転生魔女の大誤算
とある小さな町の小さな食事処『マーサ食堂』に、一人の少女がいた。
腰部分を太めのベルトで留めた緑のワンピースと膝下まである焦げ茶のブーツ姿の彼女は、今日も元気いっぱいにウェイトレス業に励んでいる。
「エミリちゃーん、注文たのむーっ。」
「はぁーい、すぐ行きまーす!」
「エミリちゃん、おあいそー。」
「はいはーい、ちょっと待ってねーっ。」
賑わう店内を器用に右へ左へと駆けまわる様子は、さながら森の小動物のようで愛らしい。
年の頃は十五・六ほど。瞳の色はこの辺りでは少し珍しい黒色で、肩まで届く赤茶の髪をみつあみに結って遊ばせていた。
「エミリちゃん、追加注文ー。」
「はぁい、ただ今ーっ。」
エミリがカウンター席の傍を通り過ぎようとした瞬間。
それまで彼女を温かい微笑みと共に見守っていた老人が、己の顎ヒゲを梳いていた手をサッと素早く伸ばした。
「うほほ、相変わらずええ尻しとるのぅ。」
「やーっだ、モリーおじいちゃんたらっ。いい加減、もぎ取るわよっ?」
すれ違いざま尻を撫で上げられたエミリは、笑顔のまま振り返りペチーン!と良い音をさせ老人の光る頭をはたいた。
席のほぼ全てを常連連中が占拠している店内に、愉快そうな笑い声とからかいのヤジが飛び交う。
にぎやかなマーサ食堂の一番奥まった位置にあるテーブル席に、三十代前半と見られる男性が戸惑ったような表情を浮かべて座っていた。
周囲と一緒になって笑っている目の前の友人を、机をコンコンと軽く叩くことで振り向かせ尋ねる。
「……なぁ。あのエミリって娘、誰だ?
随分と皆に馴染んでいるようだが、町の住人じゃあないよな。全く見覚えが無い。」
「ん?あぁ、お前は行商から帰ったばかりだから知らないのか。
あの子、一ヶ月前くらいにフラッと現れてな。それからすぐこの食堂で働き始めたんだ。
んで、あの通りの性格だから、そりゃもうあっという間に皆に受け入れられてなぁ。
特にそこのモリーのじいさんなんか、すっかり気に入っちゃって。ワシの養子にならんかーなぁんて言い出す始末だぜ。」
それを聞いて、訝しげに眉を顰めた男は再度目の前の友人に問いかける。
「フラッとって……彼女、どこから来たんだ?」
「さぁ。誰が聞いても苦笑いするばかりで、まともに答えを貰ったヤツぁいないんだ。
そりゃまぁ、あの若さで故郷を出てるんだし当然ワケありなんだろうが……今のトコ誰も気にしてないぜ?」
「…………マジかよ。」
町の住人たちの無防備さに呆れて、額に手を当て深くため息をつく男。
彼は行商の旅先で耳にした、ある噂を警戒していた。
この国に恐ろしい力を持った『紅の魔女』が現れた、そんな噂を……。
常人には持ちえない『魔法』と呼ばれる特殊な力を操る、魔女や魔法使いと呼ばれる者たち。
彼らの中には、天を割り地を裂き死人すら甦らせる者も存在したと言われている。
そして、そんな魔法使いたちを人々は時に恐れ時に敬いつつ、それなりに共存していたそうだ。
だが、元々絶対数の少なかった彼らは緩やかに世界から姿を消していった。
死に絶えたのか、身を潜めているのか。真実は誰にも分からない。
ただ、確かに存在していたはずの魔法使いたちは今。流れる時の中で御伽話の世界の住人へと変わろうとしていた。
だから、噂を聞いた当初は男も有り得ない話だと笑い飛ばしていた。
しかし、行く先々で同様の話題が上がるとなれば、いかな彼でも気になって仕方の無い事である。
ならばと目撃者と言う人間を尋ねてみても、痛ましそうに顔を歪め『アレは悪い魔女ではない』と口にするばかり。
しかも、それと同じ証言が数度続いたとなれば、身の内の不安が煽られて無理はなかった。
そうでなくとも、強大な力を持つ存在というのはそれだけで恐怖の対象になるものである。
突然町に現れたという赤茶色の髪を持つ少女に、男が警戒心を抱くはむしろ当たり前の事だった。
さて。
実はエミリと呼ばれる少女、地球からの転生者である。
齢十九にして唐突に病死。その後、超常の存在より魔法の才能と無限に近い魔力を与えられ、さらに記憶保持を約束されて、この世界『ダウニエープ』へと渡って来た。
数代前の先祖には実際に魔法使いがいたとされる一族の、それなりに安定した稼ぎのある商家。その家の三女として生を受けたのである。
特に超常の者より成すべき事など言い渡された訳ではないが、エミリには当初その能力でもって世界中に名を轟かせようという目論見があった。
だが、この世界での魔法がどのようなものなのかを理解した彼女は、泣く泣く自らの力を封印する。
他に魔法使いがいないからなどと、そんな小さな理由では無い。
魔法の力を使用するには、一つ。とても大きなデメリットが存在したのだ。
そして、それは彼女にとってけして耐えられるものではなかった……。
しかし、愛する家族が窮地に立たされた時。エミリは死をも覚悟する思いで魔法を使った。使ってしまった。
結果……彼らは危機を脱し、代わり彼女は生まれ育った地を後にせねばならなかったのである。
昼時も過ぎ食堂からお客が一人二人と減り出したところで、酷く慌てた様子の男の声が町中に響いた。
「大変だーッ!トョウオンがっ……東の草原からトョウオンが襲って来たぞぉぉーー!
皆、早く逃げろぉぉーーーーッ!」
戦慄が走る。
トョウオン。それは、凶暴かつ獰猛な性質を持つ身の丈四メートルほどの巨大なネコ科の獣の名である。
また、常に五体以上で行動する慎重な面も見られ、脆弱な人間が奴らに襲われて助かる可能性は皆無に等しいと言われている。
カラン…とエミリの手からお盆が離れ、緊張で静まり返る店内に音を立てた。
そして、彼女はそのお盆を追うように膝から崩れ落ちる。
それから、地面に這いつくばる恰好になった彼女は、思い切り何度も床を叩きつけつつ店中が振動するほどの大きな叫び声を上げた。
「ッもぉーーーヤぁーーーーー!
どうして、行く先々で問題が起こるの!?どうしてぇ!?」
いつもの陽気な彼女と打って変わってヒステリー気味に喚くエミリの姿に、周りの人間達は動揺を隠せない。
それでも何とか彼女の気を落ち着かせようと、彼らは自らの恐怖心を押し殺して口を開いた。
「エミリちゃん。君の過去に何があったのかは知らないが、そんなに心配しなくていい。」
「なぁに、大丈夫だ。俺達が必ずエミリちゃんを守ってやるって。」
「まぁ、老い先短い年寄りでも盾くらいにゃあなれるわい。」
「そうだよ、エミリ。安心おし。
トョウオンなんざ、このフライパンで追っ払ってやるさ!」
そんな人々の声に、ゆっくりとエミリは顔を上げる。
優しい…優しい微笑みが彼女を囲んでいた。
「……マーサ店長、モリーおじいちゃん、それに皆っ。」
彼らのあたたかな心に触れて、エミリは胸の内を込み上げる想いにくしゃりと顔を歪めた。
瞳は潤み、熱いものが頬を伝う。
「……あぁっ、もう。もうっ。なんでこの世界の人間はみんな良い人ばっかりなの…?
もっとイジワルだったら、私一人で逃げることだって出来るのにっ。」
「エミリちゃん?」
「うぅー、うううぅー。」
ギュっと拳を握りしめ地面に額を擦りつけてふるえるエミリを心配して、モリー老人が背に手を置いた。
まさにその瞬間。
彼女は勢い良く身体を起こしながら、唐突に天に向かい奇声を発した。
「きょっぷりゃみゃーッ!」
『…はっ?』
あまりにも意味不明なエミリの言葉に、その場にいた誰もが唖然とした表情で身を固まらせた。
未だ沈黙を続ける食堂内。彼らの混乱にさらに拍車をかけるように彼女の身体から半透明の丸く白い光が現れ、大きく広がっていく。
そんな不可思議な現象に、人々は我を忘れ慌て始めた。
「うわぁ!?なっ、何だこれぇ!?」
「光が身体を通り抜けたぞ!?」
「あっ!おい、見ろ!店の外まで広がって行ってる!」
「エミリちゃん、これは一体!?」
その問いに、再び全員の視線がエミリに注がれた。
いつの間にか立ち上がっていた彼女は、顔を真っ赤に染め俯いている。
それから、スカートの裾を両手で力一杯握りしめ、小さくふるえる声で告げた。
「ひっ、光の、うちっ内側にいれば、あぁ安全っですっ。
この町全体に、けっ、結界を、はり、張りましたっ。」
「結……界………っそうか、魔法じゃ!
そういえば、ワシが子供の頃に一度だけ見た魔法使いも奇妙な呪文を操っておったわい!」
「まっ、魔法っ!?」
モリー老人の言葉に場が一気にざわめいた。
同時に行商の男が、ハッとした表情で呟く。
「まさか…紅の魔女?」
「っいぃやぁああ!そんな名前で呼ばないでぇーーーッ!
忘れてぇっ、何もかも忘れてぇぇえええ!」
男の声が届いたのか、彼女は両手で耳をふさぎ頭を大きく左右に振り回し出した。
すでに顔と言わず服から覗く首・足・手など身体の全てが燃え出しそうなほど真っ赤に染まっている。
そして、彼女が涙目で狼狽える姿を見た男は頭では無く心で理解したのだ。
あぁ、だから彼女は紅の魔女で、だから魔法使いは人々の前から消えてしまったのか……と。
「すぴゃぴゃぴゃぴゃだっほー!」
再び魔法の呪文と思わしき奇声を発したエミリの全身を、今度は淡い緑色の光が包んでゆく。
同時に、彼女はとても人とは思えない風のような早さでマーサ食堂から飛び出して行ったのだった。
一方、町から少し離れた草原の入り口。
すでに町の勇士たちと八体のトョウオンの群れは、交戦状態に入っていた。
辺り一面に砂埃が舞い、そこかしこで悲鳴や怒声が飛び交っている。
「ぐあっ!」
鋭い爪の伸びる前足の強烈な一撃を喰らい、腹部から血をまき散らしながら大きく空を舞う壮年男性。
かたわらで刃を振るっていた仲間の青年が、悲痛な表情を浮かべて彼の名を叫ぶ。
「ビぃーーッグス!!」
しかし、当然助ける者などがあるはずもなく、壮年男性はそのままドサリと音を立てて地面に落下した。
だくだくと大地は赤く染まり、切れた腹部からは臓物らしきものが覗いている。
その悲惨すぎる姿を目にして、なお彼の生を信じる事はあまりに難しかった。
親しかった壮年男性の死を受け止めきれずに、青年は現状も忘れてその場に立ち尽くす。
そんな青年へ、後方から弓を撃っていた仲間が怒鳴り声を上げた。
「馬鹿野郎、ウェッジ!呆けてる場合か!」
名を呼ばれたことでビクリと体を揺らし正気に返った青年は、次いで、自分に向かって唸るトョウオンを睨み付ける。
怒り・悲しみ・怖れ・憎しみ……。その他、様々な感情を乗せて青年は吠えた。
「うぁぁ……くそっ、くそおぉっ!俺たちが何したって言うんだよチクショぉぉぉ!」
「そーよ!私が何したって言うのよ、バカぁあああ!!」
「…っへ?」
自身のすぐ傍から場違いな少女の怒声が響き、青年はたった今抱いたはず感情も忘れ呆気に取られた顔で視線を右下方へと移す。
そこに、薄緑の光に包まれた見覚えのある少女が立っていた。
彼女は頬を紅潮させ泣き出しそうなのか怒っているのか良く分からない表情を浮かべてトョウオンたちを見据えている。
「えっ…。きみ、確かマーサ食堂…の?」
「アンタたちのせいで、また生き恥を晒さなくちゃいけないじゃないよぉ!
このクソ獣!バカ!もひとつおまけにバカ!絶対絶対、骨すら残してあげないんだからぁーッ!
ぽみょぺ!ぽみょぺ!ぽみょぺ!」
奇声と共にエミリの指先から連続して細く黄色い光が放たれた。
光は次々とトョウオンの巨体を貫き、獣たちは苦しみの咆哮を上げる。
「なんっ!?」
「へっ?…えぇっ?」
「はぁぁ!?」
信じられない光景を目の当たりにし、驚愕に固まる町の勇士面々。
彼らを自分の意識内から無理やり追い出したエミリは、トョウオンたちの周囲を疾風のように駆け回りながら何度も同じ呪文を唱え続けた。
彼女の出現によって戦況は一変し、勇士たちを襲っていた獣が少しずつ後退していく。
「ぽみょぺ!ぽみょぺ!
……はんっ、簡単に誘導されてくれちゃって!所詮は獣ね!」
そう言って、彼女に似合わぬ意地の悪い笑みを浮かべた後、エミリは特定の場所に集めたトョウオンの群れから一瞬にして十五メートルほどの距離を取った。
それから、間髪入れずに群れへ向かい両腕を突き出し、大きく息を吸い込んで止める。
「喰らえっ!
にょっぷみょっきゅらちょもぽっぽぉーいッ!!」
エミリがその気合いと裏腹に間の抜けた雄叫びを上げた瞬間。鼓膜が破れそうなほどの爆音が轟き、激しく地は揺れ、砂や小石の交じる生温い豪風が勇士たちを襲った。
反射的に目を瞑り両腕で己の顔を庇う面々。
ところどころから呻き声のようなものが聞こえて来る。
ようやく周囲が静寂を取り戻し、彼らが恐る恐る目を開けた先には……。
およそ十メートルという広範囲に渡り抉られた地面。さらにその表面はところどころ黒く焼け焦げており、灰色の煙がもうもうと立ち昇っている。そんな壮絶な光景が広がっていた。
彼らがいくら目を凝らそうと、煙の先に肝心のトョウオンの姿は見えはしない。
宣言通り、彼女はあの獣たちの塵すらも残さずこの世から消し去ってしまったのだった。
呆然とする勇士たちをよそに、クルリと彼らを振り返ったエミリ。
そうして改めて惨状を確認した彼女は、その痛ましさに思わず眉を顰めて呟く。
「あーもっ、ここまで来たらヤケクソだわっ。
のっぱぱきーあじゃんぬっふぬっふんっ!」
両腕を大きく広げ再び奇妙な呪文を唱えた途端に、浅葱色の光が辺り一面を包んでいった。
正体不明の光に身体を被われ、情けなく動揺する男達。
だが、困惑の声は時を待たずして歓喜の色を見せ始める。
「っおい、傷が治っていってる!?」
「え?…っあ!」
「スっゲェ、何だコレ!?」
周囲の反応から光の効果を理解した青年は、乱暴な動作で武器を投げ捨て壮年男性の元へと駆け寄った。
倒れ込むようにかたわらに膝をつき、すっかり外傷の塞がった状態の彼の身体を揺すりながら懸命に名を呼ぶ。
「ビッグス!ビッグス!!」
「………ぐ。」
すぐに口からうめき声が漏れ、それと共に彼の瞼が小さくふるえた。
ゆっくりと目を開けて行く壮年男性に、自然と青年の瞳から涙が零れていく。
「…………ウェッ……ジ?」
「あっ……!」
掠れた声で己の名を呼ばれ、反射的に返事をしようと口を開くが、熱く激しい胸の鼓動がそれを許さない。
大切な人間を失わずに済んだ喜びに嗚咽する彼を後目に、壮年男性はカッと目を見開いて勢い良く身体を起こした。
「っトョウオンは!?町はどうなったんだ!?」
彼の問いに青年はようやく少女の存在を思い出し、首を捻って視線を移動させた。
だが、彼女が立っていたはずの場所にはもう誰もおらず、ただすっかり細くなった灰色の煙だけが頼りなげに揺らめいていた。
全てが収まった後。エミリを慕う多くの者がその行方を追ったが、しかし、彼らが彼女を発見する事はついぞ無かったと言う……。
こうして、また一つ。ダウニエープの地に本人の望まぬ新たな魔女伝説が築かれていくのであった。
「クシュンッ…!
って、やだっ。また誰かが私の恥を広めてるんじゃないでしょうねっ?
…っあぁ、もう!やだやだ!
いつか絶っ対、無詠唱魔法の使い方を編み出してみせるんだからぁーーっ!」
おしまい。
◇備考
きょっぷりゃみゃー→範囲指定結界
すぴゃぴゃぴゃぴゃだっほー→身体強化
ぽみょぺ→熱線
にょっぷみょっきゅらちょもぽっぽーい→大爆発
のっぱぱきーあじゃんぬっふぬっふん→一定範囲内完全治癒