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You love him.  作者: ずび
第二話 〜I want to love pig〜
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2 籠の中の中原凉香

 執事が出ていって僅か数分後、見た目麗しい色白の美少女がしずしずと上品な足取りで部屋を訪れた。

 クラスの女子とか町中を歩く一般女性とは、文字通り風格が違う。

 ウェーブがかった茶髪、宝石みたいに綺麗な瞳、小降りで可愛らしい鼻と唇、小さいけど起伏ある艶かしい体つき。来ている服も眩しい白のフリルつきブラウスと、夕闇が如く色合いの美しい紺色のスカート。

 ボクより少し年上なのだろう。年は大学生くらいに思えた。少し垢抜けた大人の雰囲気を身に纏ったナイスレディといった感じだ。……思っていたより派手派手ではない。けどきっと、服とかネックレスとか、ボクが聞いたら飛び上がるような額がつくんだろう。

 よくこういうお嬢様を形容するのに「まるで人形のような」と言うのがあるが、彼女からはそんな単語は連想出来なかった。

 落ち着いたしっかり者の、イイトコの年上お嬢様。それがボクの第一印象である。


「貴方が、堂島駿介様ですか?」


 声を聞いて驚いた。外見とは噛み合ないくらいにガラガラに枯れ果てている。カラオケで歌い過ぎたか、風邪でも引いているのか、元々ババア声なのか。

 凉香お嬢は部屋の片隅にあった椅子をわざわざボクの正面に持ってきて、そこに腰掛けた。


「はい。そうですが……声、どうしたんですか?」

「お聞き苦しいかとは思いますが、ご容赦下さい」

「……理由になってないけど、まぁいいです。それで、ラブレターの話なんですが」

「存じております」


 当たり前か。なにせ自分の身柄が関わっている事態なんだから、知らされていない訳もない。多分、ボクが書くラブレターがいかなる代物であるかも。


「……堂島様、どうか迷わずに書いて下さいまし」

「は?」

「私は秀久おじ様の事を愛しております。ですからどうか、早く」


 なんかちょっと執事の兄さんの話と違うぞ? お嬢様には意中の殿方が他にいるんじゃなかったのか?ボクがそれを尋ねると、凉香お嬢様は首を勢いよく横に振った。


「そんな方居ません!」


 悲痛になる位に必死な声だった。しかも居ないって言ったくせに、顔は俯けて悲しそうに目を伏せている。


「じゃ、顔上げて、もう一度言って下さいよ」

「そんな方……居ません……っ」

「目、潤んでますよ」


 凉香お嬢は慌てて指で目元を拭った。ボクの目の前で。天然かこの人。自分でもそれに気がついたのか、顔を俯けて耳まで赤くしている。ちょっと面白いと思ってしまったボクは自分が思っている以上に嗜虐趣味があるらしい。


「居るんですよね」

「……くぅ」


 今の子犬みたいな鳴き声は、もしかして彼女の唸り声だろうか。だとしたらこのまま彼女を虐め続けたいなぁとか思ってしまったボクは、分とTPOを弁えぬ最低のサド野郎である。流石に虐め過ぎて泣かれたり部屋から飛び出ていかれたりすると先程の執事にボッコボコにされる気がするので、自粛する。


「執事さんから聞いてますよ」

「え? え? ど、どうして? 何故神山がそんなことを」


 妙に慌てふためく凉香お嬢。辺りを落ち着かなく見回すその様子は、この間ラブレターを書いてやったクラスメイトの吉田さんを彷彿とさせた。


「あの人、神山って言うんですか」

「え、えぇ。中々気の利いた、一執事にはもったいない方です」

「最近また綺麗になったーとか浮かれてましたよ、あの執事」

「そ、そうですか…………神山が……ふふっ」


 凉香お嬢は嬉しそうに口元に微笑を浮かべて、頬をほんのり桃色にした。

 うっかり見蕩れてしまうその微笑みは、まさしく執事神山に同意せざるを得ないくらい綺麗で、ボクは生唾を飲んでしまった。ボクは聞きたいことがまた増えたのだが、凉香お嬢の顔色がすぐに元に戻ってしまったので聞きそびれてしまう。


「ですが、もう覚悟は出来ているのです。私は、秀久おじ様と共に在る運命なのだと」

「……なら、ボクのラブレターなんて必要ないでしょう。お嬢様がお嬢様の意志で愛人になればいい」


 胸の辺りを手で押さえて、悲しみを堪えている様子が痛々しい。もう片方の手は口元に添えられ、泣き出すのを我慢しているようだった。


「……やっぱり嫌、なんですよね?」

「嫌じゃありません」


 ここまで分かりやすい嘘を付かれたのは、多分ボクの人生初だ。


「嫌じゃないんなら、その朱鷺乃宮さんのどこが良いのか教えて下さいよ。それがなきゃラブレターもまともに書けない」

「…………そ、その……お、金があるところとか」

「うわぁ……」

「ち、違います間違えました! ええっとですね、ええっと……」


 かれこれ三十秒は悩んでもらったんだが、良いところの一つも上がってはこなかった。よっぽど嫌いなのだろう。


「聞き方を変えましょう。朱鷺乃宮秀久ってどんな人なんですか?」

「丁度、写真がここに……堂島様にお見せしようと思って」


 スカートのポケットから差し出された写真には、弛んだ皺だらけで丸々と肥え太った醜悪な老人がシャンパンをラッパ飲みしている図が写っていた。パンパンに膨らんだ燕尾服が『鏡の国のアリス』の『ハンプティダンプティ』を彷彿とさせる。世紀末救世主が見たら『屠殺所へいけ!』と言われてしまいそうな風貌だ。


「この首と顎のない禿げた笑顔のジジイが朱鷺乃宮さんですか?」

「この首と顎のない禿げた笑顔のジジイが朱鷺乃宮秀久様です」


 ボクに釣られてとんでもない暴言を吐き出した凉香お嬢。顔には笑顔はない。

 それどころか背筋を凍り付かせるような、ゾッとする冷たい目をしている。ボクが萎縮してしまった程だ。きっと心の底からそう思っているに違いない。仮にも愛人候補なのにここまで言わしめるこのジジイも中々のもんである。


「まぁ、見た目もアレですけど……中身の方はきっと良い人だったり」

「こちらの足元を見て、わざわざ条件として若い女の愛人を要求する人間が良い人だと?」

「……ですよね」


 スケベジジイの碌でなし。エピソードを聞くまでもなく分かることだが、凉香お嬢は勝手に話し始めてしまった。


「一度だけ、朱鷺乃宮グループ関連会社の立食パーティに出席して、お会いしたことがあります。当時私はまだ中学生だったのですが、そのときから秀久おじさまは周囲に愛人を侍らせておられました。それに、私も声をかけられて……理解出来なかったのですが、今思うと相当卑猥な言葉を吐かれていたようで」

「中学生にまで手ぇ出すのかよ……」


 ダメだ。

 秀久氏は、ボクが思うよりもずっと、擁護の仕様もないクズな男だった。もしこの秀久ってジジイが心の奥底が綺麗な人だったら、ボクの役目もいくらか救われると言うのに。


「お嬢様、こんな人の愛人になるんですか?」

「……私だって、ワガママが通るならお断りします。ですが、我が社の関連会社含め一万の従業員の未来がかかっている。選択の余地なんて……」


 凉香お嬢の目に涙が浮かび上がってきた。それは決潰したダムのように止めどなく溢れて止まらない。


「……う……あ……ああ、あああああああああああ!」


 凉香お嬢様は突如、顔を手で覆って、大きな声で泣き始めた。

 まるでかんしゃくを起こした幼子のように、恥も外聞も、先程までの凛とした姿勢も、全部投げ捨てて、彼女はボクの目を憚ることなく悲しみを全身で表現している。

 見るに耐えなくなって、ボクは目を瞑った。鋭敏になった聴覚が、彼女の枯れた鳴き声を明確に捉えている。

 きっと、彼女の声はこうして枯れていったんだ。

 好きな人が居る。でも、自分は愛人として、醜い老人に差し出される。その過酷な運命が課せられて以来、ずっと泣き続けていたんだろう。……結局お嬢様は泣き止まず、駆けつけた執事に連れられて部屋から出ていってしまった。執事の去り際に見せた振り向き様の申し訳なさそうな表情は、しばらくボクの記憶から消えることはないだろう。




  *




「朱鷺乃宮秀久様へ……か」


 今の時刻は不明だ。部屋には時計もなく、窓もないから昼も夜も分からない。目を覚ました時間も曖昧だし、ここに来てからどれくらい経ったのかも良く分からない。体を動かさないから腹もあまり減らない。そんな頭がどうにかなりそうな閉鎖空間の中で、お嬢様のあんな悲しそうな姿を見てもボクは依頼されたラブレターを書くことにした。

 酷い奴だと言ってくれるな。ボクだって嫌な役目だと自覚している。

 でもボクはこのラブレターを書かない限りここからは出られない。ボクにだってボクの人生があるんだ。

 だが、そもそも。

 このラブレターを『呪いのラブレター』にしてしまっていいのだろうか。書き方如何によってはただの紙切れにする事も出来る。条件を満たさなければ呪いは成立しない。だがお嬢様は書けと言った。つまり、ボクに呪えと言っている。

 本当ならばこれは望む所だ。彼女は良い『実験台』である。いかなる状況ならばボクの呪いを打ち消せるのか。愛は無くても呪いは成立するのか。ボクはそれを模索しているのだから。

 だが、目の前で突如泣き出した凉香お嬢の悲痛な声がボクの手を止める。可哀想だと、ボクの良心が囁きを止めない。


「……ならそもそも、なんでこんな役目が必要になるんだろうな」


 お嬢様は自分でクソジジイの慰み者にされる運命を受け入れるつもりらしい。なら勝手にやれば良い。ボクのラブレターの呪いに頼る意味は一片もない。それなのに、執事神山もお嬢様も、ラブレターを強要する。ボクにトドメを刺すことを願う。お嬢とジジイを結びつけろと訴える。

 もしかして、と思うところはある。

 ボクが書いたラブレターで結びつけられた人々は、仲違いすることは決してない。

 お嬢様は、本当に秀久さんの事が嫌いだ。仮に愛人になっても、お嬢様は耐え切れないかもしれない。……いや、きっと耐え切れないだろう。そして彼の元から逃げ出してしまえば、合併の話はご破算。中原製薬の従業員が路頭に迷うことになるかもしれない。

 お嬢様はそんな重大な役目を背負わされているのだ。だから、どんな事があっても逃げてはならない。どれだけ逃げてしまいたくても。

 もしかしてお嬢様は……自分の心を秀久さんに向けたいがためにこんな回りくどいことをしているんじゃないか?

 ボクのラブレターによって秀久さんとの仲が睦まじいものとなれば、自分が逃げ出したいと思う気持ちさえ掻き消してしまえると考えているんじゃないか?

 秀久さんを嫌う感情も、自分の本来の好きな人への想いも完全に封印してしまうために。自分の押さえなければならない感情に完全に蓋をして、二度と開かないように。

 二度と苦しまないように。


「凄いなぁ……」


 もしもそうなら、凄く勇ましくて、凄く切なくて、凄く馬鹿げた決意をした人だ。

 自分の感情をそんな無碍に扱って、全く望まぬ想いを胸に宿して、他人のために自分を投げ出すなんて。ボクが同じ立場だったら、きっと何も決意出来ないと思う。クソジジイの愛人になる決意も、それを断って逃げ出して好きな人の元へ向かう決意も、全部かなぐり捨てて逃げ出すかもしれない。

 でも凉香お嬢は選び取ろうとしている。自分の感情を捨て去る決意を。

 声が老婆のように嗄れてしまうまで絶望に泣き叫びながら、それでも自分を捨てるつもりなのだ。

 ボクは再び羽ペンを手に取った。

 ボクも決断しなければならない。

 人の覚悟を、ボクの一存で無碍にしてはならない。

 ひとたび心を決めると、文面はスラスラと書き進めることが出来た。

 彼女の偽らざる気持ちを書き記す。

 私は貴方が嫌いです。ですが、我が社の社員のために、貴方の愛人にさせて下さい。

 書いていて目眩がしたが、ボクはそう記した。インクが渇いたのを見計らって、それを三つ折りにして封筒に差し込む。

 だが、それだけで済ますつもりなどボクには毛頭無い。

 彼女の心を生かすも殺すも、全てはボク次第。ならばボクのやりたいようにやらせてもらうじゃないか。

 ボクは、今しがた書き終えた手紙の端を千切って、そこに短い文をしたためて同封した。

 ……これがボクなりの答えだ。


「あとは、なるようになれ……!」


 全てが上手くいく結果なんてないのかもしれない。だからボクには、自分に出来る事をやるしかない。

 好きな人が居ることを看破された時の凉香お嬢は、本当に可愛かったのに。残念だ。こんな結果しか招けない自分の呪いが。

 どうせ不気味な力なら。

 もっと、自分のやりたい事を叶えるような力が良かった。

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