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CLOWNS  作者: 夏宮涼
4/6

存在なき者

 月明かりに照らされる、横に長い三階建ての建物。ヴァルゴと名乗った女の子に連れてこられたのは、住宅街から少し外れた、こじんまりとした花屋の向かい。

 ブラインドが下ろされているから中の様子を窺うことはできないけど、電気は点いていなさそうだ。こんな時間だし、当然といえば当然かもしれない。


「……貴女の家って、もしかしてここ?」


「ああ。仕事場兼家って感じ。俺以外のヤツもみんなここに住んでる」


「えっ、ここに?みんな?す、住めるの?」


 三階まであるとは言っても、アパートとは違ってよくある事務所みたいな建物だ。

 ヴァルゴが何でも屋のような、色々な依頼をこなす仕事をしているという話は道中で聞いていたし、寮みたいに仕事仲間と一緒に生活しているというのも分かっていた。

 でも、生活と仕事を両立するには狭すぎないだろうか。外観からだと、あっても一つの階に三、四部屋くらいに見える。


 あれ?意外といけるのかな?


「俺は相部屋だけど、今のところ特に不自由はしてないな。……食事以外は」


 ヴァルゴは肩をすくめてそれだけ言うと、事務所の入り口へ足を向けた。玄関は、両開きのガラス戸で、横の壁には“CLOWNS”と彫られたシルバーのシンプルなプレートが掲げられている。


 こんな時間でも鍵は掛けられていなかったようで、ヴァルゴが押せば音もなくすんなり開いた。


 中はシンと静まりかえっていて薄暗い。玄関から入る月明かりだけが光源で、奥へと伸びる廊下は少し不気味だ。


「暗いから、足元には気を付けろよ」


「う、うん……」


 ヴァルゴの背中を見失わないように、すぐ後ろをついていく。


 ヴァルゴやあのバケモノ、そして私の体質のことを話すうえで、ここの方が都合が良いのだとヴァルゴは言っていた。確かにあのまま橋の上で長々と話していたら本当に補導されかねない。

 せっかく自殺以外の選択肢を見つけられそうなのに、警察に家まで連れ戻されてしまったら全て台無しだ。



 ケータイの電源は舞のお見舞いに行く前に切ったままだから、もしかしたらお母さん達から連絡が入っているかもしれない。でも、もしそれがなかったら……そう考えると怖くて電源を入れる気になれなかった。

 両親とも、目を覚ました舞とはもう会っているはずだし、やっぱり帰れない。私が原因であの子を追い詰めてしまったのだから、舞だけじゃなくてお母さんやお父さんも私を拒絶するかもしれない。


「……美桜、ちゃんと足元見てないと転けるぞ」


「えっ、あ、うん。ありがとう」


 廊下を進んで突き当たり、正面には診療所の受付みたいな小さなカウンターがある。右手には階段。

 踊り場の壁には明かり取りがあり、高い位置から射し込む月光が照明代わりとなっていた。雲もなく明るいから、電気の点いていない屋内でもここなら足元までちゃんと見える。


 舞のことを考えてぼうっとしていた私に声をかけ、ヴァルゴは慣れた様子で階段を登っていった。自然な仕草で足音を立てずに進む彼女に倣って、そろりそろりと一段ずつ静かに上がっていく。

 階段を昇る時、ちらりと見えた一階のドアの曇りガラスには、「相談室1」とあった。



 ここで働いているのは所長さんと十三人の職員さんの計十四人で、猫を一匹飼っていると聞いている。普段は一階と二階で仕事をしているそうだけど、今もぎこちなく踏み出される私の足音が響いているだけで、シンと静まり返ったこの場所に生活感はない。やっぱり、この事務所の裏手に職員用の宿舎でもあるんだろうか。



 二階をそのまま通りすぎ、真っ直ぐ三階へ。前を行く彼女の話だと、所長室が三階にあるらしい。


「こんな時間だけど、所長さんは部屋に居るのかな?もう寮に帰ってらっしゃるんじゃ……」


「ん?あぁ、あの人は俺達が任務から戻るまでは必ず所長室にいるよ。これから説明するけど、さっきみたいな討伐任務は特に報告が義務づけられてるからな」


 ……討伐任務。


 ヴァルゴも、他の職員さん達も、ペット探しや荷物運びみたいな一般的な依頼以外に、命懸けの危険な任務も請け負っているらしい。

 ここの人達が何者で、あのバケモノは何なのか。ヴァルゴからは、着いてから説明したいと言われているから、まだ詳しくは何も分かっていない。


 階段を上って右手の突き当たりに、他と違って曇りガラスのないドアが見えた。迷いなくそのドアに近づいていって、ヴァルゴが控えめにノックする。



「どうぞ」


「失礼します」


 中から聞こえたのは落ち着いた男性の声。応える様にドアを開けて一歩中に入ると、中の人から私が見えるようにヴァルゴは身をドアへ寄せた。


「おや、随分と若いお客さんですね。どうぞ、中へお入り下さい」


「は、はい」


 恐る恐る中へ入ると、ヴァルゴも続き、私の背後でドアを閉めた。

 部屋の中にはドラマや映画でしか見たことのない大きなデスクが置いてあって、他には左手の壁に沿って鍵の掛けられる引き戸棚が二つ並んでいるだけだ。それほど広いというわけでもないのに、なんだかすっきりし過ぎていて妙に居心地が悪い。


 デスクの向こう、大きな椅子に腰掛けていたスーツ姿の男性が立ち上がって、笑顔で手を差し出してきた。


「こんばんは。私はここの責任者の天川です」


「ぁ、さ、茶倉美桜です」


 慌ててその大きな手をとる。ヴァルゴとは違う、しっかりとした男性の手だ。


 それにしても、意外だった。所長と聞いていたからてっきり初老どころか五十も越えたおじさんを想像していたのに、まさかこんなに若い人が指揮しているなんて。見た目は三十代前半くらいで私のお父さんよりもずっと若い。


 そのうえ、ヴァルゴにひけを取らないくらい綺麗な人だ。羨ましいくらいに色白なところとか黒くて艶のある長い髪とかはヴァルゴとそっくりで。だけど、彼女と違って所長さんの瞳は薄紫色だ。


「立ち話もなんですから、どうぞそちらへお座り下さい」


「はい。ありがとうございます……」


 物腰は柔らかくて、イメージしていた所長像とは違い威圧的な雰囲気や近寄り難さはない。なんというか、所長というより紳士という言葉の方がしっくりくる人だ。


 それでも家族以外の人と話すのは慣れていないから、大人相手だといつも以上に緊張する。優しそうな人だけど、学校の先生とは違うのだから、失礼のないようにしないといけない。

 なんだか、プレッシャーで口の中が乾いてきた。


「では、ヴァルゴ。このお嬢さんを連れてきた経緯と任務の報告を」


「はい」


 私がソファに腰を下ろしたのに合わせて所長さんも椅子に座り直した。私の側で待機していたヴァルゴが、所長さんとデスクを挟んで向かい合う。


「今回の標的はおおよそピシーズの連絡通りでした。標的との接触地点も出現場所から大して離れておらず、付近の建物や住人に被害は出ていません。ただ、討伐の帰りに――」


 任務の報告は、やっぱりあのバケモノのことだった。時間、場所、対象の特徴、被害の規模などなど。驚いたのは、ヴァルゴの任務があの鼠型のバケモノの討伐ではなかったこと。話を聞いている限りだと、ヴァルゴが私のもとに現れたのは本来の討伐任務を終えた後だったらしい。つまり、あの時彼女が私を見つけてくれていなければ間に合わなかったかもしれない、ということだ。

 たまに聞き慣れない言葉が行き交っていたけれど、口は挟まず黙って二人のやり取りを聞いていた。何かが違えばあそこで自分は死んでいた……その事実に、再び背筋が寒くなった。


「……分かりました。初の単独任務でしたが無事に帰って来られたようで何よりです」


「ちょっとは俺の実力認めてくれた?」


「おや?私はとうに貴方の実力を認めていますよ。何と言っても、彼からの御墨付きですからね。当然、これからの活躍も期待していますよ」


 報告が終わって急に砕けた口調に戻ったヴァルゴに、所長さんも娘を見るような穏やかな眼差しで応えている。そんな二人を見ていたら、頭を撫でて慰めてくれたお父さんの優しい顔が不意に蘇って、こんな時なのになんだか泣きたくなった。


「では、次に茶倉さんが深夜に青龍橋にいた理由をお聞きしてもよろしいですか?」


 ヴァルゴに向けられていた視線が唐突にこちらへと投げられた。授業中に指名された時みたいに、反射的に返事をして立ち上がってしまったけれど、いったいどこから話せば良いのか。


 ヴァルゴは報告の途中、私についての詳しい話は本人にさせると言っていた。だからその問いかけがくるのは分かっていたのだけれど、ヴァルゴとは違って相手は所長さんだ。橋の上での様に泣き喚くわけにはいかない。


「……っ、ぁ」


 ジワリ、と握り締めた手のひらに汗が滲んできた。口の中は乾きっぱなしで、今更激しくなった脈が煩い。


 「貴女の言葉で説明して欲しい」そう言う所長さんの口調は変わらず穏やかだ。でも、いざ他人に話すとなるとどうしようもなく緊張してしまう。


 今までは、無言のうちに察するか、人伝で聞いて知るかで、私の他不幸体質は認識されてきた。だから、口にしてしまったら、言葉にしてしまったら、もう逃げ場がない気がして……さっきヴァルゴに打ち明けたばかりだというのに怖くなる。

 

 どこか一線を引いて、“そういう子”だから、と最低限の言葉しか交わさない先生たち。“何か問題がある”らしい、と噂する近所のおばさんたち。

 状況や立場は違うけど、目の前の所長さんにまで奇異な目で見られたら……。


 不意に、身体が揺れた。


「そんなこの世の終わりみたいな顔すんなって」


 いつの間にか傍に立っていたヴァルゴが笑った。どうやら緊張でガチガチになっていた私の背を叩いたらしい。


 どこか呆れた笑みを浮かべながら、彼女は私の肩に、チョップしてきた。


「痛っ、ちょ、えぇ?!」


「お前さ、色々悩みすぎ」


 突然の彼女の行動に思わず変な声が出た。肩に手を当てたまま目を丸くする私にヴァルゴはやれやれと首を振る。


「さっき橋の上で言ったろ、幸せにしてやるって。そのためにここに連れて来たんだから、お前の身の上話の一つや二つ聞かされたくらいでここの人間が敵に回るわけねーだろ?」


「そ、それは……」


「余計な心配すんな。今はとにかく言いたいこと全部言っちまえ。その後どうするかを考えるためにここまで来たんだ。お前が黙ってたらいつまで経っても話が進まない。ってことは、いつまで経ってもお前の世界だって変わらない」


 ――このままは嫌なんだろ?


 ヴァルゴは小首を傾げてこちらを見つめる。


 そうだ。このままじゃいけない。私が変わらなきゃ、舞もお母さん達も救えない。今までもらったものを今度は私が返せるようにならなければ。


「所長さん」


「はい」


「私は、周りの人を危険にさらす、変わった体質なんです」


 ヴァルゴの後押しを受けて深呼吸一つ。私は覚悟を決めて、所長に全てを打ち明けた。




「他不幸体質、ですか」


 所長さんは一言、そう呟いて顎に手を当てた。私がつっかえながらも説明している間、相槌を打ちながらも話を遮ることはせず聞き手に徹していた所長さん。

 ただの家出っていうわけじゃないし、対応に困っているのだろうか。それとも、こんな突飛な話は信じられないとでも言うだろうか。


 目を伏せて考え込む所長さんを見ながら、そっと拳を握り締める。これからどうするか、それは所長さんの判断次第。


「……茶倉さんは」


「は、い」


「変わりたいですか?」


 所長さんの薄紫の瞳が私を捉える。静かに投げ掛けられたその問いに、ハッとした。これからどうするか、それは所長さんの判断に委ねられているわけじゃない。私次第なんだ。


「変えたいです」


 真っ直ぐに見つめ返す。怯えているだけでは駄目だ。私から変わらなきゃ、周りを変えられない。

 私がそう答えると、所長さんは真剣な表情をふっと和らげた。


「分かりました。それが貴女の意志であるというのであれば、我々も貴女の体質改善に協力させていただきましょう」


「し、信じて下さるんですか!?」


「もちろん。だって事実なのでしょう?」


「それは、そうですけど。でも、あのっ」


 なんと言えば良いのか。


 嬉しい。


 信じてもらえたことはもちろん。子供の被害妄想だとあしらわれたらそれまでだったのだから。


 でも、それ以上に。否定されなかったことが。受け入れてもらえたことが、嬉しくて。


「……ありがとう、ございます」


 泣きそうになって頭を下げた。もう独りじゃないと、頼ってもいいと、そう思っても良いのだろうか。

 視界を占める床がぼやけてきて、唇を噛む。嬉しくて泣きたくなるなんて初めてだ。


「お礼を言うにはまだ早いですよ。貴女自身が変われたと、そう思えた時に改めて聞きましょう」


「そん時は、ちゃんと笑って言えよー」


 クスクスとヴァルゴに笑われて、急いで目元を拭う。顔を下げていても、彼女にはバレていたみたいだ。少し気恥ずかしくて頬をかいて誤魔化すけれど、嬉しさについ口元が緩んでしまう。


「さて」


 私の話で少し重くなっていた空気が和らいだ頃、所長さんが小さく手を叩いて話題を変えた。

 ヴァルゴと同じタイミングでそんな所長さんの方を見る。にこにこと微笑む所長さんが見ているのは私で。今度は何かと軽く首を傾げる。

 すると、彼は無言の私に頷いて、側のソファーに腰掛けるよう促した。


「茶倉さんから事情はお聞きできましたので、次はこちらの番ですね。茶倉さんが聞きたいことがあればどうぞご質問下さい。可能な範囲で答えましょう」


 所長さんにそう言われ、改めて考える。聞きたいことは多い。気持ちを切り替えるためにも、最初に頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。


 あのバケモノは何だったのか、と。


「ヴァルゴが所長さんに報告していた内容からすると、あのバケモノって一体だけというわけじゃないんですよね?」


「その通りです。……そうですね、茶倉さんも無関係というわけではないですし一から順を追って説明しましょう。少し回り道にはなりますが、答えは必ず差し上げます。ただ、分からない点がありましたらその都度聞いて下さい」


 私の問いに頷いて、所長さんはスッと人差し指を立てた。


「まず、生物には皆“魂”というものが存在します。その魂は、生物が死した後に器である肉体を離れ、隠世かくりよにいきます」


 かくりよ?と首を捻る私に、所長さんは、俗に言うあの世のことだと教えてくれた。

 理解して頷くと同時、所長さんが口を開くより先に、隣からキュッキュと奇妙な音がした。説明を再開しようとしていた所長さんの視線を追って、私も横を振り返る。

 隣に腰を下ろしていたヴァルゴの手にはいつ何処から出したのやらスケッチブックと油性ペン。さっきの音は、ヴァルゴが何かをそこに書いた時の摩擦音だろうか。

 私の視線に気づいたヴァルゴが、無言でこちらに見えるようにスケッチブックを胸に掲げた。


 ……熊だ。


 スケッチブックの真ん中には二足歩行を可能としたスタイルの熊らしき生き物が仁王立ちしている。おまけに、胸の位置には丸と中に“た”の文字。もしかして、その丸“た”は魂を表しているのだろうか。絵を掲げるヴァルゴの表情はどこか誇らしげで、どうつっこんで良いのか分からない。


「………………」


 仕方なく、無言で所長さんに視線を戻す。同じく彼女を見ていた所長さんは、呆れた顔で一旦口を開き……何かを諦めたかのように小さく溜め息を溢した。ヴァルゴ、とたしなめようとしたのだろう、きっと。けれど、所長さんはスケッチブックにも熊にも触れることなく先を続けた。


「魂は肉体と陰世を往き来していて、俗に言う“輪廻転生”のようなものを実際に繰り返しているのです」


 なるほど、と思いながらも集中を乱すペンの音は絶えない。チラリと様子を窺えば、平仮名で記された“かくりよ”の文字と熊との間に、行き来を表す矢印が増えていた。

 彼女の絵も、何故か自慢気な顔も、個人的にはかなり気になるけれど、なんとか所長さんの説明に意識を戻す。



「また、魂は一つの例外もなく“霊力”と呼ばれる、文字通り霊的な力を持っています。ただ、この霊力は個体により強さが異なり、ほとんどの魂は微弱な力しか有していません」


 霊的な力、と一言で言われてもいまいちピンとこない。超能力とか第六感とかそういうものなのか、それとも……。


 ――キュ、キュキュッ


 素早く何かを描いているらしい。細かくペンが動いているのが、音からよく分かる。スケッチブックを見れば、案の定何やら追加されている。魂を表しているであろう丸から線が伸び“れーりょく”と矢印で示されている。


 ごめんねヴァルゴ。


 全く分からない。


 そんなヴァルゴの絵にやっぱり何にも触れずに、真面目な表情で所長さんは話し続ける。

 なんだろう、これがココでは普通なのだろうか。


「その霊力を欲して魂を狙うのが、茶倉さんを襲った件のバケモノです。我々はそのバケモノを“悪霊”と呼んでいます」


「悪霊って、よく聞く、強い未練や怨みがあってこの世に留まって人を呪う~っていう、怖いオバケのことですか?」


 スッと小さく手を挙げて聞いてみる。聞き覚えのある単語でも、所長さんの話を聞いている限り、どうも私の認識と意味合いがズレている気がする。

 恥を捨てて素直に聞いてみれば案の定所長さんは首を横に振った。


「茶倉さんがおっしゃった“怖いオバケ”というのは“怨霊”のことですね。魂が死した際に、この世に強い想いが残っていた場合に、周囲から負の感情を引き寄せて形を持ってしまう場合があります」


「じゃあ、悪霊の方は……?」


「悪霊は、魂を核としない負の感情の塊、とでも言えばいいのでしょうか。本来、感情そのものに実体はないのですが、負の感情が集まり個として形を成すことがあるのです」


 所長さんは学校の先生のような口調で、理解力不足に口元を歪める私に丁寧に説明してくれる。


「怨霊は核となる魂があるのでその存在は安定しています。そこに負の感情が付随していくとその存在がより強力になっていきます。一方、悪霊の場合はただの感情の集合体でしかないため、その存在は非常に不安定で脆い。そこで、悪霊は己の存在を保つために、魂に宿る霊力を狙うのです。生物が生きるために他の生物を捕食するのと似たようなものですね」


「力をつければ、更に多くの負の感情を集められるようになるからってことですか?」


 ない頭で解釈しながら口を挟めば、所長さんは目を細めて頷いた。


「その通りです。悪霊に知性はあっても理性はありません。故に、己の存在を維持しようとする本能には従順で、負の感情や霊力を求めて生物を襲います」


 確かに、私を襲ったあの悪霊も、理性を感じない獣みたいな動きだった気がする。


「つまり、私は人より負の感情を抱いていたから悪霊に狙われたんですか?」


「それも間違ってはいません。ですが、悪霊が貴女を狙った一番の理由は、貴女の魂に宿る霊力です」


 そう答えた所長さんの目が少し鋭くなる。私の霊力目的だと、何か不味いことでもあるのか。


「霊力はどの生き物も持っているものなんですよね?」


「はい。ですが先ほどお話ししたように、霊力の強さには個体差があります。単刀直入に言いますと、佐倉さんの霊力は平均を大きく上回っているのです」


 所長さんはそう言うけれど、霊力なんて今まで気にしたことはなかったし正直なところ実感はない。霊力が強いことに特別な意味でもあるのかも知れないけど、当然役に立った覚えもない。


「その力の差は、二倍や三倍といった比ではありません。大袈裟で幼稚な表現に聞こえるかもしれませんが、一般的な魂が百集まって得られる力と同等か、それ以上だと考えて下さい」


「ひゃ、百!?」


 所長さんに告げられた事実に、目を見開く。素っ頓狂な声が出たが、それも仕方ないことだと思う。普通の百倍だなんて、そんなことがあり得るのだろうか。


「悪霊ってのは、基本的に生物には知覚できないもんなんだよ」


 驚く私に、今度はヴァルゴが口を開いた。彼女の手にはスケッチブック。相も変わらず混乱を招くイラストが書きなぐられたソレをできるだけ見ないようにしながら、視線を隣の彼女へ移す。


「ただ霊力がある程度強い奴は、気配を感じたり、声が聞けたり、姿を視認したりできる。ほら、よく言うだろ?霊感がある~とか、霊感が強い~とか」


 霊力が強いってのは要はそんな感じ。


 そう無理矢理まとめられてしまったが、なんとなくイメージはできた。少なくとも、生き物らしきぐにゃぐにゃとしたイラストよりは断然分かり易い。

 “×100=”って何。イコールの隣の棒人間は私か。


「…………」


 とにもかくにも、私があんなにはっきりと悪霊の姿を知覚できたのは、霊力の強さが原因だったということらしい。

 そこまで理解して、ふと気づく。隣にいるヴァルゴを見て、それから所長さんに視線を持っていった。


「ヴァルゴは悪霊と戦っていましたし、所長さんも悪霊を認識できるようですが、お二人の霊力ってどれくらいなんですか?」


 私の問いに、所長さんは優しく笑うと緩く首を横に振った。長い髪がさらさらと揺れる。


「詳しくは定かではありませんが、生前の霊力は恐らく貴女と同じくらいだったと思います」


「え……せい、ぜん?」


 一瞬言葉の意味が理解できず固まる私に、ヴァルゴが場違いな程明るい口調で明快な答えをくれた。


「あ、言ってなかったけど、俺達は死者。肉体を失った“魂だけの存在”ってやつだ」


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