表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
You love him.  作者: ずび
第五話 〜Even if death do us part〜
16/34

1 恐るべき少女達

 「堂島君にラブレターの代筆を頼むと、必ず恋が叶う」

 このように語られたのも今は昔……と言う程時間は経ってないが、徐々に成りを潜めつつある。美術部後輩の紺野ちゃんの為を思って書いたメモ書きラブレター以来、ボクは一枚も代筆を承っていない。勿論、頼み込んでくる学生達は皆、必死でボクを問いつめる。この間○○のは書いたじゃないか、金払うから私の分だけは書いて、書かないと後で酷いぞ……etc。

 それでもボクは辛抱強く断り続けた。

 もう勘弁してくれ。前にそのゴタゴタで死にかけたんだ。

 ……こういう時、久米先輩に刺されかけたエピソードは非常に役に立つ。流石に命を狙われた経験と言うのは重いのだろう、この切り札は実に効果的で、大抵の人は諦めてくれる。

 だが、飽くまでも、大抵。


「……書いてくれないの?」


 出刃包丁と言うのは実に分かりやすい殺意だと思う。

 そんな物を喉に突きつけられたら、体が竦んで身じろぎする事すら出来ない。

 しかも突きつけてきている女は、仰向けに倒れているボクに馬乗りになって、お互いの吐息が顔を撫でる程近付き、しかも無表情で涙を流すと言う、好きな人には恐らくたまらないであろう病みっぷり。

 いや、最早病みって言うか、闇である。闇んでれ。

 需要、無し。


「堂島君は、マユミの事が嫌い?」


 いきなり放課後に体育館裏に呼び出されたかと思ったら、突然包丁突きつけてのしかかってくる女を好ける人間はこの世にいない。


「マユミだって、堂島君なんか嫌いだ」

「中々ラブレターを書かないからか?」

「書いてくれたら、『この世』で一番好きになってあげる。何度も言ってるじゃない」


 薄く微笑む女。要らねえよお前の血みどろに塗れた狂気の愛なんか。


「君の気持ちは分かるけどな……」

「なら、書いてよ」


 横薙ぎに振るわれる凶器。包丁が触れたのか触れてないのか、血が出ているかどうか、良く分からない。痛い気もするし、痛くない気もする。痛覚そのものが麻痺している。全身の毛穴が広がってる。サラサラの冷や汗が頬を伝う。いつ小便を漏らしてもおかしくない。今のボクはそんな状況下に置かれている。

 野球部の怒声や体育館から聞こえるバスケ部のブザーの音さえ遠く感じる。

 誰か来てくれないだろうか。例えば、今ボクらが居るほんの数メートル脇にある非常口からひょっこり誰かが出てくるとか。


「誰も来ないわよ。ここは体育館の影、校舎からは当然見えない」

「陸上部のロードワークが通るんじゃないのか?」

「遺体の第一発見者になるかもね」


 本気の目でそんな事を言いやがる。


「例え手紙を書いたって、もう五十嵐君は……」

「それでも、堂島君のラブレターなのよ」


 そう。それでも、ボクの書くラブレターなのだ。考え過ぎなのかもしれないが、最悪の結果を招く可能性だってあるかもしれない。例えそれが、彼女にとって最良の結果だとしても。


「哲郎宛てに……マユミの、ラブレター。書いてくれないと」


 血走った大きな目がボクを見下ろしている。彼女はきっと、ボクが首を縦に振るまで逃がすつもりはないだろう。以前も似たシチュエーションはあった。書くまで家に帰れない、なんて事が。が、あの時とは事情があまりにも違いすぎる。あの時は命を狙われる事も無かったし、金も出されたし、何よりボク自身の希望を加味する事も出来た。

 ボクに与えられた選択の余地は二つ。ここで殺人事件の被害者として血溜まりに沈むか、あるいは。


「君も、連れて行くよ。哲郎の待ってる、天国に」


 目の前の狂った女、阿部真由美の為に、天国に旅立った五十嵐宛にラブレターを書いてやるか。




  *




 隣のクラスの五十嵐哲郎が命を落としたのは、約一月前、三月の終わり際の事である。

 ボクは彼を見かけた事は殆どない。廊下ですれ違った記憶は無いし、彼もボクの顔なんて知らないだろう。

 なにせ五十嵐君は二年生に上がってから学校には来ていないのだから。

 不登校とは少し事情が違う。風の噂で耳にした限りでは、彼は重い病を患っていたのだそうだ。詳しい話は、ボクはよく知らない。一時は体調も回復していったのだが、ボクらが二年に上がる頃に再発、入院。以後一度も学校には登校出来ていないのだから、ボクが知らないのも無理はないだろう。赤の他人も同然である。

 それでも同学年の死、と言う事実はボクらに重くのしかかった。

 出席した葬式では、別に見知った顔でもないのに、遺影に写る同い年にしては少々やつれ過ぎた男の儚い微笑みを見て、思わず涙が流れてしまった。まだボクと同い年だと言うのに、なんて人生だったのだろうか。きっとボクの想像を遥かに超える地獄を味わいながら、それでも懸命に生きていたんだろう。可哀想に。

 単なる同情で見ず知らずの野郎に泣かれて、天国の五十嵐君も苦笑いしていることだろう。

 葬式も佳境に入り、両親の別れの言葉も終え、念仏も終わり、さぁ出棺、と言う時であった。山の様に集まっていた参列者(大半がウチの高校の関係者だったが)の中から、小さい黒い影が飛び出した。その影は棺に縋り付き、そして泣いた。


「どうしてぇ! どうして死んじゃったのよぉ!」


 狂ったように喚き散らすその影に、ボクはかろうじて見覚えがあった。あれは隣のクラスの阿部真由美だ。


「真由美、止めて……!」

「なんでなのよ、哲郎! なんでマユミを置いてっちゃうのよお!」

「真由美、落ち着いて!」


 恐らく彼女の友人であろう数名の女子が泣きながらも必死に彼女を棺から引き剥がそうとするが、阿部は棺に縋り付いて、離れない。ボクはそれを見て、思わず呆気にとられてしまった。多分、五十嵐と阿部のクラスメイトでなければ皆、ボクと同じような顔をしただろう。


「あれ、どうしたんだ?」


 何だか少し冷めてしまったボクは、後ろに座っていた風紀委員の吉田さんに尋ねた。彼女は目元の涙をハンカチで軽く拭った後に目を細めて阿部を眺め、納得いったように首肯した。


「彼女は五十嵐の幼馴染みだよ」


 幼馴染み。痒い響きだ。


「しかも、五十嵐が好きだったらしい。毎日のように見舞いに行っていたそうだ」

「へぇ」


 涙もすっかり枯れた。なんだか今すぐにでも帰りたい気分だね。


「だが、結局想いは告げられなかったと聞いている」

「……気がつきそうなもんだがな、五十嵐君も。五十嵐君は阿部さんの事はどうも思ってなかったのかね」

「さぁな。それは異性の幼馴染みがいる君の方が分かりそうなもんだが」


 ボクは優から思いを告げられるその日まで彼女を異性として見た事はなかった。案外、五十嵐君もそんなもんだったかもしれない。今となっては知りようもない話だ。


「しかし、五十嵐は良く頑張ったよ。彼は先天的に重度の心疾患に罹っていたらしい。十まで生きれれば奇跡と言われていたそうだ」

「……でももう一年頑張りゃ、一緒に卒業出来たかもしれないのにね」

「欲を出してもきりはないが……うん、そうだな。私も、そう思う」


 残念だ。

 吉田さんはそう小さく言い、もう一度ハンカチで目元の涙を拭き取った。

 棺に縋り付いていた阿部は結局彼女の友人達に引き剥がされていた。顔は涙と鼻水でグシャグシャ。恐らく整えればそれなりに綺麗なのであろう長い髪も、ぼさぼさに跳ね放題。赤ん坊の様に泣きじゃくるその様は、見ているこっちが辛くなる有様であった。




  *




 阿部真由美の事は、名前くらいしか知らなかった。

 部活で有名とか、委員会活動で先陣を切っているとか、そう言う学内に置ける目立つポジションには居ない。それでも名前を聞いた事がある。放課後になると誰よりも早く帰宅する生徒と言う良く分からない称号を持つ女子であった。その無駄のない見事な帰宅のため、「そのあまりにも早い足に目を付けた陸上部がスカウトのために追いかけたのだが、長距離走のエースが自信喪失して大会をボイコットしてしまった」「実は彼女は帰宅部と言う秘密の部活に所属しており、その部長。全国大会の常連らしい」等と冗談めかした噂がまことしやかに飛び交っていた。

 ……阿部自身がそれを否定も肯定もしていないのも噂を大きく広める原因であった。もっとも、信憑性ある噂は「学内での活動はひたすらに消極的で、文化祭も体育祭も準備はおろか当日参加もしない」と言うものだけだったが。理由は不明だったのだが、なんてことはない。彼女は幼馴染みの見舞いに毎日行っていたのだ。

 それほど彼女は深く五十嵐君の事を愛していた。

 確かに……ボクに包丁を突きつけてくるくらいブッ飛んだ女だし、妙に納得である。


「……書いたとしても、意味はないぞ」


 声は酷く震えていた。包丁の先が、ちろちろとボクの頬を舐める。


「相手に読まれなけりゃ、効果なんてないんだからな」


 ボクが代筆したラブレターだとしても、受け取った相手が読まない限り、恋が実を結ぶ事はない。これはボク自身の経験則で既に明らかになっている。

 だが相手の五十嵐君はもう故人。手紙を読むことなど勿論不可能。


「なら、どうして書くのを渋るの?」


 阿部が鋭いツッコミをボクに入れてくる。ボクの頬の皮は、既にカミソリでひげ剃りに失敗したかのように薄く切れている。


「意味ないんなら、さっさと書けばいいじゃない」

「それは……っ」


 頭を掴まれて、勢いよく押された。後頭部が固いアスファルトに叩き付けられる。目の前の阿部の顔がチカチカと明滅した。鈍痛がじわりと頭部に広がっていく。阿部はそれこそ般若面もかくやと言わんばかりに顔を怒りで歪めている。

 逆手持ちにされた包丁が、小さく振りかぶられた。


「ちょっと痛い目、見よっか?」


 阿部がそう尋ねた。どことなく勝ち誇ったような顔をしている。いつどこに振り下ろされてもおかしくはない。その包丁は確実にボクの体を抉る。逃げる術はボクには無い。


「わ、分かった……」


 阿部も満足げに微笑み、額の汗を拭って包丁を下ろした。その時だった。


「……と言うとでも思ったか! アホが!」


 ボクの言葉を継ぐかのように、そんな怒声が体育館の壁の向こうから聞こえてきた。体育館の非常口の扉が激しい音と共に蝶番ごと吹き飛ぶ。

 そこから飛び出してきた、日干ししてる牧草みたいにパサパサな髪の毛を振り乱すその女は、名を東奈々と言う。

 音に驚いた阿部が、ボクから目を離す。ボクはその隙に阿部の包丁を握っている方の腕を掴みとった。腕力そのものでは流石に負けていない。

 東ちゃんは、ボクらに向けて全力で疾走してくる。ボクは急いで立ち上がろうとする阿部の腕を掴んだまま、離さない。

 華麗に形勢逆転。


「ダァオラッ!」


 奇声を上げながら、東ちゃんは阿部の側頭部に見事な跳び後ろ回し蹴りを決めた。その蹴り技の美しさと言ったら、格闘技知らずのボクさえも見蕩れてしまう程で、しかも阿部の意識を刈り取るには十分過ぎる威力を持っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ