事務所の先輩と室井の弟
以前長編の一部として投稿したものを掲載しなおしています。
シリーズ機能を知らなかったのです。
『シタタリ』はボーカルの香月麗二とギターの外村恵大の2人からなるロックユニットである。
2人は決して大手とは呼べない規模の事務所に所属しており、デビューしてから5年程度の若手に位置するが、現在の音楽シーンでは押しも押されぬ人気となっている。
シングルもアルバムも発売すればパッケージでもダウンロードでも上位に上がり、ドーム規模のツアーでだって客を埋められる。
人気の要因となっているのはボーカル香月の美しさとその勢力的な活動にある。
香月の妖艶なルックスと歌声、それを熟知した上でのパフォーマンスは見るものを魅了し女性ファンをとてつもない勢いで増やしていった。
現在彼は音楽活動だけでなくドラマやバラエティなどのテレビ出演も数多く行っており、彼はボーカリストというよりもアイドルであったり、最近ノリにノッている芸能スターとして一般に認識されていることが多い。
そんなシタタリの2人はpmpの先輩にあたり、今日そのpmpの2人は、シタタリのコンサートに来ている。
しかも彼らの一番の目的は、そのシタタリではない。
「ていうか俺は特にどっちも見たいとは思ってねえんだけど……」
前島は開演前の関係者席で櫻井と木田に挟まれてウンザリしたように腿についた肘で頬杖をついていた。
「うっせ黙れチリ毛」
「普通にパーマだろ!」
「2人はいつも仲が良いな」
木田の隣には室井、その隣には玉谷も座っている。
「木田、前島……あまり騒がしくするなよ」
「分かってるけどさ、やっぱり俺まで来ること無かったんじゃ……」
「先輩のライブに木田だけ顔見せてお前が行かないわけにもいかねえよ」
「俺はジュン見に来ただけだし本編フケれば良かったじゃん」
「前座だけ見て先輩のライブ帰るバカがいるかバカ!」
木田のいうジュン、というのは室井の弟であり、今宵シタタリの前座として出演する『カルバンクラウン』というヴィジュアル系バンドのボーカルを務める男である。
室井が木田をコンサートに誘ったことがもともとのきっかけだが、それがシタタリのライブだということを知っていた櫻井が聞き付けたことで、急きょ前島も連れていかれることになったのである。
「挨拶なんて俺らが事務所入った時に一回してるしいいと思ってんだけど……」
前島が言い終わる前に客席の電気が消えた。
しかし客席の熱気は一気に高まったわけでもない。すこしざわつきが大きくなり、パラパラと拍手が起こっただけで終わった。
ここにいるのはほとんどがシタタリファンの女性、彼女たちはツアーも後半になったことで前座が出てるのは分かっているし、ステージ機材から既に見抜いているファンもいる。
ステージがピンクのライトに照らされて、SEでシャンソンが流れ出した。
ゆっくりとステージ下手からメンバーが出てくる。一部一部カルバンクラウンのファンもいるようで、メンバーの登場に合わせて単発的に黄色い悲鳴が上がっている。
ギターとベースはタキシード姿、ドラムは半裸にライオンの鬣のような髪型で現れた。
前島はドラムの男のことだけ知っている。20年も前にパンクバンド『a piece of Berlin』のドラムとしてデビューしていたキヨシ、生山潔という男だ。
若手ばかりが集まるバンドにベテランの彼が入っている理由は前島も分かっている。
このバンドのプロデューサーである角北朋明はキヨシが在籍していたバンドのベースなのである。
角北はシタタリの初期アルバムでもプロデューサーを務めた経歴があり、今回この2組の共演をしかけたのもこの男ではないかと道中話していた。
バンド解散後はそれぞれ裏方で動いていたキヨシと角北、2人がプロデューサーとバンドメンバーという形で再び手を取り、加えてボーカルは室井健嗣の弟ということで、カルバンクラウンは結成前から音楽関係者の間では話題になっていた。
いよいよボーカルのジュンが出てきた。
このとき前島は思わず眉をしかめてステージを凝視してしまった。
客席からは歓声よりも戸惑うようなどよめきや失笑のような笑い声の方が大きかった。
ジュンの衣装は、ピエロかバニーガールか、言ってしまえばピエロの衣装を無理やりバニーガールのシルエットに仕立て上げたようだった。
先が天に向いて尖った赤い靴、それに網タイツを履いており、上はシルエットこそバニーガールのビキニそのものだが黄色地に細い赤の縦縞が入り、赤い大きなボタンが3つ付いている。
当然股間はもっこりとしていた。
胸元は男物用なのか直線状に裁断されている。
首を覆う蛇腹状の付け襟は頭よりも大きく、中央には赤い大きなリボンが付けられていた。両の手首には赤いシュシュを巻いている。
首より上は長い金髪が無造作に跳ねたモサモサの頭、それに肌に対して白い化粧に目の周りに菱形を描いて、唇は真赤だ。
1人だけそんな下品で滑稽な格好をさせられながら、室井の弟は口元に笑みを湛え堂々とスポットライトを浴びている。
これが室井の弟だというのか。
前島は俄には信じられず、木田の向こうにいる室井の様子をチラリと窺った。
室井は無表情でステージを凝視している、しかしその眼差しにはいつもより気迫が感じられて、慌てて前島はステージの方に向き直った。
ジュンは小首を傾げるとキヨシがスティックでリズムを取ったのに続き歌いだした。
室井の声に似ていると前島は少し聞いて気付いた、しかし歌い方はまるで違う。
わざとらしく鼻にかけていてやたらと粘っこい歌声は、くどさはあるがその奇天烈な服装との調和は取れている。
動きもいちいちいやらしい。
腰は常に緩慢とした揺れ動きをして、両手に包んだマイクにやたら唇を付けて歌い、間奏からの歌い出しのところでレロリと舐めあげたときなど前島は背筋に寒いものを感じた。
1曲2曲聞いていてどうしても全体の中でキヨシのドラムだけが突出していることを気にしつつも、前島は少しずつ妙な感覚を抱き始めた。
面白いと思っている、このステージを。舞台に立つジュンの姿を。
それはなぜか、彼はやたらと楽しげに歌い動くからか。
とにかく結成されて1年そこらやっている者のパフォーマンスとは明らかに違いがあった。
「んーシタタリのファンの方々どう?お楽しみ?」
3曲目まで終わったところで、ジュンは腰に手を当てMCを始めた。
妙にぶった喋り方はテレビでよく見るオネエキャラを前島に思い出させたが、それにしてもどこか訛りを感じるイントネーションである。
「俺らこんな感じでようやらせてもらっとるのよ。イイ男たちの前座させられるとついでで人もよう集まるねぇ、俺クセになっちゃいそう、んふ」
客席から失笑が響く。
前島は彼がステージに立った瞬間から薄々かんじていた不安を徐々に大きくさせている最中だった。
あの格好、仕種、喋り方。もしかすると、これは。
「……なぁ、室井さん」
前島は辛抱たまらず室井の方に声をかけた。
「弟さんさ、そっちの人なの?」
「あぁ、ジュンは本当にゲイだよ」
天気の話でもするような口調で室井はサラリと暴露した。前島はやっぱりかと頭を垂れる。
前島の周囲にまた1人、ゲイが増えた。
前島はそれ以降カルバンクラウンのステージも上の空だった。
終演後に楽屋に挨拶に行くことは決まっている。
そこでジュンに会うのも憂鬱だが、前島はそれ以上にプロデューサーの角北の存在をネックに感じていた。
前島は思い出したのだ、角北朋明にも昔から男色沙汰の噂が絶えなかったことを。
前島はまだ同性愛者という存在に慣れないでいた。
大して好みでない女性相手に下手に近づくことはしない、異性ならそれで済むが同性でそれが出来るのかというのが前島には分からなかった。
相手が自分に気がないのにこちらが変に意識して差別と受け取られるのも嫌だし、しかし男女間の友人関係が常に爆弾を抱えたものであるように、ゲイと交友を図るのもそれに近しいものではないかという危惧もある。
何より直観的な理解が前島にはできなかった。
本当なら、木田と室井がいる空間にいることすら前島には決して居心地の良くないことなのである。
「度胸あんなぁ」
前島は鬱々とした気持ちにハマっていたところから木田の一声でハッと我に返った。
どうやらカルバンクラウンのライブが終わっていたらしい。
先ほどの木田の発言は、おそらくジュンに向けられてのことだろう。
「うん、ジュンはよく頑張ってる。俺は本当に安心したよ」
前島はふと室井の方を向いた。
会場は暗いし木田に隠れて表情はよく分からないが、言葉の内容といつもより少しトーンの低い声が少々気がかりだった。
木田が室井に何やら小声で話しかけていたのに注意を払おうとしたとき、自分の後ろからも声がした。
「気分は大丈夫か?」
振り返ると、どうも櫻井は自分に対して声をかけてくれたらしい。
公演中ずっと姿勢低めでいたからだろうか。
「まぁ、悪かねえよ」
「そうか、お前はさ、弟さんの方は軽く挨拶しとけばいいから。ただ……」
「角北さんの方?」
「まぁまぁまぁ、そっちもな、無礼の無い程度に、ご挨拶で」
櫻井が自分のことを気にかけてくれているのが救いだった。
木田は室井の方にばかり向いているし、玉谷は距離も遠いしそもそも話すことがない。
櫻井に連れてこられたのだから櫻井抜きという状況で自分が来ることはあり得なかったろうが、そうなっていたら既に逃げ出していたかもしれない。
そういえば、木田と室井は何を話していたのだろうか。
櫻井に気を取られていてそちらを話を聞いていなかったのだが、もう既に会話は終わったようで、2人ともしんみりとした様子で機材を転換しているステージを眺めていた。
シタタリは小規模ホールで地方の末端まで回るツアーを行っていたのだが、最終日の東京公演は1万人は入るホールで行われた。
カルバンクラウンには大きすぎるが、シタタリには少し狭い規模だ。
ファンたちは俄に熱を高めはじめ、既に絶叫のような甲高い声があちらこちらから響いている。
そのほとんどは香月の名前を呼ぶ声であるが。
ダラダラと転換を待っていて、フッと照明が暗くなる時間が来た。
客席からは絶叫。普段自分たちのライブでは聞けない声量に前島は少し羨ましいと思いつつ、こんなに女ばかりもいらないなと笑って振り払った。
スクリーンにCGが映され、意味ありげに英語のナレーションが流れだす。
金色で派手に装飾されたオープンカーが猛スピードで駆け抜けるアニメで、その行き先に今宵の会場が映り出すと会場から拍手が起こった。
車は会場のドアを突き破り、映像はホワイトアウトする。
同時に大歓声。映像の間にステージに上がっていたミュージシャン達の伴奏に迎えられ、先ほどCGで描かれていた車がステージの袖から出てきたのだ。
乗っているのは当然、シタタリの2人。2人の顔は左右のスクリーンにそれぞれアップで映された。
外村は車からヒョイと降りるとギターを抱え、伴奏に乗せてギターを奏で出した。これが今宵の一曲目であるらしい。
香月は未だ車の中だが、立ち上がりドアに足を組んで凭れかかる。
花束のように造花で装飾されたマイクをシートから取り上げて、香月が歌いだした。
前島はとにかくファンの声に圧巻されていたし、自分たちのライブではまず使わないような舞台装置に目を走らせていた。
確かにこりゃアイドルだ、と思う反面、それでもこれだけの人間を夢中にさせる力は本音では羨ましかった。
香月は飾りボタンの大きな赤いナポレオンジャケットを着て黒いシルクハットとスラックス、外村の方はジャケットだけ色違いの緑色で、やはり香月ほどの派手さはない。
ユニットであからさまにパワーバランスが違うなんて不憫だ、と前島は心でケチを付けた。
バンドサウンドであるとはいえ、曲調も自分たちがやるマニアックなロックとは違い大衆向けするポップソングだ。客を集めるための歌だ。
前島はそんなことを考えている自分がイヤになってきた。
文句が心に浮かぶだけ自分が小さくなっていく気がするし、実際にステージで歌う香月を見て、そこに理屈では無いカリスマ性があるということは嫌でも身に知らされる。
先のジュンもこの大舞台で堂々とはしていたが、人を面白がらせてウケを取る種類のイロモノパフォーマンスではあった。
しかし香月はまったくの正攻法だ。
雲の上の存在のような煌びやかな人間が、集まった大衆のために歌を届けている。スポットライトの光を浴びて歌うだけで、賞賛を浴びるに値する存在なんだ、彼は。
対して外村は香月ほど大きく取り上げられなくても、頬がプックリするほどの笑顔でギターを弾いている。
自分への評価など気にしていないのだろうか。ただ演奏するのが楽しいといった表情だった。
前島は深呼吸して真っすぐにステージを見据えた。
到底自分たちはあの人気には敵わない。同じ土俵として見ずに、ただ華やかなステージに素直に圧倒されていた方が精神衛生上いいと悟った。
こうして前島は1人の観客となった。気の重い楽屋挨拶もその一時だけは忘れて。