表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/208

第2話(解放/アイテムボックス/冒険者ギルド)

[二]


「まさか、あなたがアスピスと婚約するなんて、思ってもみませんでしたわ」

「過去の清算だよ。やり直しできるものなら、やり直したいからな」

 クスクスと機嫌よさげにほほ笑むシェーンに、王族を相手にしているとは思えない態度にてエルンストは不愛想に応じてみせる。

 無視しないだけまし、という感じである。

 そんなエルンストの態度には慣れっこなのか、気にすることなくシェーンは言葉を続けていく。

「でも、そのおかげで。あなたというお目付け役がいるのならばと、アスピスの軟禁が解除されることになったわけですし。よかったですね」

 ニコニコと笑うシェーンに、エルンストは肩をすくませる。

「そこまで俺に信用があるとは思わねぇがな」

 どうせ、シェーンが後ろで動いて色々盛ったのだろうと、エルンストは不機嫌そうに呟いた。そのことを否定する気はないようで、シェーンは鮮やかに笑い続ける。

「でも、自分の名前というより、あなたの剣の実力や地位ですか。それらがアスピスの開放に利用できるとは思っていたのでしょう」

 大なり小なり。

 そう告げると、シェーンが訪れたことでソファーから立ち上がり、2人のやり取りを眺め見つめていたアスピスへ目線を動かし、シェーンはにっこり微笑んだ。

「今、この時からアスピスの軟禁が解除されます。イシャラル王国内限定ではありますが、自由に出歩いてもらってかまいません。ただ、王都から先に向かわれる場合、エルンストを含めた使い魔たちと一緒に行動するのが絶対条件ですが」

「婚約者と言ってもらいたいな」

 意図してか、間違ってはいないが、使い魔扱いにされたエルンストが、注釈を入れるように横槍を入れる。

「婚約なんて、あってないようなものでしょう」

「へー。イヴァール王子に聞かせてやりたい台詞だな」

「彼とあなたの立場を等しく考えないでください。イヴァールとは国同士の契約なのですから」

 邪魔されたことが気に入らないのか。それとも、エルンストの台詞自体にカチンときたのか、シェーンの口調が若干歪む。

「国同士、ねぇ」

「うるさいですよ、エルンスト」

 もう相手にするのは止めようと心に決めたのだろう。シェーンはアスピスに目線を戻すと、女性らしい柔らかい手でアスピスの両手をしっかり包み込んだ。

「もう分かってしまったと思いますが、あなたの命は決して安くはありません。非常に価値あるものなのです。それゆえ、他国だけでなく自国の心ない者たちから狙われることも、きっとこれからあるでしょう。困った時は、必ず助けてさしあげます。なにかありましたら、遠慮なく申し出てくださいね。あなたは我が国の宝なのですから」

「ありがとうございます」

 過剰に褒められているのを自覚しつつ、だからと他に返す台詞が思いつかず、アスピスは感謝の言葉を口にする。

 そして、それが合図となったのだろう。ゆっくりとアスピスから手を離すと、シェーンは踵を返した。

「では、この部屋は六聖人(赤)のものなので、好きなときに好きなように利用してください。それと、たまには私のもとにも顔を出してね」

 では。と、これで用事は済んだというように、ゆっくりとした歩調で、シェーンは部屋を後にした。

 すでに扉の外なので目にすることは叶わないが、外で待機していたシェーンの警護の者を引き連れて、部屋から離れていくのを、響く足音や鎧の音から感じ取る。

 同時に気が抜けた気分で、アスピスはソファーに腰を落としてしまう。

 少し離れた場所にいたフォルトゥーナも似たような心境なようで、壁に軽く寄りかかる仕草をしてみせていた。

「お前ら、だらしないな。シェーンが来たくらいで」

「そうは言うけど、この国で2番目に偉い人でしょ」

 シェーンを産むとほどなく亡くなられたという王妃。その王妃をこよなく愛していたという現王は後妻を迎えることをせず、今も独り身を貫いているそうだ。

 そのため、この国に存在する王位継承者はシェーンだけであった。

 それがどういうことか、正直アスピスにはよくわからない。けれども、シェーンの背負うものが、とても重いものだということだけは、考えるまでもなく分かることであった。

 そのことで、21歳という若さでありながら、醸し出される迫力が侮れないものとなっているのだろう。

 つまりは、気迫負けである。

 そんなシェーンを前にけろりとしているエルンストは、どんな人生を送ってきたのだろうか。

 そんなことを考えていたため、隙ができてしまったようである。

「ほら行くぞ。もう、こんなところに閉じこもっている必要なんてねーんだし」

「え? 行くって、どこへ?」

 話を聞いていなかったことがバレてしまうが、分からないままついて行く気にもなれず、アスピスはきょろきょろとしてしまう。

「だから、城下町に俺たちの家があるから、先ずはそこへ行こうって言ったんだよ」

「六剣士であるエルンストやレイスには城内に部屋が用意されているのですが、窮屈だということで、今は出てしまいましたが、ルーキスや、今も一緒に暮らしているカロエやレイスたちと4人で城下町に家を買って、そこに住んでいるんですよ」

 クスクスと笑いながらフォルトゥーナが注釈を入れてくれる。

「エルンストやルーキスが、カロエやレイスと和解するのに少々時間がかかりましたが、今はとても仲良くて、微笑ましくなりますよ」

「仲良くって、そんなんじゃねーよ。どっちかっつーと同士って感じだろ」

 とんでもないことを吹き込むなとばかりに、エルンストは訂正を入れると、アスピスの手を握りしめたまま、まるでフォルトゥーナから逃げ出すようにして、足早に六聖人(赤)に用意された部屋を後にした。



 軟禁が解除されアスピスの世話役が不要になったことで、メイド役の任を解いてもらうためにひとり城内に残ることになったフォルトゥーナの「あとで顔を出しますから」の台詞を機に途中で分かれ、エルンストと2人で、エルンストたちが住む家に向かう。

 さすがに城の中央口を抜け正門から外に出ることが躊躇われたため、城の脇にあるメイドや使用人たちが使う出入り口を経由して、城門から少し離れたところにある商人などが利用する小さめの門から外へ脱出する。そして、城から城下町へ向かう間にある爵位持ちの上流階級の者たちが住む豪華な邸宅が立ち並ぶ道を歩いている途中、アスピスの歩みが急に遅くなっていった。

 不審に思ったらしいエルンストが振り返ってきたことで、表情を若干歪ませたアスピスと瞳がかち合った。

「具合が悪いとか?」

「え? そんなことないよ」

「だが、顔色が悪い」

 嘘をつくなと言いたげに、エルンストよりも40センチ以上差があることで、覗き見えないアスピスの顔を見るために顎に指をかけ、仰向けさせる。

「熱はないようだが……」

 これまで手を握っていた際の印象による台詞となるのだろう。

 実際、熱などでてないので、エルンストの判断は極めて正しいものである。

「そういうんじゃなくて。えっとね。もう治ってるんだけど、奴隷商人の元にいたとき、足の腱を切られてて」

「はぁ? なんだそりゃ」

「え? いや、その。あのね。あたしの捕らわれていた奴隷商人のところでは、女性はみんな脱走回避のために切られるんだって。男性は肉体労働が主だから、傷つけられないけど。女性の場合の商品価値って、精霊使いとしてか慰み者としてかっていうのがほとんどで。肉体労働とかには使われないから、腱を切っておいたところで問題ないというか、却って都合がいいらしいっていうか……で」

 自分だけが特別虐待を受けていた訳じゃないのだと、アスピスは慌てるように訂正を入れる。

「だから、その後遺症というか。ごく短い距離を速足したり、その辺をちょっと歩く分には問題ないけど、長時間歩き続けたりとか、走ったりとかできないんだ」

 直視されてるのが辛く思え、顎を捕らえるエルンストの指からどうやって逃れようかと考えながら、隠していてもしょうがない真実を打ち明ける。

 途端に、怒ったような声音が返されてきた。

「だったら最初から、そう言え」

「ごっ、ごめんなさいッ!」

「……ッ」

 ひぇ~。とばかりに、即座に謝罪したアスピスの態度に、今度は舌打ちが返される。

 けれどもそれは、自分自身に向けたものだったらしい。

「悪かった。城から出ることに急いて、確認を怠ったのは、俺の方だな」

「ううん。知らなくて当然のことだから」

 正直なところ、アスピスも城から早く出たいと思っていたのは一緒である。

 その理由はきっと違うのだろうが。

「それに、まだそんなに痛まないし。ゆっくり歩いてくれれば大丈夫だから」

「分かった。お前が大丈夫と思える歩調で先に歩け。俺がそれに合わせる」

「うん。そうさせてもらうね」

 ありがとう。と、言外で告げながら、エルンストと手を繋いだままの格好ではあるが、アスピスの方が半歩程度先を歩き出す。

 怪我がなくても、大人と子供の差があるのだ。きっと、エルンストからすると止まっているに等しい速度に感じるだろう。そう思いながらも、まさかここで休憩を入れるわけにもいかないので、アスピスは恥ずかしいのを我慢して一生懸命歩いて行く。

「奴隷商人のところでやられたというなら、どうせ満足な治療など受けていないんだろ。治ったと言っても、正常な状態ではないだろうからな。一度、医者に診てもらったほうがいいだろうな」

「え?」

 なんでそこまで大事になるのだろうかと思ってしまいながら、アスピスは反射的に振り返りエルンストを見上げていた。

「なんだ? そんな変なことを言ったか?」

「だって、エルンストだってさんざん怪我を負ってきたのに、お医者さんにかかったりとかしてこなかったでしょ」

「それは、お前と契約していた時の話だろ。使い魔の状態の時は、医者なんかに診てもらわなくても正常な状態に戻ったからな、必要なかったんだ」

 子供を相手に諭すよう、エルンストは丁寧な口調で言葉を重ねる。

「でも、騎士学校で学んでいる最中など特に、怪我を負えば必ずと言ってよいほど、医者に診てもらったぞ。ちゃんと直さなければ、使いものにならなくなっては困るからと」

「そうなんだ」

 アスピスの知らない10年もの間の、一部分。それを垣間見たような気がして、なんだか居心地が悪くなり、再び正面を向き直り、沈黙したままゆっくりと歩き続けてどれくらい経っただろうか。出口というか、高級住宅街の切れ目が見えてきた。

「町に出たら、少し休憩していい?」

「そうだな。まだしばらく距離があるし、どこか食堂にでも入って軽食でもとるか」

「えっ? お金ないよ」

 ビオレータの教育の賜物で、町で暮らすにはお金というものが必要だということを教わっていたために、今の今まで常にどこかに捕らわれの身であったので使ったことはないのだが、知識としては知っていたので、思わず慌てる。

 それでも、どこか浮世離れしてしまうのは、町とか村とかで生活したことがないからなのだろう。今の今まで、お金の心配をするのを忘れていたことを、ここで気づいた。

「ていうか、どうしよう」

 お城にいれば、窮屈ではあるが、食事や着るものなど、最低限度の生活は保障してもらえるのだろう。実際、今までそうだった。でも、城から出てしまえば、生活に必要なものは自分のお金で買わなくてはならないのである。

 そのことに思い至ってしまい、不安を顕わにするアスピスの頭を、エルンストは軽くかいぐった。

「それくらい奢ってやるし。つーか、お前の生活の面倒くらい、見るつもりでいたしな。六剣士の給料をなめるなよ。剣士の中では最高位の職だけあって、かなりの高給取りだぞ」

「いや。でも、それはさすがに」

「てかさ、たぶんだけど。お前のアイテムボックスに振り込まれてんじゃねーかな。六聖人(赤)の給金」

 成人までまだしばらくかかるが、それでもヒモのような生活はしたくない。と、思わず嫌々と首を横に振りながら、これから先どうしたものかと途方に暮れた表情を浮かべたアスピスへ、エルンストは仕方ねぇなとばかりに肩をすくませながら、思いついた事柄を口にする。

「え? アイテムボックスって?」

「イシャラル王国の王族や大貴族、上位職には無条件で貸与される特殊な入れ物っていうか。容量内だったら、どんなサイズのものでも入るし。量もたくさん入るし。重たいもんでも重さなくなるし。更には、中に入っているものは時間が止まった状態になるしっていう、便利な入れ物なんだけど。とにかく念頭で『アイテムボックス開け』って感じのこと思い浮かべてみろよ」

「うん」

 どうにも説明しづらいのか、とにかく実行してみろと促すエルンストに言われるまま、アスピスは心の中で思い浮かべる。

(アイテムボックス、開け)

 すると、目の前に変な空間が現れ出てきた。

「へー。前の持ち主、かなり几帳面だったみたいだな。すげー整理されてるじゃん」

 脇からアイテムボックスの中を覗きこむようにして、エルンストが感想を零す。

 どうやらこのアイテムボックスとは持ち主以外の者にも中身が覗けるらしい。

「荷物が色々入っているけど……」

「あー、いいのいいの。上位職の場合、職に対して貸与される形だから、人が変わると、中身もそのまま次の人に所有権が移っちまうの。だから、今入っている中のものは、現在アスピスに所有権があるから、使っちまって平気」

「そうなんだ」

「あぁ。大抵は、職を辞する前に中身の整理とかして、必要なものは抜き出して、次の人に引き継ぐから使えるようなもんあんま入ってないんだけどな。たまーに、想定外の職の移動があったりするから、そんときゃ悲惨よ。だから、本当に必要なものとか大切にしてるものとか、それから金とかの貴重品なんかは自分で買ったアイテムボックスの方に入れておいて、貸与されたアイテムボックスには職に関する物とかを主に入れておくようにしてる奴の方が多いな」

 気楽な感じで言いながら、更に首を伸ばすようにして、アスピスのアイテムボックスの中を覗き込む。そして、何かを見つけたように、指さした。

「ほら、そこ。入り口のすぐ脇にある箱がポストだから。お前で言うなら、六聖人(赤)の役に対して王族や六大貴族、元老院や六賢者たち。っつーか、とにかく城に従事する偉い奴らから送られてくる文書や、契約上定期的に支給される給料なんかが入ってるから」

「って?」

「ちょい、お前のアイテムボックスに、俺の使用許可加えてくれるか」

「う、うん」

 言われるままに、アスピスは頭の中でアイテムボックスにエルンストの使用を許可するよう念じる。

 その完了を待っていたように、しばらく間を置いた後、エルンストはアスピスのアイテムボックスの中へ手を伸ばした。

「ここの取っ手を引っ張ると、ポストの口が開くから」

 そう言いながら、中の作りが六剣士に与えられるアイテムボックスと同じなのか、手慣れた仕草で箱を開けてしまう。

 途端に、箱の中から溢れ出るようにして中身の詰まった布袋が大量に零れ出てきた。

「うおっ、すげー。もしかして、10年分とかじゃね? 確か、給料って事務的送金だったはずだし。お前が時を止められているのって、極秘扱いだったみたいで、王族や大貴族、上位職でも知らない奴ってかなりいたみたいだし」

「ちょっと、まってよ。そんなくらいじゃないみたいだよ!」

「だなー。ってなると。たしか、お前の身受け人だったっけ? 六聖人(赤)の前任者って」

「うん」

「その人が、六聖人としての給金ずっと受け取らずにそのままだったんじゃねーの。確かに、異常な量だしな」

 アスピスの10年分というだけでもかなりの量というか大金なのに、前任者の分まで加わるとなると、そりゃあ箱から飛び出すように零れ出てくるわな。と、箱の中から溢れ落ちるように出てくる布袋の終わりが見えないことに、エルンストは感心しながら眺め見ていた。

 その態度は、完全に他人事であった。

 確かに他人事だろう。

 しかしである。

「どうすりゃいいのよ!」

「どうもこうも、アスピスがもらえばいいだけのことじゃね? こんだけあれば、かなり大きな容量のアイテムボックス買えるから、そっちにこん中にあるので欲しいもの移しちまえばいいし」

 いやー。それにしても壮快だわ。と、道の中央でアイテムボックスを広げてしまったアスピスの失敗ではあるが、エルンストは半ば面白がるようにアスピスの後ろからアイテムボックスを見つめ続けた。

 幸いなのは、まだ貴族の邸宅が立ち並ぶ場所だったため、人通りがないということだろうか。

「しかたねーから、しばらく閉じてろ。貸与されているアイテムボックスはほぼ無限大だから、どんだけ金が出てきても溢れ出てきたりしねーから。とにかくポスト内の金、全部出し終わらさねーと、仕事の文書とかも受け取れねーからさ」

「う、うん」

 一気にお金の心配はなくなったようだが、反面、違う問題が生じてしまった気がするアスピスであったが、とにかくエルンストの言う通り、中身を出し切らないことには話が始まらないようなので、しばらく見ないで放置しておくことにした。

(アイテムボックス、閉じろ)

 同時に、シュンとアイテムボックスの口が閉じ目の前から消えてしまう。

「な、アイテムボックスって便利だろ」

「そうかもだけど」

 気が抜けた。というのが正直な思いである。ついでに、素直に頷けないのは、エルンスト曰く、ポストから出てくるお金が入った大量の布袋のせいだろうか。

(ビオレータ様、なにやってくれちゃうかな。つーか、薬草とか薬品とか本が大量に入ってたんだけど、もらっちゃっていいのかな)

 時間の経過がないということは、使える状態にあるということである。

 それを思うと、ちょっぴり気分が浮上した感じとなり、アスピスの歩みが自然と軽くなる。

 それをどう解釈したのか知らないが、エルンストはおかしそうに笑っていた。



「ほら、オレンジジュースと揚げ菓子。食えるだろう?」

「ありがとう」

 別になにを頼んだわけでもないし、おごってもらうつもりでもなかったのだが、お金の心配がなくなった途端、ここは素直におごられてもいいかなと思えてしまったのは、単純だと言うべきだろう。

 セルフサービスということで、アスピスが席を取り座っている間に、エルンストが飲み物と軽食を買いに行ってくれた結果の現在。

 入ったお店は、イートインスペースのある、ギルドと呼ばれているらしい場所だった。

 アイテムボックスの騒ぎで、思ったよりも足の調子が回復し、城下町の中央近くまで足を延ばせた結果の、エルンストのたっての希望による寄り道となる。

「指輪を買ったの、ここな」

 悪戯っぽく瞳を緩ませたエルンストが、アスピスの耳元でそっと囁く。

「冒険者ギルドっていって、俺もルーキスも、カロエもレイスも。それに、フォルトゥーナも登録しているギルドなんだ。アスピスも登録させようと思って」

 ここに寄ったのだと、カップを口元から離しながら、エルンストは笑う。

「少し休憩を取ったら、登録しようぜ」

「うーん」

「どうしたよ?」

「冒険って、いっぱい歩かなくちゃいけないし、機動力が必要なんでしょ。そうなると、あたし足が悪いし」

 短時間、足場の整ったところを歩くのが精一杯のアスピスには、とてもでないが無謀なのではないかと思われた。

 けれども、エルンストは引くことをせずに、それならばとひとつの案を提示する。

「だったら、アスピス用の馬をまずは手に入れるとこから始めるってのは、どうだ?」

「馬?」

「あぁ。っていっても、荷馬車とか用の馬じゃなくて、森の中でも岩場でも素早く動ける魔物を使い魔にする、って方法なんだけどもさ。魔物も魔の血を引いてるから契約できるはずだぞ」

 それだったら、移動に困らないはずだとエルンストは安心させるように笑ってみせた。

「それに、実際、魔物を使い魔にしている精霊使いもいるし。つっても、大概は戦闘用だけどな。たまに、馬車を引かせる馬の代わりに魔物を使う奴もいるけどさ」

 騎乗するためというのは、やはり珍しいということなのだろう。

 そう思い、ちょっぴり悲しくなったアスピスがしゅんと表情を曇らせると、慌てたように頭を撫でてきた。

 相手は子供だと思い、頭を撫でればそれで機嫌が直ると思っているかのようである。

 けれども、皆が皆、子供だからと頭を撫でられて機嫌をよくするかと言えば、そんなことはないのだ。そもそも、同調しているときに見たエルンストは、そんなタイプの子供ではなかったはずである。

 子ども扱いして頭を撫でたりしたら、逆に、捻くれるタイプであった。

(まったく……)

 婚約を申し込んで来たからには、アスピスのことを嫌いではないのだろうとは感じはしたし。元は同い年だったのだから、多少はレディとして見ているのだろうか。なんて思ったりもしたのだが、アスピスの大勘違いだったようである。

 22歳のエルンストには、見た目そのままアスピスは12歳の少女でしかないらしい。

 実際、時が止まっていたのだから、10年経った現在でも、見た目そのまま12歳なのだから仕方ないのだけれども。

 けれども――。

「どうした、急に?」

 アスピスの様子が変だと感じたらしく、首を傾げながら、頭へ伸ばしていた手を頬へ移しツンツンと突いてきた。

「エルンスト!」

「ん?」

 呼びかけに対し、返されてきた間の抜けた応じに、まったく分かってないのだということが、アスピスに分かってしまう。

(仕方ないんだろうな……)

 これはもう、諦めである。

 ここは大人になって、エルンストを許してあげるのがベストな対応なのだろうと、アスピスは心を広く持つことにする。

 正直言うと、複雑極まりないのだが。こだわっていては話が進まないのだから仕方がない。

「あたし、冒険ができる馬がほしいな」

「だから、そのつもりだって。一番初めの冒険は、お前の足になる馬を探すことだって、ちゃんと言ったじゃねーか」

 なにを今更というように、エルンストはアスピスに告げてくる。

「ま、そーと決まれば。ギルドに登録だ!」

 一気に残りの飲み物を飲み下すように、カップを煽ると、エルンストは勢いよく立ち上がる。

 見る限りにおいて、エルンストは、かなりやる気のようであった。

 しかし、アスピスのカップには飲み物が未だ半分くらい残っていたし、小麦粉を水で練って丸くしたものを油で揚げ、砂糖をまぶした揚げ菓子は未だ三分の二以上残っていた。

 そのため、席に座ったままであったアスピスであったが、それに構わずエルンストはギルドの受付窓口の方へひとりさっさと行ってしまった。

(本人が行かなくていいのかな?)

 思わず浮かんだ疑問符は、ほどなく解決してくれた。

「足が悪いそうなので、こちらから伺わせてもらうことになりました」

 そう告げたのは、エルンストと顔見知りらしい、ギルドの女性であった。

「足が悪いと聞きましたし。そもそも未成年の登録はあまりお勧めしていないんですが、エルンストたちのお仲間だということで、特別にというか。六剣士のエルンストやレイス。六聖人のフォルトゥーナやシェリスが一緒なら、正直言っちゃいますと、この辺一帯どころか、この国で一番厄介な遺跡に出現する魔物ですら、遭遇したところで、4人がたちどころにやっつけてくれちゃいますから、あなたのやることはないと思うんですよね。だから、安心して登録させてもらっちゃいますねー」

 にこにこと微笑みながら、どこか嫌味を言われているような居心地の悪さを感じさせる受付嬢に、ちょっぴりこめかみをひくひくさせながら、アスピスは「よろしくおねがいします」と頭を下げる。

 そうすると、受付嬢が用紙を一枚、アスピスの前へ差し出した。

「まずこれに必要事項を記入してください」

「あ、はい」

 用紙と一緒に渡されたペンを左手で受け取ると、先ずは名前を記入する。

 その下にあるのは、住所(主な所在地)となっていたので、思わずエルンストを見上げてしまった。

「あー、ちょっと貸せ。俺が書いてやるから」

 口で言うのが面倒臭かったのだろう。アスピスから用紙とペンを奪い取ると、左手で用紙を押さえながら、右手にペンを持ってサラサラっと記入していく。

 そのついでだったのか、その下にある職業欄には精霊使いと書き込み、更にその下にある主なパーティメンバー(もしくはパーティ名)の欄には、カロエとレイスとルーキスと、フォルトゥーナ。それと聞いたことのないシェリスという名前が書き込まれていった。

「ねー。シェリスって、だれ?」

 先ほども受付嬢から出てきた名前なのだが、その時は初見の受付嬢が口にしたこともあり気にしなかったのだが、エルンストがわざわざ名前を挙げたとなると勝手は異なるというものである。そのため、確認するようにアスピスが尋ねると、楽しそうな表情を浮かべたエルンストが説明を開始した。

「ん? 八式使いの六聖人(灰)の位に就いてるくせに、精霊術が苦手で、体術にものをいわせてる、暗殺が特技の危険な奴。ついでに言うと、ルーキスのマスターだったりする訳だ」

「本当に? ルーキスも使い魔に戻っちゃったの」

 相手は違えど、再び主人を持つ身になってしまったらしいことに、思わず「なんのためにあのとき解放したんだよ!」と思ってしまう。けれども、それが幸せだというのならば、自ら望んだ道である。アスピスが苦言を呈するなんて野暮なことできる訳もない。

 そんな複雑な思いを込めて放った台詞に、エルンストが食いついた。

「お! 良い反応するな」

 期待以上の反応だと、嬉しそうにエルンストは言葉を続ける。

「更に言っちまうと、ルーキスの嫁さんでもあるんだぜ。しかも、シェリスが成人になると同時に結婚して、すぐに子宝にも恵まれたから、もう8歳になる子供がいるぞ」

「えっ! ルーキスってばすでに子持ちなの?」

 結婚していたことも驚きだが、20代半ばで8歳の子持ちとは想定外もいいところであった。そのため、ひっくり返ったような声を出してしまう。

「あぁ。冒険者一辺倒のルーキスより嫁さんの方が基本稼ぎがいいからな。しかも、シェリスも冒険者を兼業してるわけだし。尻に敷かれて喜んでるよ」

「……」

 ここは喜んであげるべきところなのだろう。

 そう思いながらも、複雑に感じるのはなぜなのか。

 アスピスは思わず頭を抱え込む。

「今、ちょうどカロエやレイスと一緒に2人も依頼受けて出かけてる最中でいないから、戻ってきたら紹介するよ。今日か明日くらいには町に戻ってくるはずだからさ」

「って、子供は?」

「あいつらの隣の家の奥さんが気風のいい人で。子沢山でもあったりするから、ひとりくらい増えたところで問題ないって、いつもあずかってくれるらしい」

「へー……、そうなんだ」

 脱力気分で納得しているアスピスの前髪を、エルンストはわざと指輪が見えるよう左手を使い搔き上げてみせると、不意に額に口づけてきた。

「はっ? なっ?」

「俺たちも、幸せになろうぜ」

 楽し気に締めくくるエルンストは、アスピスとエルンストの2人を見つめて呆然としている受付嬢に、必要事項を書き込んだ用紙とペンを返すと、にやりと笑って締めくくる。

 油断ならないとは、このことだろう。

 相手が子供だと思って揶揄いやがって。と内心腹を立てつつ、ふらふらとした足取りで受付窓口の方へ戻って行く受付嬢の背中を見送る。

(あれは、エルンストに気があるな)

 幼くても、女である。野生ならぬ女の勘は、年齢に関係なく持っているものなのだ。

 しかも、おそらく、エルンストはそれに気づいていると見た。

(やっぱ、こいつ意地が悪いわ)

 しみじみと改めて、同調しているときはエルンストの表情を見ることができなかったし。なにより周囲の風景などに気が散り、そこまで強く感じたことはなかったのだが。見た目の印象は正しかったと感じいる。

「落としたいなら、それでいいけど。あたしを利用しないでよ」

「あ? 俺は浮気はしない性分なんだけど」

「だったら、なんでわざわざ」

「あー……、ちょっとうざかったからさ」

「おい! こら! ちょっとまて。つーか、あたしをダシに使うのは、もっと、以ての外だってーの」

 思わず勢いで、エルンストの服の襟首を捕らえ、抵抗されないことをいいことに自分の方へ引っ張り寄せると、耳元でちょっぴりどすを利かせて囁いた。

 効果のほどは期待できないが、言っておかないと、他でも利用されかねないのだ。

(美形って、本当に始末悪い)

 偏見だと分かっているが、そう思わずにいられないアスピスは、は~ッッとわざと深く溜息をつく。

 その際、手を離すのを忘れていたのが失敗であった。

 傍目には恋人同士がいちゃついているように見えてしまったようである。

 よろよろと戻って来た受付嬢は「これが証明書となりますので、なくさないように保管してください」と告げるや否やそそくさと逃げ出してしまう。

「ちょっ!」

 反射的に引き止めようと思ったが、それも間に合わず、訂正を入れる暇も与えてもらえなかった。

「なんか、最悪」

「そうか?」

 気にすることなんてないだろう。と言いたげに。否。実際にそう思っているのだろうエルンストは、気楽な感じで構えながら、こともなげに問い返してくる。

(悪質すぎる……)

 婚約を申し込んできたときに感じさせた誠実さはどこへ消えてしまったのかだろうか。

 そう思い、なんとなくエルンストを見つめていたら、穏やかな表情で笑いかけられた。

「見た目と、就いている位。それしか見てくれない女なんて、願い下げだ」

「それにしたって、限度ってものが」

「お前はすべてに対してやさしすぎる。見捨てるべき俺たちのことさえ、その小さな体で守り抜こうとしてくれた」

 先ほどから伸ばされたままであった左手が、アスピスの前髪をひと房つまみ取り、指に絡めるように遊びながら、優しい声で告げてくる。

「特に、当時は自由なんてものとは無縁の、常に戦闘を強いられた生活を送っていたんだ。それを、お前を裏切っていたにもかかわらず、そこから救い上げてくれたんだ、惚れるのに十分な理由だろ」

「そんなことくらいで……」

 アスピスは、単に後味が悪い思いをしたくなかっただけなのだ。

 言うなれば、自分のためであった。

(それなのに――)

「買い被りすぎだよ」

 ぼそりと言葉を零すと、アスピスは残っていたジュースを飲み干すように、カップを口元へ運んでく。

「っていうかさ、思い込みじゃないかな」

 アスピスだって、ビオレータやフォルトゥーナと過ごした約一年という時間以外、生まれてから今日に至るまで、環境に差はあるが、ずっと捕らわれの身であったのだ。そんな状態から救い出してくれて。こうして好意を寄せていることを見せてくれているエルンストには、過去裏切られた経験がある。といってもアスピスにとっては未だひと月くらいしか経っていない出来事なのだが――いずれにせよ、救いを求めたというのに無視をされてしまい、大好きで大好きで、命に代えても守りたいとまで恩を感じていたビオレータに危機が迫り、アスピスにはなんの抵抗もできず、2人を呼ぶ以外にどうすればいいのか思いつかず。また、ビオレータもなんの抵抗もせずに捕らえられ、アスピスの目の前で連れていかれる姿を、指をくわえて見ているしかなかった、あの時を忘れることなんて絶対にできない。

 そもそも、リンク率の高さからいって、繋がりは強固なものであったし、ともすれば、お互いの感情が筒抜けに成り得た状況下において呼び出しを行ったのだから、アスピスがあのときどれくらい追い詰められた思いに捕らわれていたかということは、2人にきちんと伝わっていたはずなのだ。それなのに。アスピスの悲痛な叫びが聞こえていなかったはずがないのに、それがどんなに必死なものだったか伝わっていないはずがないのに、それを無視できてしまえるような冷たい人なのだとよくわかっていながら。

 それでも、現在のアスピスは、エルンストに対して感謝の思いを強く抱いているし。年齢差を思うとためらいはするが、ともすれば好意を抱いてしまいそうなくらいには、淡い思いを抱いてしまっていた。

 それを思うと、当時のエルンストも今のアスピスと同じ年齢であった訳で、思考回路は幼く単純であったと考えるのが妥当であろう。

 つまり、感謝と好意を勘違いしたまま、修正を入れる機会のないまま、今日まで来てしまったのではないだろうか。

 気の毒で可哀想なことに。

「ルーキスみたいに、好きな人できなかったの?」

「アスピス一筋できたもんで、残念ながらひとりもいないな」

「バッカじゃないの?」

 減らず口を叩くアスピスに、エルンストはなにも応えず。ただひたすらに、先ほどからずっとアスピスの前髪を摘まんだ指先を、何度も何度もくるくるとさせ遊びながら、幸せそうに瞳に笑みを携えている。

(なにがそんなに楽しいんだろう?)

 思わず、単なるロリコンなのではなかろうか。と、ジュースを口に含みながらアスピスがひとつの疑惑を思い浮かべていたら、2人の間を割るように、すっと伸ばし込まれた剣先が、アスピスの視界に飛び込んできたのであった。

誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ