2 最初のラブレター
終業のチャイムが鳴る。それを聞き届けたボクが伸びをしているその脇で、優は明らかに挙動不審に、辺りに視線を配っていた。
やましいことがある人間は往々にして、やたらと周りの目を気にする。普段大して自分が見られていないのにも関わらず。優は本当に分かりやすい。
「どうした?」
「あー……ちょっと、ね」
優はそのまま鞄ももたずに教室を飛び出していってしまう。何か用事でもあっただろうか。ボクは彼女のマネージャーでもなんでもないので把握してはいない。しかし、そわそわと落ち着かない様子を察するに、恐らくは。
「また呼び出されたんだろ」
聞いてもいないのにそう断ずる男が一人、ボクの机の前に仁王立ちしている。いやにデカい男だなと思ったら、海津だった。それはそうと、何故お前がそんな憂鬱そうな顔をする。と言うか、誰だ勝手に優を呼び出した輩は。
「何故ボクがそれを知らないんだ」
「……別にお前に断る理由はないだろ」
「だって気になるじゃないか」
「米山とさっき話してた。アレだろ、アレ」
「……告白か」
「そう言うこったな……はぁ」
海津は草臥れた表情で膝を折って、ボクに目線の高さを合わせた。
優はそれなり……どころの騒ぎじゃない位、モテている。小中ではそんなことはなかったのに、高校に上がってから急激に告白件数が増えてきた。
やはり生徒数が違うと、色んな人がいるみたいだ。
小学校の頃、道ばたに落ちてた犬の糞を木の枝の先っぽにくっ付けてボクを追いかけ回したあの柳沢優が男にちやほやされるなんて。
「まさか成功、したりしねえよなぁ……」
海津よ。アンニュイな表情は、病気がちな深窓の令嬢か薄幸でバイオリンが上手い美少年にしか許されぬ特権なんだぞ。汗と筋肉を焼き鈍して出来た鉄の男は気合いの雄叫びでも吐いてろ。
「お前、柳沢さんがモテて機嫌が悪いのは分かるけど、俺に当たるのは止めろよ」
「優がモテることとボクの機嫌に何の関係がある。第一機嫌が悪いのはお前の方じゃないか」
「うわあー自覚無しか。まじ面倒くせえよコイツー」
ボクの机の上に両腕を投げ出して、とろけたようにだらける海津。止めろ。汗が付く。
「お前、なんで俺に対してそんなに冷たいんだよ」
「ボクは仲が良い奴には特別態度が冷たくなるんだ」
これは嘘ではない。実際ボクの歪曲した性格は幼い頃から変わらない真性である。
親にまで「アンタの真っ直ぐな部分は多分全部優ちゃんに吸い取られちゃったのね」と言われる程の筋金入りだ。別に兄妹じゃないんだからそれはないだろう思うんだけど。
とにかくこんな性格のお陰で、親しいと言える友人があまり居なかったりする。小学校の頃からの知り合いにはもう友達は優しかいないし、中学時代からの友人もお前くらいなもんだ。
「誇れよ、海津」
「要らねえよそんな誇り。……ったく、なんで柳沢さんはお前みたいなのと仲が良いんだろうな」
「理由を考えた事はないな。……例えばお前、兄弟は居るか?」
「兄貴が居るが」
「仲は良いのか?」
「それなりに、な。たまに宿題を手伝ってもらったりもするし」
「どうしてお前のとこの兄弟はそんなに仲が良い?」
「……はぁ? んなもん兄弟なんだからそれくらい当たり前だろ」
「つまり、そう言うことだ」
海津は納得いかないのか首を捻っているが、それが全てである。仲が良いのは、単に共に過ごした時間の長さだ。こちとら十五年も一緒に生きてきてるんだぜ。
「……ホント、羨ましい奴だぜ」
「羨ましいのか?」
「ったりまえだろうが!」
大きな衝撃と共に、ボクの机が軋みを上げた。
机を叩くな。まだ教室に残ってるクラスメイトの注目が集まってるじゃないか。だからお前のように後先考えず感情のまま突っ走る奴は嫌いなのだ。流石にこれには海津も反省したのか、小さく肩をすぼめている。それでもボクより肩幅が広い辺り、流石の巨人っぷりだ。
「お前、心配になったりしないのか?」
「何を心配する必要がある」
「柳沢さんが告られんてんだぞ? OKしちゃうんじゃないか、って思うだろ?」
「全然思わないね」
机の中身を鞄に移しながら、ボクは呆れて溜め息が自然に漏れた。
「優は断る。アイツは良く知りもしない奴の告白を受け付ける程おめでたくないさ」
「それでも、万が一は有り得るじゃないか」
「この高校に男子生徒は一万も居ない。だから安心して、お前も撃沈してこい」
「な、なな、なんのことかなぁ?」
目を逸らして口笛を吹く、なんて何年前のとぼけ方だよ。
「好きなんだろ、優のこと」
「…………悪いか」
男が女を好きになるのは生物学的本能なんだから、そこに善悪はない。なんて固い言葉で茶化してやると、海津は少し赤らめた顔を俯けて口をもごもごさせている。
似合わな過ぎる。もはや気持ちが悪い。
「お前、告白するのか?」
「…………明日、な」
そういって海津が制服のポケットから、何かを取り出した。
白地に薄ピンクの花柄が眩しいラブレター封筒だった。
吐き気を覚えるかと思った。……は、少し言い過ぎだが、きっと嫌悪感が顔から滲み出ていたのだろう。海津が肩を落として溜め息をつく。
「これ、渡そうと思ったんだが……」
「手紙で告白、か」
「……やっぱ、似合わんよな」
正直に言ってしまえば、似合わない。ギャップ萌えで良いじゃないか、なんて優しい嘘も貶し言葉にしかならんだろう。見上げんばかりの大男から掌サイズのちんまいラブレター渡されたら、優も面食らうに違いない。
「でも、俺……女の人と二人でまともに話せる自信がなくて」
「中学の頃から空手馬鹿だもんな、お前」
「面と向かって告白する勇気がない。だが、躊躇してたら他の男に盗られちまう。……ラブレターなんて男気のない女々しい行為だとは分かっている。笑ってくれても構わんぞ」
辛酸を舐めたような顔で、海津はそう呟く。なんだか身長が十センチくらい縮んでるような気がする。それくらい、今の海津は小さく見えた。笑ってやる気も起きず、むしろ同情さえ覚える。
「お前、そんなんでよく告白する気になったな。億が一に成功しても、付き合っていけるのか?」
「自分でも分かってる……だが!」
二度目の衝撃がボクの机に襲いかかった。
まるで机の泣き声が聞こえてくるようだ。痛いよう痛いよう、海津の張り手は痛いよう。
苛立ちを司る神様みたいな顔をした海津は、今にも暴れ出しそうな牛みたいに鼻息を荒くしている。
「このままじゃ、ダメなんだ……。毎日毎日、暇さえあれば彼女の事ばかり頭に思い浮かんで、他の事に手が付かん。最近……顧問にも拳に雑念が混じってると、看破されてしまった」
その顧問は仙人か何かか、と問うべきかどうか迷ったが、差して興味はないので、ボクは黙っておく。
「……ダメならダメで構わん。だが、何もしないまま彼女に恋人が出来たら、俺はこの想いをどこにもぶつけられん。それだけは嫌なんだ。だからせめて、全て吐き出してスッキリしたい。迷いを振り切りたいんだ」
「玉砕上等ってことかい。それでも突っ込むなんて、お前は本当に良く分からん奴だ」
普通ならそっと胸に封印するところを、しかしそれでも特攻するとは。むしろ勇者だよ、それ。
なんだか海津が哀れに思えてきた。ボクみたいに歪んだ性格の男とも友人を続けてくれるような、本当に気の良い奴なんだが……相手が悪い。もう少し女と普通に会話が出来て、もう少し早くから優とお互いを知っていけばそれなりに見込みもあっただろうに。
「言っちゃなんだが、フラれにいくようなもんだぜ」
「良いんだ。とにかく俺は、これで全部終わらせたい」
「……本当に、良いんだな。後悔しないんだな?」
「構わん。それっきり、すっぱり諦める」
潔い。そう言う男らしさは、ボクも見習いたいものがある。
お前、実は結構モテるだろ。お前みたいに濃ゆい男が好きな女の子って、案外居るらしいぜ。……とは言わない。優にフラれたあとの慰めにとっておくとしよう。
「……ボクに手伝える事はないか」
気がつけば口を開いていた。
なんでそんな事を言い出したのかは、自分でも良く分からない。優と海津が付き合えばいいと思っているのだろうか。
それは少し違う。海津はフラれる。フラれて然るべき、とさえ思う。
でも、フラれ方にも色々あるだろう。
海津は自分の未練をすっぱり断ち切る為に無謀な告白に挑むのだ。半端な告白で不完全燃焼してしまったら、むしろ海津は悶々として拳筋は雑念だらけで蛇行してしまう。だから、海津の恋心は綺麗に、完膚無きまでに叩き潰されなければならない。
ボクの申し出た手伝いというのは、その手伝いである。全てを吐き出し、全てを叩き潰されて、全てを捨てる清々しさを、手に入れさせるための。海津はどう受け取ったのか分からないが、感動したように目を潤ませていた。
「お前……イイ奴だな」
「あぁ、知ってたよ」
目を腕で拭ってから、海津は自分が書いたのであろうラブレターを机の上に大事そうに置いた。封はまだされていない。
「ラブレターなんか書いた事ねえから……これで良いのかどうか、わからねえんだ。ちょっと、読んでみてくれないか?」
まるで宝石箱を開けるような丁寧な手つきで、まだ封のされていないその封筒を開ける。薄ピンクの手紙が三つ折りなって入っていた。海津はそれを取り出し、わざわざ開いてボクに渡した。
「ええっとなになに……『毎日毎日、貴方の事が気になって仕方がありません』……」
毎日毎日、貴方の事が気になって仕方がありません。本来ならばこの気持ちは胸に仕舞っておこうと考えたのですが、日に日に想いがつのるばかりで、何も手に付かないのです。ですから、僕の想いを受け取って下さい。ずっと貴方が好きでした。碌に話も出来ない僕のような男臭い奴とも打ち解けてくれて、僕はとても嬉しかった。だからもっと、貴方の側にいたい。貴方と色々な話がしたい。もし良ければ、僕と付き合って下さい。
「……なるほど、な」
「どう、だ?」
海津は冷や汗をダラダラと垂らしながら、声を振るわせた。別に数学の宿題の提出じゃないんだからそこまで緊張しないでもいいだろうに。
「割と端的でストレートだとは思う。でもちょこちょこ、気になる所があるな」
ボクは手紙の皺を伸ばした。
「まず、冒頭。もう少し軽い話題から入ろうぜ。例えば、そうだな」
ボクが筆箱からシャーペンを取り出す。海津は黙っているので、ボクは芯を出して、便箋を差した。
「書き足していいか?」
「ん……うん」
「なら……この間はハンカチを貸してくれて、どうもありがとう……」
冒頭部分を適度に書き換えて、一番重要な告白の部分だ。
「少しくどいかな。もっと短くてもいいだろ」
「あ、消しゴムはこれ使ってくれ」
海津がわざわざ自分の筆箱からまだ角の残っている、新しい消しゴムを取り出した。該当部分を消去して、書き直す。字の形はボクと海津で結構違うので、ボクは必死に海津の文字を真似て書かなければならなかった。
硬筆での習字は専門外。なんとか形になるように書き直すのにはもう二度ほど消しゴムの世話になった。そして、最後の部分。
「いきなり付き合って下さい、はちょっと……な」
「え……じゃ、じゃぁどうすれば?」
「仮に今のまま付き合い始めても、お前碌に会話出来ねえだろ。もう少し慣れる所から、だな」
ボクが好き勝手に書き足していくのに、海津は文句の一つも言わなかった。本当に自信がなかったのだろう。しかし文字の筆圧や何度も消して所々薄くなったそのラブレターの紙を見るだけで、海津の一生懸命さが伝わってくる。
それをわざわざ消してしまうボクはなんだか少し悪者だ。
「……こんなもんでどうだろうか」
この間はハンカチを貸してくれて、どうもありがとう。僕は女の子と話すのは苦手なんですが、貴方はいつも僕に明るく声をかけてくれる。貴方にとってなんでもない事かもしれないですが、僕はそれがとても嬉しかった。僕は、そんな優しい貴方が大好きです。もっと、貴方と色々な話がしたい。ですからもし良ければ、今度一緒にご飯を食べに行きませんか? お返事を待っています。
「……大分変わったな」
海津は感嘆とも呆然とも取れるような、淡々とした声でそう呟いた。確かに、殆ど原型を留めていない。もはや僕が書いたといっても過言じゃないかもしれない。流石に出過ぎたか、と思ったが、海津は二度三度と文面を見直した後、歯を見せてニコリと笑った。
「ありがとな、堂島。お前に見せて良かったよ」
「良いのか、その文で」
海津は「あぁ、こっちの方が良い」と言いながら手紙を折り目に反って丁寧に折り直し、曲がらないようにゆっくり封筒に収めた。満足そうな顔をしているので、僕としても肩の荷が下りた気分だった。
果たして上手くいくのか。いや、いかないだろう。僕は虚しさに苛まれ、嬉しそうにする海津の顔を見る事が出来なかった。
*
これが、ボクの最初のラブレターの代筆だった。
『差出人』は海津利之。『受取人』は柳沢優。
そう。ボクの呪いに従うのならば、この物語のヒーローは海津で、ヒロインは優なのだ。
ボクに渡された役目はただの狂言回し。或いは、ピエロかもしれない。
己が手で、他ならぬ自分の首を絞める、愚かな役者。
この時はまだ知らない。しかし、不吉は確実にボクの影に滑り込んでいた。




