第195話(問題児出現4)
[百九十五]
いつもならアスピスが抱えられる方なのだが、ロワが相手の場合、アスピスの方が年上となるため、ロワを抱える側に回るようである。体形的にほとんど差がないのだが、ロワの頭を抱えるようにして、2人でぐっすり寝ていたところを起こされた。
理由は夕食だということだ。
「あたしはこのまま寝ています。動きたくありません」
「抱いてってやるから、1階へいくぞ」
断固拒否を訴えるアスピスの意見を無視して、エルンストがアスピスへ手を伸ばして来る。その手をアスピスはぴしゃりと叩いた。
「体があちこち痛いのです。動きたくありません」
「痛み止めをもらってるらしいから、それをもらって飲めばいいだろ」
「お薬はいりません。横になります」
「ったく、しょうがないな。とにかく、ロワは起きろ。飯だぞ」
「んー……。はーい」
「って、こっちも寝ぼけてるな。ロワ、掴まれ。抱いてってやるから」
今にもこてんと横になりそうなロワを抱き上げると、エルンストがアスピスを見下ろして来る。
「こいつ置いたら戻って来るから、なにか服を……って、動けないか。戻ってきたら服を取ってやるから、ちょっと待ってろ」
無造作に抱き上げて問題ないなら、ロワとアスピスを抱えて1階へ下りていくところなのだろうが、体中傷だらけのうえに足のこともあり、ちょっと慎重になっているようだ。
エルンストは言い聞かせるようにして言葉を残すと、ロワを連れて1階へと下りて行ってしまう。
それを耳で感じながら、アスピスは再びベッドに横になると、体の上に毛布を掛ける。そしてそのまま目を閉じると、寝る体勢を築いてしまう。
なのだが、寝入る前にエルンストが戻って来てしまった。
「寝るのはかまわないが、夕飯を食ってからにしろ」
「そういう気分ではないのです。今日はご遠慮しておきます」
「お前が乗り気で食事をすることなんて、滅多にないだろ」
「今日は微塵も食欲がありません」
「気持ちはわからなくもないが、足を治すためにも食わないとだめだろ」
「明日からがんばります。今日はそっとしておいてください」
「って、ちょっと熱いな」
頭まで毛布を引っ張り上げようとしていた、アスピスの手の動きを遮ろうとしたのだろう。アスピスの手に触れたことで、エルンストが小さく呟く。そして確認するように、アスピスの額に手を当ててきた。
「あー、やっぱり熱があるな」
「雨雲はいませんよ。雷も鳴ってません」
「たぶん、怪我からだろ。体力ないからなぁ、お前」
吐息しながらエルンストは告げてくると、少し考え込む。
「どうしても起きたくないか?」
「起きたくありません。でも、お風呂には入りたいです」
「風呂は無理だぞ」
「えっ! なんで?」
「いや、その体でっていうか。その足で風呂は無理だろ」
「なんとかしてみせます」
エルンストにはっきりと否定されてしまい、アスピスは焦って言葉を返す。しかし、許可が下りることはなかった。
「しばらくは無理だ。それに入るときは、固定してある方の足は、絶対に濡れないようにしないとだめだしな」
「それなら、結界で完璧に保護してみせます。なので、お風呂に入れますよ」
「熱が出ているうちは諦めろ」
「エルンストは横暴なのです。あたしの楽しみを奪わないでください」
「いや。それ以前に、風呂に入る気力があるなら、飯を食えよ。そっちのが優先だぞ」
必死に駄々をこねるアスピスへ、エルンストが呆れたように告げてくる。
「エルンストの優先順位とあたしの優先順位は違うの。あたしにとってはお風呂が先なのです」
「お前、風呂が好きだもんな」
「だって、気持ちいいの。ビオレータ様に初めて入れてもらったときから、あたしはお風呂の虜なのです」
「んー……、そう言われてもなぁ」
アスピスの主張に対し、エルンストはちょっと困ったという顔をしてみせた。
「っていうか、傷は治さないのか? 切り傷とかは回復術で治せるんだろ?」
「クリシス先生が丁寧に治療してくれたので、問題ありません。それとも、額に傷のある彼女はダメですか?」
「いや、お前がいいならかまわないが。精霊術で治療した方が、体が楽だろうなと思ってさ」
「痛いのは我慢できるのです。だから、治るのを待ちます」
断言するように告げると、エルンストが頭に手を乗せてくる。それを受けて、アスピスは笑みを浮かべようとして、失敗してしまった。
「ちょっとお胸を拝借していいですか?」
「どうした?」
「彼氏のエルンストにお仕事を作って上げます。彼女に胸を貸してください」
「そういうことなら、貸してやるけどな」
苦笑を浮かべながらエルンストがベッドの空いている場所へ乗ってくると、固定されている足に負担を掛けないよう気を付けつつ、アスピスを引っ張り上げるようにして、足に乗せてくれる。
「クリシス先生がちゃんと治してくれるって言ってただろ」
「言ってくれました。クリシス先生はできないことをできるとは言わないので、とても信用しています」
「それでも不安か?」
「やっといっぱい歩けるようになったのです。なのに、足がとても痛いのです」
「そうか。そうだな……」
静かに呟きながら、ぽてんとエルンストの胸に額を押し当てて、体を預けているアスピスの頭をゆっくり撫でてくれる。
その心地よさに誘われるよう、張っていた気が緩み、はらはらと涙が零れ始めていく。
そして、アスピスが泣き疲れて眠りにつくまで、エルンストの手はアスピスの頭を撫で続けてくれていた。
朝になり、自然と目が覚める。エルンストの腕の中にしっかりと抱きこまれていることに、ホッとしてしまう。そして、エルンストの胸に懐くよう額を押し当て、再び目を閉じようとしたところで、アスピスの頭に手が添えられた。
「起きたんなら、寝るのは後にしろ。昨日はお前が寝ちまって夕食に顔を出さなかったから、みんな心配してるぞ。それに、カロエやノワールは騎士学校へ戻るらしいから、その前に会いたいだろ」
「うん。会いたい」
「よし。じゃあ、まず服を着なくちゃだな」
はっきりとした口調で答えると、エルンストはそれに応じて起き出した。そして、ハンガーラックからアスピスが普段着ている服を取ると、持ってくる。
「ちょっと手をあげろ」
「自分で着れますよ」
「あちこち、包帯が巻かれたり、ガーゼが貼られたりしてるんだ、適当に着て崩れたら困るだろ」
言われるままに手をあげながら、それでも自己主張をしてみせたアスピスであったが、エルンストの説明に納得してされるがままになることにした。
「ほら、完成だ。三つ編みは自分でできるだろ」
「櫛やゴムが必要なのです」
「それじゃあ、鏡の前に座った方がいいか」
言下にアスピスを抱き上げると、ドレッサーの前まで運んでくれる。そして、イスを引き出すと、そこへ座らせてくれた。
「ありがとうなの」
「どういたしまして」
お礼を告げると、エルンストが小さく笑う。
「窓を開けるか?」
「お願いします」
問い掛けに対して肯定の返事をすると、エルンストが窓を開けてくれ、光りが入ってっ来ると同時に、部屋の中の空気が入れ替わり始める。
それに促されるよう、3体の使い魔も動き始めた。
その様子を鏡を通し見つめつつ、アスピスは櫛の反対側を使って髪を2等分にすると、三つ編みを作り出して、ゴムで止める。それを2回繰り返した後、コンタクトを付け直して、起きる準備を完成させた。
「お待たせしました。あたしを運んでください」
「了解。っと、この杖はアイテムボックスにしまっておけ。移動するときは、俺か誰かが運ぶか、アネモスに乗るかが基本だが、いざというときは必要になるからさ」
「はーい」
言われた通りにアイテムボックスを開くと、常時使用許可が下りている状態のエルンストが、ボックスの入り口付近に杖を置く。
「ポストも覗いとくぞ」
「うん。でも、なにもないと思うよ」
「まぁ、一応な。仕事は、お前の足が治るまで来ないだろうから、急ぎのものはないと思うけどな」
エルンストがそう言いながら、念のためにポストを開いて中を見てくれる。
なにも入っていないのが前提だったようだが、中から3通の手紙を取り出してきた。
「シエンと、イヴァールと、シュンテーマからだ。あいつらどこで情報をしいれてるんだ」
反応が早すぎると、エルンストは呆れつつ、アスピスへ手紙を手渡してきた。内容は、アスピスの怪我に関することだと決めつけているようである。
ペーパーナイフで封を切り、次々と手紙の内容を見たところ、実際それで正解だったのだが。
「みんなすごいね。心配してくれてるよ」
「そいつはよかったな」
「エルンストは心にもないことを言っています。全然心がこもっていません」
開封した手紙をまとめながら、アスピスは容赦なく指摘する。それに対してエルンストは返事を保留する気なのか、答えを返すことはせず、アスピスを抱き上げると1階へ下りて行った。
全員が揃った食事はとても賑やかであった。しかも19歳3人組が加わった食卓は、料理が消失する速さが一気に増した感じである。
アスピスは半ば唖然としながら、動きを止めてしまう。
「欲しいパンがあったら取ってやるぞ」
最初にエルンストが取ってくれた、チーズのパンを食べ切ったことで、パン用の皿になにも載っていないのに気づき、傍らのレフンテが訊いてくる。その気遣いだけで十分だと、アスピスは笑顔で応じた。
「もうお腹はいっぱいなので大丈夫ですよ」
「って。アスピス、全然食ってないだろ。大きくなれねぇぞ」
「以前会ったときも食が細いと思っていたが。本当に食わないんだな。好きなものはあるのか?」
アスピスの台詞に、カロエとノワールが揃って口を開いてくる。ついでに、ノワールの問いへは、ノワールの隣に座っているロワが代わりに返事をしてくれていた。
「アスピスはね、生クリームがたくさん載ったパンケーキが好きなんだよ。それから、オレンジジュースも好きなの」
「甘いものが好きなのか」
「そうだよ。ボクも好きだけど」
「じゃあ、今度帰って来れるときはケーキでも買ってきてやるか」
久しぶりの再会にはしゃいでいるロワの頭を掻い操りながら、ノワールが言葉を綴る。それを聞き、ロワが注文を口にした。
「だったら、ショートケーキは2つ買ってきてね。ボクもアスピスも、ショートケーキが好きだから」
「わかった」
「約束したなら、近い内に帰って来いよ。お前らが忙しいのも分かるけどな」
ロワが承諾したのを受け、ルーキスがカロエとノワールへ、次回の帰宅を早速促す台詞を述べた。それに対して、カロエが応じる。
「なんか、物騒だしな。オレらがいたところで、日中はいないから意味ないし。気分的に寮に籠っている方が、集中力も上がるんだけど……。でも、まぁ、通える範囲だし。近い内に寮を出て戻って来ようかって、昨夜ノワールと話してたんだ」
「一般住宅街だっていうのに、ここには六聖人が3人もいるからな。用心することに越したことはないだろ」
「あら、頼もしいことを言ってくれるわね。ノワールなんて、これまでいくら帰宅を促しても帰ってこなかったのに」
カロエとノワールの話しを聞き、シェリスがおかしそうに笑ってみせる。
「シェリスだけなら、心配しないんだけどな」
「あら、ノワールったら酷いわね。私も六聖人よ」
「そうだが、規格外だろ。精霊術より体術の方が得意だなんて。それに、警護対象の方が強いって、やる気が削がれるぞ」
自分のマスターであるシェリスに向けて、ノワールが呆れたように言い放つ。しかし、シェリスの意見はちょっと違ったようであった。
「女性は、男の人に守ってもらいたいものよ。そんな邪険にしないでほしいわ」
自分の方が強いことは否定せず、楽しそうな口調で告げた台詞へ、ノワールが肩をすくませていた。ついでに話しを逸らせることにしたらしい。
「戻って来ると言っても、もう少し先になるからな。それまで、ロワも男なんだから、ちゃんと家のこと守るんだぞ」
「うん。ノワール任せてよ」
話し相手をロワに移し、諭すよう告げた台詞へ、ロワが大きく頷いた。
そんなやり取りをしている一方で、レフンテはフォルトゥーナたちに向け、今後の自分の予定を語る。
「俺も、しばらく冒険者ギルドの訓練所へ通うことにしたから、昼間はいられないんだが」
「レフンテはその方がいいだろうな。身を守れるくらいの戦術は身につけておいた方がいいからな」
「えぇ、俺もそう思います。それに警備兵を増員して、この辺一帯の警備を強化すると言ってましたし。俺たちも気を付けますから、心配せずにあなたたちは自分のことをしてください」
レフンテの言葉に、エルンストやレイスが賛成の意を示す。そして、フォルトゥーナも後押しをしていた。
「みんなもこう言ってくれていているのだし、ルーキスを既に巻き込んでいるんだから、レフンテも頑張らないとだめよ」
「あぁ、分かってる」
「そう。じゃあ、心から応援しているわ」
フォルトゥーナはそう言いながら、席から立ち上がると、おかわりを欲しい人がいないか訊ねる。すると、遠慮なくカロエとノワールが皿を差し出し、それを見てレフンテも皿を出していく。そしてさらに、それを見ていたロワが迷いつつ、旅先で購入したアスピスと色違いでお揃いの子供用の食器を差し出した。
そんな賑やかな中に身を置いていたアスピスは、もう少し先のことになるらしいが、これが当然の光景になるらしいことに、心を躍らせていたのであった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




