第196話(問題児出現5)
[百九十六]
朝食を終えて少しすると、カロエとノワールが騎士学校へ戻ると言って、出て行ってしまう。それからほどなくレフンテも冒険者ギルドへ出て行った。
途端に、家の中が静かになってしまったが、その内帰ってくるというカロエやノワールの言葉を信じて、その日を待つことにする。
そして、食後のコーヒーを飲みながら過ごしていると、フォルトゥーナがアスピスの傍に寄ってきた。
「熱が下がらないわね。体はつらくない?」
額に手を当てながら訊ねられ、アスピスはにこりと笑う。
「我慢できないほどなじゃいの。それより、お風呂に入りたいの」
「お風呂はもうしばらくは、無理ね。体を拭いてあげたいけど、傷だらけだから痛いでしょうし」
困ったわねと呟くフォルトゥーナは、ちょっと考え込んでしまう。
「でも、そうね。頭なら洗ってあげられるわよ」
「ほんとう?」
「えぇ。浴槽を利用すれば、なんとかなると思うわ」
フォルトゥーナはそう言い切ると、準備をしてくるわねと告げて、浴室へ向かって行く。それを見送りながら、アスピスはわくわくしていた。
「よかったな」
「さすがフォルトゥーナなのです」
「悪かったな、俺じゃ役に立たなくて」
アスピスが誇らしげに言うと、駄目出ししかしなかったエルンストが苦笑を零す。
そして、準備ができたことを知らせに来たことで、エルンストが浴槽まで運んでくれ、その後はフォルトゥーナと2人がかりで、浴槽から顔だけ突き出した格好をしたアスピスの頭を洗ってくれた。
途中、エルンストがシャワーを勢いよく出し過ぎて、ワンピースの襟元を濡らしてしまったが、それは着替えれば済むことなので問題ないことにする。
「ありがとうございました」
「気持ちよかった?」
「うん。本当はお湯に浸かりたいけど、我慢します」
「そうね。熱が下がるまでは我慢してちょうだいね。頭は洗ってあげるから」
「よろしくお願いします」
濡れそぼった髪を丁寧に拭い取ってくれながら、優しく語り掛けてくてるフォルトゥーナは、エルンストへアスピスをベッドへ運ぶよう指示をする。それを受けて、エルンストがアスピスを抱き上げると、2階のアスピスの部屋まで運んでくれた。
「俺に礼はないのか?」
「感謝はしてますよ」
「言葉はなしってことか」
アスピスをベッドに乗せ、櫛と香油を手渡してくれながら、エルンストは苦笑を浮かべる。
「っと。それより、着替えか」
「ついでに下着も替えたいので、取ってください。香油を塗って、髪を乾かしたら着替えます」
「1人で着替えられるか?」
「ちょっと無理かもしれません。協力を希望します」
率直な要望を述べると、エルンストがちょっと困惑してみせた。
「あー、じゃあ。ちょっとフォルトゥーナを呼んでくるか」
「エルンストでいいですよ」
「よくないだろ。女なら、そろそろ恥じらいを持て」
文句を言いつつ、アスピスの着替えを用意してくれると、フォルトゥーナを呼びに部屋を出て行ってしまった。
頭を洗ってもらい、着替えも済ませ、さっぱりしたところで、アスピスはアイテムボックスを開く。そしてアネモスを呼ぶと、なんとか背に乗り、ボックスの中へ入って行く。
目的は体操の本であった。
フォルトゥーナとレフンテからもらったボックスの本棚に並べられている本のタイトルは、一応チェック済みであった。そのため、記憶を頼りに本棚を眺めて、体操の本を見つけだす。
読むことができるのなら、本当になんでもよかったことが窺える、レフンテが買い揃えた本は、見事な感じでジャンルが多岐にわたっていた。
「これです、これなのです」
体操の本をパラパラ開いて、中身を確認する。
一方の足に負担をかけ過ぎると、足首に弱点があることで痛めてしまる恐れがあるため、歩き回ることは禁止されてしまったが、体操しろと言われていた。それに、ひもじい思いをする中で寝ていた過去とは異なり、今はアスピスの顔を見れば『食え』『食え』と言われ続けている環境なのだ。そんな中、寝る以外に動かなかったら、恐ろしい結果が待っていそうなので、体操はしっかりしなければと心に決める。
「アネモスありがとう。もう出ていいよ」
「無理は進めぬぞ」
「固定してある足を動かさなければ大丈夫なの。怪我してない方の足は動かしなさいって言われてるのよ」
「我にできることは、他にないか?」
「んーとね。お花を買いに行きたいの。後で連れて行ってくれる?」
「了解した。エルンストたちの許可が下りたら、マスターの願いを叶えよう」
「マスターの願いが最優先なんじゃないの?」
「……」
アスピスの疑問へ、アネモスは返事をせず、黙ってボックスから出てくる。
そのことへ、アスピスは今更だが、首を捻ってしまった。
「ねぇ、みんな。マスターであるあたしが一番偉いんだよね?」
「マスターはね、一番偉いんだけど、子供だからだめなの。勝手にすると、エルンストたちが怒るから、許可が必要なんだって。おじちゃんやエクウスが言ってたよ」
一番素直なオルトロスが、アスピスの質問へ、正直に答えてくれる。瞬間アスピスはがっくりしてしまう。
「ショックなのです。ガーンなのです」
「なんと言われようと、これは主人のためです。主人の命を守ることが、私たちにとって最優先すべきことです。二度と主人に怪我を負わせるようなことがあってはなりませんから」
「これはあなたたちのせいじゃないのよ。気にしてはいけません。それに、怪我はしましたが命に別状はないのです。あたしは至って元気なのです」
アネモスの背から下りて、絨毯の上に座り込むと、使い魔3体を周りに侍らせる。そして、しばらく3体を撫でた後、アスピスはボックスから取り出してきたばかりの、体操の本を広げる。
「色々な体操が載っています」
怪我していない方の足を動かしつつ、アスピスはページを捲っていく。そして、いくつかの体操に目を付けると、本を脇に置き、書かれている動きに倣って上体やお尻を動かし始める。
そこへ、たまたまという感じでエルンストが入って来た。
「なにをしているんだ?」
「体操をしているの。見ればわかるでしょ」
「まぁな。でも、それならせめて、熱が下がって、体の傷が治ってからにした方がいいんじゃないか?」
「問題ありません。あたしは豊満な胸とくびれた腰と引き締まったお尻を手に入れてみせます。エルンストを虜にしてみせますので、楽しみにしていてください」
「楽しみ……って、意味分かってないだろ」
笑顔で宣言するアスピスへ、エルンストは苦笑を零す。そして、アスピスの脇に置かれている本へ手を伸ばすと、それを持ち上げて中身を読みだした。
「そもそも、その平坦な体が、こんな運動をしたところで、そう簡単に変わるとは思えないんだが」
「エルンストは、レディに対して失礼極まりないのです。せっかく眼福と言わせてあげようと思ったのに。がっかりです」
エルンストの台詞を受け、アスピスはツンと外方を向いてしまう。
「魅惑的な体を手に入れて、エルンストの自慢の彼女になって上げようという、健気な乙女心をなんだと思っているのでしょうか。ただし、顔だけは変えられないので、諦めてください」
「お前、なにげに顔のこと気にしているな」
「こればかりは生まれついてのものなので、しかたないのです。可愛くないのは承知してます」
「そんなことないだろ。安心しろ、ちゃんと可愛いから」
むすりと告げるアスピスの頭を掻い操りながら、エルンストはおかしそうに笑い出す。しかしアスピスは不機嫌そうに表情を歪ませる。
「お世辞はいりません。正当な評価は既に下されているのです」
「あ? どこで?」
「奴隷商人のところで並と言われてたのです」
「あー、あのころか。小さかったし、手入れもされてなければ、目がそのままだったからな」
アスピスと出会ったころのことを思い出すよう、エルンストが納得したように呟いた。
「あんな奴等の言っていたことなんて、気にするだけ損だぞ。それより、俺の言うことを信じろよ。普通に成長してくれれば、自慢の彼女になるぞ」
「エルンストがそれでいいのなら、いいのです。過大評価はいらないのです」
「疑い深い奴だな。嘘なんて言ってねぇのに」
言下に腕を伸ばしてくると、アスピスの体を捕らえて、自身の方へ抱き寄せる。そしてアスピスの額へ口づけ、笑みを洩らすと、そのまま立ち上がってみせた。
「とにかく、俺に眼福って言わせたかったら、元となる体作りから始めてくれ」
「だから体操をしていたのです。それを邪魔してはいけません」
「体操も大事かもしれないが、その前に、肉を付ける方が先だろ。骨と皮しかないような体じゃ、豊満な胸どころか、これ以上細くなりようがないから、腰の括れが作れないぞ」
「動いてないのにお腹は空かないの。朝いっぱい食べたから、無理ですよ」
エルンストが1階に連れて行こうとしているのを察し、アスピスは慌てて拒否の意思を伝えるが、抱かれた状態ではなすすべがなかった。
10時のおやつに出された、炭酸のオレンジジュースはシュワシュワしていて面白く、ついついコクコクと飲んでいた。
なんとなく、エルンストに負けた気がして癪ではあったが、レイスがアスピスとロワのために買っておいてくれたそうなので、感謝して飲むことにする。
そして、フォルトゥーナが作ってくれたクッキーを、飲み物の合間に、ポリポリと口にした。
「どう? 口に合うといいんだけど」
「美味しいよ」
「うん。フォルトゥーナとアスピスがいると、おやつの時間が豪勢になるね」
フォルトゥーナがクッキーの感想を聞いてきたので、アスピスが正直に答えていると、ロワが笑顔でアスピスに同意しながら感想を付け足してきた。
「すみません。おやつは作ったことがなくて」
「レイス、ごめんなさい。私もおやつとか手作りしたことがないから、気にしないでちょうだい」
ロワの言葉に、シェリスが慌てて謝罪する。
それを聞きながら、フォルトゥーナがおかしそうに笑ってみせた。
「そうよ、謝る必要はないわよ。私は、本を見ながらお菓子を作ったり変わったものを作ったりするのが好きなだけよ。食事の用意に関しては、レイスに敵わないもの」
「食べ盛りの男が4人でしたから。量と手早さだけは、身につきましたよね。そのせいで、メニューがアスピス向けでないのに気づけませんでしたけど」
「そんなものよ。私なんて、食べてくれるのをいいことに、子供向けの食事を用意したことなんてほとんどないもの。おやつは買い置きだったし」
レイスの言葉にフォローを入れるよう、シェリスが笑みを零しながら口を開く。
その光景は、カロエやノワールがいたときのようなにぎやかさはなかったが、のんびりとした雰囲気で、心地の良い空間である。
エルンストやレイスやカロエと4人で住んでいた家も大好きだったが、大勢で暮らせるこの家も大好きであった。それに、隣に住んでいるセアや、屋台の店番のテネルやエトノスとも知り合えて、アスピスとしてはそれなりに充実した環境が整ってきていたことで、満足していた。
「あのね。おやつを食べたら、お花を買いに行きたいのです。行ってもいいですか?」
「買いに行くときは、俺がついて行くけど。その前に、熱が下がるまでは外出は無理だぞ」
「そうね。熱が下がるまではちょっと無理ね。お花が欲しかったら、私が買ってきてあげるから、しばらくはそれで我慢してちょうだい」
「だったら、ボクが買って来るよ」
アスピスの問い掛けに、エルンストがあっさりと却下する。それに付け加えるようにフォルトゥーナが口を挟んでみせたところ、ロワが勢いよく立ち上がる。
「あー。じゃあ、俺も付き合うから、おやつを食べ終わったら行くか?」
「いつも公園へ遊びに行ってるもん。ひとりで大丈夫だよ」
「いや。物騒だし……、せめてアネモスたちを連れて行け」
「いいの?」
エルンストの提案に、ロワが目を輝かせる。そして、本来の持ち主であるアスピスを見つめてきた。
「アスピス、アネモスとオルトロスとエクウスを借りてもいい?」
「うん、いいよ。気を付けて行ってきてね」
勢いに押され、ロワが代わりに花を買ってきてくれることになっていて、今更自分が行きたいと言えなくなってしまう。しかも、ロワの好意によるものだったので、ここは諦めるしかないと踏み、ロワの問いに即座に頷く。
アネモスたちも、ロワのことが大好きなので、問題ないだろう。
そんなことを思いつつ、クッキーを齧っていると、玄関がノックされる音が響いてきた。それに逸早く反応したのは、立ち上がっていたロワである。
エルンストやルーキスやレイスが止めるより先に、素早く移動し、玄関を開けてしまう。瞬間警戒態勢を取ろうとした3人であったのだが、外に立っていたのが花の屋台の店番をしているエトノスであったため、すぐに警戒が解かれていった。
「アスピス、お花屋さんのお姉さんが来たよ」
「急にお邪魔してすみません。アスピスさんの怪我の状態が気になってしまって……」
「あのね。額をいっぱい縫ってもらったんだって。それと、足の骨にひびが入っちゃったから、治るまでいっぱい歩くのはダメなんだって。それから、体にいっぱい擦り傷ができているから、包帯とガーゼだらけなの。あとね、熱も出ているから、外に出ちゃダメって言われていたところなんだ」
エトノスの台詞を受け、ロワが知っている情報を話して聞かせる。
「教えてくれてありがとう。これをアスピスさんに渡してくれる? お見舞いなの。アスピスさん、花が好きだから、これが一番いいかと思って」
エトノスがロワに向け差し出した花束を、ロワが嬉しそうに受け取る。
「今ね、アスピスがお花屋さんに行きたいって、言っていたところなんだ。それで、ボクが代わりにお花を買いに行く話をしてたの。アスピスの熱が下がるまで、ボクがお花を買いに行くことになったんだ。今日はお花をもらえたから、明日から行くね」
「はい、楽しみにしてますね。それじゃあ、アスピスさんにお大事にと伝えてね。店の方もあるので、これで失礼します」
エトノスはロワに向けてしゃべりつつ、最後は家の中にいるみんなに向けて頭を下げる。
動くのが遅れたエルンストやレイスやルーキスが、エトノスを見送るよう玄関へ向かい、3人がそれぞれ「ありがとうございました」とお礼を告げると、エトノスは笑顔を残して去って行った。
そして、そんなエトノスを見送り終えたルーキスが、ちょっと考える仕草をみせた後、ちょっと出てくると言って外へ行ってしまった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




