木田、大失態
「なんで俺が打ち上げまで出なきゃいけねえんだよ……」
バーを貸し切った打ち上げ会場、隅のソファで前島は櫻井に愚痴愚痴と呟いていた。
「いやお前さ、角北さんに警戒するのも分かるけどあの人だいぶコネは持ってるぞ。
知り合っておくのは悪くないんだから」
「今日一日思ってたけどさぁ、あんたはそういうところ結構気にするよなぁ」
「バカ、お前らが少しもそういうところ気を遣えないんだから、俺がちょっと背中押すくらいで丁度いいだろ。
ほら行ってこい、木田だって室井さんつてにして弟さんと角北さんの席行ってるんだから」
「あいつは室井さんのとこにしかいれねーだけだろ……」
前島はビールグラスを片手にしぶしぶと木田たちがいる席に歩いていった。
「こんな端っこに固まってたんですか」
残された櫻井の近くに玉谷が腰掛ける。
「あれ、玉谷さんも来てたんですね」
「えぇ……健嗣に悪いムシが付いても嫌なんでね」
玉谷の目はまっすぐに室井の背中に向けられている。
「あー……うちの木田は悪いムシにカウントされなかったようで何よりです」
「そうですね、彼は割と俺の理想に近いところがあるんですよ」
「理想?」
「はい。……健嗣には、ああいう不器用だけど心の綺麗なやつはピッタリだと思うんですよ。したたかな大人よりはね」
櫻井は玉谷の方を見て苦笑した。この男の趣味はよく分からない。
「玉谷さんも……なんていうか、男の人が?」
「いえ、ただ健嗣が男といるのが嬉しくて、木田君から告白されたと聞いたときはどうにかなるかと思いました」
「………………………酔ってます?」
「いえ?」
玉谷の大真面目な横顔を見て、櫻井はもう笑えなくなった。
「櫻井さん」
「あっ?はい」
無言になったら耐えられなくなりそうで、立ち上がりかけたときにちょうど玉谷に呼び止められて櫻井はまた腰を下ろした。
「櫻井さんは木田君と健嗣の交際については、どう思ってますか?」
「俺ですか?俺は……」
櫻井は2人の交際を告げられた時のことを思い出した。
確か意味を飲み込むまでに少しかかった。
そのあとなぜか笑いがこみあげてきたんだ、多分冗談か何かと受け取りたかったんだと思う。
でも、その場の空気は櫻井にそれが真実であるということを伝えていた。
それから……
「木田がそれでいいなら、いいとは思ったんです」
「あぁ、じゃあキッパリ受け入れる、といった感じですか」
「俺はそうですね。もちろん周囲からの目は心配もありますが、まぁそれも今のところは大して不利に働いていないようなので……むしろ今ちょっと、前島のことが心配でして」
「前島君が?」
玉谷は一瞬、櫻井に目を向けた。
「はい、誰よりもあいつが動揺してると思いますよ、付き合い長いから。
理解しようとはしてますが……どうも周囲の環境がドンドン理解を追い越し始めてるみたいで。
どこかでプツンと切れなきゃいいとは思ってるんですが」
「気遣ってらっしゃるんですね」
「2人のどちらにも音楽に集中できる環境を維持してやりたいですから」
櫻井が言ったとき、丁度輪の中に前島が混じっていった。
既に酔いかけの木田は汚く笑いながら前島の背中をバシバシと叩いていた。
櫻井はそれを見て少し口元が緩んだ。
「あいつらが楽しそうなら、それでいいんだ」
それを聞いて玉谷は数秒櫻井に視線を送ったが、櫻井は気付かない様子で薄く微笑んで光の強い方を見ていた。
玉谷も視線を動かし、少し頬の赤い室井の顔に視線を移した。
2人はそこからしばらく動かず、お互いの担当するミュージシャンを見守っていた。
その見守られている側のテーブルは、少々先程と形態が変わっている。
木田と室井の2人でひとつを占領し、もうひとつにはジュンが1人でいた。
先ほどまでいた角北が別の席に移ったためにこの形になっていたのだ。
前島が近付いてきたのを見るなりジュンは抱きついてきて自分の隣へと促し、流されるまま前島はその隣に落ち着いてしまったのだ。
しかも、ジュンは腕に抱きついたままである。
「あのー、チェンジむり?」
「んーダメなの、俺しかいないなの」
「室井さん、アンタ自分の弟がこれでいいの!?」
目の前で弟のふしだらな行為を見ていても平静を保っていられる室井に、前島はとうとうシビレを切らした。
完全なる八つ当たりである。
「そうだなぁ、俺はジュンにみんながみんな男好きじゃないんだよってことは何度か注意したけど、ジュンの癖は全然治らないんだ」
「だからどうしてこんなになるまで放っておいた!?」
「うっせ黙れ下戸」
「テメェが言うか木田ァっ!?」
「やん、もうみんな俺のために争うのはやめて、ヨヨヨ……」
「てめぇのためでもねぇしドサクサにまぎれて更に寄ってくんな!」
「こんなになるまでずっと会えなかったんだ」
次のツッコミのためにもう口を開きかけていた前島がピタッと止まった。
「んー家出しとったからね俺ずっと、法律的にも死亡扱いだったって聞くからびっくらこいちゃって」
「健嗣……」
「いいよギダユー、こーちゃんは友達だから」
「え……本当の話なんですか?」
「お恥ずかしながらそうなのよ」
卓がしんみりとした静寂に包まれる。
室井は持っていたウォッカのロックを飲み干すと、少し微笑んだ。
「ジュンのことを見つけてくれたのはトモさんなんだ。
トモさんがたまたまスカウトしてくれなければ、ジュンとは一生会えなかったかもしれないんだ。
だから俺はトモさんにすごく感謝しているよ」
「ん~俺も久々に健嗣にぃと会えて嬉しかった~俺はその前からテレビで見とったけどねん」
「気付いたなら早く声をかけてくれれば良かっただろう」
「えーだって恥ずかしかったしーこんなホモになっちゃって。もし健嗣にぃ見てぼっk」
「あーはい久々に会ったらこうなってたわけですね!?」
すんでのところで前島が制した。
「そりゃあ角北さんも引きがすごいっすね……ただ、それにしても角北さん、随分室井さんと近くありませんでした?」
室井が前島の発言の意図を汲みかねたように首を傾げた。
「いや、室井さんにも木田って相手がいますし、角北さんもゲイらしいし、俺から見ててもちょっと心配になったというか……」
「てめーが心配することじゃねーよハーゲ」
言葉をさえぎる木田は、既に酔いで顔が赤らみ始めている。
「禿げてねぇだろ!つーかそうだよてめぇはアレで良かったのか!見てたかどうか知らねぇけど!」
「ん……なにを?」
「やっぱりか!」
「だーから何だっていいんだよ。だって、負ける気がしない」
大げさに胸を張る木田に、室井が「そうだね」と真顔で頷いた。
室井本人に言われると前島にはもう言うことが無くなって、諦めてソファに埋もれた。
「タマちゃんもこーちゃんと似たようなことを言ってたけど、俺は大丈夫だよ。
トモさんから誘いを受けても俺ははっきり断れる」
酒で気持ちが大きくなっていた木田が、その一言で急にしおらしくなりだした。
「あー俺……他もちょっと行ってきます」
付き合いきれんわと、前島はほとんど口を付けなかった酒を持って再び席を立った。
「俺同伴いーい?」
「いやだ!!」
ジュンのことは木田と室井の側に置いていった。
それから宴の終わりごろまで、前島はその場にいるライブスタッフや事務所の人間などの中に混じって飲んでいた。
自分の所属する事務所スタッフとしばらく飲んでいたら、シタタリがちょうど固まって席を作っているところに行こうと誘われたので、少し気が引けつつもそれについていく。
一番大きなテーブルにソファを付け足した席、その中心にいるのは香月、それにサポートミュージシャンの人たちとマネージャーらしきスタッフで、外村の姿は無い。
「あれ?さっきの、えーと……」
香月がこちらに気付いて声をかけようとしてくれたが、どうも前島のことをまだ覚えていないようだ。
「pmpの前島です、すいませんねこんなところまでお邪魔して」
「そうそう!ごめんねー良かったら座って?」
香月に促されても、端っこの方に詰めればギリギリ空くくらいのスペースしかない。
先客に詰めてもらい、前島は頭を下げながらそこに腰掛けた。
前島の隣は、確かサポートドラムの人だ。
「ども、隣失礼します」
「あっどうも、ドラムの黒宮です」
物腰穏やかな口調でペコリとお辞儀されて、前島も改めてお辞儀をし返す。
2人で香月の方を見たが、香月の中心で話題は盛り上がっているし、端の方は声をかけようにもかけづらい雰囲気だった。
「もの凄いですね……香月さんの、求心力」
「ね。俺なんかもう全然近づけないや」
そう言って黒宮は笑うが、特にそれを気にしては見えない。
この人は香月の信奉者というわけではなさそうで前島は安心した。
「ところで今日外村さんは?」
「あぁ、ケイちゃんは来てないよ。ライブの手応えがいいほど、その後すぐ帰るんだよね」
「へーぇ」
変わったこだわりもあるもんだと前島は頷く。
少しの間、香月周りの話を盗み聞きしたり、端の数人で歓談していたら、香月が急に席を立った。
香月の行く先、それは序盤で前島が座っていた件のテーブルである。
今はジュンの代わりに角北とキヨタカが座っていたが、木田と室井は相変わらずそこにいた。
あそこから2人は動いてないのだろうか?
「あの奥だれ?」
「1人は室井健嗣でしょ?今日来てたんだ」
「もう1人知らない」
「うちの事務所のやつかな」
主役のいなくなったテーブルではヒソヒソと木田たちについて話され、前島が肩身の狭い思いをした。
一方香月の方は、角北に軽い挨拶を済ませると木田のことを見ていた。
木田も室井も泥酔して、意識も朦朧という感じであった。
前島の席からその表情は見えなかったが、角北はそれが獲物を見つけた雌豹の瞳と同じであることをしっかりと確認して、ヤレヤレと首を振った。
香月は木田と室井の間に、当然のことのように割り込んで座った。
押し退かされた室井は寝苦しそうに唸ったが、またうつらうつらと船を漕ぎ始めた。
前島はそれを見て絶句した。
どうも角北とのやり取りから怪しいとは思っていたが、まさかあの人まで。
しかも、うちの木田を。
「さっきはちゃんと挨拶できなくてごめんね?木田くん」
「ん……?」
寝起きのような声をあげた木田がボンヤリした目を香月に向ける。
「あはは、酔ってる」
「んー……」
角北はその様子を面白そうに眺め、隣のキヨタカは訝しげに見つめていた。
櫻井も玉谷も別の場所に移動していたが、各々の場所からその様子を注意深く窺っていた。
どこの席でも、香月の様子をチラチラと盗み見る人が出てきている。
「ねぇ、今日のライブ楽しんでもらえたかな」
上目づかいに見上げてくる香月を、木田はボンヤリと眺めている。
香月は木田に鎖骨が見えるように首の角度を変えながら、更に顔を近づけていく。
「多分帰るの辛いんじゃない?ねぇ、これ終わったら俺のマネージャーに言って、俺の部屋まで乗せてってもらわない?」
木田の目が少し開いたのを香月は見逃さなかった。
やっぱこの顔、好みだなと考え、香月はほくそ笑む。
「あぁ、俺の部屋って言っても今日泊まってるホテルのことだから。そんな緊張しなくたっていいし……」
香月は途中で言葉を止めた。
木田の目が逸れている。
自分を通り越して、その奥へと視線が。
香月は後ろをチラリと見た。
先ほど押し退けた男が今にもテーブルに付きそうな勢いで頭をグラグラとさせている。
香月には信じられなかった。
自分にこれほどの距離にまで迫らせておいて、こんな飲んだくれの方に視線を取られているなんて。
この男、楽屋に挨拶に来たときだって自分にあまり興味のなさそうな素振りでいたし。
香月は腕を伸ばし、木田の顔をこちらに向けさせようとした。
「ねぇちょっと……」
「どけブス」
どけ、ブス。
その言葉と共に香月は押し退けられ、ソファから床に転がされた。
シンと静まりかえる店内。
木田と香月、そして室井に集まる視線。
「木田てめえええぇぇぇぇえっっっっ!!!!!なぁにを言っとんだおのれはあぁっ!!!」
「バカかてめぇはこらああぁぁぁっ!!!」
最初に絶叫してダッシュのスタートを切ったのは櫻井だった。すぐその後に続いて前島がすっ飛んで行く。
木田はと言えば崩れ落ちそうになっていた室井の体勢を立て直している。
「木田ああぁぁっ!!!謝れぇ!さっさと謝れぇっ!」
櫻井は木田の襟首を引っ掴むとソファから引きずりおろして、床に木田の頭を打ち付けた。
「すいませんすいませんすいません!こいつだいぶ酔っ払っておりまして!
おそらく目も大して働いておらず!そもそも自分が何言ってるのかもよく分かっていないかと!!」
「香月さんごめんなさい本当こいつバカで飲んだくれで泥酔するといっつも訳わかんないこと口走ってるんです!絶対これも本心じゃないですから!」
木田の頭を打ち付けるのに合わせて、櫻井自身もおでこを床にぴったりと付けて土下座する。
前島もその隣で、床に頭をずっと付けたまま早口でまくしたてた。
香月は少々震え気味にゆっくり身体を起こした。
ギリギリ笑顔を保ってはいるが明らかに口はヒクついているし、眉間に皺ができている。
「あのさ、いいよもう、顔上げて」
櫻井と前島が恐る恐る顔を上げる。
起きてこない木田の頭を櫻井が起こさせると既に失神していたようで、櫻井はしまったと思った。
香月がもう一度口を開く。
「ちょっと俺……社長に用事があるから」
「ああああああああああ!!!!!」
立ち上がろうとする香月の前に櫻井が這っていってもう一度土下座した。
「申し訳ありません!
本当にこちらの監督不行き含め申し訳なく思っておりますので!!
木田にも今一度謝罪する機会を!!!」
櫻井の振り切れ方に少々前島は戸惑いつつも、自分も隣まで行って頭を下げた。
一方木田はすっかり伸びている。
「ふーん……」
上から香月が見下ろしてくる。
「香月さん!こんなん相手にする必要ありません!!もう帰りましょう!」
こっちに鼻息も荒く近づいてくる人物が1人いる。
先ほど前島はその男が自分と同じ席で、香月の近くにいるのを見た覚えがあった。
「岡林、お前は出しゃばってこないで」
「でも……」
「今は木田くんも起きてないし、この話はまた今度、ね?」
「っ……はい!」
櫻井は顔を上げてほんのわずかに表情を明るくさせたが、返事と同時にまた頭を床に付けた。