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You love him.  作者: ずび
最終話 〜Scorning is catching〜
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2 絵に描いた平穏

 ゴールデンウィークが開けると、そろそろ春の温暖な陽気は次第に初夏の刺激を帯び始める。今年は季節が前倒しになったのかと思う程暑く、まだ五月の頭だと言うのに、制服のブレザーの厚さに嫌気が差してきた。

 それはボクだけではないようで、学校全体で見ても真面目にブレザーを羽織っているのは精々半分程度と言った具合だ。中にはワイシャツさえ脱ぎ出してTシャツで過ごす奴も居る。

 クラスメイトの向山が前面にデカデカ萌えアニメキャラがプリントされたシャツを着て、黒板に出て数学の問題を解かされているのを見た時は、奴との友人関係を再考すべきかと本気で思ってしまった。

 一方のボクはブレザーを羽織る愚直で従順な生徒なのだが、我が美術部の後輩である不良娘こと東奈々ちゃんは向山の仲間である。


「クソあちぃ……」


 黒の無地のTシャツの襟をはためかせて胸元に風を送る東ちゃんが、本日何度目になるか分からない言葉を吐き出した。ブレザーは丸めて使われていない机の上に放り投げられ、ブラウスは腰に巻かれている。この美術部にも今、何人か制服を脱いでいる女の子はいるが、ここまでラフなスタイルなのは彼女だけだ。


「全くだ。地球温暖化の影響かね」

「……先輩って、冬になる度に『地球温暖化なんて嘘だ。こんなに寒いじゃないか』ってぼやくタイプだろ」

「良く分かったな、その通りだ」


 ウチの高校は各教室には空調が完備されているのだが、残念ながら美術室初めとする特別教室は例外であるらしい。

 その事に対するフラストレーションはボクら美術部部員のモチベーションを易々と奪い去っていく。ボクの筆が先程から一ミリも微動だにしないのはそう言う原因がある。

 と言うか、汗が和紙に垂れる程の暑さで書道なんて出来るか。止めだ。明日やろう。明日やろうは馬鹿野郎と言うが、書けぬ書を書こうと足掻く方がよほど馬鹿だ。


「先輩、この暑さを一文字で表現してください」


 東ちゃんが椅子の背もたれに全体重を預けながら、ネタ切れの合コンでの苦し紛れの一言みたいな質問を放った。四肢をだらしなく投げ出して首をのけ反らせて口をぼんやり開ける姿は、ボクが見てきた彼女の中で一番だらしがない。

 まだ年の瀬まで半年あるし、ここは清水寺じゃないのだが。ボクは碌に働かない頭を精々半回転させた。


「……夏」

「今は春じゃん」

「じゃ、春」

「春の暑さじゃねえよ」

「初夏」

「二文字なんすけど」

「恋」

「どっから出てきたその言葉」


 無意味な応酬だと思うが、ボクと彼女の間で意味のあるやり取りの方が珍しい。

 話しているうちに道具を片付け終えたボクは、今日駅前で配られていた、広告用うちわが鞄に入っているのを思い出した。ティッシュよりもこうしたニーズに合わせた広告の方がハケが良いと聞いた事がある。この暑さを予期出来ているこの会社は、きっと将来も安泰だろう。

 閑話休題。

 ボクが顔を扇いで一人涼んでいると、東ちゃんが恨めしそうにボクを睨む。


「アタシに下さい、それ」

「二百円」

「……五十円」

「百五十円」

「九十円」

「……百二十円」

「……っち」


 ポケットから財布を取り出す東ちゃん。本当に払うのつもりらしい。そこまで団扇が欲しいのか。

 そんな彼女を見かねたのか、プラスチックの下敷きをうちわ代わりにしていた美術部一年の紺野ちゃんがこちらにやってきた。彼女はジャージでエプロン装備という厚着。手が乾燥した粘土で汚れているのを見ると、本当に彼女は良くやると思う。

 紺野ちゃん以外に真面目に作品の制作に取りかかっているのは、あとは絵筆が友達な部長くらいだ。恐るべし、不快な暑さ。


「こら、先輩。意地悪しないのー」


 その紺野ちゃんに、喧嘩する園児をしかる保母のような口調で叱られてしまった。エプロンのせいだろうか、幼い頃に見上げた若かりし頃の母親に少し雰囲気が似ているように感じる。


「本気じゃないよ」

「アタシもだ。なんか飲み物買ってこようと思っただけ」

「嘘つけ」


 そう訴えると殺すような視線が返ってきたので、ボクは目を逸らす。手をひらひらと振りながら、東ちゃんはのんびりとした足取りで美術室から出ていった。その背中を見送って、紺野ちゃんが呆れたように肩を竦めた。


「もう、二人とも意地悪だなぁ……」

「ボクもなの?」

「先輩の方が意地悪だと思いますよ。奈々ちゃん、ああ見えて素直じゃないですか」

「おや? ボクは捻くれていると」

「はいっ、ものっすんごく捻くれてます」


 彼女は、からころと古典的表現を用いたくなるように、冗談めかして朗らかに笑うので、ボクもそれに釣られて笑ってしまった。……紺野ちゃんが雨橋に振られたのもかれこれ四ヶ月程前になる。

 当時は相当ショッキングだったらしくて、しばらく美術部にも顔を出さなかったのだが、最近はおおよそ元通り、今まで通りの優しくて明るい彼女を取り戻している。吹っ切ったのか、と野暮を言う勇気はボクにはないが、そう祈る。


「さっき、なんの話してたんですか? 恋、とか聞こえてきましたけど」


 そう言う話題に耳聡いのが非常に女の子らしくて、思わず東ちゃんと対比しかけてしまった。全く、無駄である。


「下らない話さ。この暑さを一文字で表現すると、とか言う」

「それで、恋ですか。むむむ……深いですねぇ」


 無理に訳知り顔をする紺野ちゃんを見ていると少し申し訳ない気がする。ボクは別に何かしらの暗喩を込めてそう言った訳ではない。何となく適当に、頭の中に思い浮かんだ言葉を吐き出しただけで、意味なんて求める方が難しい。

 しかし咄嗟に恋なんて文字が思い浮かぶあたり、ボクの脳味噌も大分毒されている。これもラブレターの呪いか。……違うか。


「そう言えば、堂島先輩って好きな人とかいないんですか?」


 恐らく質問に他意はないんだろうけど、異性にその質問をあっさりするのはどうなのだろうか。もしかしてボクは異性として見られていないのか。聞き返して確認するのも格好悪いので、ボクは素直に質問に返答する。


「……いないよ。今は」

「えー、そうなんですか? 奈々ちゃんは違うんですか?」

「君はどうしてもボクと東ちゃんをくっ付けたいみたいだな」

「だって、うらやましいじゃないですか! 男と女の恋愛ですよ! ほら健全なんて健全超健全! ねぇ、先輩もそう思うでしょう!?」

「う、うん……」


 笑ってはいるが、紺野ちゃんの目は瞳孔が開きまくっている。俗に言う、死んだ魚の目と言う奴だ。

 改めて、やはり彼女に雨橋の話題はタブーだと認識した。それでもボクの引き攣った笑みを見て、紺野ちゃんは我に返ってくれたようで。恥ずかしそうに頬を染めて、小さく咳払いすると、ケロリと元通りの彼女に戻っていた。


「……失礼しました、忘れて下さい」

「ボクは何も聞いてないさ」

「ありがとうございます……まぁ、私の事なんてどうでもいいんです。それよりも今は先輩ですよ!」


 犯人を見つけて得意げな少年探偵みたいなキメ顔でボクを指差す紺野ちゃん。


「奈々ちゃんって、ああ見えて本当は良い子だって事は既に先輩もご存知かと思います」

「……実は心配性だったり、世話好きだったり、妙にお子ちゃま趣味だったり、な」

「ですよねですよね! 結構女の子らしいところもあるんですよ! だから先輩も」

「ブレザーがヤニ臭い事を除けばねぇ」


 紺野ちゃんの笑顔がまさしく時間が止まったかのように凍り付いた。未成年の喫煙者と言う称号は現代社会においてはそれはそれはバッドなステータスだ。紺野ちゃんも返す言葉がないらしく、残念そうに肩を竦める。


「今は確かにちょっぴりヤンチャな感じですけど、昔はもっと大人しくって女の子らしかったんですよ?」

「昔って……」

「どうしたんですか、鳩が豆鉄砲食べちゃった、みたいな顔して」

「喰らった、な。それより君、東ちゃんとの付き合いは長いのか?」

「小学校一緒なんですけど……あれ、言ってませんでしたっけ」


 そこでキョトンとされても困る。きっと言っていないから。

 しかし、東ちゃんの家は割とボクの家に近く、電車で二駅かかる紺野ちゃんの家からは少々遠いはずだ。小学校の学区も違うんじゃなかろうかと思ったのだが、どうやらそこにも事情があるようで。


「奈々ちゃんのお家、ちょっとゴタゴタしてるみたいで……」

「ゴタゴタ?」

「詳しくは、私も……知らない、んですけど……昔は私の家の近所だったんですよ。でも、途中で小学校に来なくなって、中学も少し離れた所になっちゃって。その後高校生になるまで連絡とれませんでした。……今はこの近くでアパート借りて一人暮らししてるらしいです」

「高校生なのにか?」

「はい……」


 父親や母親はどうした。

 深く追求したくなったけれども、紺野ちゃんの顔に影が差すのを見て口を噤んだ。これ以上無闇に聞くのはボクにしても東ちゃんにしても地雷になりかねない。それに、そろそろいちごミルクをチビチビとストローで飲む東ちゃんが微妙な笑顔で戻ってくる頃だと思うんだ。


「あ、奈々ちゃんお帰りー」

「ん」


 軽く手を挙げて薄く微笑んでいる東ちゃんは、ボクの案の定いちご牛乳を美味しそうに飲んでいた。

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