表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

歴史・時代小説

『胡楊』

 私はその昔、水であったのかもしれない。とは言うものの、私がそうであったのだと思うだけで、確たる証拠は何も挙げられない。だというのに、私が水であったのかもしれないと言うのは、私が母なる胡楊の枝に花を咲かせるよりも以前に、私の自我は目覚めていたのではないかという気がしていたからだ。随分解り辛い言い方になってしまうが、兎に角私はその昔、水であったのだ。

 私が初めて見た色彩は、母の枝の色、黄土色と白とを丁度混ぜ合わせたような色であった。それは後々、母を見た時にはっきりと知ることができた。砂地の色よりも、いくらか黄色味のかかった色である。その次に見た色は空の色だったかと思うが、これはよく覚えていない。空の色を覚えていないのではなく、色を見た記憶が削げ落ちているのである。

 ひらひらとした感覚がぷっつりと途切れ、次第に自分の身体が硬くなっていくのを感じた。それからいくらも経たない後、身体が奇妙な浮遊感を覚えた。突風が横腹から吹きつけ、落下と同時に上空へと飛ばされていく。その最中、私は私自身がどうすることもできないという無力感と、一方でどこか楽しみでしょうがない自分とを感じていた。後々思い返せば、これは私が数日の命となるか三千年の命となるかの瀬戸際であったのだが、当時の私は暗にその生の運命を感じていたのかもしれない。自身の生、それも数日か三千年かという大きな違いを、全くの偶然に賭けねばならなかった私の心情を、果たして以前の私は知り得たのか、今となっては確認することもできない。それはもう、三千年も昔のことなのだから。

 幸いなことに、私は三千年の存命を得られる身となった。高くなるにつれて視界が広くなっていくと、自身が如何なる形状の土地に根を張ったのかが分かっていく。私が立っている場所は、ちょっとした小高い丘の上にあり、私と同じ胡楊の木が疎らに生えている。周囲には同様の丘と疎林が幾つも見受けられ、緑は豊かであった。南西より流れる川は幾筋にも分かれ、北東に向かって扇状に拡がっており、小さな河川の際にはタマリスクが根を張っている。私の立つ丘の裾にも小さな川が流れ、丘を僅かに下った先にもタマリスクが三本程生えていた。遥か遠方、視界の片隅に砂漠が散見された。後の大砂漠は、どれも遠く小さなものであった。


 私が初めて人というものを見たのは、この世に生を受けてから百年か二百年かという些細な差はあれど、生まれてから左程時間の経っていない頃のことであった。人は唐突に現れた。私の立つ丘よりも西に幾らか行った場所、比較的太い川が流れているその河岸にある丘を切り開き始めた。胡楊は各々の体内に貯蔵させていた水を噴出させながら倒れていく。水を持ったまま死んでいく仲間を見たのは、それが最初で最後であった。併し、私は人の所業に何の感情をも抱かなかった。

 人は丘を切り開いた後、その丘に足繁く通うようになった。四角い形をした箱を数人で担ぎ、その後ろにもまた何人、何十人かの人が付き従っていた。人々は丘に登り、穴を掘って四角い箱を埋める。そこに石を並べ、長い木片を突き刺し、一頻り泣いた後に去っていく。全く異様な光景である。果たして、あの人々は一体何をしているのであろうか。

「人という生物は、死んだ者を土中に埋める習性があるようだ」

 タマリスクはそう言った。死んだ者を埋める、という行為が如何なる意味を持つのか、どうも理解に苦しむものがあった。万物は死した後、朽ち果てて土へと還るのが常であるところ、敢えて土中に埋めるという行為はあまりにも無意味に思えた。

「人の生は短い。たかが数十年で死んでゆくものだ。その短さ故に、己の生そのものに価値を見出せないのであろう。己の生に価値を見出せない者が、己の死に価値を見出そうとするのは当然の心理ではなかろうか。死は全ての生物に等しく訪れるものだ。俺やお前のように、何百、何千年と生きるような者とは、土台考え方が違うのであろうよ」

 なるほど、私やタマリスクのように長く生きる者には聊か理解し難い考えを、人は持っているのであろう。人は死んだ後も、その存在に何らかの価値を見出しているのかもしれない。己の存在に、生を超えて最大限の価値を付与するためには、死すらも利用されるのであろう。だが、それは己の価値を高めるために限定されるのかには疑問が残る。他者に対する考え方にも、何らかの影響があるものと思われた。例えば、そうだ、私にしても、仲間の胡楊が倒され、死んでいく様を見ても、私は何の感情も抱かなかった。他者の死というものが、私にとってどれほどの意味を持つのか、自分にも判りかねることであった。死とは生の終わりに過ぎない。ただ生が終わったという事実があるのみで、他者の死を顧みることはないのだ。併し、どうやら人は私とは違うようだ。人は死んだ者を顧みては、何かを感じているのであろう。それが何なのか、私には見当がつかなかった。

 私は言う。

「付き従っているあの者たちは、何故泣いているのであろうか?」

 タマリスクは答える。

「胡楊よ、お前は悲しみを感じたことがないのか?」

 私は何も答えられなかった。悲しみとは、如何なる感情であるのか……。

 人が現れてからいくらかの年月が経ったある日のこと、私は人を間近で見る機会を得た。人は二人。一人は若い娘で、色彩の鮮やかな着物を纏っていた。もう一人は若い青年で、娘と比して色彩の薄い粗末な着物を着ていた。河岸の丘へ向かっていくわけでもなく、どこか人目を避けるかのように、私の立つ丘の一隅で二人は寄り添っていた。

 私は人が言葉というものを持っていることを知っていた。人と人とは、言葉を以って通じ合うのだということである。併し、どういうわけか、この二人は言葉というものを発しない。発したとしても、短いものを二つ三つ交わすのみで、それ以上多く言葉を用いなかった。だが、私はこの二人のことが、何とはなしに理解することができた。言葉などなくとも、人は通じ合うことができるのである。言葉とは、人と人との柵なのかもしれないと、私は漠然と思った。二人は、かかる柵を避けるために、この場所へやって来たのであろう。そうであるからか、私は二人に親近感を覚えていた。

 それから程遠くない、おそらく一年かそこらが過ぎた日のこと、これまでにない一際大きな葬儀の列を見た。人の数は百を超えていただろうか、かなりの人数に上っていたのは確かである。併し、所詮葬儀は葬儀に過ぎず、見飽きた光景である。私は退屈凌ぎに参列者の顔を見て回るも、参列者の中に二人の顔はなかった。

 その日の夜、森閑とした深い闇の底に、青年の姿を見付けた。青年は河岸の丘に辿り着くと、日中の葬儀によって作られた真新しい墓を前にし、涙を流した。青年が、どれだけの時間そうしていたかは覚えていない。日が昇り始める少し前になって漸く、青年は丘を離れて立ち去った。青年の姿を見たのは、それが最後であった。

 私はその時、悲しみという感情が如何なるものであるのか、薄っすらと理解することができたように思う。そして、人が人を葬ることの意味を、これも又薄っすらとであるが、理解できた気がしたのである。


 周囲一帯の様相が俄かに変わり始めたのは、青年を最後に見た日から八百年程後のことであった。私が四方を見渡すと、緑の数が目に見えて減り始めていた。これは気のせいではない。タマリスクは言う。

「胡楊よ、俺はもう死ぬかもしれん」

「一体どうしたというのだ?」

「水だ。俺はもう生きていくに十分な水が得られない」

「タマリスクよ、お前の根は地中深くまで生え拡がっているのではないのか?」

「ああ、俺の根は地中深く、一丈もの長さで生えている。だが、それでも十分ではないのだ」

 タマリスクの声は、諦念の色が濃かった。私は言う。

「死ぬのが怖くはないのか?」

「何を言うか。ここまで数百年を生き永らえてきた命だ。今更己の死を怖れることなどあるものか。それに胡楊よ、お前も他人事ではないぞ。百年かそこら、お前にも近い将来訪れるものだ」

 私はその言葉を聞き、初めて己の死というものを思った。死ぬのが怖くはないのか、とタマリスクに問うたものの、考えていくうちに、その問いの愚かさに気付かされた。タマリスクは、全く以って私の心を代弁したに過ぎないのだ。タマリスクは、それから程なくして死んだ。私は、唯一の友の死を、物寂しさの記憶として心に留めた。乾いた風が枝葉を揺らす、烈日の昼下がりのことであった。

 その年の秋、南方より一羽の鳥が飛来した。一つ大きく旋回した後に降下し、私の枝に宿って羽を休ませ始めた。旅鳥は言う。

「胡楊よ、お前はもう長くは生きられないぞ」

「知っている」

 私がそう答えるも、旅鳥は一向気にせず、己の言いたいことを私に聞かせる。

「お前、川の位置が判るか?」

「否」

「そうだろう、お前の高さでは川の位置を知るには低すぎる。俺はその点、お前よりも遥かに高い場所を、この翼で以って飛ぶことができるのだ。そして、俺はそこで重大なものを見た。ここより幾らか南の場所で、川の筋が変わっているのだ。もうここへは水が流れて来ることもないだろう」

 ここら一帯に緑が豊かであったのは、南西より流れ来る川の水に依る所が大きかった。いや、それが全てであったと言ってもよい。その川が流れを変えたというのであれば、緑が枯れていくのは必定。根の深いタマリスクが枯れてしまうのも、なるほど、当然のことであった。

 旅鳥は暫く休んでいたが、北辺を見遣ると、枝に足を付けたまま二つ三つ羽ばたきをして見せた。旅鳥は、今まさに飛び立たんとしながら、

「川の筋が変わるだけであればまだよい方かもしれん。西の方、大きな湖が丸ごと干上がって消えてしまったのを俺は見た。これは何かとんでもないことが起きるかもしれんぞ」

 と言い残し、勢いをつけて枝から飛び上がった。上昇した後、鳥道を見出すと、北の彼方へ飛び去って行った。

 それから程なくして、人々は村落を捨て、新たな水を求めて旅立って行った。河岸の丘は、最早誰にも顧みられることはなく、何本も立っていた棒の柱は尽く倒れ、砂に埋もれていった。水の気配が消えていくのと同様に、人の気配もまた突如として干上がり、消えていった。旅鳥の予言はこのことであったのか、と私は思い、秋の高い空を見て感慨に耽った。


 人々が去ってから五十年、私はまだ生きていた。ある日のこと、いくらか久しぶりに動物の鳴声を聞いた。それは馬の嘶きであった。いくつもの馬の嘶きが一塊になって移動している。数頭の馬が視界の遠くの辺で粉塵を上げ、走り過ぎて行くのが目に入った。馬は筋骨隆々、その目は炯々として輝き、鬣は尽くが後方へと流れていく。馬上に人あり。人は姿勢を低くし、馬の走る躍動と自身の身体とを一つにしていた。赤く爛れた夕焼けの中、馬と人とが陰影を刻みながら荒野を駆け抜けていく。渺茫たる大地を縦にする、勇壮なる人馬の塊であった。

 それから幾数十日か、そうした人馬一体の小部隊が、ある時は東から現れて南方へ去り、ある時は南から現れて北方へ去っていった。そして、ついに人馬の大部隊が北東より現れた。部隊に属する人々は、私が以前に見た人々とは様子が異なり、どこか荒々しく殺気立ち、猛禽類の目をギラギラと光らせていた。獣衣を深く纏い、帽子を脱ぐと蓬髪は乱れに乱れていた。大部隊は私の立つ丘の周辺で露営し、私の幹にも馬が繋がれた。

 チュマン・チャンユは漠北の地に拠った一部族の王であった。平素より諸部族間での争いが絶えず、ある部族が他部族を急襲して殺戮を行えば、その部族が別の部族から報復を受け、女と金品を奪われるということが頻繁に行われるような時代である。諸部族は互いに殺し殺され、奪い奪われる関係に身を置いていた。そこに、ある部族の中から軍才に秀でた王が現れた。王は対立する部族を次々に討って平定し、ついには漠北周辺の八つの部族を支配下に収め、その威武で以って近隣に覇を唱えるほどになった。かかる王こそが、チュマン・チャンユである。

 チュマン・チャンユは、未だ平服ならざる南方の諸部族を討たんとして、支配下の各部族に対して勅を下した。対立する六つの部族は互いに協同し、チュマン・チャンユと徹底抗戦の構えを見せた。チュマン・チャンユは先遣隊を出して牽制する一方、各部族の全部隊を率いて敵方を殲滅する作戦を立て、各部族に召集を掛けたのである。そして、今まさに各部族がチュマン・チャンユの下に結集せんとして、この場所へ続々と向かっているということであった。

 私は、私の幹に繋がれた馬から、そのようなこと聞いた。

 数日の後、チュマン・チャンユの部隊は四千騎に膨れ上がり、四方を馬と人とが埋め尽くした。私は、何故これほどまでに人と馬とが寄り合っているのか、その関係を理解することができなかった。私が馬に問うと、馬は答えた。

「我は遥か北の彼方、草原の大地よりここに来た。草原では、人は生まれながらにして我とあり、我は生まれながらにして人とある。我は人とあり、人は我とあるのだ。我と人とは互いに一つとなり、広大な草原を縦横無尽に駆け巡る。風と草の匂いの続く限り、我と人とは行くだろう。この世のありとあらゆる草原は、我と人とのためにあり、草原を侵す者には、その命を以って償わせる。我と人とに敵する者あらば、人はあの鏃を以って、我はこの蹄を以って、かの者に死を与えるだろう!」

 馬はそう言うと、片方の前足を上げ、大地を一つ二つと蹴り付ける。そして、首を上下させながら、その昂奮した息を激しく吐いた。

 人は人を殺すという。私は、その行為が余りにも無益に思えた。馬の双眸を見る限り、馬は殺戮の中に何らかの意味を見出しているようであったが、併し、やはり私にはそれが如何なるものであるのか解らなかった。人馬一体の高い志があるのだろうか。だが、死とは、やがて必ず訪れるものである。敢えて死を近付けることに、どれほどの意味があるとも思えなかった。短い生を全うすることすら、人は人に許さないというのか。全く以って理解し難いことであった。

 朝焼けの最中、チュマン・チャンユが先頭に立った。チュマン・チャンユの大きな掛け声が小さく聞こえたかと思うと、全体から喚声が沸き上がり、大音量が大地を揺るがした。チュマン・チャンユが馬に乗り、鞭を入れると、それに追従して大軍が動き始めた。四千騎の全てが、喚声と嘶きと粉塵とを撒き散らしながら駆け去っていく。馬蹄の音は、四半刻も私の耳朶を打ち続けた。

 それから二月後、私は意外な光景を目の当たりにすることとなる。チュマン・チャンユが去った後、大地は異様な静けさの中に沈み込んでいた。それはチュマン・チャンユが現れる前と全く同じことであったが、チュマン・チャンユの大軍が私の記憶に殺気と喚声とを残していったためである。馬が言った通り、チュマン・チャンユは敵する者に死を与えるだろう。あの大軍の鏃と蹄とで以って、人は人に死を与えるだろう。だが、私は意外なものを見た。

 夕刻が目前であるのか、西天の下辺が赤く爛れ始めた。その赤く爛れる底の中から、二つの影がこちらへ向かって走り寄って来たのである。影が近付くにつれ、それがあのチュマン・チャンユであることが判った。追従する者は僅かに一騎。チュマン・チャンユより一回り若い男である。チュマン・チャンユは酷く疲れ、進発する際に見せたような覇気は見受けられなかった。チュマン・チャンユは私の正面にある丘で馬を降り、降りたと同時に丘に背を預け、暫くの間、起き上がらずにそうしていた。背を上げると、男に向かって二、三言ほど声を掛け、再び寝転がった。それから半刻程経っただろうか。男の様子がどうもおかしい。落ち着きがなく、チュマン・チャンユの方を何度も見ては、腰を上げようか上げまいかを悩んでいるようであった。やがて、男は何らかの意を決したのか、立ち上がり、チュマン・チャンユの方へゆっくりと歩いていった。空には月が置かれ、大地に光を落としている。男の手の中で、刀が光を反射しているのが見えた。すると、チュマン・チャンユが突然起き上がり、男を一喝したかと思うと、男はそのままチュマン・チャンユに向かって飛び掛り、互いに掴みあうと、もつれ合って丘の向こうへ消えていった。そして、幾らも経たない後、男が転がるように丘を登って来るのが見えた。男はさらに丘を転がり落ち、馬の元へ行くと、チュマン・チャンユの馬ともども引き連れて、足早に丘を後にした。チュマン・チャンユの姿を見ることは、二度となかった。

 私は意外に思った。人は、あの鏃と蹄で以って人に死を与えるのだと思っていた。併し、チュマン・チャンユは、鏃と蹄とを以ってして死を与えられたのであろうか。そこに、人馬一体の志があるとは思えなかった。馬の言う死を与える行為とは、何か違うもののように思えた。私は、愈々人のことが解らなくなった。

 私が死んだのは、それから間もなくのことであった。


 乾いた大地は色彩を失っていった。あるいは私の錯覚なのかもしれない。死んでいる者には、あらゆる物の色彩が失われて見えるのであろう。

 大地は何も変わることがない。草木が尽く枯れ果てた無水の大地には、砂と草木の死体以外、何も存在していないように思われた。陽光は枯れた大地を照りつけるばかりで、遮るものとて何もない。併し、陽の降り注ぐ辺りは色彩を失い、黄土色とも安灰色ともつかないような色をしており、寂寥感だけが積もっていく。千年を通して、灼熱の冬が続くばかりであった。

 冬と言って、思い出されることがあった。砂漠では、十年に一度、冬の終わりに雪が降る。十年に一度というのであるから、さして珍しいことではないのだが、一つだけ覚えているものがあった。あれは何時のことであろうか。私の記憶の中では、私の視界は垂直を失っていた。厳密には、私の視界の右側が砂に埋もれ、左側だけが辛うじて垂直を水平として捉えていたのである。とすると、私はその時、既に倒れていたことになる。胡楊は、生きて千年、枯れて千年、倒れて千年、と称されるところ、チュマン・チャンユの最期の時より、少なく見積もっても千年以上は経っている計算になる。確かに、それだけの時間が経っていたとしても、何ら不思議には思われなかった。

 ある日のこと、夜は深閑として凍りつき、天の星河が白いものとなって緩やかに落下し始めた。

 ――また雪か。

 私はすぐにその白いものが何であるのかに気付き、酷くつまらないものを見ているような気分になった。視界を占める漠地の尽くが薄い雪に覆われ、雪原と化している。やがて、雪原に降る雪の勢いが弱まると、地平線の彼方まで白い景色が広がっているのが判った。私の意識が化石になりかけた、その時であった。薄く降る雪の中、正面の丘の向こうより、一匹の狼が現れたのである。狼は、丘の頂上に立つと、座して遠方を眺め始めた。どれだけそうしていたのだろうか。ごく僅かな間であったのは確かであろうが、私にはそれが酷く長いものに思われた。枯れた後の千年と比しても、狼の姿を捉えている時間の方が余程長いと感じたのである。狼の瞬きの一つ一つが、千年の重みを持っていた。私はその時、狼のことが羨ましくなった。

 ――あの狼は、今、如何なるものを見ているのであろうか。

 雪原の狼が見せた、あの眼差しの先に、何か私の見たことのないものがあるように思えた。あの眼差しの先にあるものは、目に映る何らかの光景ではなく、志に浮かぶ何らかの憧憬ではなかろうか。いや、そうに違いない。狼は、私と比して遥かに短い時の中で生きている。だが、狼の中には時間の長短という観念が存在しない。今を生きるのだという、ただ一つの時間に生きているのだ。

 私は思う。生きるということに関して、私は狼ほど切実であっただろうか。例えば、この雪だ。眼前に広がる雪原を見て、私はどう思うのであろうか。さして珍しいものを見ているとは思わないのか、それとも、雪原の中に志を見出すのか。

 ――私は……私はどちらだ!?

 そう思った時、狼は私の方を向いた。厳密には私の背後に視線を飛ばしていたのだろうが、どういうわけか、私にはその時、狼が私のことを見ているように感じたのである。やがて狼は、姿勢を低くし、暫し様子を窺った後、やおら背を向け、丘の向こうへと静かに消えて行った。

 それが、私の最後の記憶である。


(平成二一年二月二五日)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 世界観が私好みです(笑)。冗長な作品が溢れている中、こういう作品を世に出そうとしていらっしゃること自体が素晴らしい。短編ではありますが、紛れもない文学です。非常に勉強になりました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ