第172話(引っ越し7/引っ越し作業開始1)
[百七十二]
家で、レイスと一緒に寝るのは初めてであった。
アスピスが寝る時間になると、床に置かれている使い魔用の居場所一式を脇に寄せ、床に布団が一組敷かれる。そこへレイスが寝ることになったのだが、アスピスが寝る時間になっても、エルンストもだがレイスも1階で過ごしていた。
お風呂の順番待ちもあるのだろう。けれども、決してそれだけでなく、ルーキスと時間を共有したいと思っているようである。率直に言ってしまうと、2人ともルーキスが大好きなようである。
いつも大人びて見えていたのだが、ルーキスといる2人は子供に戻ったような瞳をして、ルーキスに構って欲しいと訴えているのが、見ていたわかる。
命のやり取りもある冒険中には感じることがなかったのだが、この家で一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、エルンストもレイスも、ルーキスに懐いているのだと実感できてきた。
それだけのことを、10年の間に、ルーキスが2人に対して色々とやってあげていたのだということも、同時に把握できてくる。
(うん。まぁ、夜になれば戻ってきてくれるもんね)
アスピスはそう思いながら布団に横になろうとして、ハッとする。そして、布団から急いで起き出すと、一階に下りていった。
エルンストが洗濯ものに出す前に、シャツを回収するという使命が残っていたのである。
そのことを思い出したため、一階に下りて、みんながテーブルについている姿を、ちょっと離れた席から見つめておく。
シェリスは早々に子供たちとお風呂に入り、レイスの部屋で寝てしまった。
数時間ごとにカルテイアへミルクをあげなければならないので、常時睡眠不足の状態なのだと、フォルトゥーナが教えてくれたのだ。
眠りの浅い方のアスピスも、エルンストの腕の中だとぐっすり寝てしまい、朝になるまで起きないことが多々あった。そのため、毎日深夜に何度も起きなければならないシェリスが大変なのは、アスピスにも伝わってきたことで、大人のシェリスが早々に寝た事情はとても理解できた。
そんな理由もあり、この場にいるのはルーキスとエルンストとレイスとフォルトゥーナであった。レフンテはアスピスの次にお風呂に入っていったので、今頃は2階のカロエの部屋にいるのだろう。
そして、昔話に花を咲かせている4人をボーと見ていたら、エルンストが席を立ち、アスピスの傍へ寄ってきた。
「寝たんじゃなかったのか? それとも呼びにきたのか?」
「お邪魔はしません。エルンストにご用があったのです」
「あ? どうした?」
「そのシャツを返すのです。あげたわけではないのです」
「……」
アスピスが単刀直入に要求すると、エルンストが吐息する。
「色気がねぇな」
「そんなものは年頃になれば付いてくるのです。でもあたしは未だ子供なので、必要ないのです」
「恋する乙女じゃなかったのか?」
「あっ……、そうでした。恋する乙女には必需品でした」
エルンストからのまさかの反撃に、アスピスは一瞬言葉を詰まらせ、素直に認める。
「でも、無いものは仕方ありません。諦めてください」
開き直りついでに、アスピスははきはきとエルンストに語り掛けていく。
「それより、シャツを脱ぐのです。そしてあたしに返品してください」
「仕方ねぇな。本体ごと返品してやるから、もう寝ろ」
エルンストは苦笑を零し、手を差し出すアスピスを無視して、抱き上げた。
「悪い。こいつ寝かせてくるから」
「そのまま寝てくれてもいいぞ。俺らも風呂に入ったら適当に寝るからさ」
エルンストの台詞へ、ルーキスは笑みを添えて告げてくる。
「いや。風呂に入りたいからな。こいつ眠らせたら、一度下りてくる。その前に、レイス、風呂に入って2階へ来てくれ」
「分かりました」
エルンストの頼みの意味を察したレイスは、すぐに頷く。
「じゃあ、俺は先に風呂に入ってきますね。飲み会は、シェリスも参加したいでしょうから、引っ越しが終わって落ち着いたらですね」
「そうだな。でも、その前に、引っ越しが終わったら、その夜に軽くはやりたいねぇ。こんな風に、夜の時間を気にせずいられるようになるからさ」
笑いながら希望を述べるルーキスの言葉を聞きながら、どうやら飲み会の話しで盛り上がっていたようだとアスピスは察しつつ、思考はまったく別の方向へ進んでいて、エルンストからどうやってシャツを奪い返すかと考えていた。
「エルンストはずるいの」
「あ? なんだよ。本体が来たんだからいいだろ」
「あたしはシャツを取りに行っただけなの。返したわけじゃないでしょ。ちゃんと朝に言っておいたよね」
部屋に到着すると、そのままベッドの上に乗せられたアスピスは、ベッドの縁に腰かけているエルンストに向け、真面目な顔で交渉にはいるが、エルンストが困った顔をしてみせる。
「お前だって、自分が着て汚したワンピースを渡せって言われたら、戸惑うだろ」
「それって、どんな変態?」
「ほら、その反応だ。つーか、お前たまにすごい毒舌ぶち込むよな。とにかく、自分で言われてみれば分かるだろ」
「エルンストは、話しを誤魔化してます。有耶無耶にしてなかったことにしようとしてます」
エルンストに突っ込みを入れられたことで、口調をまるいものへ戻しはしたが、アスピスは不機嫌そうに表情を歪ませて、苦情をしっかり述べていく。
「一時的に返しただけなんだから、返品してください」
「頼まれたら、一緒に寝てやるって言ってんだろ。本体で満足しろよ」
「それとこれとは違うの」
「言っとくが、変態にはなるなよ」
「――ッ」
さっきの仕返しなのだろう。真顔で告げられてきたエルンストの台詞に、アスピスはとっさにエルンストにケリを入れてやろうとして、失敗する。
「足を掴むのはマナー違反です」
「そっちが足を出してきたんだろ。ったく。蹴りに失敗して足首でも捻ったら一大事なんだぞ、お前の場合」
「だって、エルンストが悪いんでしょ」
「それと、蹴りを入れてくるのは別問題だ。使うんだったら、手を使え」
「それじゃ、エルンストに効果ないんだもん」
これまでの経験上、手でいくらエルンストを叩いても、効果があったためしがないのだ。アスピスが、八つ当たりしているだけになってしまうのである。
「もういいのです。分かりました」
「なんで拗ねるんだよ。一緒に寝てやるって言っただろ」
「1人で寂しく寝るからいいのです。エルンストはフォルトゥーナにでも慰めてもらってください」
「なに、急に、馬鹿なこと言い出してるんだ。っていうか、もう寝るぞ。眠いんじゃないのか? そんなに絡んでくるなんて」
落ち込み始めたアスピスの足を解放すると、そのままアスピスを抱き込んで、エルンストは横になる。
てっきり抵抗されるかと思ったのだが、思いの外、素直に抱かれた状態で、エルンストの胸元へ額を押し付けてくる。そのため、アスピスの顔をエルンストは確認できなかったが、このまま寝てくれたら助かると思い、黙ってアスピスを抱き締め続けた。
しかし、ふとアスピスを見ていたら、肩が小さく揺れているのに気づいたことで、慌ててアスピスの顔を上向かせる。
「なに泣いてんだ? 蹴りが失敗したのがショックだったのか?」
「エルンストを信じた、あたしが馬鹿でした」
「未だ言ってんのか? それなら、洗ったら返してやる。それでいいだろ」
「もういりません」
そう言うと、エルンストから顔を隠し、丸くなってしまったアスピスを、エルンストは少々持て余してしまう。
「ったく。そんな風にお前に泣かれると、どうすればいいか分かんなくなるだろ」
参ったと思い、体を半分起こし、前髪を掻き上げた状態で髪を握り込み、そのまましばらく丸くなってしまったアスピスを見てしまう。けれども、そのまま放置している気にはなれず、エルンストは体を完全に起こすと、無造作にアスピスの腕の付け根に両手を差し込むと、そのまま引き上げるようにして、胡坐をかいた膝の上にアスピスをのせる。
そして両手の位置をずらしていき、アスピスをエルンストの中に収めてしまうよう、抱き込んだ。
「なんで放っておいてくれないの」
「好きな女が声も洩らさず泣いてるのが分かってて、放置できる男がいたら、そっちの方が問題だろ」
「子供が泣くのなんて普通のことでしょ」
「子供だろうと、好きなんだから仕方ないだろ。っていうか、自分のシャツに嫉妬する日が来るなんて、思わなかったぞ」
苦笑交じりにエルンストは告げてくると、アスピスを抱く腕に力を籠める。
「俺より、シャツの方が良いなんて言われてみろ、こっちだってショックなんだからな」
「エルンストは、傷ついてたの?」
「あぁ、そうだな。俺の方が良いって言ってほしかったのは、確かだな」
「エルンストといられる方が良いに決まってるのに?」
「そういうことは、ちゃんと口にしてもらわねぇと。じゃないと、俺にだって分からないことがたくさんあるんだからさ」
アスピスが不思議そうに告げてきた台詞に、エルンストは小さく笑いを零してしまう。
自覚していたよりも、受けた衝撃は大きかったようである。
本で得た知識を基に、発言はませているのだが、教育というものを一切受ける機会のなかった思考は幼く。身体的にも、長年の太陽不足や栄養不足で、成長は遅れているし、華奢とか言うよりガリガリとしか言えない体をしている、13歳になったばかりの子供を相手に、真剣に恋愛する難しさを、改めて実感する。それに並行するように、大切にしたいと思っているのに、我が儘をすべて受け止めてやろうと思っているのに、結局は10歳も年下の少女を泣かせてしまった自分の未熟さも実感していた。
「アスピス、寝るぞ。俺の方が良いんだろ?」
「うん。寝る」
アスピスは素直の頷くと、エルンストの膝の上から、俯いたまま、下りていく。その際、アスピスの顎を捕らえて、キスしようとしたら、珍しく拒まれてしまった。
「今は、キスは禁止です」
「まだ怒ってんのか?」
「泣いた後はブスになるって……」
「本にでも書いてあったのか?」
「うん。書いてあった」
素直に頷くと、もぞもぞと足元へ張っていき、毛布を手に取ると、頭まで毛布にくるまりまるくなってしまった。
「それじゃ、一緒に寝ている意味ないだろ」
「今日はここでいいです。他の部分はエルンストが好きに使ってください」
「俺が良くないんだよ」
「大丈夫です。まもなくレイスが来てくれるので、問題ありません。エルンストは1階へお風呂に入りに行ってください」
「風呂は、朝早く起きて入ることにした。それより、お前と一緒にいたいんだ。ほら、寝るぞ」
毛布にくるまってしまっている上に、体を丸くしてしまっていて、分かりづらい体勢ではあったが、目測でアスピスの体を捕らえると、いつもの場所へ引っ張り上げる。そして、アスピスに添うようにエルンストも横になると、そのままアスピスを抱き込んでしまう。
「そういや、お前から抱きついてきてくれることって、あんまないよな」
「それは、エルンストが大きすぎるからいけないの。手をいっぱいに広げても、収まりきらないエルンストの方に問題があるの」
「そりゃ、レイスの方が細いかもしれないけど。でも、そんなには変わらないぞ。言っとくけど、俺は普通だからな。ルーキスだって同じくらいだし」
「……」
想定していた返事とは、アスピス的に違ったようである。反応に困るよう言葉を詰まらせたまましばらく固まっていたと思ったら、もそもそと動き出す。そして、毛布の中から腕だけ生やした格好で、エルンストに向け腕を伸ばして来ると、抱きついてきた。
「長時間は無理だから、少しだけだからね」
「どうせなら、顔も見せろよ」
「それは無理」
アスピスはきっぱり言ってくると、エルンストの胸元に入り込んでくると、そこで寝る態勢を築き始めてしまう。
そんな中、エルンストに言われて早々にお風呂に入ってきたレイスが、自宅専用の寝着を着て、部屋を訪れてきた。
「なにやってるんですか? アスピスも暑いでしょうに」
「今日は顔をみせられない日なんだと」
「どうせ、エルンストがなにかやったのでしょう。それより、お風呂に入ってくるなら、まだ空いてますから、早く行った方がいいですよ」
「いや、やっぱりアスピスと寝ることにしたから、明日の朝に入ることにした」
「どうせ、そんなことになるんじゃないかと思いましたよ」
肩をすくませ、アスピスと抱き合いながら横になっているエルンストを見つめつつ、レイスはわざとらしく嘆息する。
「エルンストがお風呂に入っている内に、アスピスと寝てしまおう計画は不発で終わってしまいましたね」
「あ? そんなこと考えてたのか? 人の彼女相手に」
「当然でしょう。俺だってアスピスが好きなんですから。隙を伺っていて当然だと思いますけど」
当たり前のことを言ったまでのことだという雰囲気でレイスは告げると、明日は力仕事が待っていることで、早々に布団に潜っていく。
「それでは、俺は寝ますけど。そろそろアスピスも寝かせてやってくださいね。明日の朝、エルンストが起きたら、アスピスも起きることになるのでしょうから」
「もう寝るところだ。お前もさっさと寝ろ」
レイスのお小言に苦笑を洩らしつつ、ちょっぴり乱暴な口調で言い放つと、有言実行するようにアスピスの耳元だろう場所へ、毛布の上から「寝るぞ。おやすみな」と小声で告げると、エルンストはアスピスを抱きしめたまま目を閉じる。けれどもアスピスとしてはそうもいかなかったのだろう、エルンストの身体を抱きしめてくれていた手を引っ込めていくと、寝やすいように位置を正し、体を丸めて寝る態勢を整えていった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




