第45話(ファナーリの町4/退屈病)
[四十五]
寝ているのも徐々に飽きて来た手術から二日目。今日から花祭りが始まるという。そのせいか、窓の外から祭りに向かっていると思われる賑やかな声が響いていた。
遠慮して外出を極力控えてくれていたみんなへ、せっかくの花祭り期間なのだからと、外へ出るように促したのはアスピスであった。そのかいあってか、買い物ついでに、フォルトゥーナやレイス、カロエの3人が花祭りを覗いてくると言っていた。
ちょっぴり羨ましくはあるが、今我慢すれば、足が以前よりも良くなるというならば、ここは我慢するしかないと思い、アスピスはぐっと我慢する。
しかし、いい加減、腰が痛くなってきた。
そのため寝方を工夫するのだが、どうにもうまくいかず、布団の中でもぞもぞしていたら、訝しんだエルンストに抱え上げられてしまった。
「なにやってんだ、お前は。ちゃんと寝てなくちゃダメだろ」
「や。腰が痛くて」
「年寄りみたいなこと言いやがって」
「だって、2日だよ! 2日もじっと寝ているんだよ」
腰だって痛くなって当然だと主張したいアスピスに、折れるよう、エルンストは腿の上にアスピスを乗せ、左腕でアスピスの上体を支えるよう抱き込んだ。
「少しは楽だろ」
「ん? まぁ」
「なら、大人しくしていろ」
そう言うと、エルンストは黙り込み、なにをする訳でもなくじっと座り続けていた。
(退屈じゃないのかな?)
アスピスだったら、本でも読むところである。
今だって、本を読んでいいと言われたら、絶対に本を読むところである。
そんなアスピスの心を読むように、エルンストが口を開いた。
「読みたきゃ、本でも読んでろ。暇すぎてたまらないんだろ?」
「そうだけど……」
この格好で? というのがアスピスの疑問であった。
「キスとか、いいの?」
こういう格好を人に取らせるときは、大抵、エルンストは責め攻めモードのときなのである。それこそ、アスピスが戸惑うくらいに。
それが、今日に限って、エルンストからそのような気配がないことに、アスピスは軽く首を傾がせる。
「べつに、年中攻めまくってなんていねぇだろ」
「そうなんだけどさ」
両手を上に上げ、「んー」と体を伸ばした後、アスピスは手を下ろすと、アイテムボックスを開いて本を出す。
けれども、すぐには読む気が起きず、なんとなくエルンストを見上げたら、視線がかち合った。
「えっち」
「見てただけだろ。っつーか、ガキはすぐそういう言葉を使いたがるよな」
「うるさいなぁ」
妙な指摘に、思い当たる部分もあり、思わずエルンストを責める口調を作り出してしまう。
「言われたくなかったら、見なきゃいいでしょ」
「こんな間近にいんのに、見るなって方が無茶だろ」
「そんなことないもん」
手を伸ばし、エルンストの目を覆い隠すように、手のひらをエルンストの顔の上半分に押し当てる。
「ちょっ、鬱陶しいだろ」
「もう、エルンストは寝てればいいよ」
たまに、アスピスが眠らない時に同じようなことをエルンストにやられていることを思い出し、アスピスは命令口調で告げていく。
「俺が寝たら、見張りにならないだろ」
「見張りなんていらないから、寝ちゃってよ」
「無茶苦茶言うなぁ。ったく」
空いている右手を使って、アスピスの手を掴んで退けると、エルンストはそっと溜め息を吐く。
「退屈なのも、構って欲しいのも分かったけどよ。足を治したいんだろ」
「だから、こうして我慢してるんじゃん」
「どこがだよ。全然我慢してねぇだろ」
「すごいしてるじゃん」
本当に必要最低限、トイレに行くくらいで、カルタモに言われた通り、他はおとなしく寝ているのだ。他にどうすれば、これ以上おとなしくしていられるのか、アスピスは教えて欲しいと思ってしまう。
「あぁ、もう。仕方ねぇな。分かったよ」
エルンストはそう言うと、掴み取っていたアスピスの左手の薬指に口づけた。
「なっ!」
「キスして欲しかったんだろ。それとも、口にして欲しいとか?」
「そ、そんなこと、言ってないし」
急になんてことをするんだと、慌ててエルンストの手から、自身の手を奪い返すと、胸の前で両腕を抱きしめるように握りしめる。
「もう、エルンストのバカ―」
「だから、あんま大人を揶揄うなって言ってんの」
「揶揄ってるの、エルンストの方じゃん」
和らかくではあるが、どこか諭すように告げてくるエルンストへ、アスピスは反抗するように言い返す。
「俺は、アスピスのこと揶揄ったことなんてねぇけど。いつも本気だって言ってんだろ」
「抱けもしない相手に、キスはしたい訳?」
「本当に、見せなくていいもん見せちまったよなぁ」
知らなかったとはいえ。逃げ惑う女性たちを襲う男たちの姿とか、好奇心旺盛な年齢であったルーファスなどは好んで大人に混じって女性を襲っていたし。まだ小さかったこともあり、大人に勧められるままエルンスト自身も女性を襲ってしまったことが数度あり。それを思い出す度に、とんでもない状況を女であるアスピスに見せてしまっていたことを、今更ながらに大きく後悔をしていた。
でもまさか、使い魔の主人が己の使い魔の目や耳を使って視界や聴覚を共有することができるなんてこと、騎士学校へ行って使い魔について習うまで、エルンストは知らなかったのである。その事実を知った瞬間、頭を抱えたのは、仕方のないことであろう。
「っていうか、意味も分かってねぇのに、あんま口にすんな。そういうことは」
「だって、本当のことじゃん」
「お前が本気で抱けっていうのなら、やぶさかじゃねーよ。でも、そうじゃねぇだろ」
子供相手になにを言っているんだと、エルンスト自身で思いながらも、ごまかしのきかない相手に本音を洩らす。
「焦らなくていいから、時間をかけてゆっくり大人になってから、誘ってこい」
「べつに誘ってなんかいないもん」
「誘ってるも同じなんだよ。男相手にそういう話題を持ち出すってのは」
困ったなぁと思いつつ、退屈病に罹ってしまったアスピスを、どうすればか分からせられるのかをエルンストは考える。
「仕方ねぇなぁ。抱いてやるから、新鮮な空気でも吸ってくるか?」
「へ?」
エルンストの台詞に驚き。急になにを言い出す気だと焦るアスピスの様子に、エルンストがハッとするように言い直す。
「アホか! そっちの抱くじゃねぇよ。抱っこして外に連れ出してやるって言ったんだろ」
「あー、なんだ」
本気でびっくりしたと、アスピスが胸をなでおろす。
その様子に、エルンストは苦笑を禁じえなかった。
「本当に、ちゃんと意味が分かるときが来るのかよ」
「なによ?」
「なんでもねぇよ。それより、外に出たいなら抱いてやるぞ」
「ここでいい。窓から空気が入ってくるし」
あまり心臓に悪い単語を連発しないで欲しいと思いつつ、アスピスは先ほど取り出しておいた本を手にする。
その様子から、ようやく先ほどのエンドレスになりそうな厄介な会話から解放されたことを察したエルンストは、安堵する。
「なぁ、たばこ吸っていいか?」
「いいけど、エルンストって吸うんだ?」
知らなかったと、驚くアスピスに、エルンストは苦笑で返す。
「ストレスがたまると、吸いたくなるんだよ」
「うわー、すごい嫌味」
「そんなつもりで言ったんじゃねぇよ」
そう言いながら、アイテムボックスを開いて、そのまま手を突っ込み、タバコとマッチと灰皿を取り出した。
「火、つけてあげようか?」
「そういうことはやらなくていい。つか、やるな」
「だって、片手あたしのせいで使えないじゃん」
「片手で火ぐらいつけれるっつーの」
余計な心配なんてするなと、エルンストは煙草をくわえると、器用に右手だけでマッチに火をつけると、タバコに火をつけた。
そんなエルンストに向け、アスピスは今読んでいる恋愛小説の話を持ち出した。
「キスって、コーヒーの味がするんだって」
「は?」
「エルンストとしたとき、なんの味もしなかったのにね」
何気ない、一文に対してのアスピスの感想であった。しかし、何故か、エルンストは大きなダメージを受けていた。
「ただいまー。花祭りすごかったわよ。最終日は、アスピスも抜糸を済ませた後だから、見に行けるかしら」
「おかえり。他の2人は?」
「夕食に食べるものを買ってきてくれるって、中央通りに出たところで分かれたの」
「あまり、人通りのあるところでひとりになるなよ。絡まれても、お前の場合、召喚なんて便利なもんねぇんだから、助けにいけねぇんだからさ」
「あら、心配してくれるの? って、もしかしてタバコ吸ったの?」
「ちょっとな」
「アスピスはまだ子供なんだから。この子の前で吸わないであげてよね」
エルンストの腕の中で、本を抱き込むようにして寝ているアスピスを覗き見ながら、フォルトゥーナは苦言を零す。
「そう思うんだったら、こいつにあんま、恋愛小説とか読ませるなよな」
「あらどうして? ちょっとした道楽じゃない。勉強の本ばかりじゃあきちゃうでしょ。それに、アスピスに読ませているのって、ちゃんと全年齢対象のものばかりよ」
「だったら、せめて。こいつをまともに教育してくれ」
「え?」
エルンストの台詞の意味が分からず、フォルトゥーナはきょとんとしてみせる。
「キスはコーヒーの味がするらしい、とか。訳のわからねぇこと言い出しやがった」
「あら、それって。小説の文中にある文句だわ」
くすくすと笑い出すフォルトゥーナは、諦めなさいとばかりに、笑い続ける。
「アスピスが大人になったら、実践してあげればいいじゃない」
「その前に、退屈病に罹っているこいつの好奇心に、殺される方が先な気がしてきた」
「好奇心旺盛なのは、いいことよ。色々と吸収したいのよ。長年閉じ込められ続けて、この年になるまで、アスピスが自由だったのってたったの1年なのよ。ようやく解放されたんだもの、協力くらいしてあげなさいよ」
そう言って、半ば打ちのめされている状態のエルンストを諭すフォルトゥーナは、この時、完全に他人事として受け止めていたのであった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




