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第11話(結界強化/やさしい闖入者2)

[十一]


 結局、みんなも手を出すことをしなかった緑色の汁の入ったコップをそのままに、アスピスは椅子から立ち上がる。

「ちょっと、結界を見てくる」

 まだ、きちんとこの家の結界棒を見たことがなかったことを思い出し、明るい内に確認しようと、申し出た。

 そこで、ふと、思いついたことがひとつ。

「そういえば、アネモス。この家の結界だけでなく。この王都に張られている結界は、中や外に関わらず、どれも破いたり食べたりしちゃだめだからね」

「我だって、それくらいのことはわかっておる」

 即座に返されてきた返事は、微妙に動揺しており、本心はどうだったのか怪しいものだと感じさせる。けれども一応の了解を得たことで、あまりくどくど言っては、アネモスの性格を考えると、却って逆効果になるだろう。と、アスピスはそれ以上突っ込むことを止めておいた。

「じゃ、行ってくるね」

 そう3人に告げると、アスピスは庭に直接通じている裏口から、庭へと出ていく。

「えっと、どこにあるのかな」

 周囲を見渡しながら、隠すように刺されているだろう結界棒を探し始める。

「あった、あった」

 一本目は、庭の中心となる先端に。庭の境目にある柵に沿うようにして植えられている低木に隠すよう、地面に刺されているのを発見した。

「赤色か」

 ならばと、周囲を漂う精霊にマナを注いで精霊の色を赤に変え、奮発したのだろう貴石で作られた法陣カプセルへ、赤くなった精霊たちを送り込む。

 それと同時に、周囲に張られた結界が僅かだが強固になったことを感じとった。

(実感は湧かないけど、私のマナって、そんなに特別性なのかな)

 法陣カプセルに、アスピスのマナを注いだ精霊を送り込んだだけで、結界の強度が変わる程度には、特殊らしい。と、変な形で実感できてしまう。

(まぁ、いいか。そんなこと……)

 自分には関係のないことだと、他の結界棒を探し出す。

 次に見つかったのは、先ほどより左側に、やはり低木に隠されるように地面に刺さった、結界棒であった。色は灰色。

 先ほどと同じ要領で、精霊にマナを送り込み灰色に塗り替えると、貴石の法陣カプセルに、灰色となった精霊を送り込む。

 すると、再び結界がほんの少し強固になったのがわかる。

(うーむ。なんていうか)

 自身のマナの効果をちょっぴり複雑に感じながらも、3つ目となる結界棒があるだろうと予測を付け探していた場所から、予測通り結界棒が現れ出て来た。

 2番目に見つかった結界棒とは反対の、最初に見つかった結界棒から右側となる位置に、同じく低木に隠されるよう地面に刺さっていた。

 色は黄色。

 これまた同様に精霊にマナを送り込み、黄色に変えると、それをそのまま法陣カプセルに送り込む。

 同時に、お約束のように、結界が微妙に強度を増していく。

「庭にあるのは、この3つだけかな」

 残る3つは、玄関の方にあるはずだと、隣家との境目に立てられている柵とアスピスたちが住む家の間を歩きながら、玄関の方へ回り出た。

 玄関の両脇には植木スペースが設けられており、中央に大き目な木が植えられその周囲を低木が覆うように植えられている。

(ある意味、分かりやすいっちゃ分かりやすいっていうか。バレバレっていうか)

 アスピスは先ずは左側からいくかと、植木スペースを覗き込むと、中央の大き目な木の根元に結界棒を見つけ出す。

 色は茶色。

 それぞれ色は違うが、発見後にやることは一緒である。

 先ほどまでと同様の方法で茶色に染めた精霊を、法陣カプセルに注ぎ込む。

「次は右っと」

 想像通り、右側も、植木スペースの中央に植えられた大き目の木の根元に結界棒があった。

 色は青。

 これまた同様に、青色に染めた精霊を、法陣カプセルに注いて行く。

 その都度、結界が僅かながらも、強化されていく。

「後は、ラスト」

 最後のひとつはどこにあるのかと、きょろきょろ見回していたら、両側の植木スペースの丁度中央辺りとなる屋根と瓦の間に差し込むように、結界棒が隠されていた。

 色は緑。

 これで最後だと、精霊を緑に染め替え、貴石の法陣カプセルに注ぎ込む。

 瞬間、キーンと耳鳴りがするような感じで、結界が大きく強化された。

「なんていうかさ。複雑ですな」

 結界棒を使用した結界の場合、使用者の式数に関係なく、使用者の精霊使いとしての力量やマナの質で、結界の強さが決まるのだ。だから、個別に強化の手を加えたら使用者の式数も関わってくるが、純粋にこの家の結界が結界棒に由来するものであった場合、結界棒へ精霊を注いだのが六式のフォルトゥーナだろうと、八式のアスピスだろうと、基本は皆一緒。誰がやっても同じ結界が築かれるように作られているのが、結界棒なのである。だから、結界棒へ注ぐ精霊の色を変えるのに使ったマナの影響だけで、精霊術師としてはフォルトゥーナに劣るアスピスが、結界を強化できたことは嬉しいことなのかもしれない。

 なのだが、アスピスとしては、すべてはアスピスのが内包しているマナが、たまたま良質なマナだったということでしかなく。実力とは関係ないことに、微妙な気分になっていた。

「これで六芒星の強化はすんだから、後は条件付けの陣か」

 六芒星を囲むよう描かれた陣に描く文字で、結界に条件付けなどができるのだが、その陣を見ることができるのは、この家の場合精霊使いのみのようである。

 おそらく、軽く見ただけだが、地面に陣が描かれてないことから、フォルトゥーナがマナを使って空に陣を描いて、条件付けをしてくれたのだろうと察しを付ける。

(そうと分かれば、簡単だよね)

 右目に六芒星を持たない者には難しいかもしれないが、右目に六芒星を持つアスピスには、空に視力では見えないマナで描かれた陣を見つけることくらい、造作のないことであった。

「よし、っと」

 思った通りというところか。結界棒を円で結ぶようにして、マナで描かれた陣を発見すると、アスピスは最初の作業として、アスピスの新たな使い魔となったアネモスの出入りを可能とする条件を加える。その後は、フォルトゥーナのマナで描いたと思われる陣を、アスピスのマナでなぞるようにして陣を強化した。

「これで、完成。ってね」

 端から見ればなにをしているのか分からず、不審な行動をしている子供に映るのだろうが、大通りから少しずれた位置にある住宅街ということもあってか人通りは少なく。アスピス自身、変人に見られてもいいやという思いもあったので、気にすることなく作業を終わらせた。

「にしても、フォルトゥーナの編み目って密で綺麗だな」

 結界棒が築き出す結界。それを補強するようにしてその周囲を覆うようにして築かれた、おそらくフォルトゥーナ作であろう結界。

 その出来の緻密さを見ただけで、伝わってくる、フォルトゥーナの結界作りに対する熟練度。精霊使いとしての熟練度と言い換えてもいい。

 きっといっぱい練習したのだろうということが、考えるまでもなく伝わってくる。

「あたしも負けていられないよね」

 練習頑張らないと。と、少しばかり結界の強化に協力しておく。

 フォルトゥーナに比べたら荒く穴が見える編み目であったが、マナのおかげで、更なる強化ができたようであった。

「今日のところ、これでよしってね」

 結界棒の位置の確認と、法陣カプセルへのマナの補充完了。と、満足げに玄関から中へとアスピスは入って行く。

 すると、1階に残っていたのはレイスだけであった。

 テーブルの上には、アスピスが手を付けずにいた、緑色をした液体が入ったカップがそのまま置かれている。

「待ってましたよ。確認の方、ありがとうございました。今日は本当に疲れたでしょう。どうぞこれで、疲れをいやしてください」

 にっこりと微笑みながら告げられてきたレイスの台詞は、強制というか、脅迫に近かった。

 すでに不在の2人が、レイスの準備した緑の汁を飲んだかどうかは分からないが、アスピス限定で言うのならば、飲まないわけにはいかないという状況へ追い込まれてしまう。

 そのことで、思わず冷や汗をかいていると、レイスがおかしそうに笑い始めた。

「複数の薬草やハーブを混ぜて作ったジュースですよ。レシピはフォルトゥーナから教わりました。といっても、フォルトゥーナは師匠のビオレータ様に教わったそうなので、正確にはビオレータ様が編み出したジュースとなるのでしょうが」

「そうなんだ」

「体力の回復を助けてくれるそうですよ」

 蓋を開けてみれば、別に恐怖するものではなかったのだと、レイスの説明を聞きながら、レイスに対して失礼なことをしてしまったと、アスピスは反省する。そして、気持ちを改めるようにして、「いただきます」とコップを手に取り緑色のジュースを口に含んだ。

「ブハッ! つか、にが」

 ビオレータの名前につられたのが失敗だった。

(そうだよ。ビオレータ様の考え出す健康食品って、基本まずいものばっかだった……)

 今更ながらにそのことを思い出し、思わず悔し涙を飲む心境に陥っていく。

 騙された訳ではないのだが、気持ちとしては、それに近い感じである。

「吐き出すほどには、苦くないと思うのですが」

「それ、味覚が鈍くなっているだけだから。っていうか、ビオレータ様作成ってところに騙されているだけだから!」

 目を覚まして。と、願うようにして、アスピスはレイスに力強く念押ししてみせた。



 とんでもないものを飲まされるところだったと思いながら、自室に入ると、誰が用意してくれたのか、部屋の中央に毛足の長い絨毯が敷かれていて、その上に置かれた大き目のクッションに埋もれるようにして、アネモスが気持ちよさそうに横になっていた。

 大型犬をはるかに超える大きさだが、本来のサイズよりもかなり小さくなっていることで、見た感じ犬を飼っているような錯覚に陥る。

「これ見て、SSランクの聖狼だなんて思う人、いないだろうな」

 ぼそりと呟いたアスピスの台詞にも、気づくことなく。それとも、面倒くさくて無視しているのか、アネモスは気持ちよさげに眠ったままである。

「まぁ、いっか」

 馬車に乗って移動してきたアスピスでさえ、初の冒険ということもあるのだろうが、疲れを感じているのだ。アスピスを背に乗せ森を移動した上に、村から王都までの間ずっと自力で走りっぱなしのアネモスは、もっと疲れているはずである。

 好きなだけくつろがせてあげよう。と、アスピスはなるべく音を立てないように気を付けながら、ベッドまで移動し、その上に乗ると、体を横にした。

「はぁ~。やっと帰って来たって感じ」

 奴隷商人に捕らわれ。盗賊団に監禁され。出不精のビオレータの世話になり。時間を止められ眠りについていた。という経歴のアスピスとしては、冒険などとは縁遠い生活をこれまで送って来たのだが。それでも、日数にすれば、冒険としては、全然大したことのない。冒険と呼んでいいものかといった時間でしかなかったのだということは、分かっているつもりだ。

 それでも、疲れたという事実に変わりはない。

 そして、横になったことで気が緩み、疲労感が身体を覆いはじめたことで、アスピスは知らず瞳を閉じていた。

 ともすれば、眠ってしまっていたのかもしれない。自覚はしていなかったのだが。

 だとしても、それはとても浅いもので、誰かが室内に入ってくる気配を察し、アスピスは重くなっていた瞼をそれでもなんとか開けていく。

「んー……、誰?」

「悪い。寝ていたのか」

「ううん。べつにそういうわけじゃないけど」

 声音から、闖入者がエルンストだと察し、アスピスはベッドの上で身を起こす。それを機に、入室を迷い扉のとこで立ち止まっていたエルンストが、アスピスの傍へ寄ってきた。

「それで、急にどうしたの? 結界棒の確認なら、ちゃんと済ませたよ」

「いや。そういうことじゃなくて」

 この家の結界棒の管理はアスピスが責任者だと言われ。前々から結界棒の位置の確認とマナの注入をするよう頼まれていたのだが、今日まで伸びてしまっていたことに、反省の色を濃くするよう謝罪の気持ちを織り入れてエルンストに告げたのだが、あっさり否定されてしまった。

「そうじゃなくて。その、先日は力まかせに叩いてちまったから。すまなかったなと思ってよ」

 体裁悪げに後頭部を搔きながら、申し訳なさそうに謝罪してきたエルンストへ、アスピスはそういえばそんなこともあったなと思い出す。

 記憶に薄いのは、叩かれた当日こそ痛かったし赤くなってしまったが、レイスが冷やしてくれた効果もあるのかもしれないけれど、翌日には痛みも赤みも消えていて跡が残るようなことはなかったからである。

 仮に、エルンストが本気で殴っていたら、そうはいかなかっただろう。

 それを思うと――。

「ちゃんと手加減してくれてたでしょ。それに、あたしも悪かったし」

「いや。『も』じゃねーだろ。あれは、アスピスが悪かったんだろ」

 そこだけは訂正させろ! と言いたげに、エルンストは速攻で言い返す形で主張する。

 叩いたことは悪かったと思っているが、その原因は100%アスピスにあると考えているし、その考えを改める気はないようであった。

 だというならば――。

(なにしに来たんだろう? 謝る意味って、ないんじゃないのかな?)

 叩いたことを詫びたかったのだろうし、反省もしているようだが。かといって、その理由に対しては譲歩する気がないというエルンストが、わざわざこの部屋へ訪問してきた理由が分からず、アスピスは心の中で首を傾がせる。

「つまり、エルンストは間違ったことはしていないって。そう思っているんでしょ?」

「怒ったことに対しては、そうだが。女を殴るような真似をしたのは、理由はどうであれ、ちゃんと間違っていたと思ってるぞ」

 エルンストはアスピスを気遣ってか、『女を』と表現したが、実際は『子供を』と思っているのではないだろうか。

 そんな嫌味なことを頭に思い浮かべながら、アスピスは不意に自嘲するよう小さな笑みをもらした。

(あたしってば、ひねくれた受け止め方をするようになってきちゃったなぁ)

 ちょっと、その辺のところを反省しなければと考えていたら、それをエルンストはどう受け止めたのか、意表外に右腕を伸ばしてきて、自身が叩いたアスピスの左の頬へ手のひらを添えてきた。

「加減を考えている余裕がなくて……。痛かっただろ」

「まぁ、それなりには。でも、ちゃんと加減してくれてたよ」

 気兼ねして、言っているのか。それとも、本当に相手が女。もしくは、子供だからだと本能で反射的に手加減してしまっただけだったのか、エルンストの発言からは、本当のところは分からない。ただ、アスピスにできることは、何度でも事実をそのままエルンストへ伝えることだけだった。

「それに、あたしが悪かったからなんでしょ」

 だから、怒りの衝動を抑えきれないくらいに。我を忘れるくらいに。

 だとしたら、避けようのない事態で、仕方のなかったことなのだと、アスピスは思ってしまう。

 そもそも、奴隷商人の元にいたときなど、それこそ女子供関係なく、腹いせや気晴らしに、手あたり次第という感じで相手かまわず殴ったり蹴ったりされていたのだ。アスピスも、数えてなんていられないくらい、殴られたり蹴られたりしてきたのである。さすがに、盗賊団に捕らわれていたときは、貴重なマナタンクとして死なれては困るという事情もあって、殴られたり蹴られたりする回数は、奴隷商人のところに居たときに比べたら、激減したけれど。それでも無ではなかった。

 それを思うと、今さら女だから、子供だからという理由で、殴ってはいけないと言われても実感が伴わないし。奴隷商人たちや盗賊団の元で受けていた仕打ちなどを省みる限り、エルンストに叩かれた痛みなんて、十分加減されていたのだし、蚊に刺されたようなものである。

「そんな気にしなくていいよ。そう簡単に壊れたりしないし」

 ガリガリの体ではあるが、こう見えて、存外丈夫にできているのだと、安心させるようにエルンストに笑いかける。

 それが却って健気に見えてしまったのかもしれない。

 エルンストは、感慨深げにアスピスを見返してきたかと思ったら、左の腕も伸ばしてきて、アスピスのことを抱きすくめてしまった。

「お前、俺が結婚を申し込んでいること、すっかり忘れてるだろ」

「え?」

 虚を衝く台詞が投げかけられてきたことで、アスピスは焦るように声を洩らしてしまう。

 しかも、ご指摘ごもっともです。としか返せない現状、誤魔化すしかないと、アスピスは思考を巡らせる。

「そんなこと、ないよ」

 嘘だけど。まさか本当のことを打ち明ける訳にもいかず、空惚けた。

 けれども、アスピスの内なる動揺が伝わってしまったのか、すぐに出まかせだとエルンストにばれてしまう。

「ったく。アスピスがどう受け止めているのか知らねぇけどな。俺は本気で申し込んでるんだからな」

 両の手でアスピスを抱きすくめたまま、エルンストは舌打ち交じりに訴える。

 けれども、アスピスとしても思うところがあり。気まぐれなどではないことを伝えてくるエルンストへ。アスピスは本音をぶつけてみる。

「だってさぁ、盗賊団で女の人にしていたようなことを、あたし相手にする気になる?」

「えっ? あっ。いや、それは……」

 アスピスがなにを指しているのか、一瞬分からず。けれどもすぐに理解したようで、反射的に表情を変えると、エルンストは困ったように呟いた。

(ったく。しょーがないなぁ)

 正直者すぎると、エルンストのみせた反応から、アスピスは笑いをこらえる心境で思ってしまう。

「でしょ」

「いや。だから、そういうのはアスピスが成人してからってことで。結婚も、成人するまで待つって言っておいただろ」

「うん、そうなんだけどね」

 焦りをにじませ始めたエルンストは、知らず内に腕の力を抜いてしまっていた。そのことに気づいたアスピスは、エルンストの胸を押すようにして、2人の間に距離を作り出す。

 同時に、自然と視線が交じり合った。

「あたしね、目を覚ましてから結婚を申し込んでくれた3人の中で。ううん。眠りにつく前に出会った男の人すべての中で、エルンストが一番好きだよ」

「なら」

 問題はないだろう。と、エルンストが言葉を続けようとしたのを、アスピスはその上から言葉を覆いかぶせるようにして、話を続ける。

「でも、それは、今のエルンストじゃないの」

「――ッ」

 きっぱりと言い放たれたアスピスの台詞に、エルンストは息を飲み込む。

「あたしが好きになったエルンストは、盗賊団の中にいて、ひとり浮いているような。全然なかった訳じゃないけど、女の人を襲うより、アジトの周囲にある森の中を駆け巡ることの方が好きな。あたしに世界が光り輝いていることを教えてくれたエルンストのことが好きなの」

「それだって、俺だぞ」

「だね。でも、子供のころのエルンストだよね」

「そうだけど。俺は俺だ」

 年は違っても、同じ人間であると。エルンスト本人に変わりはないと訴えてくるエルンストのことを、アスピスは少し悲しそうに見つめてしまう。

「あたしの知っている。みんなは10年前って言う。あたしと同じ年頃だったエルンストは、少なくとも、あたしのことを好きじゃなかったはずだよ」

「それは。だから……」

 あの頃は仕方なかったのだと。なにも分かっていなかったのだと言い訳をしようとするエルンストに、アスピスは小さく自嘲する。

「それでもね。仮に、あたしを抱かなくちゃならない状況に陥ったら、躊躇いなく抱いたと思うよ」

 それも凌辱する形で。

 12歳のころのエルンストにとってのアスピスという存在は、アスピスが知っている限り、その程度の存在でしかなかった。

 使い魔であることは、死なない保証が付いた程度のことで、主人を重んじるようことはしていなかった。そもそも、主人と使い魔のあるべき関係性をきちんと学ぶような機会もない中で、使い魔にとっての主人はマナタンクに過ぎないと教えられていたのだろうから、それで当然だろう。

 そもそも。以前、エルンスト自身の口で、そのようなことを言っていたはずである。

「だから、ね。カロエやレイスに関しては、どんな形の好きなのかは、正直よくわからないけど」

 2人と共に過ごした時間は、刻を止められる前のアスピスにとって、ビオレータの元で穏やかに過ごせた唯一のときだったから。主人と使い魔の関係性も、ビオレータからきちんと教えられ、使い魔のあるべき姿を了承していたした上で、アスピスのことを好きでいてくれたし。自ら望んで契約を交わしていたことで、特にカロエの抱く心意気は、命に代えても守ってみせるといったものだった。

 そのため、10年前からの延長上に想いがあるのだろうと考えると、現在の言動も頷けるところが、アスピスにはあった。

「姿形は違ってしまったけれど、だから惑うことも多いけど、あたしの知っているレイスやカロエにとても近いの」

「……」

「でも、エルンストは違うよね。エルンストは、この前、10年前の、時を止められていたあたしを好きになってくれたって言ってたけど。それって、あたしが眠っている間に、あたしの知らない人になっちゃたってことだもん」

 好きだ。守りたい。なんてことを、少なくともアスピスを相手に言ってくれるような人ではなかったことは、エルンストが一番よく知っているはずである。

「あたしの好きだったエルンストは、もう消えちゃったの」

 そう告げると、自分で言葉にしたことが妙に実感できてしまい、アスピスは右の目から涙を一筋零し落とす。

「すまなかったと、思ってる。本当のお前のことも、使い魔としての役割も知るのが遅すぎたのは自覚している」

「なら、さ」

 もう。馬鹿なことを言ったりしないで。と、告げようとしたアスピスの唇を、エルンストは己の唇を押し付けることで打ち消してしまう。

「ちょっ!」

 人の言葉をキスで奪い取るなんて技を仕掛けられてくるとは思わず、油断していたことに、アスピスは焦り狼狽えるよう、非難の色を濃くした声を洩らす。それをエルンストは、難なく受け流してしまったようである。

 つまり、アスピスの苦情は無視され。その上更に追い打ちをかけるよう、エルンストは自分の言い分を紡ぎ始めた。

「レイスやカロエに後れをとってしまっている、ってのは良く分かった」

 言い訳になるのは承知で、思ってしまうのは、それも仕方のないことだったということ。なんといっても、契約を交わしたときと、契約を解除されたときの、二度しか会っていないのだから、エルンストには、真のアスピスを知りようがなかったのである。

 使い魔としての在り方。主人であるアスピスという少女のこと。それらのことをエルンストが詳しく知ったのは、アスピスが時を止められ深く長い眠りについた後のことだった。

 だからこそ――。

「変わってしまったことは認める。だが、好きだというのは、嘘じゃない。守りたいというのも本当だ。だから、お前に今の俺を知ってもらう時間を、これからくれないか」

 驚くアスピスをそのままに、そっと外した唇の隙間から、エルンストは慎重に言葉を重ねるようにして、アスピスに願い出た。

誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。

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