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第1話(再会1/告白1)

[一]


 押し付けられた役目から解放された際、シェーンに説明を受けた通り、アスピスの置かれている立場が微妙な状態らしく、部屋の扉の外には二交代制くらいな感じで常時2人の兵士が常駐していて、部屋から出ることは叶わなかった。

 軟禁と言われていたが、確かにその通りといった感じである。

 けれども、そんな中でもシェーンたちの心遣いが見て取れた。

「アスピス、今日もいい天気よ」

 窓を開け、部屋の中へ風を送り込みながら、メイド役の女性が明るくほほ笑む。

「今はまだ用事が立て込んでて来られないそうだけど、近い内に必ずカロエとレイスが顔を出すからって。念を押されるように、伝言を頼まれたわ」

 くるりと体を回転させ、開け放った窓に背を向けながら、メイド役の女性が楽し気に告げてくる。

「そんな、こまごま働かなくてもいいんだよ。フォルトゥーナも座って、お茶しようよ」

「それはダーメ。メイドとして雇われて、お給金だってもらっているんですもの」

「いやいやいやいや。あたしがいない間、六聖人(赤)の代役してたんでしょ!っていうか、フォルトゥーナが六聖人(赤)だと信じ切っている人がほとんどなんでしょ?」

「そう言われてはいるけど、代役は代役ですから。それに、今はアスピス付きのメイドなんですもの、きちんと仕事はさせてもらいます」

「……」

 2つ年下だったフォルトゥーナも、今では8歳年上の20歳の女性となっていて、髪型こそ変わらずふんわりとした柔らかい髪を肩まで伸ばした状態ではあるが、見た目は立派な可愛らしいお嬢さんとなっていた。しかも、表向きは本人という形の代役として六聖人(赤)として人前に出たこともあるそうで、大役を果たしてきただけあって、妙な貫禄も付随していて。なかなかどうして、元より、年は下でも立場は姉弟子という微妙な関係ではあったのだが。年も越されてしまった今では、物腰も雰囲気も柔らかいのだが、なぜか逆らうことなどできそうにないような感じになっていた。

 フォルトゥーナがこれである、年下であったカロエとレイスも今では年上となってしまった訳なので、どれほど成長していることやら。楽しみというよりも、不安である。

「10年て聞いたときは大したことないって思ったんだけどなぁ」

「アスピス、どうかしました?」

「ん。いや、べつに……」

 小声で呟いた効果から、フォルトゥーナには聞こえなかったようで、内心ほっとしながら、アスピスは席を立つ。

 そして、開け放たれた窓の傍に歩いて行った途端、窓の外から何かが飛び込んできた。

「きゃっ!」

 即座にフォルトゥーナの視界にも入ったようである。

 アスピスの目の前を通り過ぎ壁に刺さった矢を見つめながら、フォルトゥーナが小さな悲鳴を上げた。

 同時に、扉の外から悲鳴を聞きつけた兵士が2人飛び込んでくる。

「どうしました」

「矢が。アスピスが窓に寄って行ったら、矢が撃ち込まれてきて……」

「これですね?」

 一人が素早く壁に刺さった矢を発見し、確認するように問いかけた。

「はい。それです」

 なにが起こったのかよくわかってないフォルトゥーナもだが。アスピスもよくわかっておらず、ボーとしていたら、もう一人の兵士に、窓から離れるように先導された。

「窮屈な思いをさせてしまいますが、しばらく窓を開けるのは控えてください。それと、アスピス様は決して窓の方には寄らないようにお願いします」

「は、はい」

「わかりました」

 兵士の一人が壁から矢を抜いている間、もう一人がてきぱきと指示を出し、要件を済ませると撃ち込まれた矢を持って2人の兵士が部屋を出て行った。

「えっと。窓、閉めますね」

「う、うん。お願い」

 緊張した面持ちで、ドキドキしながら窓を閉めに行くフォルトゥーナを見守りながら、アスピスは首を傾げる。

(今のって、命を狙われたってこと?)

 そんな説明は受けてないし、思い当たることもない。

 やはり、目を覚ましたことに原因があるのだろうか。そう思うと、本当に起き出してよかったものかと、なんだか不安になってくる。

 なんといっても、今回のアスピスに対する処置は、王位継承権第一位のシェーン王女の独断によるものなのだ。

(っていうか、王女……ねぇ。あれはどう見ても――)

 思わず引っかかるものを感じているが、今はそれよりもというところだろうか。

 矢じりで穴の開いた壁を見つめ、あれがアスピス。もしくはフォルトゥーナに刺さっていたらと思うと、ぶるりと今更ながらに震えてしまう。

 争いの場なんて、盗賊団に捕らわれている間、エルンストやルーキスの視界を通して何度も見てきていたので、多少は慣れていると思っていたのだが、たった一本の矢が放たれただけで怖いと感じてしまう現実に、あれはあくまでも第三者だったから平気だったのだと。当事者の身に降りかかった場合、全然異なるのだと実感させられた。



 事件が起こった日の夕方、部屋の扉がノックされた。

 扉の外にいる兵士の検閲を通っての訪問である。そのため、フォルトゥーナも警戒心を現さず気楽な様子で扉を開く。

 瞬間、やや驚き。ちょっと戸惑いを見せた後、外に立つ人物へ中へ入るように促してみせた。

「アスピス、断るかどうか迷ったのですが。護衛役ということで……」

「失礼する」

 言葉を濁すフォルトゥーナの脇をすり抜けるようにして、フォルトゥーナのより少し年上くらいだろうと思われる、長身で、黒目でぼさっとした印象を与える少し長めの白銀の髪をもつ、ちょっと意地悪そうな美形が挨拶と一緒に姿を現す。

(この人って――)

 二度しか会ったことのない相手だというのに、なんで分かったのかはわからないが、直感であった。

「エルンスト!」

 一生会わないだろう。というか、正直なところ、無理やり使い魔契約をさせられたにもかかわらず、あの状況下で一方的に何の説明もせずに使い魔の契約を解除したことを恨まれているだろうと思っていた相手に遭遇してしまい、アスピスは戸惑うようにわたわたしてしまう。

「かっ、かっこよくなったね……」

 10年前はアスピスと同じくらいの年齢で、身長も体躯もそう変わらない感じだったのに。顔に関しては、元から整っていたと記憶しているけれど。いずれにせよ、他に言葉が思いつかなくて、思わずどうでもいいことを口走ってしまう。

 途端に冷たい視線が返されてきた。それこそ、お前馬鹿だろう! って言っている感じの視線である。

 しかも、実際そう思っていたようだ。

 小さな溜息とともに、「もしかして、まだ寝ぼけてんのか?」と、鬱陶し気に前髪を掻きあげながら少し低音気味な美声で呟かれてしまった。

 思はず、失礼な。と、むっとする。

「だって、突然現れるから」

 驚いて当然だろう。と、言外で訴える。

 そこへフォローを入れるようにして、フォルトゥーナが優しい笑みを浮かべながら口を挟んだ。

「エルンストは、あれから15歳になるとイシャラル王国の騎士学校へ入学して3年間座学や戦術を学んで、今ではこの城に籍をおいて働いているんですよ」

「基本、だけどな。そんな訳で、ここへ護衛役に選ばれて現れたところで不思議はないってことだ」

「知らないもん、そんなこと」

 空白の10年間。それを、2人の会話から実感してしまう。

 たった10年。されど10年。

 きっとこれからも、こんな風に、悔しいような寂しいような気持ちにさせられることが、往々にしてあるのだろう。

 そう思うと、ちょっと悲しい気持ちになってしまう。

 けれども、自分で選んだことである。気にしても仕方ないと気持ちを新たに、うつむき加減でいたアスピスは、顎を起こし2人が立っていた方へと視線を向ける。

 すると、そんなアスピスの思考など思いもよらないだろうエルンストは、自らゆっくりアスピスの傍へ寄って来た。

「ったく。以前会ったときに陰気くさい奴だと思ったんだが、10年も経つからな。少しは変わったかと思っていたのに、あまり変わらないようだな」

 嫌味かと思われる台詞を耳にして、反射的にアスピスは突っ込みを入れる。

(いやいやいやいや。エルンストにとっては10ねんだろうと、あたしには一瞬だから!)

 そう思い、どう言い返してやろうかと思っていたら、フォルティーナが代わりに言い返してくれた。

「あら、それはエルンストがアスピスを知らないだけよ。エルンストの誤認識よ。彼女は意外と明るいわよ。それに、とてもやさしいし。一緒に過ごせたのは1年弱ではあったけど、ビオレータ様や私の前では、常ではなかったけど、時折花が咲くような笑顔を見せてくれたのよ。あなたは、それを知らないだけ」

「二回しか会ったことがねーんだから、知らなくて当然だろ。なに自慢してんだよ」

「だって、エルンストが勝手に、アスピスを陰気だなんて言うから」

 エルンストの後を追い、エルンストの傍らで立ち止まったフォルトゥーナは、不満げに小さく口を尖らせ苦言を述べる。

 その表情はとても可愛らしく。大人の女性でもこんな愛らしい表情を浮かべることができるんだ。なんて感心してしまう。

「それになにより、エルンスト、失礼よ。女の子に対して陰気なんて。大人げないわね」

 口の悪さは健在らしいエルンストを窘めるよう、フォルトゥーナが注意する。

「女、の子……ねぇ。確かに昔のまんま、っつーか。小さくなってね?」

「それは私たちが大きくなったからそう感じるだけ。アスピスは昔のままよ」

 あけすけと言い合う2人の間には、どうやらそれなりの信頼関係が出来上がっているようである。そうでなければ、こんな風なやり取りを行えるはずがない。

 そう思い、不思議そうに見つめてしまったアスピスの視線に気づいたフォルトゥーナが、簡単に説明してくれた。

「エルンストは、騎士学校を卒業した後、1年くらい経ったころにイシャラル王国の六剣士(黄)に戦いを挑んで、勝利し、六剣士(黄)の位に就いたの。だから、私が六聖人としての代役を務めるときなど、護衛役として行動を共にすることがよくあって。あぁ、そうそう。レイスも15歳になると騎士学校へ入学して、卒業と同時だから、2年前になるかしら。六剣士(緑)へ戦いを挑み勝利して、六剣士(緑)になったのよ。当時18歳だったから、アンリール様の護衛役のカサドール様が19歳で六剣士(青)の位に就いたのがそれまでの最年少記録だったから、レイスが最年少記録を更新したのよ。カロエも騎士学校を今年卒業したばかりなの。自分も六剣士になるって息巻いているわ」

 説明の途中から、アスピスの使い魔の話へ移行してしまう。

 ちょっと戸惑ったが、使い魔にしたまま眠りについてしまったので、気になっていた2人の情報をアスピスはありがたく聞き入った。そして、10年前はアスピスより年下であった2人が、現在ではアスピスより年上となっているのを実感しながら、18歳になったカロエと20歳になったレイスに思いを馳せる。

 けれどもそれは長くは続かなかった。

「ほーんと、エルンストはアスピスのなにも分かってないわね」

 完全なるダメ出しである。

 それが気に入らなかったらしいエルンストが面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「うっせぇなぁ。二回しか会ったことがないだから、しかたねーだろ。それに、大事なのはこれからだろが」

「まぁ、そうね。これから知っていくといいわ。アスピスがどれだけ明るくて優しいか、こらからたっぷり思い知りなさい」

「甘すぎなのは、十二分に知ってるつもりだ」

 ふふん。と勝ち誇った態度で言い放つフォルトゥーナへ、エルンストは負け惜しみでも言うようにぼそりと呟く。

 瞬間、ハッとしたように話題を変えた。

「つーか。甘いで思い出したんだけどな。お前らなに考えてんだ? 窓を開けたり、近づいたり、よくできたな。危ねーだろが!」

「だって、空気を入れ替えたいじゃない」

「じゃない、じゃねーよ。ホント、全然わかってないんだろ。現状ってやつを」

 あーあ。とわざとらしく溜息を間に挟み、エルンストは更に言葉を重ねていく。

「急な起床に周囲の対応が追い付かなくて、軟禁されているってのもあるにはあるけどな。シェーンやイヴァールがアスピスの軟禁を継続させているのは、命を狙われる可能性があるからだっつーの。少しは自分の立場ってのを理解しろよ。つーか、聞こえてるか?」

「へ?」

 がしっと頭を鷲掴みにされ、ぐしゃぐしゃと搔き回されながら告げられた台詞に、アスピスは反応を遅らせてしまう。

 それも仕方がないと分かって欲しい。

 今まで、フォルトゥーナとエルンストの2人が掛け合い漫才していると思い、ちょっと寂しくもあったが、まぁ仕方ないやと気を抜いていたところへの不意打ちである。

 自分になにが起こったのか理解するまで、少々時間が必要だった。

 そして、ワンテンポ遅れる形で、エルンストが発した不穏な台詞を意識した。

「あ、うん。聞いてはいたけど……」

「どうだかな」

「本当だって。自分の立場を理解しろってことでしょ?」

「そんじゃあ、言ってみろよ」

 大丈夫。分かってるからと、ドンと胸を叩く気分で返事をすると、エルンストはお手上げといった口調で、アスピスの胸元を人差し指でトンと押してみせる。

「今お前が置かれている立場ってやつを、な」

「えーと。その……シェーン様が、王族に元老院の6人や六大貴族の方々。それに、その他のあたしを起こすことに反対している人たちを説得し終えるまで、私の立場は不確定だから、この部屋に大人しく閉じこもっているようにってこと。でしょ? だからこうして、2週間も過ぎようとしているのに、部屋から一歩も出ないで、文句も言わずに日々大人しく部屋で過ごしているんだから!」

 大雑把ではあるが、大体こんな感じだろう。と、自信満々に言い切ると、エルンストが半ば呆れた表情を浮かべ、肩をすくませた。

「フォルトゥーナも、まさか同じ考えとは言わないよな?」

「え? だって、シェーン様からそう説明されて、アスピスの身の回りの世話役を引き受けたのよ」

 他になにがあるのだと、逆に聞き返すように、フォルトゥーナはエルンストに言外で問いかける。

「マジかよ」

「だから、なによ」

 はっきりと言ってこないエルンストに向け、フォルトゥーナは焦れるように言い放つ。

「なにか問題でもあるっていうの?」

「問題っていうか、俺やルーキスが、イシャラル王国の兵として国境で他国との諍いで戦っているとき、敵側だけでなく味方からもなんて言われていたか知ってるか?」

「知るわけないじゃない」

「イシャラルの悪魔、だよ。殺しても殺しても生き返る。ミニュイ――じゃなかった。アスピスの内包するマナの量は無限大って言っても過言じゃねーくらいすごいらしいからな。マスターであるアスピスが死ぬか。脳をやられたらアウトだが、逆にいうと、アスピスさえ無事でいてくれたら、リンク率100%にかなり近かったからな回復力が半端なくて、脳以外なら破損しても即座に修復され間を置かずに前線に復帰できた訳だ。つまり、頭を精霊術で強固に守られた状態だった俺たちには、魔の血のおかげで人より素早く動けたってのもあるが、自分たちより強い兵士が相手でも時間を掛ければ必ずヤれるって寸法だ」

 意図してなのか、悪ぶった印象を与える表情を浮かべ、手のひらを上に向け両手を軽く広げた感じで肩の高さまで上げてみせる。

「内心では気味がってる奴はたくさんいただろうが、それでも盗賊団では勝利を呼び込む戦神扱いで、表立っては歓迎されていたんだけどな。イシャラル王国に来てからは全然違った。まるで正反対の反応をされていた訳だ。利用できるものは利用しようって腹を隠すこともせず、生きていればいいって感じで、扱いも最低だったぜ。戦闘では必ず先陣をきらされたしな」

「エルンスト……」

 自嘲するように過去を語るエルンストにかける言葉が見つからず、アスピスはようやくというように相手の名前を口にする。

「ごめんなさい」

 さぞ、使い魔にしてしまったアスピスのことを恨んだことだろう。そう思うと、胸が痛んだ。

 けれども、エルンストの気持ちは違っていたらしい。

「なんで、お前が謝るわけ? つっても、確かに当時は俺たちのマスターがお前じゃなければこんな仕打ちを受けずに済んだはずなのにって、思ったことがあったのは確かだけどな。それで、つい、知らなかったとはいえ、マスターからの呼び出しを、嫌がらせのつもりで、無視するような真似をしちまったっていうか」

 体裁悪げに頭を掻きながら、エルンストは困ったような表情を作り出す。

「あーと。だから、つまり」

 やっぱり。と、うなだれてしまったアスピスの頭を、エルンストは先ほどの乱暴さが消えた緩い仕草でかいぐった。

「まー、いーや。つーか、俺が言いたかったことって、違ったんだが。その方が手っ取り早いか」

「なにが?」

「いや。10年で済んで、助かったってゆーか」

 居住まいを正すよう、エルンストは両ひざを床につき、ソファーに座っていたアスピスへと右腕を伸ばしてくる。

 そして、そっと頬へと触れてきた。

「今度は。いや、今度こそ、俺に守らせろ」

「え?」

「お前はこんなに小さかったのに……、俺は自分のことばかりで」

 ごめん。と、抱きすくめられる際、耳元でそっと囁かれる。

「いくらお前のマナがすごかろうが。八式使いだろうが、お前のことを政治になんか利用させたりしない。というか、これからは、俺の傍にいてほしい」

 ゆっくりとエルンストの腕の力が抜けていき、距離を取るように両肩を掴まれる。

「いや。そーじゃねえな。これからは、傍にいてやる」

「……」

 まだ12歳の、それもその大半を捕らえられ閉じられた空間の中で生きてきたアスピスの知識など、こんな突然の状況に役に立つはずもなく。つまりは、ここでなんと応じればいいのかなんて、アスピスに分かる訳もないのだから、現状を受け止めるのに精いっぱいで、アスピスは応えに詰まってしまう。

 それを、エルンストはどう受け止めたのか。

 ゆっくりとアスピスの肩を開放すると、懐から小袋を取り出し、中から指輪を取り出した。

「結婚・婚約用のペアリングだ。一緒に店を回ってお前が好むやつを探してやれればよかったんだが、他に先を越されては困るからな。相談している暇がなかったから、ギルドにあるやつの一番高いのを選ばせてもらった。結婚すると、俺たちに見合った形に変わるらしい」

「はぁ?」

 他に先を越されるって、誰が他に婚約を申し込んでくるんだよ! と心の中で突っ込みを入れてみたものの、口にできるような雰囲気ではなく。黙ってエルンストの告白に耳を傾ける。

「これから先、お前のことを守り続けたいんだ。お前が15歳になったら、結婚しよう」

 エルンストはそう告げながら、アスピスの左手を持ち上げると、その薬指に指輪をそっと差し込んでいく。

 フリーサイズのせいなのだろう。アスピスの指のサイズには全然あってなく、ぶかぶかな状態の指輪は、左手の薬指をくわえこみながら不安定に揺れている。

 けれども、そんな状態のアスピスの指輪のことなど気にすることなく、一連の動作の続きのような態度にて、自分の左手の薬指に指輪をさっさとはめ込んだ。そして、素早い動作で腰のベルトからナイフを抜き出し、アスピスの右手を掴み取り、中指の先の方を軽くだか傷をつける。

「ちょっ……エルンスト!」

 これはまずい。と、アスピスの持つ知識が拒否反応を起こし、慌ててエルンストから右手を取り戻そうとするも、力で叶うはずもなく。傷ついた指先から筋を作るようにして血が手のひらの方へと落ちていくのを動揺しながら見つめてしまう。

「ダメ! 絶対ダメ!」

「今度こそ、守り抜くと決めたんだ。そのために、イシャラル王国の六剣士にもなったんだぜ。(黄)の剣士だけどな。でも、いずれ必ずお前と対になる(赤)の剣士になってみせる」

 そう宣言すると、アスピスが止めるのも聞かず、ゆっくりと血が流れ落ちていくアスピスの右手の中指へ舌を絡めるように口の中へいれていく。そして、じっくり血の味を味わうように傷口を数回舌で舐めとると、アスピスの指を開放した。

 それからは、アスピスには見守ることしかできなかった。

 エルンストの頭の中でなにが行われているのか。

 一度静かに目を閉じたエルンストが、再び瞳を開くと同時。

「御意」

 小さく。けれどもはっきりとした口調で築かれた肯定の言葉。それは、アスピスと使い魔契約が成立した証拠であった。

「せっかく自由になったのに、今さらなにやってんの!」

「以前は強制だった。それに、契約の持つ本当の意味を知らなかった」

「だから、解約したんじゃんか! 馬鹿なの? 10年も時間あったってゆーのに、なに学んできたの?」

「学ぶのに1年も必要なかったぜ。この10年は、お前を待つためだけに費やしてきたんだ」

「訳分かんない」

「これで、お前と俺は繋がったわけだ。これからは、お前になにかあれば、すぐわかる」

 嬉しそうに。本当に嬉しそうに笑いながら、エルンストは告げてくる。

「残るはお前の返事だけなんだが?」

「え?」

「結婚の申し込み、だろ。つっても、まぁ、先ずは婚約だけどな」

 まじめな顔をして、エルンストはアスピスの顔を覗き込む。

「あー……」

「断らせる気はないぞ」

 わざとなのか。悪びれない笑みを浮かべて、アスピスをじっと見上げる。

「いや。でも、だって……」

 なにがどうしてどうなって、こうなった?

 たとえ、エルンスト的にアスピスの呼び出しに応えなかったという負い目という理由があるのだとしても、アスピスにとっては青天の霹靂で、突然すぎた。

 けれども、エルンストの中ではそれなりにきちんとした起承転結ができており、なんらおかしな行動をしている訳ではないとの自負があり、自信満々といった態度で臨んで来ていて、アスピスが戸惑っているという自覚がないらしい。

「……」

 出てくるのは溜息くらいである。

「もーいーよ。好きにして」

 逆らう気力もなくなり、更には、エルンストの傍らに立つフォルトゥーナが瞳をキラキラさせながら両手を握り込み見守っている姿を視界に収めてしまった瞬間、アスピスには諦めの色しか存在しなかった。

「てことは、受理でいいんだな」

「まぁ、そーゆーことになるんだろーね。きっと……」

 素直に返事をしたくなくて、言葉を濁すアスピスだったが、結果は一つ。

 パアアア……と表情を輝かせたフォルトゥーナが嬉しそうにお祝いの言葉をかけてきた。

 女性だけあって、こういう話が好きなのだろう。

「婚約成立おめでとうございます。これで、他人を出し抜いて、エルンストの長年の夢が叶いましたね」

 ほんのり嫌味を加えつつ、素直にお祝いを述べるフォルトゥーナへ、エルンストは笑みを返した。

「こういうのは、先手必勝なんだよ。早いもの勝ちってね」

「まぁ、所詮は婚約ですしね。アスピスが成人するまで時間がありますから、未だ他人が付けいる余地は残されていますから、アスピスの気持ちがどう動くかなんてわかりませんから、油断はできないでしょうけど」

「そんなことさせると思うか?」

「さぁ、どうでしょう。いずれにせよ、アスピスが苦悩する姿を目の当たりにしてきた私としては、願うのは彼女の幸せですから。もちろん、エルンストがアスピスを裏切ったことも目の前で見て知ってますからね。二度目はありませんよ」

「分かってるよ」

 にっこりと笑いながらも、どこか火花が散っているような雰囲気で、言葉を交わす2人を、アスピスは他人事のように眺め見てしまう。

 気分は、なるようになれ! である。

(まさか、こんなことになるなんてねぇ)

 思ってもみなかったと、気が抜けた思いにて、魔法によるものなのか、先ほどまで随分緩いなと感じていたのだが、いつの間にかアスピスの指の太さにぴったりのサイズになっていた指輪がはめられた左手の薬指を見下ろしていく。

 そして、今さら感満載に、ぽつりと呟いた。

「ところで、あたしが命を狙われる理由ってどーなったのかな」

 話が途中で思い切りそれてしまったことで、聞き逃していた事柄を、引き戻すようにアスピスはエルンストを見つめる。

「は? さっきの話で分からなかったのか?」

「自分語りで、あたしが狙われる理由なんてこれっぽっちも出てこなかったじゃんか」

「そーかもだけど、あの話からおおよそ見当はつくだろ。お前の異常性が問題なんだってことくらい」

 見た目としては、12歳の子供に食って掛かられ、本気で応対する22歳の男もどうかと思うのだが。本来だったら同い年だという思いが根底にあるのだろう。

 実際には、時を止められたことで精神面も知識面も成長が止まっていたので、アスピスの思考回路は見た目同様、眠りに入る直前の12歳のまま微動だにしていないのだが、その辺は棚の上ということなのかもしれない。

「だから、さ。お前を殺せば、イシャラルの悪魔はいなくなるわけだ。それならいっそってことで、他国から送り込まれた刺客は多数存在するだろうし。イシャラル王国内にも、他国に渡れば、自国にとっての脅威になりうる爆弾だからさ。いつ奪われるかわからないと戦々恐々とするくらいなら、他の国に渡る前に始末してしまえって輩もいるだろうし。それに、未だ披露されてないお前の精霊術だが、六聖人(赤)の精霊と契約を済ませていることから、威力は保障されてるようなもんだろ。未だ12歳ってことを考えれば未熟な部分はあるだろうが、それでも懸念材料であることは変わりねぇからな」

 挙げればきりがないと言わんばかりに、エルンストは理由を次々述べていく。

「それから、俺は噂を聞いただけで、まだ目にしてねぇからなんとも言えないんだが。お前、暗闇では瞳が赤くなるって本当か?」

「自分じゃわからないけど、そう言われて不気味がられてたのは確かだよ」

 記憶を頼りに、エルンストの問いに頷くと、フォルトゥーナが動揺してみせた。

「エルンスト。その噂は、どこまで広がってるのかわかります?」

「今のところ、盗賊団にいたときに聞いたことがあるだけだ。正確な情報ではないが、未だイシャラル王国内でその噂を耳にしたことはない。ただ、油断ならねーからな、シェーンって奴は。次期王位を継ぐ者として、自国の益になることならなんでもやりかねないところがあるし。もしかしたら、知ってて、アスピスを起こした可能性はあるな」

「その意図するところって……」

「さあな。そこまではさすがにわからねーが。だが、最悪――」

 口にしたくないのか。なにか思い当たることがあるらしいエルンストは、表情を歪ませながら、語尾を濁らせる。

「とにかく、そういうことなら夜は極力外へ出るな。出るときはコンタクト必須だからな」

「え? なに急に」

「見られちゃまずいんだよ、夜、その瞳を!」

 きっぱりと言い放ち、エルンストは、アスピスの瞳を指さした。

「アトラエスタ大陸にある国の大半に、王族の印ってのが存在するんだよ。例を挙げれば、この国イシャラル王国では王の血を引く子供にのみ現れるのが、左目が青、右目が黒のオッドアイだ。しかも、確率は100%じゃねぇし、基本として王の子の証がある者のみ王位継承を許されているんだよ」

 とっても貴重なものなのだと、力説するようにエルンストは説明する。ただし、だからなんなのだろうと、実感の伴わないアスピスは感心したように声を上げた。

「へー」

「あのなぁ……」

 頭を抱えるようにして、エルンストは言葉を続ける。

「だから、お前の瞳はキセオーツ王国の王の子供にのみ現れる瞳なんだっつーの」

 へー。じゃねぇよと思いつつ、他人事にするなとばかりに、やけくそな口調でエルンストは言い放つと、疲れたというようにがくりとうなだれた。そして、そんなエルンストの話を引き継ぐよう、フォルトゥーナが口を開く。

「王の子なのは確実なのですが、シェーン様の婚約者であるイヴァール様は、王の血を引く証となる瞳を授かることがなかったため、男尊女卑が未だ根強く残る国だというのに、証を持つ女性よりも継承権が下になってしまっているんです。証など関係なければ、王位継承権第三位になっていたと言われています。妾が多く、子供が実際何人いるのか。その中に証持ちが何人いるのか表沙汰にされてませんので、噂どまりで確認はできていませんが」

 お気の毒に。と、零すフォルトゥーナは、困ったような笑みを浮かべる。

「問題に上がるまで、このことは極秘にと、ビオレータ様に強く申し付けられていましたし。あの地は王都から距離があり、私たち以外に人はおりませんでしたし、なにより私も幼かったので、気にすることなくそのままにしておりましたが。もう、そういう訳にはまいりませんね」

「当然だろ。これ以上、アスピスの立場を悪くする条件を提示してやる必要はねーからな」

「それを含めて、アスピスを守る心づもりでの指輪だったのですね。アスピスを自由にする後ろ盾として、あなたの名前。いえ、地位も役に立ちますし」

 急いでいた理由がよくわかりました。と、くすくすと嬉しそうに笑うフォルトゥーナは、どこか安心したようにみえた。

 エルンストに任せておけば、とにかく今は大丈夫ということなのだろう。

 そのことを察し、アスピスは再び左手の薬指にはめられた指輪の重さを感じていた。

誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。

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