外村の乱入
打ち上げ騒動から一週間経った日の昼下がり、曇り空の下でpmp一行は事務所に顔を出した。
櫻井は一本で5000円くらいするロールケーキを片手に携えている。
「今日は社長が改めて謝罪の場を設けてくれたんだ、いいか木田、今回は絶対に、絶対に粗相はするなよ」
「……うん」
騒動以来禁酒を言い渡されている木田は、櫻井の言葉に唇を尖らせて小さく頷いた。
「木田、一応もう一回聞くが、あの日のことは何も覚えてないな?」
「あー全然、もう」
櫻井が瞳孔開き気味の笑顔で木田の襟首を掴んだ。
「てめーがよぉ、香月にさんに向かってあろうことか『ブス』って言ってどついてんだよ。事務所の先輩の。バリバリの売れっ子を。うん?それを忘れてんだな?」
「……めんご」
「ざけてんじゃねーぞ木田よぉ。終わるか、俺ら終わるか?」
「櫻井さんちょっと待ってあげて、俺でも怖いから」
ガタガタ揺らされて、ほとんど泣き顔みたいな木田を見かねた前島が制す。
「いいか、噂はもうだいぶ広まってる。
俺たちの今日の目的は友好関係を再び結べるレベルで関係を回復させることだ、今回の失敗を後々には笑い話にさせてもらえるようにな。
とにかくお前たちの印象を回復させろ」
「なんかへりくだってるみてーで友好って感じじゃねーよなぁ……」
「あ?」
櫻井の鬼の形相に木田はピーンと姿勢を正してぶるぶる首を横に振った。
「行くぞ」
「う、行く、行く、うん」
事務所に入った途端、こちらに気付いたスタッフたちが静かになる。
周りの視線とヒソヒソとした話し声の中を櫻井を先頭に木田、前島と続いていき、3階の社長室まで列をなして階段を上っていく。
前島は騒動の次の日に櫻井の言っていたことを思い出した。
うちのような音楽専門の事務所には芸能界との大きなコネクションなど無かった。
それを香月は数年で、個人で事務所よりも強い人間関係を築き上げて今や業界の頂点に立っているらしい。
なぜそれだけのことができる香月がこの事務所に留まっているのか、そこまでは櫻井の知るところでは無かったようだが。
とにかく、ここで香月を怒らせることは社長を怒らせるよりもよっぽど恐いことである、という旨をしっかりと釘に刺されたという話だ。
「失礼します、pink motor poolです」
「どうぞ」
扉を開くと、デスクに頬杖を付いた社長が物憂げな笑みを浮かべて迎えてくれた。
「香月はまだ来てないからどうぞ、座って」
「私はお茶を入れてきます」
櫻井は2人だけ通して自分はサッサと行ってしまった。
「本当今日はすいません……」
「いや、俺はいいんだけどね。あの時見てて面白かったは面白かったし……」
社長はサラリと胃の痛くなるようなことを言いながら、表情はどこかアンニュイなままだった。
「ただね情けない話、もはや俺も香月には頭が上がらないんだよ、比喩じゃなく」
社長の視線は部屋の脇に立てかけられた表彰トロフィー群に向かった。それらのほとんどに刻まれているのはシタタリの名前である。
「シタタリの……香月の業績で事務所はどんどん成長してる。
でも香月にいなくなられたら、事務所は成長が止まるどころでは済まされない。
敵に回しでもしたら四方八方から潰されて終わりだよ。
だから……アイツの機嫌だけは、ね」
机の上に置かれたパステルカラーの癒し系マスコットを指でいじりながら、社長は自嘲気味に笑う。
この人も苦労してるんだと考えると、前島はますます申し訳なく思えた。
櫻井がお茶とロールケーキを香月の分だけ用意して戻ってきた。
香月が来たのはそれから30分後のことだった。その間2回ほど、櫻井はお茶とケーキの取り換えをしている。
「遅くなっちゃった」
悪びれもせずにサングラスの隙間から茶化したような目で3人を覗くと、香月は足を組んで対面に腰掛けた。
「随分大勢だね、みんな俺に話があるの?」
「お越しいただきありがとうございました、香月さん。私たちの連帯責任として、今日はこうして集まっております」
「ふーん」
サングラスを外して、木田を睨みつける。
「別に俺はいいんだよ?正直に思ったことは言ってくれたって」
「いや、ちが、ちがいます」
木田は噛みながらも姿勢を正してまっすぐ香月に対峙している。この男なりの精いっぱいの誠意だ。
「こうして見てて、綺麗な顔だって、思いますよ」
それも香月は鼻で笑うだけだった。
「なーんか下手な口説き文句みたいになってるねぇ」
「口説き……口説きでは無いんですけど、伝え、伝え方、言葉の選び方が……難しいっす」
刺々しさが感じられた香月の笑顔が少し和らいだ。
「木田くんて、実はかなりシャイ?」
覗きこむようにして木田に顔を近づけていく。
「……よく言われます」
「ふふ、だろうね。トモさんに後で聞いたけど、本当に喋らないで酒ばっか飲んでたって」
「本当にあのような場にお招きいただいておきながらこいつは無礼ばかりで申し訳なく……」
「マネージャー君はいいよ」
「ハイ」
「綺麗ねぇ……ジュンくんのお兄さんとどっちが綺麗?」
木田の身体が少し強張った。
「なん、で、ここで健嗣……さんのことが?」
「えーだって、室井『先輩』のことジッと見てたし、それで俺はブスって言われちゃったし?」
そうだ、香月の貫録に忘れかけていたが、事務所の年期としては室井の方が上である。
酔っ払いかけた先輩を押し退け、ここでもダシに使おうとする辺り、香月にとって事務所の上下関係など、取るに足らないものであるということを主張している。
綺麗な顔してとんでもない男だと前島は身震いした。
「室井先輩、確かにちょっと童顔で男だけど可愛いっぽいよねぇ。
ちょっとのんびりしたとこもあるし、先輩だけど隙があるって感じのギャップが良かったり?」
香月も木田と室井の関係を知っているのであろう。
どのタイミングで知ったのかは知らないが、それを知った上で先日木田に近づこうとしたら……前島は持田の顔が一瞬よぎった。
「でもさぁ、弟さんの方はおっもしろいよね。お兄さんと全然違う感じで。ゲイなんだってね?彼も」
「あぁ、……聞いてます」
落ち着いた声色を心がけてはいるが、表情がだいぶ固くなっている。前島も櫻井も、社長も木田の方を注意深く見ていた。
「でも室井先輩はそんな弟さんのことも大事にしてるよねー、兄弟愛?ってだけなのかなぁアレって。
案外イイ仲だったりしてね、室井先輩だってねぇ、きっとだいぶ慣らされ……」
「ねーねー麗二のことブスって言った奴来てるってほんとー!?」
響き渡る弾んだ声。
突然入ってきた外村、なぜか櫻井が持ってきたロールケーキを手づかみで食べている彼の一声に、張りつめていた空気は一気に崩壊した。
「あーいたいたアレ本当だったんだ!木田くんの方だっけそれ言ったの?
マジウケるねーあー俺も打ち上げ行っときゃ良かった!あっ社長お邪魔しまーす」
ケラケラ笑いながらロールケーキにかぶりつく外村の笑顔に、誰も反応を返そうとせず微妙な沈黙が続く。
「……もーケイちゃん、今そのことで木田くんは謝ってくれてるんだから、ダメじゃん、そうやってぶり返しちゃ」
辛うじてそれに対応できたのは、香月だけであった。
「ほうほう、謝ってたの」
唐突に神妙な面持ちを繕って、しかし口はモゴモゴとさせたまま、外村は香月の隣に落ち着いた。
その場にいる全員の顔に「やりにくいなぁ……」と文字が書かれる。
前島はなんとなく、この2人がわざわざユニットとして活動している理由が分かった気がした。
「木田」
「うっ!?」
社長に呼ばれて木田の肩が跳ね上がる。
「お前、まだちゃんと謝罪の言葉は述べてないんじゃないの?」
「あっ」
「何!?まだ謝ってなかっただって!いかんじゃないの!」
外村がロールケーキを振り上げて野次を飛ばした。
「……あー、先日言ったこと、それが、うそ……心にもないこと、を言って、失礼な……とにかく本当にすみませんでした!」
下げた頭は勢い余ってテーブルにゴンとぶつかる。外村が生クリームをぶっと口から吹いた。
「くくく……ほら謝ってんじゃん麗二ー、こういう時は何て言うの?」
「……いーです、よ」
ものすごく言いたくなさそうに、ピクピク口の端を震わせながら香月が許しの言葉を放った。
「うーん、これにてお開き喧嘩両成敗!あーおかし、ヒヒヒ。ごっそさまー」
ロールケーキの残りを全部頬張ると、満足そうな笑顔で外村はサッサと出ていった。
嵐が過ぎ去ったあとの社長室、皆が誰から話を切り出すかというように探る空気が出来ている。
「どう、許してあげられそう?」
最初に口を開いたのは社長だった。香月はハーっとため息をつくとピョンと勢いを付けて立ち上がる。
「まっ、別にいいかな。そもそも許す気なかったら、わざわざこんなことのために来てないもん」
「……ありがとうございます!」
誰よりも早く櫻井が頭を下げる。
香月はそれを一瞥したあと、ロールケーキにチラッと目を向けたがすぐにげんなりしたような表情をして、ドアへと歩いていった。
「これで終わりだし帰っていいよね?俺」
櫻井は少し惜しそうな表情をして何も答えなかったが、社長がどうぞと手で促し、香月も部屋から出ていった。
パタンというドアの閉まる音、その数秒後、ハアァ~っと3人は崩れ落ちた。
「何だったんださっきのは……」
「でも、あとでお礼は入れておこう……」
「おー……ほんと助かった」
社長が3人を眺めながらしみじみと「やっぱりあの2人は組ませて正解だねぇ」と呟いた。
「いや、でも……外村さんいなかったら、俺、キレてたかもしんない」
「そんときは俺が殺してるぞお前」
木田と櫻井のやり取りを、社長は聞こえないとばかりに机の上のマスコットをつついていた。
この後、pmpは外村から時々遊びや食事に誘われるようになる。
その際は大抵香月も連れて回され、やたらと香月と木田を近くに置こうとして外村が楽しむ目的であることも多かったが、2組のユニットの交流は業界人の耳にも入ることとなり、騒動は治まることとなるのである。
「……それで彼には、お礼を言わなきゃいけないと思ってるんです」
香月との謝罪後、2人を先に車で待たせて、櫻井は社長と話を続けていた。
「そう……それで外村が入り込んで来たわけか」
「おそらくは」
「お礼はいいけど……櫻井、あんまり目は付けられないようにね」
「え?」
「俺も香月もね、絶対機嫌損ねられないから、黒宮だけは」
その名前を口にする社長の瞳は、黒い瞳孔を背景に櫻井の不安そうな表情を映していた。
これ以降、続きはムーンライトノベルズ様の方でくそみそ連載中でございます。
こっから先は18禁!良い子は18歳になるまで待つんだ!