕方ないのである。
そして、その後は一度宿屋に戻ると、今後の予定を今一度はっきりさせるための話し合いが行われた。
「アスピスに花祭りを見せてあげたいわ」
「急に大量に動かすなと言われているんだ。会場に行くのはまずいんじゃないか?」
「そうですねぇ。人ごみもすごいですし。ちょっと躊躇いますね」
フォルトゥーナの意見に、エルンストとレイスが難色を示す。
その様子を脇で、アスピスは黙って見ていた。
とはいっても、みんなの視界の外では、足先を伸ばしたり折ったりして運動をさせている。
花祭りに興味が無いとは言わないが、足が治るかもしれない可能性の方が、アスピスにとって重大事件であったのだ。
(どれくらい歩けるようになるんだろう)
すでに、苦痛であった一週間のことなど、アスピスの頭の中からは消えていた。
もちろん、退屈病により抱く好奇心をことごとくぶつけたことで、みんなを半壊状態へ追い込んだことだって、忘れていた。
そして、我慢しきれずにベッドから下りて歩いてみようとしたところを、後ろから伸びて来たエルンストの手に、服の背を鷲掴みされる形で止められてしまった。
「今動いたら、花祭りは完全に無効だからな」
今はじっとしていろと言いたいらしい。
ついでに、背中を掴まれたままなので、動きようもない。
(ちぇー)
意地悪だ。と思いながらも、仕方なくアスピスはベッドの中央に戻ると足を延ばして座り直す。
そんなアスピスへ、レイスが利いてきた。
「アスピスは、花祭りを見てみたいですか?」
「一応、興味はあるかな」
「ですよねぇ。女の子ですし」
アスピスの返事に、納得したように、レイスは頷くと、再び大人たちだけで話を再開してしまう。
ポストへ仕事の依頼は届いていないし、フォルトゥーナがシェーンに宛ててアスピスの足の治療についての手紙を送り済みだということだ。
だから、時間的にはまだしばらく余裕があるみたいではあるのだが。
3人が問題としているのは、アスピスをどのくらい動かしていいのかということと、人ごみの中を歩かせていいものかというものだった。
アスピスには、保護者が3人いるらしい。
さすがに未だ18歳のカロエにはそういうのは早いらしく、3人による扱いはアスピス側に近かった。
そのため、アスピス同様に暇を持て余している感じである。
結局ベッドを入り口の方に寄せて並べ、窓の前に置かれることになったテーブルと、それに合わせて購入されてきた椅子。その椅子に腰かけ、カロエはひとりコーヒーを飲んでいた。
その途中、不意になにかを思いつくよう、カロエがアスピスに声を掛けてきた。
「なーなー、アスピス」
「ん?」
「コーヒー味のキ――」
最後まで言わせなかったのは、アネモスであった。大きく口を開け、カロエの頭を口の中へ閉じ込めてしまったのであった。しかも、それより早く、エルンストが、カロエに近づいたりしないように、アスピスを手元に抱き込んでいた
周囲は、一瞬慌てたが、アネモスの行動にホッと溜息を洩らしだす。
「レイス、あなたの教育、礼儀作法以外にもすることがあるんじゃないの?」
「申し訳ありません。バカなことしかやらかさない愚弟で」
「これまで末っ子状態だったからな。ちょっと甘やかしすぎたかもしれねぇな」
苦言を呈するフォルトゥーナに、恐縮するレイス。それに反省の言葉を口にしたエルンストたちが見守る中、アネモスに頭をすっぽり咥えられたカロエが必死に抵抗してみせていた。
「アネモス、ありがとう。もういいわよ」
フォルトゥーナがそう言うと、アネモスは口を再び開いて、カロエを解放する。
瞬間、カロエが大きく吐息した。
「ちょっとした冗談じゃねーか」
「アスピスが本気にしたらどうするよの。やんちゃもいいかげんにしなさいよ。もう18歳なんだし、12歳の子を相手にやっていいことかどうかの、善し悪しの判別くらいつくでしょう」
カロエの元へ行かないよう、エルンストに抱え込まれたアスピスを指さしながら、フォルトゥーナが、注意する。
「だって、知りたがっていたしさぁ」
「そういうカロエ自体、そもそも、ちゃんと意味が分かって言ってたの?」
カロエが反論すると、フォルトゥーナがひとつの疑問を口にした。
さすがにそれは、カロエ的に失礼に思えたらしい、反射的に反論してきた。
「バカにしないでくれるかな。騎士学校に通ってると、結構もてるんだぞ! そりゃ、レイスやエルンストは今も変わらずもてているんだろうけどさ。今じゃ飄々としている2人だって、学校にいた間は、恋人の1人や2人。3人や4人。いや、もっといたかな。って、くらいいたらしいぞ。伝説として語り継がれているくらいもてたらしいからな。でも、オレだってそれなりにちゃんともててたんだぞ。レイスやエルンストと同じか。いや、それよりちょっと少ないかもしれないけど、とにかくそれくらいは付き合ったことがあるんだからな」
いちいち指折り数え、過去を振り返りながら、カロエが力強く訴えたことに対し、レイスとエルンストが慌てるようにしていたが、カロエは気にすることなくさらりと言い終えると、自慢げにフォルトゥーナを見返した。
しかし、フォルトゥーナは褒めるどころか、こめかみを抑えながら、長嘆してみせる。
「あなたたちって……」
「過去の話です。過去の。それも若気の至りといいましょうか」
「そうだよ、それ。若気の至りっていうやつ。ちょっと浮かれてたんだよ」
慌てて言い訳をするレイスとエルンストの珍しい姿に、アスピスは呆れながらも、面白がって見てしまう。
しかし、エルンストの場合、フォルトゥーナのフォローをするために色々と頑張っていたと聞いていたはずなのだが。それは嘘ではないようなのだが、恋人を作るのはそれとは別の問題だったのだろうか。
アスピスは、新たな疑問を抱えてしまう。
(そのうち、エルンストに聞いてみるか)
ちょっとした好奇心である。てっきり、フォルトゥーナ一筋で騎士学校での時間をフォルトゥーナにささげていたのだと思っていたのに、それとは別に交際相手がいたとは。どこにそんな時間の余裕があったのだろうか。
そんなことを考えながら、エルンストに抱えられていたアスピスへ、エルンストが耳元で小さく囁いてきた。
「すっと想い続けてきたのは、お前だけだからな。これは、その……ちょっとした火遊びみたいなもんだからな」
誰にも聞かれないよう、本当に吐息に混じるようなくらいの声で告げてきた、体裁悪げなエルンストの呟きに、アスピスは苦笑を零す。
(あたしにまで、言い訳することないのに)
そもそも盗賊時代にはもっとひどいことをやっていたのである。それを、今更そんなことで謝罪してくるなんて可笑しくなって、アスピスは小さく笑う。そして、非難するつもりなどまったくないことを伝えるために、エルンストに背中を完全に預けるよう、寄りかかる。
その瞬間、この場所に安心感を抱き始めている自分に、ふと気が付いてしまった。
(甘やかされすぎてるな……)
これまでの人生を振り返るかぎり、きっとこの先に待っているのは激しい山か谷である。順調で平坦な道を歩いていけるとは思っていない。
そのためにも、この状況に慣れすぎては駄目だと心では分かっているのだが――。
(自分から手放せるくらいの勇気があればよかったのになぁ)
手に入れてしまった安穏。奪われる覚悟はしていても、自らの手で手放す覚悟ができないでいた。
そう思い、両手を眺めていたら、エルンストが問いかけてくる。
「どうかしたのか?」
「え? なにが?」
優しく甘い声に、アスピスは疑問で返す。
「いや。なんか考え事してるようだったからさ」
「考えたくもなるわよね。交際っていうか、結婚? それを申し込んできたみんながみんな、騎士学校時代に遊びまくっていたなんて知っちゃったんだもの」
「遊びまわるなんて、そんな。ただ、ちょっと、人には……その、好奇心に勝てない年齢というものが存在していまして」
「あら? レイスにもそういう時代があったのね」
ちょっと安心したわ。と、嫌味を言うフォルトゥーナに、レイスはぐっと言葉を詰まらせる。
「カロエなんて今年卒業したばかりじゃない。継続中の交際相手がいるのじゃなくて?」
「えっ? いや。そういう人はいないっていうか。いたら、アスピスにペアリングを送ったりなんてできないだろ」
藪蛇を突いたと、ここでカロエはようやく気付いたようである。
口は禍の元だと、何度も経験しているようだが、カロエにその辺の学習能力は備わっていないようであった。
「とにかく、今のオレはアスピス一筋だし!」
「あら、そうなの? ちょっと前まで他の方とコーヒー味のキスとかしていたんでしょ」
「――ッ」
にっこりと微笑み告げてみせるフォルトゥーナに、カロエは言葉を失い項垂れた。
気分は『参りました』という感じだろう。
「エルンストやレイスも同じよ。まったく、男って本当に……」
溜め息交じりに愚痴をこぼすフォルトゥーナは、ここでいったん言葉を区切る。
「明日は、花祭りに行くわよ。アスピス」
「え?」
「素敵な男性でも探しましょうね。恋愛のお祭りでもあるらしいから」
「……はい」
エルンストのことが大好きで、それこそ今のアスピスとそう変わらない年齢の頃から、エルンストのことをずっと想い続けてきたであろうフォルトゥーナにそんな芸当ができるはずなどないだろうに。嫌味は別物らしい。
現在の決定権は完全にフォルトゥーナが握っていて、肯定しか許されない雰囲気のフォルトゥーナの台詞に、アスピスは大きく頷き返すしかなかった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




