第199話(問題児出現8/ロワのお手柄)
[百九十九]
約束していた1週間目の診療を終え、額の傷の抜糸は先送りされたものの、体中にあった擦り傷のほとんどは治り始めていたことで、特に酷かったところを残して、ガーゼや包帯を外してもらえた。
一番の問題である足のひびに関しては、完治までには時間がかかるようで、足はしっかり固定したままの状態を保つよう指示される。けれども、熱が下がったこともあり、アスピスの希望であるお風呂は、固定した部分は外さず且つ濡らさなければ、シャワーなら浴びてもかまわないと許可が下りた。
お湯に浸かれないのはちょっと物足りなかったが、シャワーを浴びることができるだけでも、アスピスにとってかなり嬉しいことである。そのため、許可が下りた日は帰宅早々にシャワーを浴びて、久しぶりの爽快感を味わった。
もちろん、翌日もその翌日も、毎日欠かさずシャワーを浴びて過ごしたいた。
なのだが。
「で、なんで頭は俺に洗わせているんだ?」
「長時間お湯を浴びてはダメだと言われているの。それに、額はできるだけ濡らさないようにって。だから、エルンストは役に立ってくださいね」
「いいけどな」
「丁寧にお願いします」
「注文なんてつけてこなくても、いつも丁寧に洗ってやってるだろ」
次々と言葉を綴るアスピスへ、エルンストも負けずに言い返してくる。この辺のノリは、アスピスの相手をすることに手慣れてしまったことによるものかもしれない。
「洗い終わったら、香油も塗ってくださいね」
「そんで、お前は優雅に本を読むわけだな」
一度体験してみたら、意外と気分がよかったので、以来エルンストを便利に活用していた。それに対して多少の文句は返ってきたが、拒まれたりしないため、それでよしとしてしまう。
そして本日も、なんだかんだと言いながらも、丁寧に洗ってくれた。もちろん濡れた髪をしっかりと拭いてくれて、2階まで運んでもくれる。
自分で塗っていたときはドレッサーの前に下ろされたのだが、今はエルンストが塗ってくれているので、ベッドに下ろされた。
その後エルンストが香油や櫛を用意している間に、アスピスは本を取り出し読み始める。
「本当にマイペースだな」
「なにがですか? エルンストを信じてお任せしているので、問題ありませんよ」
「そいつはどうも。つーか、動かすぞ」
アスピスが返事をしなくても、宣言するとすぐに体に手を回して、脚の間にアスピスの体を収めてしまう。
その間も、本から目を話すことはしなかった。
「お前、未だ、浮気を疑う女の話を読んでるのか?」
とんだ濡れ衣を着せられた原因である本に対して、微妙な恨みを抱いているようだ。なんとも微妙そうな声音で問いかけられ、アスピスは期待に応えて教えてあげることにする。
「浮気の疑惑は晴れました。彼女の思い過ごしでした。今はラブラブですよ」
「ちょっと待て。そういうことなら、浮気を疑ったんだから、俺になにか言うことあるだろ」
手の動きを止め、エルンストが文句を言ってきたのだが、小説なんてそんなものである。なので、聞き流すことにしてしまう。
「手が休んでいますよ」
「いや、その前にひと言あってしかるべきだぞ」
「大人が、作り話にいちいち目くじら立てないでください」
「それを理由に責めてきたの、お前だろ」
「責めてはいませんよ。真実を突きつけただけです」
誤解しないでください。と、アスピスはけろりと告げる。
「エルンストが急に優しくなったのは本当でしょ。今となっては、理由はわかりませんが。敢えて追及はやめてあげますね」
「とんだ冤罪だな。せめて、晴らさせろよ」
「あのね。エルンストには気の毒なお知らせですが、男の浮気の言い訳は見苦しいんだって」
「お前、楽しんでるだけだろ」
アスピスを相手に言い合うだけ無駄だと判断してくれたようである。諦めたように溜め息を吐くと、再び手を動かし始めた。それを受け、アスピスも本を読みつつ話題を変える。
「髪を乾かしたら、お花を買いに行ってきます」
「ロワと行くのか?」
「ロワは優しいので、今日も付き合ってくれると言ってました」
ルーキスがアネモスたちやロワと一緒なら、子供たちだけで出てもいいと言ったので、熱が下がった日からロワやアネモスたちと花を買いに行くようになっていた。
「お前が拒まなければ、俺だって付き合ってるところだぞ」
「ロワと張り合って、恥ずかしくないのでしょうか……」
「なにげに的を射る発言してきたな」
苦笑と共に落とされてきた呟きに、アスピスはちろりと目線を上に向ける。
「エルンストが、どうしても一緒に行きたいと言うのなら、連れて行ってあげてもいいですよ」
「大人を同行するのが嫌なんだろ。それより、終わったぞ」
「ありがとうございました」
言下に頭をぽんと軽く叩いてきたエルンストは、それ以上はなにも言うことをしなかったので、アスピスもそれ以上は言葉を重ねることをやめておく。そして、エルンストが香油と櫛を片付けている間に、髪を乾燥させ、アネモスを呼び寄せる。
「お花を買いに行くので、背中に乗せてください」
呼ばれるままにベッドの側へ来たアネモスへ断りを入れると、アスピスは背中に乗って1階へ下りてもらう。その際、その後ろをオルトロスとエクウスが付いて来て、更にその後ろからエルンストが付いてきた。
「毎日お付き合いしてくれて、ありがとうね。ロワ」
「気にしないでアスピス。みんなと一緒に散歩できるって楽しいよね」
頭上をエクウスが飛び、アスピスとロワでオルトロスを挟み、ロワの歩調に合わせてのんびりと歩いて行く。
宙を浮く板を巧みに乗りこなし、スリングショットを操る男子3人組は、路はずれるが近隣の所々に出没しては悪さをし、怪我人などを出しているようだ。お隣のセアや屋台のテネルやエトノスから話しを聞く限り、捕まる気配はないようだった。けれども、上方にある高級住宅街に住んでいるらしいことは確認できたようで、王国騎士団を動かす準備が整っているらしい話しがシエン経由で耳に届いて来ていた。
その事柄が書かれた手紙は、エルンストへ届いたのだが。
それと同時期にアスピスに届いた手紙は、怪我を心配する内容であり、いつも通りにアクセサリーが添えられていた。
難しい話しは、大人に宛てて送られるようである。
そのことに対して不満を抱くわけではないが、シエンからも子供扱いされていることがよく分かった出来事であった。
「ロワは、公園で遊ばなくていいの?」
「危ないから、しばらく公園へ行っちゃダメだってママが言ったんだ。だから、ボクも外に出るのは、アスピスとお花を買いに来るときだけなんだ」
食料品を取り扱っている屋台を通り過ぎるとき、テネルに挨拶をしていく。それから少し歩くと公園の脇を通り過ぎるのだが、外出が禁止されているのはロワだけでなく他の子も同様らしい。いつもなら賑わっている公園に、子供が数名しかいなかった。
その中の男の子が、ロワを見つけて手を振ってきたので、ロワも手を振り返す。けれども、公園へは向かわずにアスピスの側を歩き続ける。
そして公園の脇を抜けると、花を売っている屋台へ辿り着いた。
「エトノスお姉さん、こんにちは。お花を買いに来ました」
「2人とも毎日ありがとう。今日は、この花なんてどうかしら。この色は珍しいのよ」
日替わりで差し出されてくる花は、アスピスがとても気に入った形や香りをしていると、色違いを見つけて来てくれたり、アスピスの好みそうな形や香りをした花を目にしては仕入れてくれたりしているようである。
今日のお勧めの花は、先日アスピスが気に入った花の色違いであった。
「とてもいい香りです。毎日ありがとうございます」
「それと、これは毎日通ってきてくれるお礼よ。花のキャンディなの、2人で仲良く食べてちょうだい」
代金を支払おうとしたところで、先にエトノスが2人に向けて、いくつものキャンディが入れられた可愛い籠を差し出してきた。
「透明なキャンディの中に食べられる花が入っているのよ。どんな花かは、封を開けてみての楽しみにしてちょうだい。数種類あるから、目でも楽しめるわよ」
「わぁ。ありがとう、エトノスお姉さん」
「アスピスと分けて食べるね。ありがとうございます」
「どういたしまして」
2人揃ってお礼を言うと、エトノスが2人の頭を軽く撫でてくれる。そして、支払いを済ませて、帰路につこうとしたところで、上の方から笑い声が響いてきた。
聞き覚えがあったことで、それが男子3人組のものだと分かる。けれども、それがどういう意味であるかを頭で理解したときには、すぐ側まで下りてきていた。
そして、また狙われるかもと思ったところで、不意に視界が遮られた。
響いてくるのは、ロワとオルトロスとエクウスの声。それと重なるようにして、男子3人組の「逃げろ!」という掛け声と同時に上がった、内の1人と思われる男子の悲鳴。それと、3人組の声を聞いてか、下の方から駆けあがってくるテネルの「こらー」という叫び声であった。
「ちくしょう! 離しやがれ」
「オルトロス、エクウス、絶対に逃がしちゃダメだからね。抑えるの手伝って」
「やめろ、痛いだろ。ふざけんな!」
「抑えるのを手伝ってって言ったよね? エクウス、突いちゃダメだよ。オルトロスもツメを立てて叩くのはダメだよ」
ちょっと間の抜けたロワの声に、アスピスを庇うように抱きついてくれていたエトノスが、警戒しながらも離れていく。そして徐々に広がった視界にロワの姿が飛び込んで来て、なにが起っているのかが見えてきた。
板を操り上の方から勢いよく下りてきた3人組の1人に、反射的にロワが飛びついたらしい。なのだが、逃がしてなるものかと必死に足にしがみついているロワとは対照的に、エクウスは嘴を使って地面に転がる男子の頭をツンツン突き、オルトロスは爪を立てた前足を使って地面に転がる男子の腹をペシペシ叩いていた。
本気を出せば、滅茶苦茶強いのだが、そこまでの相手ではないと思っているらしい。
そのせいで、なんとも緊張感に欠ける光景が広がっていた。
見る限り、現状はロワの手柄であることは、明白であった。
アスピスの使い魔は、どこまで役に立ってくれたのだろうか。ちょっと疑問に感じてしまう。
そんなことを思っていると、テネルが到着して、ロワの代わりに男子を抑え込み、縄を取り出して手際よく縛り上げた。
「大丈夫か、坊主。よくやった」
「テネルさんありがとう。捕まえたのはいいけど、どうすればいいのか分からなくて困ってたんだ」
飛びついたことで、両膝や腕に擦り傷を作り、腿にはちょっと深めの切り傷を負ってしまったようで、あちこちから血を流していたが、それには構わずロワはテネルにお礼を言う。
それを受けて、テネルがロワの頭を思い切り掻い操っていた。
「ロワ、大丈夫? 治してあげるから、じっとしていてね」
「ダメだよアスピス。外で回復術を使っちゃダメって、言われたでしょ。使うときは、時と場所と相手を選びなさいって、みんなに言われたことを忘れたの」
「でも、これは例外だと思うの」
「アスピスだって、回復術を使わないで治しているでしょ。ボクも自分で治すから大丈夫だよ」
「でも、腿の傷は縫われちゃうかもしれないでしょ。縫うのはとても痛いのよ」
以前、エルンストに手を縫われたときのことを思い出しつつ忠告したが、ロワは笑みを零して断ってきた。
「これぐらいなら大丈夫じゃないかな。それに、ここは王都だもん、お医者さんに行けば痛くなくなる注射を打ってくれてから、縫うんだよ。だから、怖くないよ」
どうやら経験があるらしい。ロワはきっぱりと告げてきたことで、アスピスはタオルを取り出して、血が一番流れ出ている場所に巻き付けた。
「アスピスさん、家に帰って傷を洗ってあげてちょうだい。それから、傷の状態を見て、深いようだったらお医者さんに行くといいわ。一本ずれた路に親切なお医者さんが開いている診療所があるから。いざというときはそこへ行くといいわよ」
「教えてくれてありがとうございます」
エトノスに向けて、アスピスはぺこりと頭を下げる。そして、改めてエトノスを見つめると、口を開いた。
「それから、庇ってくれてありがとうございました。でも、エトノスお姉さんが怪我したら困るので、危ないことをしてはダメですよ」
「心配してくれてありがとう。でも、なにもなくてよかったわ。ロワくんの機転で、2人はなにもせずに逃げて行ったし、1人は捕まえられたから、すぐにこの騒ぎも収まるわね」
「エトノス、悪いが警備兵を呼んで来てくれないか。俺はこいつを捕まえておかないとならないからな」
「そうよね。急いで呼んでくるわ。ちょっと待っててちょうだい」
テネルに頼まれたエトノスは、アスピスたちに「気を付けて帰ってね」と言葉を残して、大通りの方へ走って言って行ってしまう。
「嬢ちゃんたちも、兄ちゃんたちを呼んで来てくれるか?」
「すぐに呼んでくるね。アスピス行こう!」
「うん。テネルさん、待っててね」
「おう、頼んだぞ」
「念のために、お役に立てるか分かりませんが、エクウスとオルトロスを置いていきますね。なにかあったらお願いすると動いてくれます」
「そいつは心強いな。有り難く借りさせてもらうぞ」
「はい、どうぞ。不要になりましたら、家に帰るよう言ってください。オルトロスもエクウスも、テネルさんの言うことをよく聞いてくださいね。ツンツンもペシペシもしてはダメですよ」
それではみんなを呼んできます。と、後ろにロワも乗るよう告げ、2人でアネモスに乗ると、アネモスを走らせて家へと帰った。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




