第29話(温泉へ行こう11/拉致と監禁)
[二十九]
目を覚ましたら、そこは丈夫に築かれた結界の中だった。
起き上がり床を見ると、事前に用意していたのか、六芒星の魔法陣が描かれた白いシートを畳の上に敷いた状態であることが分かった。
「事前にこのシートを用意していたとなると、この結界、かなりやっかいかもな」
アスピスはぼそりと呟き、改めて結界を見る。
おそらく、外からは、中のものが全部透明になり、そこになにも無いように見えていることだろう。
しかし中から見ると、完全に閉じられた世界で。基本は白色の、なにかのはずみでところどころがキラリと光って見える壁があり、外がどうなっているのかまったく分からない状況となっていた。
右目を使って、結界を解読したところ、作成者は八式使いの。しかも、とても緻密で丁寧で強度のある結界を作れる精霊使いであることが、よくわかった。同時に、精密なのに規則性はなく、結界を解除するのが非常に困難だということまで分かってしまい、アスピスは頭を抱える。
(ついでのつもりで、条件を解読しようと思ったんだけど。全然読ませることをさせてくれなかったな)
それは、読ませることを拒む条件付けがされているからなのか。この結界を築いたのがアスピスよりも上手な精霊使いだからなのかまでは、分からない。
ただ、この結界の条件に防音が加えられているのか、それともアスピスの声は筒抜けになるよう条件付けされているのか、その点もわからず、下手に考え事を声に出して洩らすのは危険だと判断を下す。
(そもそも、こんな準備周到にしてあたしを捕らえたってことは、最初からあたしが狙いだったってこと?)
反射的に頭に浮かんだのはウロークである。
そうなると、この結界を作ったのはアンリールということになるのだろう。
現状で決めつけるのは危険だが。
(でも、だとすると、とっかかりがあるかもしれないよね)
結界には、癖が出るのだ。アンリールの本気の結界に一度触れたことのあるアスピスだからこそ、見つけられるアンリールの癖があるかもしれないと、淡い期待を胸に抱く。
(難易度が高いことには違いはないんだけどね)
本当に、見惚れるほどに綺麗な結界なのだ。
シェーンの女体化のための結界オーラをアンリールが担当しているというのも、アンリールの結界作りの技のすごさを思うと、素直に頷ける気がするのだ。
(とにかく、どうしたものか)
そもそも、結界にアスピスを閉じ込めて、どうしようというのだろう。
ここでは。それとも、今は。未だ殺せないということなのか? と、アスピスは首をかしげて考える。
けれども、考える真似をしただけで、それで答えが出てくるくらいなら、なんの問題もないのだ。
(あ~ぁ。まいったなぁ……って、下駄が片っぽ脱げてるじゃん)
片足が素足になっていることに、今さらのように気が付いたアスピスは、残念そうに下駄を失った足を見つめてしまう。
(せっかく買ってもらったのになぁ)
しかも。
(みんなのお土産も、どうなっちゃったかなぁ)
落としたところまでは覚えているが、それ以上の記憶がないことで、みんなへのお土産の行方もアスピスの知るところではなくなってしまっていた。
(踏んだり蹴ったりじゃん)
不満げに心の中で愚痴をこぼし、ノリと勢いで、下駄をはいている方の足で結界を軽く蹴る。
当たった瞬間、そこに壁があることを知らしめる、固い感触が下駄の先から伝わってくる。
(あー、もう。ちくしょう)
けれども、『どうとでもなれ』なんて思わない。
アスピスが死ぬのは、使い魔との契約をすべて解除した後と決めているのだ。
六聖人(赤)のアイテムボックスの中に置かれている、ビオレータが残してくれた本棚の片隅に置かれていた本をなにげに手に取り、使い魔について書かれている本だと知って、好奇心から読んだときに、使い魔との契約を解除することは。特にそれが一方的な者である場合、特に、使い魔にとって、とても残酷な行為であると書いてあった。時には、主を失った不安から、狂ってしまう元使い魔もいるとまで書いてあった。
それを知った時、エルンストやルーキスにしてしまった、契約の解除の行為は正しかったのかどうか、本気で悩んだのである。
でも、たとえそうだとしても、命にはかえられないと、アスピスは思っていた。
レイスにカロエにエルンスト。それにアネモス。彼らを道ずれにする気は、アスピスには微塵もないのである。
(やってやろうじゃないの)
結界の解除を。何時間かかろうとも。何日かかろうとも。必ず、絶対に自力で解除してみせると、アスピスは心に誓い、右目を大きく見開いて、どんなことでも見落としたりするものかという思いで、周りを取り囲む結界を凝視した。
白一面の壁の中で、時折なにかに反射するようにキラリと光るマナの糸。マナから感じる式数は8。
元からその気だが、全力で挑めと言われたも同じようなものである。
結界を解くにあたって、できればこの結界にかけられた条件が知りたいのだが、何かが邪魔をして読むことができない。
それでも、それに押し勝って、条件を解明しなければと思う。
ロワを助けるとき、アネモスに頼ってしまっていたから、失念していたのだが。結界を作る際に、掛けられた条件によっては、気軽に解除ができなくなるのである。そういう不利な条件がある場合、条件を打ち消す作業を先にしなければならないのだ。
(それとも、この結界内に、あたしの結界を張ってみるか、だな)
その場合も、すでに張られている結界よりも優れたものでなければならないという、条件がつくのだが。
(まず、試しに小さい結界から作ってみるか)
アスピスはそう考えると、即実行するように、自分に影響を与えないようなるべく距離を置いた場所を選び出し、右の眼にある六芒星を使い、目視で基準となる位置を定めると六角形の小さな結界を作り出す。できるだけ丁寧に、いつもよりマナを細めに縒って、密に編み込んでいく。
マナだけで言えば、アスピスのマナは、アネモスの保証付きとなる、希少なものらしい。それを織り込んで考えると、マナ勝負では負けるはずはない。負けるとすると、それはアスピスの技量の悪さによるものとなる。それも、希少なマナの意義を打ち消すほどに。
(そんなこと、あってたまるかってーの)
神経を全集中させて、綺麗に均一な太さになるようマナを縒り、丁寧に密にマナの糸を編みこんでいく。
軽く一時間は過ぎただろうころ、アスピスはほうっと吐息した。
なんとか出来上がった、アスピスの結界。それでも押し負けているのか、じりじりと結界が崩れていく音がする。
(持って、何分だ?)
やっぱり、今の自分では役不足だと実感させられる。
(その前に、やらなくちゃ)
小さな結界である、そうは保たないだろう。そう思いながら、アスピスは結界に急いで条件を付ける。
(周囲を取り囲む結界に掛けられた条件の読破を邪魔するマナを取り除け)
瞬間、ゆらりと周囲の空気が動きをみせる。
(今の内だ)
アスピスの結界が消えるまでが勝負だろう。
そう思い、覚悟を決めて、全神経を、条件の読破に傾けていく。
(違う、書き加えだ!)
反射的に、心の中に入れられた訂正。
(結界内への干渉の停止。それと、二重結界の許可)
一瞬の隙を衝くように、右目の前に浮かび上がってきた、六芒星を囲む二重の円の中に、アスピスは急いで精霊文字をマナで刻み込む。
瞬間、じゅわりと音を立てアスピスの作った結界が溶け消えてしまった。
(間に合わなかったとか? それとも、邪魔が入ったとか?)
いずれにせよ、もう一度、結界作りをやってみるしかないというのが現状である。
(でも、その前に)
先ずはやっておかなければならないことを済ませるべく、アスピスは再び結界の中をじっくりと観察し始めた。
(準備はできた。後は結界を張って――)
脱出を図るだけ。
奥の手となるし、本当に可能かどうかわからないけれど。さっきの条件がきちんと書き加えられていれば、さっきよりも格段に結界が作りやすくなっているはずである。
今は、それに賭けるしかない。
そう決意し、どれくらい時間がかかるか分からない体力勝負に挑む心づもりで、アスピスは深呼吸をする。
人間の持つ集中力の限界は、疾うに超えていた。
(それでも、やらなくちゃ。だもんね)
外でなにが待っているか分からないが、生きてここから脱出し、みんなの元へ帰らなければならないのだ。
(結界、作成)
今度はアスピスを含み入れるようにして、すでに張られている結界の、その中央にアスピスは結界の位置を定めるようにして、右目の六芒星を発動させる。
マナは丁寧に縒り、太さを一定にした状態で、六角形の壁を補強するように編み込んでいく。
(ゆっくりでいいから、できるだけ丁寧に緻密に一定に――)
自身に言い聞かせるよう、アスピスは心の中で念じる。
防御壁でも、拘束壁でもないのだから、アンリールのように様々な編み目を絡め合わせる必要はないのだ。ただただ堅実に丈夫で解れ難い結界を張ればいいのである。
そう思い、そう念じ、アスピスはひたすらに時間をかけて結界の壁を強固にすべくマナの糸を編み上げていく。
(どれくらい、経ったんだろう)
額から零れ落ちる玉のような汗が、アスピスに圧し掛かる疲労の濃さを伝えてくる。
けれども、だからと手を抜くわけにはいかないことで、アスピスは必死になって自我を保ち、マナの糸で結界の周囲を編み固めていく。
そしてこれで最後だと、マナを紡ぎ、最後の段を編み終えると、アスピスは力が抜けてしまい、その場に倒れ込んでしまった。
(あとは――)
残る作業は数少ない。
そして、先ずはという思いで、アスピスは心の中で四つの条件を念じていた。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。