黄金の間と、死臭のする晩餐
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光の奔流が収まった時、最初に感じたのは足元の感触の違いだった。
さっきまでの校庭の土ではない。
硬く冷たい、ツルツルとした石の感触。
「…え?」
「ここ、どこだ…?」
「萌音、大丈夫か?」
「うん。私は大丈夫。」
視界が戻るにつれて、クラスメイトたちの口から戸惑いの声が漏れる。
そこは、体育館よりも広く感じる、大広間だった。
天井は高く、煌びやかなシャンデリアがいくつも吊り下げられている。
ステンドグラスのような、美しい窓から柔らかな光が振り注いでいる。
壁には精緻なタペストリーが飾られ、床は美しい大理石のような石で作られ、奥の間には、真紅の絨毯が敷き詰められていた。
明らかに、日本じゃない。
いや、地球ですらないのかもしれない。
その事実に気が付き、パニックになり始めた空気を、
「みんな、落ち着け! 固まるんだ!」
たった一言で落ち着かせた。
神宮寺勇輝だ。
勇輝はとっさに前に出て、クラスメイト全員を座らせた。
その威風堂々とした姿は、サッカー部のキャプテンとして培ったリーダーシップそのものだ。
「誰かいるぞ。…敵意があるかどうかはわからない。俺が話を聞くから、みんなは後ろにいてくれ」
勇輝の視線の先。
一段高い玉座のような場所に、豪奢な衣装を纏った尊大な雰囲気の人物。
この国の王と思われる者と、その周囲を固める神官風の者、物々しい武装をした兵士たちが並んでいた。
彼らは驚く俺たちを見て、なぜか満足げに、そして慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
「ようこそ、異界の勇者たちよ」
王が重々しく口を開いた。
言葉は日本語ではないはずだが、不思議と意味が脳に直接響いてくる。
皆、顔を見合わせ、驚きとともに、わかると頷きあった。
「我はバルカエス王国の国王なり。
滅びの危機に瀕したこの世界を救うため、古の儀式により貴殿らを召喚させていただいた」
…召喚。
…世界を救う。
それは、アニメやゲームで何度も聞いたことのある、テンプレートだった。
「ふざけんな!勝手に連れてきて何言ってんだ!寝言か?」
「帰らせろよ!ぶっ殺すぞ!」
喧嘩っ早い佐々木たちが罵声を浴びせるが、王の隣に控えていた神官風の爺さんが静かに杖を掲げると、彼らの声はふっと小さくなった。
魔法による鎮静だろうか、それとも威圧感によるものか。
と、その時だ。
王の背後より、一人の少女が現れた。
「お父様、彼らが……?」
儚さを感じさせる、透き通ったソプラノボイス。
見たこともないような美しい金髪に、エメラルドのような碧眼。
純白のドレス、瞳の色と同じエメラルドを、ところどころ贅沢に散りばめた、美しい意匠のアクセサリー。
そのたおやかな姿は、この世のものとは思えないほど美しかった。
クラスの女子たちは、嫉妬することも忘れ息を呑み、男子たちは、頬を朱に染める。
俺の隣にいた朴念仁のリヒトでさえ、
「…黄金比だ。骨格と筋肉の配置が芸術的なまでに対称性を保っている」
と妙な感心をしている。
「マリアか。うむ、無事に成功したようだ」
王が相好を崩す。
彼女は第三王女、クレアと紹介された。
クレアは優雅にドレスの裾をつまんで完璧なカーテシーをし、潤んだ瞳で俺たちを見つめた。
「突然のことで驚かれたことと思います。本当に申し訳ありません。
ですが……どうか、どうか、私たちを救っていただけませんでしょうか?
魔王軍の侵攻により、多くの民が命を落としています。
私たちの力ではもう守りきれないのです。
悔しい……悔しい。
あなた方、勇者様たちの力だけが、この国の最後の希望の光なのです」
その目から、一筋の涙が零れ落ちる。
演出だとすれば、完璧なタイミング。
台本だとすれば、完璧な悲劇のヒロイン。
ユウキが、おもむろに一歩前に進み出た。
「事情はわかりました。俺たちに何ができるかわかりませんが、困っている人を放っておくわけにはいきません。
微力ながら、最善を尽くすことをお約束します」
ユウキの言葉に、クレア王女が涙を拭き、満開の桜のような美しい笑顔を見せる。
それにつられるように、他のクラスメイトたちも次々と頷き始めた。
「そうだよな、せっかく選ばれたんだったら、やってやる!」
「魔王倒すとか、ちょっと燃えるかも!」
「私たちには、特別な力があるってことしょ?」
「義を見てせざるは勇無きなり!」
勇ましい言葉がそこかしこから聞こえてくる。
空気が急速に熱を帯びていき、恐怖や不安があっという間に、「高揚感」や「全能感」へと書き換えられ、「よしっ」と頷きあう者、力強くこぶしを握りしめる者などが現れる。
まるで、楽しいイベントが始まる前かのような雰囲気に、場は支配された。
(…いくらなんでも、おかし過ぎるだろ)
俺は、集団の後方で冷たい汗をかいていた。
順応が早すぎる。
いくらユウキがカリスマだとしても、王女が美人だからといっても、拉致監禁としか言いようがない状況で、こんなにも前向きになれるものなのか?
まるで、思考の深い部分が麻痺させられて、操られているような—。
「…臭う」
ふと、背後から微かな呟きが聞こえた。
福島楓菜だ。
クラスで一番目立たない、小柄な彼女が、鼻をひくつかせ、眉をひそめて警戒した表情をしている。
彼女の実家はマタギの家系で、普段から独特の感性を持っていたが。
「臭うって、何が?」
俺が小声で尋ねると、楓菜は俺を見ずに、煌びやかな玉座の方角を睨みつけたまま答えた。
「血と、脂と……腐敗臭。…この部屋、死臭が染み付いてる」
背筋が凍った。
俺には、高価そうな香水の甘い香りしか感じられない。
だが、楓菜の目は怯えているというより、獲物を警戒する獣のそれだった。
◇
「さあさあ勇者候補の皆さま、さぞやお疲れでしょう。今宵は歓迎の宴を用意しております」
宰相と名乗る初老の男の案内で、俺たちはゲストルームへと通された。
与えられたのは、高級ホテルを越えるかのような豪華な個室だった。
ふかふかのベッドに、清潔な着替え。
風呂場だけで、うちのリビングぐらいありそうだ。
◇
休憩後、大広間に呼ばれると、そこには山のような御馳走が並べられていた。
見たこともない数々の料理。
色鮮やかな果物、芳醇な香りのワイン。
それを見目麗しき男女がサーブする。
不安を忘れたクラスメイトたちは、歓声を上げて料理に群がった。
「すっげー! これマジで美味い!」
「異世界最高じゃん!」
「カンパーイ!勇者パーティ結成だね!」
ユウキを中心に、宴が始まる。
王も、王女クレアも、親しげに声をかけてくる。
まるで、長年の友人を迎えるかのように。
「皆様の秘められた能力につきましては、明日の朝、先ほどの大広間にて行われる、『鑑定の儀』で判明いたしまする」
メインディッシュの巨大なロースト肉が切り分けられる最中、宰相が恭しく告げた。
「この世界には『ステータス』や『スキル』という概念がございます。
皆様がどのような素晴らしい力をお持ちか……我ら一同、楽しみにしておりますぞ」
「すげえ、鑑定だって!
俺、絶対『聖騎士』とかがいいな!」
「私は賢者がいいかなー?」
盛り上がる会場。
俺は、端の席でスープを啜りながら、周囲を観察していた。
…美味い。
悔しいが、料理は絶品だ。空腹だった胃袋が満たされていくのを感じる。
だが、楓菜の言葉が頭から離れない。
『死臭がする』
彼女は宴の間中、壁際で小さくなり、出された水にしか口をつけていなかった。
そしてもう一人。
俺の隣で、ハンカチを口元に当てて料理を凝視している男がいた。
「リヒト、食わないのか?」
「ソウタ、君はこれを食物と認識しているのか?
僕には危険に満ちた有機化合物の塊にしか見えないのだが…
この肉の繊維、不自然なほど均一だ。
まるで化学的に培養された細胞みたいにね」
リヒトはナイフとフォークで肉を切分け、成分を推測しながら、忌々しげに呟いた。
「加熱処理はされているようだが、ソースの粘度、香辛料の香りの具合なんかが、どうも化学の実験で見た薬品類のような既視感があって、精神安定作用のあるハーブか何かに見えるんだよ。
はっきり言って、警戒が必要だと思う」
結局リヒトはその肉を口にせず、僅かな野菜と、水を摂るのに止めていた。
◇
夜も更け、宴はお開きとなった。
メイド服のかわいい女性に、ちょっかいを出して盛り上がる男子や、年の近いイケメン兵士と談笑する女子たち。
この国や王様を警戒しているような素振りは全くなく、むしろもう何年もこの地にいるかのようなリラックスぶりだ。
あてがわれた個室に戻る途中、俺はリヒトの部屋に強引に押し入った。
「おい、ちょっといいか?話がある」
「なんだい。僕は今から、この部屋の衛生環境を定量化して、ベッドで寝るか床で寝るかを決める重要な作業をする予定なんだが」
「あのさ……お前も感じてるんだろ? この『違和感』」
俺が単刀直入に切り出すと、リヒトは眼鏡を外し、さも当然といったように、頷いた。
「違和感じゃない。完全なる異常事態だ」
「集団ヒステリーにしては、ベクトルが揃いすぎている。
不安、恐怖、懐疑心…そういったネガティブな感情が、不自然なほど抑制されているんだ。
典型的なマインドコントロールの手法だよ」
「洗脳、ってことか?」
ここまで話したとき、リヒトは部屋の隅に置かれている香炉をゆっくりと指差した。
甘い、独特の香りが漂っている。
「そこまで強力なものじゃないかもしれない。だが例えば、この香炉の煙、そして料理に含まれていたであろう、何らかの成分……。
おそらくその中には『好感度補正』や『敵対心抑制』の効果がある薬物か、若しくは魔法的な干渉のようなものが含まれているのでは、と僕は考える」
リヒトはハンカチで鼻と口を覆った。
「僕は潔癖症だからね。元々、他人が作った料理なんて、成分分析表がないと口に入れられないんだ。
こんな見も知らぬ国に来たら、なおさらだよ。
…君も含めて、他の連中はもう『下準備』が済んでいるかもしれない」
「……マジかよ」
背筋が寒くなる。
俺は空腹に任せて、ガッツリ食ってしまった。
確かに、さっきまで俺は「まあ、なんとかなるか」という楽観的な気分になりかけていた。
あれが薬の影響だったとしたら?
「クレア王女と言ったか?あの女の瞳を見た時、僕の心拍数が一時的に上昇した。
あれはただの性的魅力じゃない。『魅了』の類だと思う」
「どうすればいいか?」
「今はどうしようもない。騒ぎ立てれば、僕らが『異常者』として排除されるだけだ。
ソウタ、君は明日、どう動く?」
「どう動くって言っても……鑑定を受けるしかないだろ。
こんな話をした後だと、全く受ける気にはならないけど・・・」
「そうだな。だが、もし君や僕の鑑定結果が、彼らの期待する『勇者』としてのスペック満たしていなかった場合……
この国が、リソースの無駄をどう処理するか。考えておいた方がいい」
楓菜の言った『死臭』。
リヒトの言う『ゴミ処理』。
それらが一つに繋がるような気がして、俺は拳を握りしめた。
「わかった。最大限の警戒をしとく」
部屋に戻った俺は、豪奢なベッドに横になった。
ふかふかの布団が、今は逃げることを許さない、拘束具のようにさえ思える。
窓の外には、不気味な二つの月。
静かすぎる王宮の夜。
意識が遠のいていく。
これは眠気なのか、それとも思考を奪う、魔法的な何かなのか。
抗おうとしても、瞼が鉛のように重い。
薄れゆく意識の中で、俺は明日への警鐘を鳴らし続けた。
騙されるな。
信じるな。
すべてを疑ってかかれ。
ここは、地獄の入り口だ 。
◇
『コン、コン』
ノックの音は、よく聞かなければわからないほど小さかった。
だが、ベッドの端で縮こまっていた萌音にとっては、待ち焦がれていた福音だった。
「……萌音、開けて。俺だよ」
扉を開けると、そこには王国に貸与された寝間着姿で、険しい顔をした刀真が立っていた。
萌音は無言で彼を部屋に招き入れ、重厚な木製のドアを音を立てずに閉めた。
この城の調度品はどれも一流のように見えるが、紛い物のようでもあり、私達を欺くための小道具のように感じられて仕方なかった。
「……刀真くん、疲れは大丈夫?」
「ああ。大丈夫だよ。疲れたなんて言ってられない。
この部屋、豪華すぎて落ち着かない。…それに、晩御飯の後から喉の奥がずっと焼けるように熱いんだ。萌音は大丈夫?」
「ううん。私も喉の奥の調子が、なんだかおかしいよ。声は普通に出せるけど、なんだか異物感がある感じなの」
二人は喉元をさすりながら、窓際のソファに横並びで座った。
刀真は、サイドテーブルに置かれた水差しを手に取って飲もうとしたが、萌音の手がそれを制した。
「…その水、飲まない方がいいかも。私も、さっきから一口も飲んでないの」
「…そこまで警戒してるのか」
「だっておかしいと思わない?この部屋、広いし豪華すぎる。お父さんがよく言ってたの。『分不相応なもてなしを受けた時は、相手の思惑を必ず読み取れ』って」
萌音の父は、一代で上場法人を築き上げた実業家だった。
彼女には、王国による「過剰な接待」は、喜ばしいことではなく「不当な契約」を結ばざるを得なくさせるための、悪辣な手段にしか見えなかった。
「刀真くん、宰相さんの目、見た? 勇輝くんたちがはしゃいでる時、あの人、笑ってたけど目は笑ってなかった。
…あれはね、新しく仕入れた『商品』の品質をチェックする目だよ。不良品がないか、どれくらいの利益を生むか。それしか考えてない」
刀真が深く頷く。
「……ああ。俺にも、絶対にこちらを利用し尽くしてやると、舌なめずりをしている顔にしか見えなかった」
二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。
その時、萌音が自分の右手をじっと見つめ、指先を微かに動かした。
「……ねえ、刀真くん。さっきから体の中に、今までに感じたことのない熱みたいなものを感じたりしない?
意識すると、そこから熱が漏れ出していくような……」
「…魔力、か?」
「たぶんね・・・きっとこの後はお約束どおりの展開になると思うの」
萌音は、窓の外に広がる王都の夜景に目をやった。
「明日、『鑑定』を行うと言っていた。そこで私たちがどれだけ『使える道具』か、はっきりさせられちゃうんだわ。…もし、『勇者』なんてラベルを貼られたら、もう二度と日本には帰してもらえない」
「…じゃあ、どうする。逃げるか?」
「無理よ。外には騎士たちがいるし、道も何もわからない。…だからね、刀真くん。『嘘』をつきましょう」
萌音の瞳に、いつものおっとりした少女のものとは思えない、鋭い光が宿った。
「お父さんが商談でよく使ってると言っていた手。手の内を全部見せない。
相手が期待してる数字より、低い数字を提示して、自分たちを『無価値』だと思わせるの。
鑑定される瞬間、強く願って。『私はただの無能だ、何も持っていない』って。
魔力の流れを、自分の体の奥に、深く、深く閉じ込めるイメージで……」
刀真は、緊張のせいか冷たくなっている、萌音の手を強く握った。
彼女の指先は氷のように冷たかったが、目には強い決意が感じられた。
数瞬見つめ合う。
「……わかった。やってみる。明日、もし俺たちが『期待外れ』だと思われたら、その時は…」
「ええ。城から追い出されるかもしれない。でも、飼い殺されしの奴隷になるよりは、ずっとマシよ」
二人は疲れた体にムチを打ち、夜明けまで、自分たちの「魔力」を偽装するための、静かな、そして必死の予行演習を繰り返した。
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