5 手ぶらの見舞い
部活を終えて帰宅し始める午後6時過ぎ。風は相変わらずの猛風。雨も多少弱まりはしたが今だに雨雲は我が物顔で空を席巻しており、今朝傘をへし折られたボクと紺野ちゃん(彼女もまた、ビニール傘を破壊されてしまったそうだ)は東ちゃんが住まうアパートに向けて全力疾走した。
アパート『ひまわり荘』に辿り着いた頃には、二人とも雨で濡れてんのか汗で濡れてんのか区別がつかない程走った後だ。
「ハァッ、ハァッ……こ、ここが、ハァッ、奈々ちゃんの、ハァッ……ア、パートです……」
両膝に手をついて、荒い呼吸を必死で整えながらも、紺野ちゃんはそう言った。
わざわざ言わなくても分かっている。返事は出来そうにない。座り込んで上を向いて、少しでも新鮮な酸素を肺に入れようと四苦八苦している。肺がメチャメチャ痛い。普段、もう少し運動しておくべきだった。
「ゼェッ……しっかし、ゼェッ……このアパート、古いなぁ……」
築何十年なのだろうか。外壁には所々でヒビが入っているし、ボクらの屋根代わりになっている、二階へと続く鉄製の外階段は錆でボロボロ。外には十数年前の型の共用の洗濯機が置かれているし、部屋の扉同士の間隔を考えても、精々ワンルーム。家賃も結構安上がりだろう。
「ハァッ、部屋番は、102、です」
102号室はボクらのすぐ後ろにあった。
プラスチックのナンバープレートが取り付けられた木製の扉には、中央に鍵穴があるチャチいドアノブがくっ付いている。このちょっと頑張れば余裕でぶち破れそうな軽い扉が、東ちゃんの家の入り口らしい。
立ち上がり、目と鼻の先に玄関チャイムを鳴らす。壁が薄いのか、チャイムの音が外に漏れていた。
「出ないな……」
十秒程待っても出てこないので、試しにノブを捻ってみると、ドアは呆気なく開いた。
紺野ちゃんと顔を見合わせる。彼女が小さく首を傾げたのを確認してから、ボクはゆっくりとドアを開いた。玄関は人が一人やっと入れるくらいに狭いので、ボクが先に足を踏み入れる。
靴はあった。学校指定のローファーと私生活用らしきスニーカー、軽い外出用らしきつっかけの三つが、意外にも行儀良く並んでいる。
立ち入ってすぐの台所は使われた形跡が殆どなく、不自然に清潔である。そしてその少し奥にあるのは、恐らく風呂場であり、薄い扉の向こうからシャワーの音がこちらまで響いてきている。
あ、これはもしかして、と思ったら、水音が止んで風呂場の扉が開き、中から東ちゃんが出てきた。
残念な事にこのアパートの部屋には脱衣所がないらしく、風呂場を出ればすぐに玄関である。東ちゃんは、当然のように裸のまま出てきた。
「え……!?」
目が合った。東ちゃんはこちらがビックリするぐらい目を大きく見開いている。
まず玄関が開いている事に違和感。そして男が入っている事に恐怖。男がボクであった事に……なんだろ、激怒、とかか。そしてボクの視線は、まるで吸い込まれるように、露になった彼女に肢体を滑り始める。
肌は意外にも白い。だが、ボクの目は捉えてしまう。そこに強烈な違和感がある事を。
「……え、えと、嘘、ちょ、なん、あ、わあああああぁぁ!」
酷く慌てた様子の東ちゃんが、慌てて床に投げ出されていたバスタオルで体の正面を隠す。顔が真っ赤だ。当たり前か、今までシャワー浴びてた訳だし。きっと羞恥じゃない……と言う言い訳は苦しいか。
普段はパサパサの髪の毛もしっとり濡れて頭に張り付いている。おかっぱ頭みたいになって何となくかわいらしい。
「いつまで見てんだエロ島! 出てけ!」
東ちゃんが台所にあった新品同様のフライパンを振りかぶったのを見て、ボクは慌てて玄関から外に脱出した。数瞬後、フライパンを投げつけられた扉が激しく軋む音が聞こえて、戦慄すると同時に胸をなで下ろす。
「先輩……」
紺野ちゃんがボクを軽蔑するようなしかめ面で見つめている。待ってくれ。これ今の、ボクのせいなのか。シャワー浴びてるなんて知らなかったんだ。
「なんか、幻滅です。もっと紳士だと思ってたのに……」
「君がGOサイン出したんじゃないか」
「そんなサイン出してないです。ただ、女の子の一人暮らしなのに鍵かけないなんて変だなぁって」
確かに変かもしれない。だからこれは鍵をかけない東ちゃんのせいだ。ボクは悪くない。
そうは言ってもバッチリ見てしまったボクは明らかな加害者。いわば交通事故みたいなもんだ。子供が電柱の影から飛び出てきたんです、だからわざとじゃありませんと言っても後の祭り。
ボクはどうやってムクれた紺野ちゃんと、ブチ切れた東ちゃんの機嫌を取るか必死で頭を回すが、今しがた東ちゃんの裸体を見た衝撃で頭が碌に回らん。それがただの裸ならば、ボクはそれほど慌てなかったかもしれない。女の裸を見るのだって、別に初めてじゃない。
だが、ボクの目が間違っていなければ、東ちゃんの体には……
「……も、もう、良いっすよ」
ジャージに身を包んだ東ちゃんが、ばつの悪そうな顔を出してそう言ったので、ボクたちは上がらせてもらった。




