第185話(六聖人のお仕事Ⅵの8/宿屋)
[百八十五]
早々に村長の家を後にしたエルンストへ、アスピスは首を傾げる。
「お泊りさせてもらうんじゃなかったの?」
「こんな立派だと、色々とまずいだろ」
「あー、そういうことか」
エルンストの台詞で、ルーキスは納得するように呟く。
「テネブラエには気の毒なことをしたけどな。まさか、ルーキスとテネブラエだけ置いてくるわけにもいかないからな」
アスピスを抱いてくれているエルンストが、チンプンカンプンなことを言っていることで、アスピスは更に首を傾げていく。
それを見て、ルーキスがおかしそうに笑った。
「アスピス、最近はひとりで寝てないだろ。それに、テーブルマナーなんか教えてもらってないだろうしな。っていうか、その辺も教えないとまずいのか?」
「それは、俺もさっき気づいた。その辺は、アンリールが一番適していそうだからな、戻ったら頼んでみるようかもしれないな」
ルーキスの呟きに、エルンストは同意する。
これまで、そういう場面に遭遇してこなかったため、上流のマナーを教えていなかったことに気づいてしまったようである。
アスピスには、なんのことだかさっぱりだったのだが。
「けどよ、村長の家っていうと、村の中では一番立派な建物だが、町の建物からすると、普通の一軒家をちょっと立派にしたくらいって感じだし。今回みたいな町長並に立派な家はそうそうないからさ。だから、ベッドは提供してくれても、大部屋仕様の場合が多いし。食事も普通に家庭料理的な場合が多いから、正直なところ油断してたな」
「立派な個室に、テーブルマナー必須の贅沢な夕食か」
「やっぱりルーキスとテネブラエだけでも、世話になってくるか? 頼めば喜んで受け入れてくれるぞ。さっきの様子だと、接待したくてたまらないって感じだったしな」
「いえ。俺もテーブルマナーは得意ではないので。できれば遠慮したいです」
「そうだな、俺も豪華すぎるのは苦手だからな」
エルンストの提案へ、テネブラエもルーキスも首を横に振る。
そして、そんな会話をしながら村の通りを歩いていると、教えてもらった名前が書かれた看板を発見する。
「っていうか、お勧めの宿はここか」
「村にしては立派な宿だな」
立ち止まったエルンストに倣い、ルーキスとテネブラエも足を止める。同時に、ルーキスが率直な感想を口にした。
「ここは赤道沿いだから、村としては立派な方だからな」
「まぁ、中に入ろうぜ。部屋はどう取るんだ?」
「折角の個室をキャンセルしたからな、ルーキスとテネブラエは個室にしてくれてもかまわないぞ」
「いや、俺は冒険中の宿にそこまでこだわらないからさ。大部屋でいいぞ」
「あっ、俺も大部屋で大丈夫です。贅沢しにここへ来たわけじゃありませんから」
「じゃあ、4人部屋でいいな」
エルンストの考えや、テネブラエの意見を受け止め、ルーキスはあっさり決めてしまうと、宿の中へと入って行く。
「村長にここを紹介されて来たんだけどさ。4人べ――」
「あ、お待ちしておりました。つい先ほど、村長の使いの者が参りまして、お話しは伺っております。特別室4部屋をお取りしております。村長から色々と言付かっておりますので、今日は急でしたので大したものは出せませんが、滞在中は特別メニューをご用意させていただきますので、お食事は部屋の方へ運ばせていただきます。ご一緒の部屋がよろしいようでしたら、一部屋食事用にご用意できますが、いかがなされますか?」
「あー……」
さすがのルーキスも想定外な対応に、言葉を失う。そして、こういう時の対応はどうすればいいのか問うように、エルンストを見つめていた。
それに反応し、エルンストが受け答えをすることにしたらしい。
「それなら、みんなで食事を摂りたいから、部屋を用意してくれるか?」
「わかりました。では、部屋へご案内しますね。ちょっとお待ちください」
カウンターの中にいる男は、後ろの戸を開けて中へ声を掛けると、メイド風の格好をした女性が現れ、4人を最上階へ案内した。
「こちらの4部屋を好きにお使いください。それと、こちらの部屋が食事をする部屋となります。用意ができましたらお呼びしますが、全室へお声を掛けても問題ありませんか?」
「それなら、俺がこの部屋を使うから、この部屋に声を掛けてください」
「わかりました。それでは、この部屋にのみお声を掛けさせていただきます。それと、このフロアをお使いのお客様は他におりませんので、安心してくつろいでください」
これでご案内を終了させていただきます。と、案内をしてくれた女性は深々と頭を下げてから、階段を下りて行った。
みんなで部屋分けをして、それぞれに割り振られた部屋へ入って行く。その際、アスピスが後ろへ振り返ると、エルンストが後に続いていた。
「エルンストは、エルンストのお部屋へ入ってください」
「どうせ、アスピスはひとりじゃ寝れないんだから。わざわざ部屋を汚す必要ないだろ」
「問題ありません。あたしは立派な淑女なので、ひとりでお休みできます」
「あ? お前、淑女なんて言葉を覚えてたのか?」
「エルンストは、あたしを馬鹿にしすぎてます。本を読んで、日々色々と学んでいるのです」
「あー、じゃあ。今日は隣の部屋で寝るけど、本当にいいんだな?」
「もちろんです」
エルンストが念を押すように訊いてくるので、アスピスはふんぞり返るようにして、頷いた。
ならばと、エルンストが自分に割り当てられた部屋へ向かって行くのを見送り、アスピスは部屋の中へ入って行った。
部屋のサイズはそれなり、なのだろう。ベッドにソファー。テーブルにイス。部屋の中にある扉を開けると、脱衣所があり、左右にある扉をそれぞれ開くと、トイレとお風呂に繋がっていた。
「おぉ、お風呂を独り占めです」
アスピスは感動し、いそいそとお風呂に入る準備を始める。そして、浴槽にお湯をためている間に、体を洗い、髪を洗う。そして、浴槽が満たされたところで、洗い立ての髪をタオルで巻き上げて、お湯の中に入って行く。
「極楽なのです」
あー、いい気持ち。と、浴槽の縁にもたれかかり、うっとりとする。そして、体を芯まで温めると、湯船から出て、シャワーをひとかけする。
その後は、自分を中心に結界を張り、髪を湿らせた状態にすることを条件に、「乾燥」と唱える。同時に、結界内を風が吹きあがり、一瞬でアスピスの体を乾燥させる。
それから、アイテムボックスを開いて、中から下着とちょっとおしゃれなワンピースを取り出し、それらを身につけると、脱衣所から出て行く。そして、ベッドの上に乗り上がると、香油を出して、髪に丁寧に塗り広めていく。
冒険中の野営時はお風呂に入れないので塗らないのだが、それでもお風呂に入れるときはきちんと塗っていることで、髪は前より艶が出てきているし、手触りもかなり良くなってきていた。
そして、入室時のチェックで見つけていた、ポットやカップ、それにお茶セットやコーヒーセットを利用して、アスピスはお茶をいれる。
それを持って窓辺のテーブルへ行き、その上にカップをのせると、イスに座った。
「イスもふかふかしてる」
なかなかの座り心地だと感心しながら、アスピスはアイテムボックスから本を取り出すと、優雅に読書を開始する。
お茶にご本。なんて贅沢な時間でしょうか。と、感嘆しながら、アスピスは1人部屋を満喫していた。
それからしばらくすると、夕食の時間になったことで、扉がノックされて開けられる。
「おい、夕飯だぞ」
「わかったの」
飲みかけのお茶はそのままに、アスピスはアイテムボックスを開いて本をしまう。それから、エルンストが扉のところで待っていてくれるので、急いで。とはいっても、アスピスにとっての最高速度なのだが、扉へ向かって歩き始めた。
夕食は、なぜか『肉』『肉』『肉』で埋め尽くされていた。料理の仕方はそれぞれ変えてはいたが、メインも肉、スープも肉、サラダも肉という感じであった。そして、パンの中にも肉がででんと挟まれているものが含まれていた。肉が関係していないのは、お茶くらいだろうか。
「お腹がいっぱいになりました。ごちそうさまでした。あたしはお部屋で優雅な食後を満喫してきます」
夕食のメニューを見た瞬間、これは無理だと解釈したアスピスは、みんなに挨拶をすると、くるりと背を向け、入って来たばかりの扉から出て行こうとする。しかし、エルンストが素早く反応したことで、扉を開けることは叶わなかった。
「とにかく、イスに座れ」
「お夕食はキャンセルしてください」
エルンストの命令に、アスピスは丁寧に言い返す。そこで、アスピスの自主性を無視することにしたらしいエルンストは、アスピスを抱き上げると、そのままイスの上にのせる。
「この匂いは、あたしの胃を崩壊させるのです」
「まぁ、確かに強烈なのはわかるけどな。まったく食べないでは済まないだろ」
アスピスを座らせたことで、エルンストも席に着き、四人揃ったところで、食事が開始される。
「アスピス、肉のないパンもあるぞ。これなんか、柔らかそうだし食べられるんじゃないか?」
肉の臭いでげんなりしているアスピスに、せめてパンだけでも食べるようルーキスが勧めてくれるが、食欲はすでにマイナスであった。
一番若くて食欲旺盛なはずのテネブラエからしても、この肉攻撃は、さすがに苦笑するしかないといった感じである。
「明日からは、食事をキャンセルして、1階の食堂で食事をするか? それなら好きなものが食べられるしな。その方がいいなら交渉してくるぞ」
みんなの様子を見つつ、ルーキスが見兼ねた感じで提案すると、エルンストとテネブラエがそれに乗るようにして、ルーキスへお願いしていた。
「んじゃ、後で1階へ行って交渉してくる。さすがにこれは、俺の胃ももたれそうだしな。アスピスがげんなりする気持ちは分かるけど。少しは食おうぜ」
「無理なのです。こればかりはお願いをお聞きすることはできません」
「だったら。エルンストは、食事が終わったら、アスピスを部屋に連れて行ってやれ。ついでに、手持ちの中からアスピスが食えそうなもんを、出してやれよ」
「その方が、よさそうだな。テネブラエも、無理そうだったら、食いもんだそうか?」
「いえ。俺はこれで済ませます。明日からは普通のものを食べられるのでしたら、問題ありません」
ビーフステーキにビーフシチューにローストビーフのサラダ。それに、ビーフカツサンド。ある意味非常に見事である。ここの村的に、接待時に用いられる食材は牛肉らしいということだけは伝わってくる。
それぞれ単品としては、質も味も悪くない。
これが宿泊中に、別々のタイミングで出てきたならば、喜んで食べただろう。除くアスピス、という注釈はつくが。
そして、エルンストとルーキスとテネブラエの3人がそれぞれ肉と格闘し、それぞれの前に並んでいる食事を片付けていくのを見つめつつ、アスピスは唯一肉と関わりのないお茶をこくこくと飲んでいた。
「淑女の部屋には本当は男性を入れちゃダメなのよ」
「はいはい。乙女になったり淑女なったり子供になったり、忙しいな」
「はいは1回でいいの。それとも、突っ込んでもらいたかったの?」
「呆れてただけだろ。それより、温める魔法はあったよな?」
「ホットもコールドもご用意しております」
アスピスは渋々とエルンストを部屋へ招き入れ、窓の前のテーブルへ案内する。そこで飲みかけのカップを目にして、エルンストは呆れ半分感心半分といった声を出す。
「お前、お茶なんか飲んでいたのか」
「読書にお茶は必需品なの。優雅な時間をすごせるの」
思わず勝ち誇るように笑みを浮かべると、アスピスはエルンストにイスを勧めた。
「お茶を入れて差し上げます」
「それは後でいいから、まずはそこへ座れ」
「この部屋の主はあたしでしょ。命令するのは禁止します」
「いいから、座るんだ」
アスピスが言い返すと、エルンストは無造作にアスピスを抱え上げ、イスに座らせる。
「それにしても、そうだな。ナポリタンでいいか」
エルンストが呟きつつ、アイテムボックスを覗き込む。そして、中から皿とフォークと、オレンジ色の物体が入ったケースを取り出してくる。
「それは、なんでしょうか?」
「喫茶店のメニューに載ってるのは知ってたんだけどさ、味は俺も知らないんだ」
「それをあたしに食べろって言うの?」
「オムライスと並んでナポリタンも喫茶店では定番メニューらしいぞ。お前は喫茶店でオレンジジュースとパンケーキしか頼まないけどな」
言下に、皿の上に、パックを逆さにして、オレンジ色のにょろにょろを落とす。
「よし、と。後は自分で温めて食べろ」
「その恐ろしい物体を食べろって言うの?」
「レイスとフォルトゥーナが、お前が食べられそうなものを思案して作ってくれたんだから、食べてみろよ」
「ううっ……。それじゃあ、とにかく温めてみます」
アスピスは、レイスとフォルトゥーナの名前を出され、負けるようにしてアイテムボックスから温める用の魔法陣が描かれたシートを取り出し、それを敷くと、中央にナポリタンが載った皿を置き、「結界」と「ホット」を続けて唱える。
すると、ナポリタンからほかほかとした湯気があがりだす。
「まぁ、匂いは問題なさそうだな」
「エルンストから試食をどうぞ」
「俺はもう夕食を摂っただろ。お前はまったく食べてないんだから、お前が食べろ。それに、量はほんの少しだろ。俺が食ったら、お前の分がなくなるぞ」
「それならそれで、言い訳が成り立つのです」
「成り立たせたりしないから、自分で食え。口に運んでやろうか?」
「それはお断りします。自分で食べます」
エルンストが楽し気に訊いてくるので、アスピスは嫌そうな顔を浮かべて拒否をする。
そして、意を決するようにフォークを手に取り、突くようにしてオレンジ色のにょろにょろを一本引っ掛けると、アスピスは勇気を出して口に運ぶ。
途端に、笑顔を浮かべた。
「つるつるしてもちもちしてる」
「お前、もちもちしたのが好きだな」
「もちもちは美味しいのです」
「じゃあ、よかったじゃんか」
「レイスとフォルトゥーナはすごいのです」
アスピスがフォークに数本ずつ麺を引っ掛けるようにして食べていく。
「それって、フォークに巻き付けて食べるんじゃねぇか?」
「巻き付ける?」
「だから、ちょっと貸してみろ」
説明しづらかったらしく、エルンストはアスピスの手からフォークを取ると、麺をフォークに引っ掛け絡めて、フォークをくるくると回して巻き付ける。
「すごい」
「俺もよくは知らねぇけどさ。喫茶店なんかで、みんなこんな風にして食べてるぞ」
「でも、これは大きすぎます」
「そうだな。こりゃ、子供用のフォークを買うようだな」
「子供用のフォークって、あの可愛いフォーク?」
「可愛い、のか? 小さくはあるが」
「柄の部分に可愛い柄が付いているフォークとかスプーンとかナイフが売ってるの。使い方が分からなかったから、見ているだけだったけど……」
「あぁ、それかもな。その内、買いに行くか」
「柄がいっぱいあるから、あたしに選ばせてね」
「分かったから、とにかくそれを食っちまえ」
アスピスの手にフォークを戻すと、食べにくそうにしながらも、ナポリタンを口へ運んで行く。
「お前、フォークの使い方が下手だな」
「うん。スプーンもナイフも苦手なの。ビオレータ様のところで使い方を教えてもらったんだけど、右手だとどうしても使いにくくて、気づくと左手で握ってるの。ビオレータ様は持ちやすい方で良いって言ってくれたんだけど、みんな右手で持っているでしょ」
自分だけ違うのは嫌だから、一生懸命に右手で使おうとしたんだよ。と、エルンストに訴えながら、アスピスは麺を数本引っ掛けては、口へと運んで行く。
「お前、左利きだからな。左の方が使いやすいなら、左で食って平気だぞ」
「左利き?」
「あぁ、器用に動く方の手が利き手になるからな」
「でも、みんなと違うのは嫌でしょ」
自分だけ仲間外れになるのは嫌なので、右手が器用に動かせる方が断然嬉しかったと思うのである。
そして、半分くらい食べたところで、フォークを皿に置くと、エルンストの方へ差し出した。
「残りはエルンストにあげます」
「これぐらい、食べられるだろ?」
「もう無理です。お腹がいっぱいになりました」
「ったく。本当に体重は増えているんだろうな?」
エルンストはそう呟くと、アスピスの残したナポリタンを食べてくれる。そして、タオルを取り出したと思って見ていたら、自分の口を拭いた後、別の場所でアスピスの口を拭ってくれる。その際に、タオルがオレンジ色に染まっているのを見て、アネモスの食事後の口元を思い出してしまい、「アネモスとおそろいだ」と言いながらおかしそうに笑ってみせた。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




