第37話(六聖人のお仕事3/任務地へ出発)
[三十七]
「はぁ! 馬車なんか使って行くのか?」
ノトスと集合するための約束の場所へ、アネモスが引く馬車が到着すると、ノトスは呆れた表情を作り出す。
「えぇ。アスピスの足の都合もありますし。この方が早く着きますから」
「って、お前ら甘やかしすぎなんじゃねぇの。そのガキのこと。本気で1週間も待たせられるとは思ってなかったぜ」
「ガキじゃなくて、アスピスです」
にっこりと、しかし譲歩する気はないと言いたげに、レイスはきっぱり言い放つ。
「それに、アスピスの足は、幼いころ腱を切られて、自然治癒にまかせてなんの治療も施されなかったためのものなんです。そのせいで、正式な治療を受けられたアンリールよりも歩くのが遅く、その上長時間歩くことができないんですよ。責めるなら、その事情を知った上でしてください。フォルトゥーナも、今のあなたを見たら、さぞがっかりするでしょうね。彼女はアスピスを溺愛していますから」
ダメ押しとして、最後はノトス最愛の相手であるフォルトゥーナの名前まで出して、レイスは言い切ると、ノトスのことを無視するようにして、挨拶をするために馬車から下りていたアスピスの腰を両手抱え上げるようにして、馬車に乗せた。
そこにきて、ノトスはようやくハッとした。
「っていうか。なんで、レイスがいる訳?」
「(赤)の座に身を置きながら、対となるアスピスを護衛するつもりはないと言い切ったそうじゃありませんか。管理室の方々も、その発言を聞いていたそうですからね。だから、俺が同行することになったんです。このことは、シェーン様にも報告させていただきましたので、了承済みです」
しらっと言っているが、本当のところは、同行する許可を手早く受けるためにシェーンに手回しをしてもらおうと、その事情を話しただけなのだが。経緯は別として、知らせたのは事実なので、レイスの口調は強気であった。
「あなたも早く乗らないと、置いてきますよ」
「チッ!」
ひょいっと後方から馬車へ乗ったレイスが、ひとり大通りに立ち尽くしてるノトスに告げる。瞬間、ノトスは舌打ちをしながらも、馬車に乗ってきた。
「では、エルンスト、よろしくお願いします」
「了解」
レイスの声を合図に、すでに御者席に座っていたエルンストが、アネモスへ目的地へ進むよう指示を出す。
今回の目的となるアートルムの町は、赤道を利用しようと思うとものすごい大回りになってしまうため、赤道を横切る形で直線に進む経路が取ることになったそうだが、それでも馬車だと二日ほどかかる計算となるらしい。
警戒し合う関係のクレアルラ王国と、現在友好的な付き合いをしているキセオーツ王国。そして、アスピスたちの住んでいるイシャラル王国の3国をまたいで広がる、漆黒の谷と呼ばれる底の見えない巨大な谷を深い緑で覆い隠してるとても大きな森である、万障の森に向かう際の、イシャラル王国の場合では、拠点地とされる町である。そのため活気がありとても栄えた町なのだが、反面、森に近いため時々魔物が現れることがあり、魔物除けの結界を町全体に張っているということだった。
今回の仕事は、その結界を張るための結界棒に差し込まれた秘石に精霊を送り込み、更にはマナで結界の強化と、条件が消えないよう補強することであった。
ちなみに、森の中には国の境界線は存在せず、森の中ならば3国の内に属する者ならば、自由に闊歩できることになってはいるそうだ。しかし、得るものが大きい反面、力量が足りない者が踏み込めば、即座に命を落とすと言われているくらいに、脅威とされている森なのだそうである。
今回の仕事は、そんな森に入る必要がないことから、みんな気楽な感じであった。敵に出会うとするならば、往復路にて、襲ってくる盗賊くらいだろう。
ノトスを数に数えていいものか悩ましいところだが、六剣士が三人も揃っている上にアネモスもいるのだから、盗賊などでは敵にもならない心強い旅である。
問題は、そんな六剣士のひとりが、アスピスを毛嫌いしているところだろうか。そのせいで、空気のなんと重いことか。
なのだが、ノトスの冷たい視線を無視するよう、わざとらしくレイスが甲斐甲斐しくアスピスに声を掛けてくる。
「今回は、俺たちは護衛としての付き添いでしかありませんから。目的地に着いたら、なんの役にも立ちません。ですが、目的地に着いてからが今回の本番です。アスピスはそこで力を使わなくてはならないのですから、今は横になって休んでいてもいいんですよ」
「え。いや、でも……」
「体力のある方ではないのですから。休憩に入るまで、少し寝てなさい」
常以上にやさしい口調でありながら、有無を言わさぬ声音で、レイスはアスピスの頭を自分の膝の上へ倒すようにして、横にならせる。その上、いつの間に用意しておいたのか、アスピスの上に簡易の毛布を掛けてきた。
これは本気で寝ろ。と、言っているとしか思えない。そう思い、アスピスは、抵抗するだけ無駄そうだと、素直に瞳を閉じることにした。
いつの間にか、本気で寝入ってしまっていたらしい。馬車の中には誰もおらず、外から声が流れ込んでくる。
「本気で甘やかしすぎだぞ。あの年でこれだけ甘やかされてちゃ、成長したとき困るのは本人だぞ」
「心外ですね。甘やかしたところで、アスピスは増長なんてしませんよ。それどころか、甘やかせば甘やかした分だけ、アスピスは戸惑うんです」
困ったことに。と、残念そうに呟くレイスに、ノトスが尻上がりな声を上げる。
「はぁ? 訳わからねぇぞ、それ。っつーか、だったら甘やかすのなんて、やめちまえばいいだけのことだろ」
「そんなことしたら、いかに俺たちがアスピスを好きなのかってことが、伝わらないじゃないですか」
「甘やかすだけが、好意の伝え方じゃねーだろ」
どうやら、ノトスとレイスが言い合いをしているようである。
(珍しいなぁ。レイスが語気を荒げるなんて)
よほど相性が悪いのだろうか。そんなことを考えながら、もぞりとアスピスは見動くと態勢を若干変える。
「だったら、あなたもフォルトゥーナを甘やかすのを止めてはいかがですか。愛情表現は色々とあるらしいですから、ノトス曰く」
「それとこれとは別の話だろ。ってか、フォルトゥーナは小さいころから苦労してきたんだ、甘やかしてやってなにが悪い」
「悪くはありませんよ。ですが、幼いころから苦労してきたのは、フォルトゥーナだけではありません」
アスピスだって。と、レイスが口にしようとしたところで、エルンストがレイスに停止をかけた。
「こいつに教えてやる必要はねぇよ。なにも知らないまま、アスピスを軽んじていけばいいさ。そうすりゃ、いずれ、(赤)の席が自動で空くからな」
「(赤)の席は、フォルトゥーナのためにもぎ取ったものだ。誰にも譲ったりはしない」
「そう言っていられるのも今の内だ。アスピスを馬鹿にして、吠えてろよ」
ことさら冷たくノトスをあしらうエルンストの声が響く中、レイスがそれを途中で止める。
「エルンスト、あなたの言いたいこともよく分かります。ですが、ノトスが(赤)である以上、知らないままという訳にはいかないはずですよ」
「知りたくねぇって言うんだから、教える必要なんてねぇだろ。なんたって、アスピスは親元でぬくぬく育ったそうだからな」
「違うなら、そう言えばいい。いつまでもこちらの間違いをネチネチと」
嫌味を言うエルンストへ、ノトスが我慢の限界だと、喧嘩でも売るようにエルンストへ向け声を出す。
「じゃあ、親元でぬくぬくと育ってねぇアスピスは、いったいどんな環境で育ってきたんだろうな?」
「あのガキだけが不幸なわけじゃないだろう。フォルトゥーナだって、親に捨てられて孤児院で育ったんだ。たまたま精霊使いの素質を見出されて、ビオレータに引き取られたそうだが。ビオレータがあのガキに位を譲ったりするから、再び孤児院に戻されたというじゃねーか」
「そういう話は、どこから作り出されるんでしょうね」
当時、その場に共にいたレイスは、少し寂しそうに言葉を洩らす。
「な。レイスもよく分かったはずだ。フォルトゥーナのことしか頭にないこいつに、なにを語ろうとしても無意味だろ」
「そうかもしれません。でも、対の相手として、知ってもらわなければならないと、俺は思います。今後のためにも。俺やエルンストが、最近では日ごろの交遊関係も考えて警護を組ませてもらえるようにはなっていますが、それでも色の違うアスピスの仕事に必ず同行できるとは限らないのですから。それに引き換え、対であるノトスは俺たちより同行する可能性が高いのは否定しようのない事実なんです」
「だから、それは、いずれ仕事の放棄と見なされ、席を失うだけだって言っているだろ」
「本気で、エルンストはそれを望む気ですか? そんな方法で手に入れた(赤)の座に誇りを持てますか? アスピスと自信を持って対になれると思っているんですか?」
至極真面目な口調で、エルンストに問いかけるレイスに、エルンストは言葉を詰まらせる。
「それは……」
「ノトス、アスピスの過去に関しては、本当に機密事項を含んでいるのです。そのため、上位職に就いている者でも、アスピスとは無関係な場合は知らせる必要がないとの判断から、事実を知らせていない者が多数います。王国管理室でさえ、熟知している者は限られているくらい、漏洩することをおそれられている内容となります」
「お、おう」
レイスの台詞に、ノトスが気圧されるようにして、返事をする。
「それで、そんな重要な秘密ってのはなんなんだよ」
「えっと、そうですね。話すと長くなりますし、アンリールに聞くのがいいと思います。今は、アスピスの精霊使いとしての先生もしてくれていますし。彼女は直接見た訳ではありませんが、ビオレータが位を譲った場に居合わせた人物でもありますし、空白の10年を作った張本人なのですから、一番詳しいはずですので」
「空白の10年だぁ?」
訳の分からないことをレイスに言われ、ノトスは反射的に聞き返す。しかし、レイスはそれに対して答えを与える気は全くないようであった。
「それも含めて、アンリールに聞いてください。彼女なら的確に教えてくれるはずです」
「分かったよ。アンリールに話を聞けばいいんだろ」
ケンカ腰のエルンストに対して、諭しのレイスと言ったところだろうか。
半ば不満そうではあるし、面倒臭そうにしてはいるが、それでもアスピスの過去について調べる気にはなったようである。
そして、そこで話は打ち切られたようであった。
(盗み聞きしちゃった……)
悪気があった訳ではなく、偶然ではあったのだが。それがバレるのがなんだか嫌で、アスピスはみんなが休憩を終え、馬車の中へ戻って来ても、寝たふりを続けることにした。
「アスピス、起きてください。今日はここで野営をしますので。夕食にしましょう」
「あ、うん……」
再び本気寝をしてしまったようである。今日は一日中寝てしまった日である。そのことを少しばかり反省しつつ、アスピスはレイスに馬車から下ろしてもらった。
「ありがとう」
「いいえ。アスピスは、ちょっと軽すぎますね」
「そうかなぁ?」
今ではちゃんと一日二食。間食付きの生活を送っているのである。それも、レイスやフォルトゥーナのおかげなのだが。
そんなことを思いながら、焚火の方へ向かって行くと、すでに準備が終わっていて、すぐに食べ始められる状況にまでセッティングされていた。
しかも、牽引具から解放されたアネモスは、ひとり先に食事を貰っていたようで、既に木の下を陣取って、丸くなるようにして気持ちよさそうに眠っていた。
使い魔の主として、アネモスの面倒を他人任せにしていることを、ちょっと実感してしまう。いつも、アネモスの食事の用意も、レイスやフォルトゥーナがしてくれるのだ。
「もっと早く起こしてくれて良かったんだよ。そしたら、手伝えたのに」
「珍しくぐっすり寝ていたので、起こすのが忍びなくて」
「とか言ってっと、夜に眠れないんじゃねーの?」
なにか言わずにはいられないらしいノトスは、アスピスに向け嫌味を言ってくる。
よほど、フォルトゥーナが好きなのだろう。だから、フォルトゥーナを不幸にした元凶だと信じて疑っていないアスピスのことが、本当に憎くて憎くて仕方ないのだろうなと、簡単に想像できてしまう。
確かに気分のいいものではないが、気持ちは分からないでもないことで、アスピスは無言を貫き通し、レイスに指示された場所に腰を落とした。
(反論できない部分もあるしね)
自分の使い魔のことしか頭になくて、ビオレータとフォルトゥーナの身の安全と将来の保証の確約を忘れていたのは、事実なのである。そこを突っ込まれたら、アスピスに言い訳する余地はないのだ。
だから、ここはノトスに言いたいだけ言わせておくしかないと判断を下し、無視する格好を取りながら、その場で「いただきます」と告げると、食器に手を伸ばし、作り立てのスープや焼き立ての肉を切り分けたものなどを、パンと共に食べていく。
(味がしないや)
精神的に参っているときの合図みたいなものである。
まるで、ひとりで食事を摂っているような気分にさせられているのだと、しばらく食べていて、気が付いた。
「それくらい、残すなよ。少な目に盛ったんだ」
「え? あ、うん……」
「エルンスト、無理に食べさせる方が、アスピスとしては辛いですよ」
「これ以上ガリガリになられちゃ、将来どうなることやら」
先日の騒動を思い出しぼやいたエルンストの台詞に、レイスが小さく噴き出した。
「その節は、お疲れさまでした。大変だったそうですね」
「笑いごとじゃねーよ。本気でとんでもなかったんだぞ」
レイスの励ましに、エルンストはムッとしたように肩をすくませる。
「あんなのは、二度とごめんだ。アスピスも覚えておけよな」
「えー。あたしのせいじゃないよ。あれは……」
「分かっている。だが、次からは全力で拒め」
いいな。分かったか。と、念を押すよう告げてくるエルンストはどこか必死な表情をしていた。よほど堪えたのだろう。記憶が完全に抜け落ちているアスピスは、説明はされたのだけれども、気持ちとしては、全然ぴんとこないのだが。
ただ、エルンストが大変だったらしいことだけは、アスピスにも伝わって来ていた。
そんなくだらない話題が少し上っただけで、アスピスの心の中に変化が生じる。
(いつもの空気だ)
みんなが作ってくれる、温かな空間。
大人になってしまったみんなに、置いて行かれてしまったが。その分、昔のままであるアスピスは、かなり甘やかしてもらっているのだろう。小さな子供を守り育てるかのように。
それを寂しく、悲しく感じることもあるけれど。自分が選んだ道である。そして、自分のことばかり考えていたことで、ビオレータやフォルトゥーナを助けてあげることはできなかったが、それでもアスピスの使い魔たちがアスピスが望んでいた通り、己の選んだ道を突き進んでいると知った時には、正直嬉しく思えた。
そして、だからこそ得られた現在なのだ。これを大切に思ってなにが悪いのだろう。
普段の空気を取り戻してきたことで、気持ちが軽くなり、先ほどまでの罪悪感が消えたわけではないけれど、それでも強気にそう思えてきたことで、ノトスの方を見つめたら、厚めの紙の束を手にし、器用に食事を摂りながら、無心にそれを読んでいた。
その様子を、エルンストもレイスも気にすることなく受け止めているようである。
アスピスが本を読みながら、お菓子を食べたりすると、行儀が悪いと即怒られるというのに。
(大人って、ずるいよなぁ)
そんなことを思いつつ、食事も半分は食べた頃、アスピスはお腹がいっぱいになってしまった。
ずっと寝ていて何もしていないのだから、食欲がわかなくて当然である。
上目遣いにエルンストを見つめたら、無言で手を出してきた。
「ありがとう」
「ったく。今度はちゃんと食えよ」
文句を言いつつ、アスピスが残した食事の後始末をしてくれるエルンストに、感謝する。
「なんだかんだ言って、エルンストが一番甘やかしてますよね。きっと」
「それは、嘘だ。レイスのが上だろ」
「そうですか? 俺は躾に関しては、カロエ同様に接してますよ」
赤子の頃から、行儀に関しては一切学んでこなかったアスピスである。日常生活の常識なんて正直なにも知らなかった。そんな中での救いは、盗賊団から連れ出されたばかりの一番ひどい状況の時、森の中で人里から離れて暮らしていたビオレータに面倒見てもらったことだろう。そこで、基礎の基礎を叩きこまれたのである。もちろん、叩き込んだのは、年下の姉弟子であるフォルトゥーナであった。
そして今は、それをレイスが担当してくれていた。
「ところで、見張りはどうするの?」
「六剣士が3人いますので、三交代の予定ですよ」
「って。あたしは?」
「夜はしっかり寝て、ちゃんと成長してくださいね」
自身を指さし、自分も仲間に入れてほしいと願ったものの、レイスににっこり拒まれた。
「もう、いっぱい寝たのに」
「夜は別です。怖いなら、エルンストが三番目ですから、エルンストに添い寝でもしてもらってください」
いつもとは異なる、安全だと言われている赤道から離れた、緑が茂る草原の数少ない木の下を位置取りしての野営である。危険度は、常よりも高いだろう。
そういう意味での『怖いなら』なのか。それとも単に、子供が暗闇を恐れることに対しての『怖いなら』なのか、レイスに問い質してみたいところである。
しかし、そんな余裕はもらえなかった。
「俺は寝る。こいつは貰ってくぞ」
「えぇ、どうぞ。毛布をはぐことないように、気を付けてあげてくださいね」
「あたし、そんなに寝相悪くない。っていうか、ひとりで寝られるよ」
片手をアスピスの腰に回し、アスピスを抱え上げた状態で、エルンストは焚火から少し離れた木の陰に行き、そこでアスピスを落とすと、アイテムボックスを開いて、下に敷く防水性のシートと、毛布を取り出す。
「大きいから、一枚でいいな」
「いや、だから。ひとりで寝られるんだけど」
「寝るのに適している場所が少ないんだから、仕方ねぇだろ。それに、お前に何かあったら、仕事的にまずいんだよ」
分かったか。と、ちゃんと理由があるのだとエルンストは言うと、シートを敷き、その上にアスピスを横たわらせると毛布を掛ける。
「エルンストは、寝るんじゃなかったの?」
シートの上に座ってはいるが、木に寄りかかっていて、横になる様子を見せないエルンストへ、アスピスは不思議そうに問いかける。
「ちょっとな。あともう少しっぽいし」
「なにが?」
「お前は気にしなくていいことだ。アネモスがあれじゃ、傍に寝れないだろ。代わりに俺がいてやるから、安心して寝ろ」
アネモスとエルンストを同列に考えろということなのだろうか。それは、さすがに人間というか、魔の血をひいているが人型である魔族のエルンストに対して失礼かもしれない。でも、寝ることを前提に考えるとなると、アネモスのあの生暖かくて柔らかな感触に身を委ねる心地よさは、知ってしまうと手放しがたいものがあり。アスピスは複雑な気分になっていく。
「うーん」
「なんか文句でもあるのか?」
「ないけど、眠くない」
「子供は寝る時間だ。諦めろ」
無茶苦茶なことを言って、アスピスの目の上に手を乗せてくることで、エルンストはアスピスの瞼を閉じさせる。そして、そのまましばらくの間、その状態を維持し続けた。
そんな折。ノトスが不意に口を開いた。
「面倒くせぇな。なんじゃこりゃ」
呆れた感じで呟くと、手にしていた用紙を焚火の中に放り込んだのだろう。火の勢いが増した音がする。
「アンリールからの手紙でしたか」
「あぁ。ってゆーか、ありえねぇだろ、普通に考えて」
「にわかには、信じられないでしょうね」
「でも、真実なんだろ。アンリールが嘘を吐く意味もねぇしな」
ったく、もう。と、本気で面倒くさそうに、ノトスは呻くと、自分の頭をガシガシかき回した。
「んじゃ、なに? レイスは、アスピスの使い魔なわけ?」
「今では、エルンストも、アスピスの使い魔に戻りましたよ。自らの意思で」
「使い魔って、そういうもんなのか?」
人間であるノトスには、まったく理解できない世界なのだろう。不思議そうにレイスに問いかける。
しかし、レイスも答えを持っている訳ではなかった。
「さぁ。でも、一度得た主を失った際に生じる喪失感は、半端ないらしいですよ。経験したことがないので、俺には分かりませんが。でも、疑似体験はしましたからね、そういう意味では主を失う怖さは多少は分かるつもりです」
「そうかよ。でも、まぁ、使い魔って点を差っ引いても、お前らがアスピスに甘い理由ってのはわかった。フォルトゥーナがアスピスを溺愛しているらしいってのも、嘘じゃねぇらしいってこともな」
「分かっていただけて、光栄です」
にっこり微笑むレイスに向け、ノトスは少々語気を荒くする。
「だがな、フォルトゥーナに迷惑をかけたってのと。かけているってぇのは、変わらねぇぞ」
「そうですね。彼女にはとても感謝しています」
「ただ。アスピスも好きで迷惑をかけてきた訳じゃねぇことも、一応わかった」
眠らされていたのだから、なにもできる訳がないということを、アンリールの手紙から汲み取ってくれたようである。
「ってことで、まだ起きてるんだろ。アスピス。勝手な憶測で、お前の人生を愚弄してすまなかった」
「だそうだ、アスピス」
「べつに、謝らなくてもいいのに」
どうやら、エルンストは、これを聞きたかったようである。エルンストの方を見上げたら、満足げに笑みを漏らしていた。
「でもよぉ。それにしたって、まずくねぇか? 死んだことになってんだろうけどよ、あっちの国では。でも、王族ってことだろ」
「あぁ。イヴァールの双子の片割れで間違いはないらしいな」
「その上、奴隷商人に、盗賊団か」
「想像を超えていたか? でも、八式使いならまだましな方かもしれねぇぞ。アンリールを監禁し、逃げ出さないよう脚の剣を切ったのは、実の親だしな。シェリスだって、八式使いとしてではないが、暗殺集団に育てられたんだ。まともな生活を送れていたとは思えないだろ。扱われ方は、道具としてだっただろうからな」
「まぁ、そうだな」
「ルーキスだって、シェリスと一緒にいるうちに、シェリスの生い立ちの惨状を知って、アスピスの生い立ちとだぶらせたことを切っ掛けに、最初は同情して。それがいつの間にか本気で惚れちまってて、誤解を解きつつなんとか口説き落として、それでシェリスと結婚した訳だ」
「あー。シェリスの旦那って、シェリスの使い魔だって話だもんな」
騎士学校へ通うことなく、冒険者を始めるまでの間、町民として城下町で働き続けたルーキスの情報は、シェリスの使い魔であり、旦那であるということくらい。
そのことを思い出すよう、ノトスは呟く。
しかし、現実はというと。
「あいつも、元は、アスピスの使い魔だ。俺と同時にアスピスの使い魔を解約されたのがルーキスだ。そして、シェリスの使い魔になったのも、最初の動機は、アスピスを生きて待つためだったらしい。そんな理由で使い魔契約を望んだルーキスを、シェリスはそのまま受け入れたって訳だ。なにを考えてのことなのかは、誰も聞いていないから、知らないけどな」
「なるほどね。複雑だな、お前らも」
「知って、よかっただろ。(赤)として」
「いや。知りたくなかったね、こんな重すぎる機密扱いの話なんて。洩らすつもりはねぇが。正直、俺の手には余りそうな話だ」
アンリールに手紙など書くのではなかったと。でなければ、書き出しの『読み終えたらすべてを燃やし消し去ること』の一文を目にした状態で、読むのをやめておけばよかったと、ノトスは後悔してみせる。
「べつに(赤)だからって、お前にすべてを押し付けたりしねーよ」
「俺たちは対ではありませんが、アスピスの使い魔ですから。関係の濃さは負けてませんよ。俺たちの方が強いくらいですから」
「そーかよ。ったく、分かったよ。(赤)としての責任は全うしてやる。っても、俺にとっての六聖人(赤)はフォルトゥーナだけどな」
「それでかまいませんよ。実際、そうですし」
歪むことのない、ノトスの意思。
(これだけ必死になってにフォルトゥーナのことを想ってくれている人がいるのに。フォルトゥーナが好きなのは――)
大人って難しい。と、アスピスは思いながら、強制的にエルンストの手のひらで瞼を閉じさせられているアスピスは、諦めるように眠りについた。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




