11 命運を分ける朝
次の日は呆気なく訪れたが、ボクは東ちゃんの家を出てからどう家に辿り着いて、そこで何をしたか殆ど記憶が無かった。
ベッドで起き上がり、寝間着を着ているのと考えるとちゃんと規則正しい生活をしていたらしい。ただ、目が痛い。待ち針でも突き立てられているのかと思って部屋の姿見で確認すると、目の周りが真っ赤に腫れていた。
向こう三十年分は涙を流したに違いない。
それでも一晩眠って、痛みに耐えながらも顔を洗うと随分と頭が澄んでいた。
東奈々。
彼女と出会って丸一年とちょっと。多分東ちゃんと知り合ってからのこの一年間で、一番言葉を交わしたのは彼女だ。雨橋でもないし向山でも八幡でもなく、彼女だ。それ程までにボクは彼女と長い時間を共に過ごした。ボクは、共に過ごした時間の長さはそのまま親睦のバロメータになりうると考える。
勿論それだけじゃないだろうが、それでも重要なファクターだ。
だからボクは東ちゃんに全幅と言ってもいい信頼を寄せていた。そしてボクが彼女を信頼するように、彼女もボクに好意的感情を持っていたと思っていた。それが男女の仲だろうが、友人としてだろうが。
いや、ある意味では好意的感情かもしれない。
さもしい独り相撲をとるボクを、左団扇で眺めていたのだから。ケージの中で脱出の手段を探すハツカネズミを見下ろして、大笑いしていたのだから。一体どんな気持ちだったのだろう。
ボクにはその気持ちがわかる……筈なのだろう。
全てを自分の掌上で転がすかのような全能感を、ボクはこの一年間で幾度となく体験した。それを味わう心の余裕は無かったけれど、けどそれでもボクの力で踊らされている奴らを見ているのはどこか胸がすくような気分だった。
だからきっと今彼女は、
「…………」
……だが、どうにも信じられない。
あの子の事は良く知っているつもりだ。
彼女は、気に入らなければすぐに蹴り飛ばすし、笑う時には豪快に笑う。クールぶってる割には、かなり熱血で、言いたい事はキッパリ言う、さっぱりした性格だった。
それら全てがボクの目を欺く為の演技じみた所作だったのだろうか。ボクが見てきたこれまでの数多の彼女の姿は全てまやかしだとは到底思えない。
でも、だとしたらどうして。
どうして彼女自身の力について黙っていたのかが分からない。ボクが呪いを解く力を探していた事を、彼女はずっと知っていた。彼女が親しいボクにずっとその事を伏せていた理由はなんだ。
……よく、わからない。
家族が既に出払った寂しいリビングで、朝食を準備する。といってもツナにマヨネーズを混ぜて、それを焼いたトーストに塗って食うだけである。昨日の夜は夕飯を食べなかったせいか、朝から結構腹ぺこで、ボクは二枚目のパンに手を伸ばしたその時だった。
玄関のチャイムが鳴り響く。
「こんな朝から?」
一体誰が、と碌に確認もせずに玄関の引き戸を開けた。
「……はよっす」
玄関の外に立っていた女は、東奈々だった。今日はちゃんと制服を身に着けている所を見るに、随分朝早いがこれから登校するのだろう。昨日の出来事なんてまるで嘘かなにかのように、ケロッとした顔である。むしろどこか清々しささえ垣間見える程の爽やかな表情で、ボクを更に苛つかせた。
「……なにしに来た」
「前に先輩に漫画借りてたろ。アレ、返すの忘れてたなーって思って」
そう言って手にしたビニール袋を突き出す東。
中には、確かにボクが前に貸してやった漫画本が乱雑に積まれていた。これはしかし、要らなくなって押し付けてやった漫画ではなかったか。記憶を辿るのも面倒で、ボクはそれ以上は考えないようにした。
「んじゃ、それだけなんで」
「あぁ、じゃな」
ボクはそう言って一方的に玄関戸を締めた。
東は少しだけ玄関の前に立っていたようだが、やがてトコトコと去っていく。それを見送ってから、ボクは山と積まれた漫画本を部屋に戻すことにした。袋をひっくり返すと、どさどさと合計五冊もの単行本が出てくる。
それらを本棚に戻していく間、一冊だけ妙に厚ぼったい漫画本を見つけた。
「なんだこれ」
上から覗いてみると、何か厚い紙が挟まっているのが見えた。
A4サイズのルーズリーフの束が四つ折りにして挟まっていたのだ。
一体何を挟んでいるんだあの女は。
取り出して広げてみる。
そこには長い文章が書かれていた。
そしてボクは、それを読み始めた。
……読み始めてしまった。




