1 後輩・紺野薫
「堂島君にラブレターの代筆を頼むと、必ず恋が叶う」
人の噂も七十五日と言うが、今年ももう終わろうと言うのに今でもボクを頼る代筆依頼は後を絶たず、ボクが書いたラブレターは通算四十通。ボクがくっ付けたカップルで別れた人は今の所ゼロ。
「堂島君にラブレターの代筆を頼むと、永遠の愛が手に入る」だなんてうさんくさい宝石店のキャッチフレーズもいよいよ現実味を帯びてきた。まさに呪いの手紙である。
需要は未だに右肩上がりであり、そろそろボクは本気で呪術師として恐れられるか現人神としてお供え物をもらえるかしてしまう気がする。現にボクはかつて、かの中原製薬のお嬢様からの依頼をこなしたお陰で結構な金額と大企業とのコネと言う普通の生活では手に入らぬ大いなる報酬を得ている。
これはきっと神からの賜りなのだろう。あぁアリガタヤアリガタヤ。次いでにもっと賜って欲しいものがあるんだが……。
「何が悲しくて男四人でクリスマスパーティをせねばならんのだろうか」
「同意するぞ、堂島」
「何故我々はこの性夜もとい聖夜に汗臭い野郎四人、額を突っつき合わせる事態に陥ったのかを真剣に考察せねばならぬ」
「安西先生……彼女が欲しいです……」
などとバカなやり取りを繰り広げるボクと、同級生の男三名、雨橋、八幡、向山。
いずれもボクとそれなりに仲が良いクラスメイトである。そしていずれも清しこの夜にて、一人身の寂しくてムサい男衆。
本日は十二月二十四日。クリスマスイブ。日本中を宗教一切関係ないのにクリスマスカラーに染め上げる悪しき伝統である。恋人が居る人々はツリーの下とかに集ってわざわざ寒い冬空の下に出て身を寄せ合い「ほら、もっとこっちにおいで」「うふふ、○○君の腕の中あったかぁい」的にロマンティックな一夜を過ごすのだろう。
だが、ボクらには恋人が居ない。
じゃあどうするかとなれば、恋人居ないもので寄り集まり慰め合いながら、来年こそはこの夜に女と過ごさねばと血の涙を流しながら誓い合い鬼を笑わせてやろうじゃないかとこうして我が家を会場にささやかなクリスマスパーティを開いたのである。
あるのは四人で遊ぶ為のテレビゲーム、コンビニで買い込んだスナック菓子、そして慰み程度に用意したカットケーキ、冷蔵庫から拝借した親父の缶ビールくらいなもんだ。
プレゼントを交換し合うと言う発想さえないあたりに彼女が出来ない理由がある気がするのは、ボクの考え過ぎだと信じたい。いや、野郎だけのパーティでプレゼント交換ってのもちょっとキモいし。
「大佐、我々四人の兵士は未だ攻城戦を制したことがありません」
雨橋は、白い綿やテカテカの鈴の飾りが施された背の低いオモチャのクリスマスツリーを腕の中に抱えて敬礼をしている。それは銃のつもりか。そして大佐とは誰だ。ボクか。
「そもそも我々は、戦の機会に恵まれないのであります!」
「何故一人でひたすらに特訓を積む日々なのですか!? 我々に戦争を! 一心不乱の大乱こ……じゃなくって大戦争を!」
雨橋のバカっぽいコントに、八幡と向山も乗っかってしまった。このノリは嫌いじゃない。ボクはチョビ髭生やした鬼軍曹に扮したつもりになって、低い声を作った。
「うむ……確かに、我々には圧倒的に足りぬ……女人と接する機会そのものが……っ!」
「いや、堂島は違うだろ。本来なら貴様はオレ達純潔ボーイ達から爪弾きにされて然るべき存在なんだぞ」
「そうそう。最近でも『ラブレター書いてーん?』って女にいっつも言い寄られてやがるしなぁ」
「『お代は貴様の純潔だぜぐへへへー』なことやってんだろ、どうせ。死ねヤリチン。リア充爆発しろ」
「お前ら酷いな!」
酷い。扱いも酷いし、頭の中のピンク具合も相当酷い。特に最後、向山。お前だ。
「『ラブレター書いてーん?』はあるけどなぁ。ありゃ代筆のお願いであって、ボクに言い寄ってる訳じゃないぞ」
「似たようなもんだろ。女子と話してるだけで羨ましいんだよ、テメェ」
八幡の辛辣な言葉が飛んでくる。そう言えば彼はマネージャーすらいない柔道部の部員で、女子と接する機会は我々ノーラバーズ小隊(命名ボク)四人の中でもダントツに少ない。この一年で八幡が女人との会話した回数を数えるには、多分片手で足りてしまうだろう。
見た目もゴリラみたいに厳つくて、何より部活後のコイツは異常に汗臭い。女子が近寄らないのも頷けてしまうのが悲しい。
「でもさぁ、堂島氏ぶっちゃけ『お礼におにゃの子紹介して』とかはやってるんでしょ?」
向山の丸く肥えた顔が近い。つーかおにゃの子って何だ。鼻息荒くて本物の豚っぽいから止めてくれ。
「紹介してくれって頼んだことはないよ。お礼に色々くれることはあるけど」
「色々……ま、まさか『私の処女を貰っ」
「いい加減にしないとぶっ殺すぞエロゲ脳味噌」
「ふひひ! さぁせん!」
向山は引き笑いしながら本当に楽しそうに笑っている。まだ十八歳になってないのにR指定ゲームばっかやってっからそんな発想が出てくるんだ。お前にゃ死ぬまで彼女は出来ん。出来てたまるか。
「やっぱ、逃した魚は大きいな、堂島。かれこれ一年半になるが、いい加減アイツのことは吹っ切ったのか?」
「……なぁ、その話は止めないか?」
雨橋がしたり顔をしているので、ボクは本気で困った。
人間誰にでも思い出したくないことの一つや二つや三つあるだろうが。なんでこれからレッツパーリィって時にそんな興を削ぐ一言を吐き出すのかね、この男は?
ボクが本気で不機嫌な顔をしたからだろうか、八幡が口を挟み込んできた。
「そうそうそれより堂島、ここだけの話あの美術部の不良娘とはどうなんだよ」
不良娘と言うのは東奈々、通称東ちゃんのことに違いない。なにせ美術部の女子は、彼女を除けば皆実に良い子なのだから。
「どうも何もないよ」
そう。何もない。
つい数日前一緒に心配料と御機嫌取りを兼ねてフレンチのコース料理を食いに行ったりもしたが、何もないのだ。別に何かあった方が良かったとは言わない。でも、少なくとも東ちゃんはボクに今まで以上に尊敬の眼差しを向けても良い筈だろ。『高校生なのにこんなチョー高ぇ店で奢ってくれるとか先輩マジスッゲー!』くらいは言ってくれても良いと思わんか? 中原製薬の社長令嬢御用達の、超高級フレンチだぞ。ドレスコード有りのかなり高い店で、わざわざ二人分の貸衣装まで借りたんだぞ?
なのに東ちゃん、コース料理って聞いてゲンナリしながら『時間かかるんすかぁー?』ってよ!
それだけなら我慢が出来るさ……正直、ボクもコースは面倒だと思うもの。でも、それを言っちゃうか? ……まぁいい。それは置いておくとして……最大の問題はその後だよ!
あの女、前菜食い終わった後ゲップしたんだぞ! 信じられるか!? 仮にも男と二人っきりで食事してるのに、ゲップ! 恥じらいはどこに置き忘れてきた!
しかもメインディッシュは『アタシ、牛肉嫌いなんで』とか言って全く食わねえ! 挙げ句帰り道で『なんか足りなかったからコンビニ寄っていいっすか?』とか宣いやがった!
「誰の金で飯食ったと思ってやがんだ、あのクソアマァ!」
「お、おぅ」
「なんか悪かったよ……」
興奮のあまり、いつの間にか立ち上がってしまっていたようだ。雨橋も八幡も向山も明らかに一歩分引いている。流石にちょっと恥ずかしい。頬を触ると熱かった。
「……と言う訳で、東ちゃんとは何もない。アイツも彼氏いないし、本当はこの会にでも呼んでやろうかと思ったが、残念ながら応じてはくれなかった」
「逆に安心したぜ」
「あの娘、怖いしな」
「そうそう。怖い怖い」
三人が同じタイミングで感慨深そうに首を縦に振る。柔道部のエースの八幡にさえ恐れられる東ちゃんが少し哀れになってきた。今度クリスマスプレゼントになんかくれてやろう。カップ麺とか。
「三人とも彼女欲しいんだろ? 東ちゃん、デリカシーは無いけど見た目は割と良い方だし、ちゃんと話してみると案外思いやりのある子だぞ。たまに手と足が出てくるけど。……処女崇拝者でマゾでツンデレ好きの向山なんかにはぴったりだと思うがな」
「マジで殴られるのはちょっと……あの娘のはツンデレじゃなくてツンギレだろ常考。堂島氏以外にはデレなんてなかったんやな……」
「なら雨橋。お前はどうだ? お前さえ良ければ紹介してやるぞ」
「あの狂犬を飼い馴らせるのは堂島くらいなもんだろ。それに俺、タバコの匂い嫌いなんだよ」
「八幡」
「自分より強い女と付き合うつもりはない」
……もはや、何も言うまい。会ったこともない男三人にフラれるなんて東ちゃん可哀想。カップ麺は生麺タイプの良いのを買ってやろう。
「お前ら女子に要求するスペック高いよな。今更ながら」
「そうなのか? 俺はそうでもないと思うんだがな……」
雨橋に関しては何も言うまい。多分ボクら四人の中で彼が一番常識があってまともな性格をしている。分を弁えているってやつだ。だが問題は八幡、そして向山である。
「俺はか弱くて、可愛くておっとりしてて料理上手な娘ならそれで……」
「エロくてロリでアニメ声で、でもちょっと無口系な素直クールならそれで……」
「高過ぎる……! っつーか前より高くなってるよねそれ!」
どちらも深刻だ。
多分、長年女に飢えているせいで、彼らにはもはや普通の女子では足りないのだ。ハードルを下げればいいんだが、耐えた分だけご褒美が大きい筈だと期待してしまう自分も居る。これに抗うのは至難だ。そうして年々要求するスペックが高くなっていき、彼女が出来ない悪循環に陥る。
なんて絶望的な未来。
「一時期は堂島にラブレター書いてもらって、クラスの誰かと付き合うのもアリかと思ったこともあるがな」
雨橋が遂に缶ビールに手を伸ばした。プルタブが軽快な音を立てて開き、中身を軽く煽る。
ボクはビールは苦いだけで好きじゃないんだが、雨橋は前に同じように親父の分を拝借した時もガバガバ飲んでいた。もう舌がオッサン化しているに違いない。
「あんな不気味なもんには頼りたくねえしなぁ」
「そうだな。一生堂島に頭が上がらなくなりそうがするし」
「って言うか長い人生、色んなおにゃの子と付き合いたいってか合体したいってのが本心」
ボクのラブレターをコイツらは『離婚出来ない婚姻届』のようなものだと捉えている節がある。
そんなんじゃない、と以前なら強く言えたんだが、もうそろそろそんな反論さえ虚しくなってきた頃だったりする。しかしボクのラブレターが呪いの手紙であると正しく認識しているのはコイツらと東ちゃんくらいなもんだ。
その他大多数は未だにボクにラブレターを書いてくれと必死に願いに来る。……なんか辛くなってきたから、飲んで忘れよう。どうせ今は冬休みなんだ。
雨橋同様に缶ビールを開けたボクを見て、八幡と向山もそれに倣った。飲み始めたらもうあとは真面目な話をすることも出来ない。ただただバカみたいに笑うばっかりになるだろう。
それが一番良いんだ。
「乾杯だこんちくしょー!」
「かんぱーい!」
ボクの号令に乗っかって、全員が缶を一気にひっくり返した。我々ノーラバーズ小隊の十七歳のクリスマスイブはそんな風に過ぎていった。
*
クリスマス直前の期末テストを終えると、ボクの通う高校は二週間ばかりの冬休みに突入する。
今日は十二月二十五日。昨日忘年会も兼ねたクリスマスパーティを終えたことで今年の行事も全て消化。今年も残すところあと約一週間だ。
色々あった年だった。ラブレターの代筆に関する想い出が全体的に強烈過ぎて、他をあまり覚えていなかったりもするけど。
それはそれとして、ボクは激烈な二日酔いに痛む頭を抱えながらも高校に脚を伸ばしていた。今日はまだ用務員さんがいるが、明日になるとその人も正月休みに突入し、校舎に入れなくなる。ボクは一月二日の書き初めをするための書道用具を部室に置きっぱなしにしていたのをすっかり忘れていたのだ。
家にある予備の道具でも良いのだが、やはり書き初めくらいは気合いを入れて使い慣れた筆と文鎮を使いたいのが人情だろう。
「おや?」
教務室に美術室の鍵を借りに行ったのだが、既に貸し出されていた。
この時期に高校に来るのはボク一人だろうと思っていたのだが、先客が居るらしい。教務室を出て、校舎一階の隅っこにある美術室の中に入ると、既に暖房が付けられて時間が経っていたのだろう、心地よい暖気がボクの冷たい頬を撫でた。
「あ、先輩……おはようございます!」
広い美術室の隅っこにポツンと慰み程度に置かれているストーブの前でしゃがみ込んでいたのは、線の細いセミロングの美少女だった。年上から好かれそうな玉のように可愛らしくて丸い童顔で、くりくりと黒目の大きい眼でこちらをジッと見つめる彼女は、桜色の小さな唇を三日月型に歪めてニッコリ微笑んだ。袖丈の余ったちょっと大きめなブレザーがまた狙ってやってるんじゃないかと思わせる程にあざとさを増大させ、同時に庇護欲を掻き立てる。
彼女は紺野薫。ボクの一コ下の学年で、我が美術部が誇る屈指の美少女だ。東ちゃんも可愛いところはあるが、アイツはそれ以上に凶暴な野生を孕んでいる。
紺野ちゃんはそんな野生なんて全然感じない。温室育ちのハムスターよりも闘争心に欠けるような温和で平和で朗らかな女の子である。
「紺野ちゃんか、どうした? もう今年は部活ないはずだけど」
「私は彫刻刀を取りに。家にあるのが刃こぼれしてしまったので……」
てへへ、と照れ笑いをしながら彼女は小さく舌を出しておどけた。どうやらボクと変わらぬ理由らしい。彼女は粘土細工を捏ねるのが得意な美術部員で、ボクは勿論としても絵描きの東ちゃんとも違う方角を見ている。指先の器用さと作業の早さが売りで、約一月前に行なわれた文化祭に出展された、製作時間およそ二週間足らずの彼女の彫刻は県高校美術展賞の優秀賞に選ばれている。
ボクの作品は……言わずもがなだろう。絵の具書道なんて意味不明な作品は、他の部員と顧問にさえバカにされてるんだ。作品の完成にさえ至らなかった東ちゃんよりはマシかもしれないが、ボクら二人が他の部員から色々陰口を叩かれている事実は既に把握している。
だが、紺野ちゃんはボクらとあまり話したがらない他の部員と違って、ボクや東ちゃんを邪険に扱うことはしなかった。むしろボクの作品には『発想が凄いです!』なんて言って感激してくれる程で、当時は思わずほろりときたもんだ。
顔立ち綺麗なのに心まで綺麗。完璧超人ここにあり。部内の女子でもダントツに高スペックだ。
「先輩は何しに?」
「筆を忘れちゃってね」
「それはそれは、寒い中ご苦労様です。ささ、こっち来てあったまりましょーよっ!」
彼女は忌憚なくボクを手招きした。
御言葉に甘え、ストーブの真ん前から半歩脇にズレた紺野ちゃんの隣にしゃがみ込んで、手をかざす。血が徐々に通っていく感覚が戻ってきた。今年の冬は冷える。薄い毛糸の手袋をしたところで大した効果は得られなかった。
「……ふー、生き返る」
「やだ先輩。おじさん臭いですよ」
「おじさんて……まぁ、そうかもな」
昨日はクリスマスだと言うのに夜通し酒宴を繰り広げた訳だし。オッサンもいいとこである。
「……そう言えば紺野ちゃんは、イブの夜どうしてた?」
言ってから気がついたんだがもしも『彼氏と一緒にしっぽり……』とか『しかもその彼とこれからデートで……』とかだったら、これ普通にセクハラじゃないか? こんないい子なんだし、そりゃもう周りの男が放っておかないに決まっている。しかし紺野ちゃんはボクのそんな懸念を吹き飛ばしてくれる程満面の屈託ない笑みを浮かべてくれた。
「美術部の一年生全員でパーティしたんですよー! とっても楽しかったです!」
「へぇ……ん? 全員って……まさか東ちゃんもか?」
「はいっ!」
どうやらボクが誘った時には先にこちらのパーティに出席することが決まっていたらしい。言わなかったのは何故だろう。あぁ、面倒だからか。
「奈々ちゃんも最初は行きたくないーって駄々捏ねてたんですけど。必死にお願いしたら来てくれました!」
「そっか……東ちゃん、楽しそうにしてたかい?」
「やっぱり皆とはちょっと距離をおいてましたけど……でも一緒にゲームしたりお話ししたり、普通に楽しんでくれました」
ならば良し。少々孤立気味な東ちゃんが美術部の皆と仲良くできるなら、それに越した事はない。巣を旅立つ雛を見守る親鳥のような心境でしみじみしてると、紺野ちゃんがこれまた楽しそうに笑いながらボクの肩を突つく。
「奈々ちゃん、先輩の話ばっかしてましたよ?」
「…………そうかい」
「お二人って本当に付き合ってないんですか? ね、ね?」
「ないね。残念だけど」
ボクに出来る切り返しは、精々そっけない振りをしてさっさと話題を変える程度のことであった。別に東ちゃんに好かれて悪い気はしないんだけど……ボクにも色々あるのです、はい。
「ボクもパーティだったんだけど……酷いもんだったよ」
「今更だけど、まさかお酒飲みました? ちょっと息が臭いです……」
「バレたか……そうだよ。モテない組四人で」
昨日は結局酒を勝手にパクったことを親父に適当に怒られ、しかし何故か親父も一緒に飲む展開になり、結果大吟醸が一升空いた。その後もボクら四人は親父にいいように乗せられて、馬鹿みたいに酒を飲んでいた。結果的にみんな酷い酔い方をしてしまった。雨橋はキス魔と化し、八幡は暴徒と化し、向山は賢者と化し、ボクは……三人を足して三で割った感じだろうか。
ボクの部屋は今日一日かけて大掃除をしなければならないだろう。誰も吐かなかったのが幸いだが、それほどまでに荒れている。
「思い出すだけで頭が痛くなる。向山の鼾はうるさいし、八幡も暴れ出して部屋を滅茶滅茶に……」
「未成年がお酒なんて飲むからですよ。反省して下さいっ」
口を尖らせてそう叱られた。迫力はないが、良心が傷む。
「耳が痛いね……でも大丈夫。しばらくはコンビニの酒コーナーにさえ近寄れない。酒なんて見るのも嫌だ」
紺野ちゃんの口振りから察するに一年生連中は酒は飲んでいないようだ。是非来年以降も健全な高校生のままでいて欲しい。ボクらみたいに恋人がいないことを嘆いて、世のカップルを恨むような荒んだ馬鹿共になってはならない。
「モテない四人組って、先輩が前に話してた……」
紺野ちゃんがふと無表情でそんなことを訊いてきた。構成員をいつ話したかは覚えていないが、いつかの雑談でポロリと零れたのだろう。
そんな細かい所まで普通覚えているだろうか。ちょっと疑問に思う。
「雨橋、八幡、向山、そんでボクだけど」
「皆さん、もうお帰りに? お掃除もしないで?」
「いや、まだ全員ボクの部屋で寝てるんじゃないかな。朝まで飲んでたし、帰る体力もないだろ」
「…………」
「どうした、紺野ちゃん」
「いえ、なんでもないです」
紺野ちゃんはおとがいに指を置いて、何かを考えるように視線を足元に落としている。なんでもない割には悶々とした空気が頭から立ち上っているのが見えているような気がして、ボクは黙って彼女を眺めるばかりだった。
やがて一つ小さく頷いた後、紺野ちゃんはなにやら決意めいた物を秘めた燃える瞳をボクに向けた。
「先輩、私お掃除手伝います!」
「は?」
「好きなんですよ、掃除! 汚い部屋って聞けばそりゃもう綺麗にせずにはいられないって言うか」
「ちょっと待てオイ」
両拳を小さく上下させて意気込んでいる紺野ちゃんには悪いが、ボクは女の子をあの男のるつぼと化した部屋に招く勇気はない。そもそもボクの部屋には女の子に見られちゃマズいものだって沢山あるわけで、そんなもんが紺野ちゃんの目にさらされては彼女の天使が如く神聖な瞳があっという間に軽蔑と言う名の暗雲に覆い尽くされるだろう。
挙げ句、部内に「堂島駿介は巨乳の金髪外国人にヒールで尻を踏まれるシチュエーションが一番興奮するらしい変態マゾ野郎」なんてあながち間違っていない噂が流れた日にゃ、ボクは北風吹き荒ぶ冬の荒浜海岸で入水自殺を図る。
そんなボクの命と名誉に関わる事態だと言うのに、この紺野ちゃんときたらそんなボクの意向は完全無視するつもりらしい。勢いよく立ち上がってストーブの前から離れていく。
「思い立ったら即実行。忘れ物も取ったんだし、早く行きましょ!」
「……勘弁してくれ紺野ちゃん」
「土下座っ!?」
気がついたらボクは両手を床に付き、頭を深く垂れていた。自然に出てしまった。紺野ちゃんも慌てて、「土下座なんて止めて下さいよっ!」ボクの肩を引き上げる。
「そ、そんなに来て欲しくないんですか?」
「むしろ、どうして行きたいなんて言うんだ。驚き過ぎて自然に土下座しちゃったじゃないか」
「いや土下座って普通自然には出ませんけど……」
「話を逸らすな紺野ぉ!」
「ぴぃっ!」
先輩らしく一喝すると、紺野ちゃんが驚いて気を付けの姿勢をとる。自分でも分かる。まだボクは結構動揺している。次いでに酒が残っていてテンションがおかしいんだ。
だから怒鳴ってゴメン紺野ちゃん。後で学校の自販機で温かいココア奢ってあげるから許してくれ。
「お前の目的は分かってるぞ!」
「え!? ど、どうして!?」
カマかけたらやっぱりだ。何か別に目的があるらしい。……まぁ、汚い部屋を掃除したい欲求なんてものがあるのなら相当の変人だけど。
「やっぱりなぁ、紺野……君は……やはり……ふむ、前からそう思っていたんだよ」
「は、はいぃ……」
実際彼女の目的なんてさっぱり見当がつかないので具体的には何も言ってないんだが、紺野ちゃんは頬をほんのり桃色に染めて、肩をすぼめて俯きながら両人差し指を突つき合わせている。
可愛い。
なんだこの小動物。持って帰ってウチで飼ってもいいでしょお母さん。
「その……先輩、やっぱりダメ、ですか?」
「そんなに行きたいのか……」
「だ、だって……雨橋先輩とお話できる機会なんて今まで殆どなかったし……」
恥ずかしそうに俯いて、それから先は何を言っているのか声が小さ過ぎて聞き取れなかった。遂に尻尾を見せた。なるほど彼女の目的は、恐らくまだボクの部屋で眠りこけているであろう雨橋と会うことらしい。
……って、あれ?
「雨橋と話がしたい?」
何故? それは一体どう言う意味だ? もう半分くらい結論出てるけど、それを認める訳にはいかない。だってボクらは昨日モテない軍団の契りを改めたばかりじゃないか。昨日の今日で隊を抜け出すなんて……。
「……紺野ちゃん、雨橋のこと好きなの?」
「へ? それは、その……そそ、そうなんですけど、先輩さっき……はれれ?」
認めた。次いでにボクの高度(笑)な心理誘導に引っかかったことも理解出来たのか、紺野ちゃんはみるみる顔を赤くして、両手で覆った。そして声にならぬ呻きをあげてしゃがみ込んでしまったのをいいことに、ボクはその場から逃げ出すべく彼女の脇を通り抜けようとしたのだが、ズボンの裾を掴まれてしまった。
全力で振り切ればほどけるくらいの弱々しい力で掴まれているからこそ、無碍に振り払うことは出来ない。こんなボクでも良心はある。
「うええぇん……先輩、酷いよぉ」
「な、泣かないでくれよ。別にボクに知られたってなんてことないだろ?」
「先輩絶対言うもん! 雨橋先輩に絶対バラすに決まってるもん!」
「し、しないってそんな酷いこと」
「だって奈々ちゃんが『堂島先輩は恋愛沙汰に関してはより残酷な結末になるように事を運ぶ人間だ』って」
あの女はどうしてもボクの思う通りに事を運ばせたくないらしい。なんでこの場に居ないくせにボクの邪魔をするんだ。何の恨みがあるんだよ。……でも実際のところ、面白半分にうっかり話していたかもしれない。東ちゃんはボクという人間を良く分かっていらっしゃる。
「……仕方ない、家にも連れて行ってやる。だから泣くなよ」
「ほ、本当に?」
敬語を忘れて聞き返してくる紺野ちゃん。小首傾げながら潤んだ瞳で上目遣いとか反則だろ。ボクをフォーリンラブしてどうするつもりだ。それを向けるべき相手は雨橋の筈だろうに。
「家には上げん。ボクがウチに帰ったら雨橋達も帰らせる。……そうだ。折角だから雨橋と二人でそのままデートにでも行ってきたらいいんじゃないか?」
「いいいいいきなり二人きりはちょっとハードル高くないですか? それに、もし断られたら……」
面白い位動揺している。バタバタと振り回される腕が可愛い。同時に雨橋が憎い。今なら血の涙が流せる気がする。きっと流れる。
「大丈夫だ。雨橋が女の子の頼みを断るとは到底思えない」
男がこの世で体験出来る一番の幸福は、こうして可愛い女の子とデートすることだと思う。羨ましい。実に羨ましい。と言うか妬ましい。何故神はボクにラブレターの呪いなんぞを賜った。どうせならリア充を殺せる呪いの力を与えてくれればいいのに。
「こんなこと聞くのもなんだけど、君、雨橋といつドコで知り合った?」
「実は……直接お話したのって一度しかないんです……」
訥々と、まるで宝箱の奥底にある大事なものを出し惜しみするようにゆっくりと語り出す紺野ちゃん。
「私、電車通学で……矢井田線の方角なんですけど」
「あぁ。朝はバカみたいに混んでるって噂の」
矢井田線は海沿いの路線で、そのまま直通で市の中央区まで続いているため、朝のラッシュ時は山手線もかくやとばかりに込み合うらしい。雨橋も矢井田の方角から電車で通っている筈だ。恐らく、朝の電車がたまたま一緒になることも結構あるのだろう。
「それで、ですね……」
紺野ちゃんは言い辛そうに口を開けたり閉じたりしている。根気強く待っていると、やがて彼女は決意したように、ゆっくりと語った。
「今から三ヶ月位前に、私……痴漢に遭っちゃって」
「痴漢……」
矢井田線は込み合う割には女性専用車両を設置するといった特別措置は未だに取られていないため、痴漢がよく出没すると言う噂はボクも耳にしていた。近頃は配備の話も上がっているらしいが、どうせまだ先の話だ。ボクらが在学中に配備されるとは思えない。
紺野ちゃんは痴漢については何も語らぬまま、せっつくように次の言葉を吐き出した。あまり話したくないのかもしれない。
「それで、その……ちょっと困ってたら……雨橋先輩が助けてくれたんです」
雨橋は腕っ節の程は知らないが、バスケ部らしく体はかなり強靭だ。痴漢がどんな奴かは知らないが、雨橋お得意のドラゴンスクリュー→四の字固めのコンボをかまされたら翌日までまともに歩くことさえ億劫になるだろう。……ちなみに、ボクの体験談だ。
しかし、痴漢退治なんて結構な武勇伝のネタになる話、アイツは一度もしたことがないぞ。
「多分、黙っててくれてるんだと思います……」
確かに進んで言いふらすのは流石にデリカシーに欠けるとは思うが、その辺は上手にぼかせそうなものだが。……それか、そうやってぼかしてさえ口外する気がない、のだろうか。
だとしたら、中々見上げた真面目な青年である。ボクが同じ立場で、そこまで出来るかどうか。
「結局、お話をしたのはそれきりだったんですけど……」
「そのときに惚れた?」
「だって……かっこよかったんだもん」
モジモジ身を捩りながら小さく首肯する紺野ちゃん。
あぁ畜生なんで雨橋みたいな野郎がこんないい子のハートをキャッチしちゃうんだろうなぁ。ボクだっていざとなれば痴漢くらい退治する所存だというのに。……いや、いざとなったらヘタレて見て見ぬ振りするかもしれないけど……うぅむ、中々難しい。なんせ想像できない。
「痴漢に遭わないように、空いてる早い時間の電車に乗るようにって先輩に釘刺されちゃって……結局、先輩とはそれきり話は出来てません」
「誘えばいいんじゃない? 痴漢が怖いんで、また同じ時間の電車に」
「そんなの告白と一緒じゃないですかっ!」
飛ぶ練習をしている雛鳥みたいに両腕を暴れさせながら、紺野ちゃんは赤い顔のまま叫んだ。
「告白とまではいかないって。痴漢の恐怖ってのは男には分からんから『あぁこの子本当に怖いんだな』ってむしろ同情しちゃうね」
「……そうなんですか? へ、変に思ったりしないですか?」
「思うわけないさ」
だから、今日雨橋と一緒に家に帰れ。そんで、その道すがら、その話をしてやれよ。一緒に学校行って下さいって言ってやれよ。ボクはそうやって紺野ちゃんを後押しした。紺野ちゃんも、決意が出来たのか、深い深呼吸をした後に覚悟を決めて頷いた。
*
その後、紺野ちゃんから聞いた話では、冬休み開けからは二人は一緒に登校出来るらしい。「先輩のお陰です、本当にありがとうございました!」と絵文字タップリデコメールで来た時は若干テンションの高さに引いてしまったのだが、悪い気分はしなかった。
雨橋の方にも話を聞きたかったのだが、その話になると雨橋は急にバツの悪そうな顔をして黙り込んでしまう。
慣れない異性との甘酸っぱい青春を話すのは、少々照れ臭いみたいだ。ボクはそのときは、そう考えてはしゃいでいたんだが……勘違いを思い知らされたのは、そこからしばらく先だ。
時は、正月もとっくに終わって学生の全員が重い腰を上げざるを得ない三学期が始まってから、更に一週間後にまで進む。