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第22話(温泉へ行こう4/まっすぐなお調子者)

[二十二]


 侮れない。というより、侮ってはいけない。と、レイスに対する解釈を若干改めるに至ったアスピスは、ケーキを半分ほど食べたところでお腹がいっぱいとなり、クリームが付かないように気を付けながら皿に乗せたままのケーキを紙で包み込むと、冷蔵庫へしまい。レイスの笑顔に見送られるようにして、いそいそと「本の続きが読みたいから」と言い訳がましく二階へ戻って来たのであった。

 それからは、意図的に一点集中するようにして、本を読み続けていた。

 その効果もあってか、我に返り周囲を見回すと、室内が暗くなり始めていて、窓の外を確認すると、日が傾き始めていることに気が付く。

「あー。集中したぁ」

 真面目に。脇目も触れず一心不乱に文字を追い続けていたことで、日中にレイスに揶揄われたことも頭から一時消え去っていた。

(つーか、なかったことにしよう! うん!)

 それが一番だ。と、アスピスは思いながら、ぱたんと本を閉じる。そして、窓を閉めに行こうとしたところで、ノックの音が部屋に響いた。

 反射的にドキッとしたが、それと同時に扉が開きカロエが入ってきたことで、思い切り心の中で胸をなでおろす。

「帰ってたんだ?」

「おう! っていうか、一度覗いたんだけどよ。って、ちゃんとノックはしたぞ!」

「うん。わかってるって」

 レイスの躾だもんね。と、アスピスは心得た感じで大きく頷く。

「そっか。ならいいや。って、そーじゃねくて。声をかけても本に夢中だったから、一旦部屋に戻ってたんだぞ」

「そうなんだ。帰ってきたのも気づかなかったよ。ごめんね。お帰りなさい」

「ただいまー」

 ちょっぴり拗ねた口調で告げられてきたことで、昔の――本当は、アスピス的には二ヵ月くらい前のことなのだが、幼かったころのカロエを思い出し、気持ちをほっこりさせてしまう。

「で、買い物は順調に終わったの?」

「あぁ。ばっちり! で、これがオレからのお土産」

 パンパカパーンと自分の口で言いながら、背後に隠していた、とても柔らかな素材でできているのか、カロエの手の中でぐにゃりと折れ曲がった、大きな犬の抱き枕を、アスピスに向けて差し出してきた。

「茶色の毛――って、赤毛って言うらしいんだけどさ、ちょっと輝きは足りねーけど、なんかどこ微かにアネモスに似てるように思えて、つい買っちまったんだ」

「ありがとう」

 本物がそこにいるんだけど、と思いながらも、カロエの気持ちが嬉しくて、自然とアスピスの表情が明るくなる。

「今夜から使わせてもらうね」

「抱きたければ、我に抱き着けばよかろう。我のマスターなのだからな」

 にっこりと告げたアスピスの台詞に、今の今まで寝ていたはずのアネモスが、不満そうな声を上げる。

「そもそも我はそんなにふにゃりとしておらんわ」

「だから、そこがいいんじゃん。手触り最高ってやつなの、これは」

「我の手触りが悪いと申すか? お主、今後一切我に触らずにおられるのか?」

 よほど自分の毛並みに自身があるのだろう。カロエの台詞に反発し挑発するように、アネモスは己の尻尾を右へ左へパタパタさせてみせた。

「あー、もう。だから、アネモスの毛並みがいいのは分かってるけど」

「そうだろう。そうだろう」

「でも、それとこれとは違うんだってーの」

「なにが違うのだ?」

「だから、もう。アスピスちょっと、その犬貸して」

 貰った矢先に奪われていく、大きな犬の抱き枕。サイズ的にはアネモスに大きく負けるが、ヌイグルミとしては巨大な方である。

 手触りがよかった分だけ、失われた損失は大きかった。

 けれども、アネモスとカロエの対決に口を挟む気にもなれず、アスピスはベッドに腰を下ろして、2人の決着の行方を見守る。

「ほら、これ。触ってみろよ、手触りいいから」

 アネモスの体。それも無防備にさらけ出されている胸からお腹にかけての部分に、もふもふっとしてもちもちっとした、妙に手触り感の良い大きな犬の抱き枕を押し付ける。

「ほう、これはなかなか」

 どうやら、胸からお腹にかけて押し付けられてきた大きな犬の抱き枕の肌触りに、感動するものがあったらしい。前脚と後ろ脚を使い、アネモスは大きな犬の抱き枕を、自らの意思で抱き込んだ。

「お主の言う通り、もふもふっとしてもちもちっとした感触がたまらんわ」

「だろだろ! しかもどこか、アネモスに似てるっていう素晴らしい一品なわけだ」

「ふむふむ。我はこれほどふにゃふにゃしておらんが、抱き着くにはちょうど良い柔らかさというわけだな」

 すごく気に入ったようである。

 もしかしたら、このままアネモスに奪い取られてしまうかもしれない。

(まぁ、いいけど。あんな気に入ってるんだし)

 アスピスは、聖の血が流れる聖狼だと気高く主張した、出会った際のアネモスのことを思い出しながら、目の前の飼い犬のようにカロエと戯れているアネモスを、生暖かい気持ちで眺めてしまう。

(まぁ、その気になれば、気高い聖狼様に戻るんだけどね……)

 家の中。特に、アスピスの部屋の毛足の長い絨毯の上でクッションを枕に横たわっているときの無防備さといったら、本当にただの巨大な愛玩犬である。それが悪いとは思わないが、家の中限定とはいえ、カロエにとってはいい遊び相手と化していた。

 絨毯やクッションも、与えたのはカロエであり。マスターであるアスピスは無条件に好待遇してくれて――るのだろうか? ちょっと疑わしいところがあるのだが。それ以外の者には、横柄でぞんざいな態度を取りがちなアネモスが、カロエに対しては思いの外なついているように見えるのは、気のせいではないと思われる。

 何度も言うが、家の中。それも、アスピスの部屋限定ではあるのだが。

 アネモスは、見事なツンデレなのかもしれない。

(完全に、手懐けられているな。アネモスってば)

 カロエの手腕に感心しつつ、六剣士には未だ遠いらしいが、動物などを懐かせるフェロモンでも持っているのかもしれない。

 なんといっても、気位の高いアネモスさえ手懐けているのだから。

 そんなことを思いつつ、抱き枕をネタに、アネモスから奪ったりアネモスにくっ付けたりしながら遊んでいたカロエが、完全にアネモスへ抱き枕を譲ると、ゆっくりと立ち上がって、ベッドに座っていたアスピスの傍らに腰を落とした。

「なんか、アネモスのもんになっちまったみたいだな」

「いいんじゃないかな。気に入っているみたいだし」

「本当は、アスピスにと思って買ってきたんだけどさ」

「うん。気持ちだけもらっておくよ」

 あのもふもふっとしてもちもちっとした手触りは、アスピスも手放しがたいものだったのだが、仕方がない。アネモスと取り合う気にはなれないのだから。

「あーぁ。本当はさ、帰るときのアスピスが、本当にだるそうだったから。寝るとき抱き枕を抱いて寝ると、体が安定するって聞いたことあったから、見た目も可愛いし。って、アネモスはカッコイイだからな」

 気に入らない単語を耳にしたことで、アネモスがカロエの方へ視線を向けてきたのに反応して、カロエが慌てて訂正を入れる。

 そして、再びクッションを枕に、前脚と後ろ脚で抱き枕を抱き込んだ格好で、再びアネモスが横になるのを確認すると、カロエは話しを続けた。

「ちょっとは、役に立てるかなぁって思ったんだけどなぁ」

「どうしたの、急に?」

「だって、オレ、完全に後れをとってるじゃん。エルンストにもレイスにも」

「そうなの?」

「そーじゃん。アスピスが具合悪いの、オレ全然気づけなかったもんよ。なのにレイスはちゃんと気づいてやれてさ」

 拗ねるように呟くと、カロエは上体をぐーと伸ばして、後ろに倒れ込む。

「ていうか、オレって超カッコ悪りぃじゃん。レイスに借金しなくちゃアイテムボックスだって買えなかったし」

「それだけど、レイスのことだから、買ってくれようとしたんじゃない?」

 レイスは基本親切だということも踏まえて、自分の弟にアイテムボックスを買い与えるくらいのこと、お金を取らずにすると思うのだ。

 弟だから厳しくするところもあるが、それは礼儀作法とかの面に向けられていて、金銭的な面では、カロエが賭けごとにはまるとかのよほどの無駄遣いさえするようなことをしなければ、六剣士の給料もあるので、お小遣いをあげるくらいの兄バカをしても不思議ではないと、アスピスは思っている。

「返さなくていいっていわれてるのに、お金を返すって突っ張ってるの、カロエの方でしょ?」

「うっ……。まぁ、そうなんだけどさ」

「いいじゃん、出世払いってことで、お兄さんに甘えちゃえば。いずれは六剣士になってくれるんでしょ?」

「もちろん!」

 アスピスの問いに、勢いよく答えたカロエであったが、すぐにへにゃりとしてしまう。

「でもさぁ。兄貴に買わせるのカッコ悪りぃって思っちまったんだよな」

「そっか」

 なんとなくカロエらしい言い分だと、アスピスは小さく笑う。

「カロエも、しっかり男の子になっちゃったんだ」

「はぁ? っつか、アスピス、オレのことなんだと思ってたわけ?」

 しみじみと、記憶との違いを実感したことで、つい口を衝いて出てしまった言葉に、カロエが即座に上体を起こし、反応してみせた。

「オレ、もう成人済みの18歳なんだけど。いつまでも8歳のままじゃねーんだぞ」

「うん。ごめん、ごめん」

 アネモスと戯れている姿を見ていたのが、より、悪かったのだろう。

 未だまだ子供だな、なんてことを感じてしまったものだから、ついうっかりしてしまったのである。

「分かってるつもりなんだけどね。どうしても、さ」

「とか言って、エルンストやレイスのことは、ちゃんと大人の男として見てるだろ?」

「えー? そうなの?」

 むうっと頬を軽く膨らませるようにしてなされた指摘は、おそらく間違ってはいないだろう。アスピスの頭の中にある一か月ちょっと前の姿を思い出し、無理やり重ねたりはすることはあるが、無意識にダブって見えることはなかった。

 カロエよりも年が上だということに重ね、現在置かれた六剣士という立場の責任感も相まって、エルンストもレイスも年齢以上に大人びてしまっているのだと、アスピスは受け取っている。

 それは、フォルトゥーナにも通じるところがあるのだが。

 そんなアスピスの思いが伝わってしまったのか、拗ねたようにして、再びカロエは上半身を後ろへ倒し寝転んでしまった。

「オレのことも男として見てくれよなぁ」

「そう、急にいわれてもさ。あたしにとっては、一ヵ月ちょっと前までカロエは8歳だったんだよ」

「そーかもだけど」

「だって、よく考えてみてよ。夜寝て朝目が覚めたら、8歳のはずのカロエが18歳になっていたっていう、びっくり仰天の世界なわけ」

「でも、エルンストやレイスは、ちゃんと男に見えてるわけじゃん」

 これでどうだと、手の内を明かしたつもりが、あっさり逆襲されてしまった。

「てかさ」

 右腕を掴まれ、引っ張られるようにして、カロエの方へ体が傾けられていく。

「なによ?」

「子供の作り方、知りたがってたじゃん」

「た、たしかにそうなんだけど」

 つい、好奇心に負けて聞いてしまったら、周囲が固まってしまったという。聞いてはいけないことだったらしいと、その様子から察したことで、どうでもいいやと既に忘れていた事実を掘り返されて、アスピスの方が体裁の悪さを感じてしまう。

「でも、それがどうかした?」

「教えてやろうか? 実戦で。そうすりゃ、アスピスも、少しはオレを男だって意識するようになるだろうしさ」

「は?」

 肘をつき、上体を軽く浮かせるようにして、傾くアスピスの顔に、カロエが顔を近づけてくる。

「あの話は、もう、べつにどうでもいいし」

「オレは、今のアスピスとだってできるぞ」

 そう言いながら、首を伸ばして来るカロエが間近に迫ってくるのを視界に留めながら、アスピスは反射的に閃いた。

(って。もしかして、キ……キスすると、できちゃうの?)

 そう思ったら、途端に頭の中がパニックをおこし、とにかくここは絶対に拒まなければの一心で、アスピスは反射的にカロエのことを手で払い退けていた。

「ってぇ、なにすっかな」

「だって、カロエが急に……」

 子供がでちゃうようなとんでもないことをしようとしたからだと、言葉にしようとしたのだが、以前みんなに問いかけたときの反応を思い出し。そういうことは口にしてはいけないのだと思ったら、急に羞恥心が湧き上がってきてしまい、アスピスは言葉を飲み込む。

(ちょっと、拗ねさせたら、すぐに八つ当たりしてくるんだから)

 おそらく、あーゆーことすれば、大人の男性として扱ってもらえると、カロエは思ったのだろう。

 しかし。

「そーゆーとこが子供なんじゃん!」

「子供なのは、アスピスだろ!」

「じゃあ、言い換える! 子供相手にキスなんてしようとしないでよね」

 後先考えなさすぎる。と、真っ赤になりながら言い放ったアスピスの台詞に、カロエはしれっと言い返してくる。

「好きなんだから、したいと思って当たり前じゃんか」

「そういう問題じゃないでしょ。万が一でも――」

 未だアスピスの立場はというと未成年なのである。それなのに、子供ができたりしたら。と、思ったら、恐怖からぶるりと体が一瞬振るえる。そんなアスピスに、カロエが呆れた感じで口を開く。

「そこまで怒ることかよ」

「怒って当然でしょーが」

「つまり、なに? そこまでオレのことが嫌ってこと?」

「嫌いとか、そういうことじゃないでしょ! っていうか、馬鹿なこと言わないでよね。カロエはあたしにとって、大切な家族みたいなものなんだから、好きに決まってんじゃない」

「オレが欲しい好きっていうのは、そういうんじゃないんだよ!」

 売り言葉に買い言葉。そんなノリにて始まった言い合いは、勢いを増していくだけで、終わる気配を感じさせないものになっていた。

 それを見兼ねてくれたらしい。

 一応は、主人ファーストを守ってくれる気らしいアネモスがむくりと起きて、体をちょっぴり大きくすると、カロエの元へ歩み寄る。そして、無造作にカロエの腰の辺りを咥え込むと、勢いよく後方へ振り上げて、アネモスはカロエの体を背中に乗せてしまった。

「えええー?」

「マスターを口説くのは自由だが、やりすぎは嫌われるぞ」

「だって、それはアスピスが、オレのことを――」

「お主は未だまだ子供じゃ。ならば、もっと子供らしく口説くがいい。とはいっても、我から見れば、お主だけでなく、レイスもエルンストも未だまだ青臭いガキじゃがな」

 カロエの言葉尻を奪い取り、あっさりと言い放ったアネモスは、「今日はこの辺が引き際じゃ。大人の男なら、その辺をきちんとわきまえておくもんじゃろ」と言いながら、部屋の扉の前まで行くと器用に口でドアノブを回し、カロエを背中に抱えたまま廊下へと出て行ってしまった。

 そんなカロエの惨状を目の当たりに、やっぱりカロエは未だまだ子供じゃないかと、アスピスは悪気なく思ってしまったのであった。

誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。

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