1 吉田夏美の堅苦しい恋
「堂島君にラブレターの代筆を頼むと、必ず恋が叶う」
初めにそんなことを言い始めたのは誰だっただろう。そんな奇妙な噂を流したのは誰だったろう。
見当がつかないわけでもない。
最初に代筆を承った元クラスメイトの海津かもしれない。二番目に代筆を頼んだ隣のクラスの伊藤君かもしれない。その次に頼んできた橋爪先輩かもしれないし、その次の神林先輩かもしれない。
とはいえ、それら依頼人に端を発しボクの噂が確固たる現実味を帯びてしまったのもまた事実。
人の噂も七十五日と言うが、一年以上経った今でも代筆依頼は後を絶たず、ボクが書いたラブレターは通算二十通に上り、校内の数多の男女がボクに今でも深い感謝の念を抱いている。
ボクがくっ付けたカップルで別れた人は今の所ゼロ。最近じゃ、噂が変化して「堂島君にラブレターの代筆を頼むと、永遠の愛が手に入る」だなんてうさんくさい宝石店のキャッチフレーズみたいな単語がくっつき始める始末だ。
「……吉田さん」
ここは放課後の教室。斜陽が教室の中を橙色に染め上げ、この場に居るのはボクと、同学年の女の子。ボリュームある髪を綺麗に一つに纏めたポニーテールと、太い水色フレームの眼鏡が、真面目な彼女の人となりを現しているようである。
ブラウスのボタンはちゃんと上まで締め、スカート丈は膝小僧。化粧っ気が全くないのは、さすがお固い風紀委員の尖兵だけある。だがそんな堅苦しい筈の彼女も今は、もじもじ、もじもじと、肩をすぼめて落ち着かない様子で辺りに視線を這わせているのだけど。
普段風紀委員としてクラス内の風紀を取り締まる女傑たる彼女からは想像もつかない姿に、ボクは少々驚いていた。
「今朝は驚いたぜ。下駄箱を開けたら『放課後、誰も居なくなるまで教室に残れ』って命令口調のメモが上履きに乗っかってんだもん」
「……嫌、だったか?」
おずおず。物怖じする吉田さんなどボクは見たことがない。「嫌なら早く嫌と言え!」と怒鳴りつけるのが普段の彼女だ。まっこと、恋とは人を狂わせる魔力があるものだと、ボクはラブレター職人として日々実感させられる。
「嫌だったら残ってないよ。それより、用件は?」
聞くまでもない。
「その……こ、こここ、ここ」
「コケコッコー?」
「こけこ……って、違う。こ、こここここ」
壊れたオモチャでももう少しマトモな挙動を示すだろうに、この女ときたら……とボクが内心で毒づいている中、吉田さんは自分の胸をバタバタと叩く。
「こ、こいぶみの代筆をお願いしたいっ!」
深々と頭を垂れる吉田さん。後ろ髪の束が少し遅れて垂れ下がった。もちろん、知っていた。それ以外でボクに用事がある人間が果たしてどれほど居るか……自分で言っていて悲しくなる。
「ラブレター代筆ね。オッケーオッケー、どうせそうだと思ってた」
「引き受けてくれるのかっ!?」
吉田さんがボクに詰め寄る。鼻がくっつくんじゃないかと驚いた程だ。キラキラと期待に目を輝かせる彼女は女傑でも何でもなく、単なる恋する乙女に成り上がった。もしくは成り下がった。その辺は受け取る人による。
吉田さんをやんわり押し返しながら、ボクは椅子を引いて自分の席に腰掛けた。
「取りあえず座りなよ」
「す、すまん。ちょっと興奮し過ぎた」
吉田さんは素直に従った。目線はあちこちに飛んでいく。落ち着きが無いのは、今までの依頼者と同じだ。
「便箋は自分で用意してきてくれたよね?」
こちとら、わざわざ他人の恋路の為に便箋を持ち歩いたりしちゃいない。
「勿論だとも」
彼女が鞄から取り出したのは、薄ピンクの可愛らしいレターセットと、それに対照的なフルメタルの高級シャープペンシル。異常なギャップだと思った。レターセットはまだ許してもいいが、高校生が買うにはこのシャーペンは少々高過ぎる。五千円くらいするブランドものだ。
「今日の為に気合いを入れて通販で頼んだんだ。新品のままだぞ」
「……そりゃどうも」
「成功の暁には、それを譲る」
別に欲しくない。こんな高いペンを使っていたら変に力が入って肩が凝るに決まっている。
現に手に持った感触が不気味な程によく馴染む。重さが心地よく手に乗っかり、筆がさらさらと進んでしまいそうだ。クルクルと指の間でペン回しをしても、しっかり吸い付いてくる。重量に振り回される脱力した手が心地いい。まるでじゃじゃ馬を飼い馴らしたような気分だ。
「なんだ、案外気に入ってるようじゃないか」
「どうでもいいだろ」
ボクはペンを握り直し、レターセットを取り出して机の上に広げた。吉田さんの緊張した面持ちが面白い。鼻の穴が大きくなるのはきっと癖なんだろう。今度日を改めて笑ってやる。
「さて、それじゃ早速本題だ」
「……うむ。よろしく頼む」
「お前は武士か」
腰を折って深々とお辞儀する吉田さんに心の中でそうツッコミを入れておいた。
「一応、吉田さんはボクにお願いする立場なわけだから、ボクのルールには従ってもらうよ」
「承知している」
「なら話は早いね」
ボクは一度ペンを回してから、芯先を出して便箋の上に置いた。
「まず最初。この手紙は誰に送るんですか?」
「…………」
またしてもモジモジモード。言っておくが、相手も分からぬままラブレターを書ける程ボクは器用じゃない。観念した吉田さんは、小さく口を開いた。
「……生徒会長の、村井先輩に」
予想外と言えば予想外だったが、納得がいかないわけでもなかった。
村井秀和。三年生で生徒会長。短く切りそろえた髪の毛と爽やかな笑顔、白い歯が眩しい、絵に描いたような好青年。キザな優男と言うよりは頼れる兄貴タイプで、責任感も強い。生徒会への要望はどんな些細なことでも一々議題に上げてくれるマメな性格が功を奏してか、校内支持率は九十%を超えている。
ボクも縁あって何度か会話をしたことが有るが、それはもう、とてもとてもお優しい御仁である。とってもとっても優しいんで、ちょいと距離をおきたくなる程の野郎だ。
「これはまた、一体どう言う繋がり? 好きになったきっかけは?」
「それは……い、言わなきゃダメか?」
「えぇ、無論ダメです」
半分は本気だが、半分はからかいだ。吉田さんの困った顔を拝むことが出来るのは珍しい。今のうちに見ておく必要がある。
「……去年の夏のボランティア活動で知り合った」
「ボランティア? 何の?」
「海岸のゴミ拾いだ。毎年、お盆を過ぎて客が少なくなった頃合いに生徒会がゴミ拾いのボランティアを募っている。お前も要項は受け取っていると思うがな」
記憶にない。多分配られたその場で紙飛行機になって、果てなき旅路を行ってしまったのだろう。今頃バミューダ諸島沖あたりで旋回飛行してるんじゃないかな。
「紙飛行機がそこまで飛ぶものか」
「真面目の答えるなよなぁ……海岸って言うと、荒浜海岸?」
「そうだ」
ボクは荒浜海岸に遊びに行ったことは一度だって無いが、そこは中々綺麗な砂浜と評判はいいらしい。
その砂浜を前に海の冷たい水に心地よく身を委ねたり水着の女子達に鼻の下を伸ばしたりせず、熱中症対策に麦わら帽、軍手を嵌めてクソ熱い灼熱地獄の中でゴミ拾いとは、余程の福祉の心をもつ人間か変態でなければ実行に移せん。ボクのそんな心の声は吉田さんに聞こえていたのか、彼女は自嘲するように苦笑いしつつ溜め息を吐いた。
「お前の思った通りだよ。ボランティアに集まったのは私と他二名の男子。あとは生徒会のメンバーだけだった」
吉田さんが言うには、その他二名のボランティアも碌にゴミ拾いせず、生徒会の女子とひたすら話しているだけだったとか。
恐らく目当ては綺麗な海岸ではなく、綺麗な女子なんだろう。ボクだってそうなるに決まってる。生徒会の面々は強制参加だったようで、前年度の会長以下八名の会員は開始三十分でゴミ袋を投げ捨てたと言う。
たった一名を除いて。
「村井先輩だけは最初から最後まで一生懸命やってた。汗だくになって、砂まみれになって、一人で黙々と、海岸を綺麗にするためにゴミ拾いを……」
私も途中で休憩した程なのに、と吉田さんは続けた。
「その懸命な姿に惚れた、と」
「……どうなんだろうな。でもその時、尊敬出来る先輩だって思った」
まだ話は続くようである。
「その時は、軽く話しただけだ。暑い中ご苦労様、とか言われて、そちらこそお疲れさまです、なんて」
「顔、にやけてるぞ。可愛い可愛い」
ニヤニヤ作り笑いをするボクの指摘を受けて、吉田さんは「じょ、冗談はよせ」口角を指で押し下げた。
「それからなんだか村井先輩が気になって……生徒会と風紀委員会は連動して活動することも多いから、話す切っ掛けは結構あった」
「色々と話をしているうちに?」
「……好きになった。悪いか」
吉田さんは恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めていた。だが、言っちゃなんだがよくある話だ。ありきたり過ぎてつまらない。
……言えば吉田さんにブチ切れられかねないので、ボクは口を噤んだ。
「きっかけと言えるきっかけは思いつかない。気がついたら……良いな、と」
「なるほどなるほど」
これ以上は惚気話になりかねないので、早めに切っておく。
「じゃ、書いていきますかね……」
「うむ」
ボクはもう一度ペンをくるりと回してから、レターセットの上段で止めた。
「さて、ボクは代筆をするわけだけど」
「うむ」
「ボクのラブレターを書く上で、大事な決まり事がある」
「……決まり事?」
「こっくりさんって知ってるかい、十円玉で『はい』とか『いいえ』とかやるの」
「知っているが……」
「アレとおなじようなもんだと考えてもらえれば構わないよ」
儀式的なものが、この場合案外重要なファクターになったりする。それはボクも確信をもって言えた訳ではないが。
しかし。
……これまでの『実験』の成果を見るに、外してはならない事柄が存在するのには間違いないのだ。
「まず一つ。『差出人』と『受取人』の名前はちゃんと明記する事」
「……まぁ、当たり前だが」
「二つ。『差出人』の正直な気持ちが書かれている事」
「なんなんだ、さっきから。当たり前の事を」
「三つ。必ず君が自分の手で彼に渡す事。厳密には『差出人』が手渡しで『受取人』に渡す事。この三つの条件さえ守れば安泰だよ。君の恋はかならず叶う」
「そのつもりだが……」
「おめでとう。君の恋は叶いました」
「まだ何もしてないだろうが!」
机を両手で叩きながら、吉田さんは苛立ちを露にした。少しおちょくり過ぎただろうか。
「さて、いい加減書こうか」
「……早くしてくれ。これでも結構恥ずかしいんだぞ」
「あいあい。ぶっちゃけ面倒だから、文面は全て君に任せるよ。随時ツッコミ入れてくから」
「分かっちゃいたが……実際に言うとなるとちょっと抵抗が……」
「文句言うなら書かないぜ」
「ま、待て……。止めるとは言ってないだろう」
吉田さんは深呼吸を一つしたかと思うと、ボクを真っ直ぐに見つめた。本気で戦に望む武士に見えた。
「覚悟はしてきた。それじゃ、頼む……」
「あいよ」
「……村井先輩へ」
声が上ずっている。
「突然の手紙に、驚かれていると思います。ですが、これ以上悶々と日々恋慕の情を重ねていくのは私の精神衛生上非常に」
「ストップ」
止めた。理由が分からないのか、吉田さんは訝しげだ。
「何故止める」
「なんか面倒臭い文章な気がするから吉田さんの一生懸命考えてきたんであろう文章は全て却下します」
「な……お前、まだほんの冒頭なのに」
「文句言うんなら書かねえっつってんだろ」
これは取引でも何でもない。ボクはどうしてもと頼まれているから、面倒臭くも他人の恋を後押ししてやってるだけだ。どうしようがボクの勝手である。別に吉田さんの恋が実ろうが実るまいが、どうでもいい。ペンを返せと言うのなら返してやっても良い。
そう言うと吉田さんは小さく「すまん」と謝った後に、眉をハの字に曲げた。
「しかし私が考えてきた文面は全部そんな感じだぞ?」
「長さは?」
「四百字詰め原稿用紙が十枚分ほど……全部暗記してきたんだが……って、さりげなく椅子ごと身を引くのは止めてくれ、堂島。私も流石に傷ついた」
傷つけ。危うくボクに惚気話四千字相当を書かせる所だったんだ。お前には反省してもらわねばならぬ。吉田さんも自分に反省点がある事が理解出来たのか、肩を落としてしょんぼりしている。
「ど、どうすればいいんだ……私が考えるとどうしても堅苦しい文になってしまって」
「簡単さ」
ボクは手紙の行線を全て無視してでかでかと「好き」と書いてみせた。吉田さんは呆然とそれを眺めている。彼女のボケ顔も中々面白い。今日は良い日だ。
「とどのつまり、これでいい」
「いや、良くないだろ……なんだよこれ。好きって……それだけか?」
「はぁ? それだけじゃないの?」
ボクはすっとボケたように言ってみせたが、別にふざけているつもりはない。
「You love him、なんだろ? それ以外に何を伝える必要がある?」
「そ、そりゃあ……いつから好きになったか、とかどんなとこが好きだ、とか……」
「そんなのは全部君の話じゃないか。村井さんの知ったこっちゃない」
いつから〜とかどうして〜とか、ぶっちゃけ相手に取っちゃ「ふーん」と軽く流して終わる程度の事柄だ。大事なのは、いかに自分が相手を好いているかを伝えることだけ。それがボクの持論である。好きになった馴れ初めなんて、付き合い始めてからいくらでも話せばいい。
「村井先輩のことが好きなんだろ?」
「う、うん……」
「どれくらい好きなの?」
「さ、最近は……夢に見る。場所も時間も状況もバラバラだけど、必ず先輩が出てきて……。
目が覚めると凄く、切ない気分になる。先輩と話が出来る機会があると、自分の身体が自分のものじゃなくなったみたいに、言うことを聞かなくなる。
上手く口も回らないし、考えもちゃんと巡らないし、照れて恥ずかしくて、目もあんまり合わせられなくて……」
ペラペラと、彼女は舌を回す。惚気の言葉を延々と吐き続けるその様はまるで機械みたいだ。ボクはその機械の言葉を便箋に綴っていく。順序立てたりしない。気の利いた洒落を入れたりもしない。ひたすら、吉田さんが村井先輩をどれだけ好いているか、口をついて出てきた順番に言葉を並べていくだけだ。
そんな事をしているうちに、いつの間にか手紙の行は埋まってしまうものだ。
「うん。こんなもんだろ」
「え……い、いつの間に書いてたんだ?」
語り疲れて一息入れていた吉田さんが目を丸くしていた。ボクは一応、書き終えた文面を吉田さんに読ませてみた。吉田さんは声にならない唸りを発しながら、涙目でボクを睨んでいた。
「こ、こんな恥ずかしい手紙を見せられるか……!」
『好きで好きでたまらなくて、毎日熱病にでもかかっている気分』『寝ても覚めても、どんな時でもふと先輩のことを考えてしまう』……そんな赤面ものの語句がズラズラと並び立つラブレターを見て、吉田さんは怒りに震えた。
「ラブレターなんてこれくらい恥ずかしい文章で丁度良い。なんせ、文章だけで自分の気持ちを全部伝えなきゃならないんだから。百回手紙を読まれても、直に告白する1%も伝わらないぞ?」
ボクの詭弁をどう受け取ったのか、吉田さんは震える手でボクに便箋を突き返し、目を合わせないように顔を背けた。耳まで真っ赤に染まった彼女の恥じらいの横顔は、何と言うか……めちゃめちゃ可愛かった。一瞬ラブレター代筆を承ったのを後悔しかねない程だ。
……いや、一瞬どころじゃない。けれどもう今更ボクは手を止めることは出来ない。
文の最後に『明日の放課後に、生徒会室にもう一度お伺いします。その時に、お返事を聞かせて下さい』と付け足した。この辺りは真面目に書いておかないと、不気味なイタズラ文章になってしまう。
勿論、今までだって真面目に書いてはいたとも。あぁ、本当だともさ。
「さっきからお前、何を百面相してるんだ?」
吉田さんにまで突っ込まれた。さっきまでゆでダコ一面相だった女に言われたくない。ボクは手紙を丁寧に三つ折りにしてお揃いの薄ピンクの封筒にしまいこみ、吉田さんに手渡した。
「これを先輩に渡せ。必ず手渡しだ。明日の放課後、生徒会室で返事をくれるだろう」
「ん……恩に着る」
「成功を祈ってるよ。君はボクがマジ引きするぐらい先輩が好きらしい。個人的にも是非、報われてほしいね」
「……お前って本当に、イヤミな性格してるな」
吉田さんが複雑な表情でボクを見つめていた。ボクはとりあえず、笑っておくことにした。封筒とためすがめつ眺める吉田さんは、頬の緩みを押さえ切れない様子で、笑顔を零している。
そんな幸せな恋する乙女である彼女に、ボクは聞かずにはいられなかった。
「吉田さん……村井先輩のことが、そんなに好きなのか?」
「は……?」
吉田さんは一瞬惚けたが、ボクの言っていることに皆目見当がつかないらしく、肩を竦ませてみせる。
「何のこと?」
「……いや、なんでも。幸せを祈ってるよ」
笑うしかないような気がして、ボクは吉田さんに哀れみの笑みを向けてやった。