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片翼の帝国  作者: 千崎桜子


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第4話 クレインとトール

 8歳になって、もう3か月が経過した。


アズライトに礼儀作法やら倫理規範やらを学び始めてちょうど2年ほどになる。


自分と同じセントライト一門なのだけれども、家名は別らしい。


一門だとか家名だとか、なんとなくこの先生の教えの中にあったとは思うが、どうにも実感が湧かない。


つまりは親戚なのだろう、とクレインは大雑把に理解していた。




 他の、先生という訪問者と違って、アズライトは特別不愛想だとクレインは思う。


教わる内容も、詩や音楽や絵画、数学や歴史と違って、やれ礼儀作法がどうだの制度がどうだのと、とにかく煩わしい。


クレインにとって彼の授業は、喋る石像から発せられる謎の経文を延々聞かされ続ける時間であり、どうにも困ったものでもあった。




 ところが、クレイン自身アズライトのことを嫌いではなかった。


とんでもなく不愛想で、教わる相手のことを考えない垂れ流しの老人ではあったが、こちらが少しでも良い反応を見せるとわずかに口の端が緩む時があった。


そのたびクレインは、この親戚の老人に奇妙な愛着を覚えるのである。


物心ついてからそれほど大した時間や対人経験を有していない彼にとって、とても不思議な感覚だった。




 さて、今日はその不思議な老人から予てより言い渡されていた日である。


確かアズライトの教えの中にもあっただろうか、これから一生を共にする付き人が来るそうだ。


ごちゃごちゃと他にも何か言っていたような気もするが、要は年の近い友人が来るとか、家族が一人増えると思えばいいのだろう。


細かいことはともかく、神経質で外出に厳しい母親の束縛が多少緩むかもしれないという点が重要である。


出来れば面白くて気が合えばいいが、多くを望んでもいなかった。




 昼食を終えて一息ついていると、どうやら着いたようである。


クレイン、と呼ばれそちらを見ると、母の後ろにアズライト。教師の横に同い年か少し下の少年がいた。




 「やあ」


 「は、はじめまして。こんにちは」




 アズライトや母が何か言ったり話したりしていたが、クレインは一刻も早く彼と話したかった。


気安い挨拶に対して、少年はやや緊張してはいたが丁寧に返してくれた。




 「緊張しなくていいよ。僕はクレイン。8歳になったよ」


 「クレイン……」




 言いかけて、少年は大人たちをを仰ぐ。二人は何やら別の会話をしていたようだが、子供達のやり取りに気づくと母はにこやかに反応した。




 「構わないわよ、兄弟だと思って」


 「うん、わかった。じゃあ呼び捨てでいいよ。様とか君とか、名前の後ろに何かつけると重いからね、兄弟にしては」


 「はい、わかりましたクレイン」


 「まぁ『兄様』でもよかったけど」




 冗談だと分かったのか、少年は少しはにかんだように見えた。


打ち解けたような気がして、クレインも気分は悪くない。少し真面目過ぎそうなところはあるが、無礼でも、何より不愛想でもないところが良い。




 「ところで君、名前はなんて言うんだい」


 「トール、です」


 「トール。いいね、君の銀の髪にぴったりのいい名前だ。じゃあ今日から君は、トール=フェリクス=セントレアだね」


 「トール=フェリクス=セントレア……」




 長いね、とちょっと困ったように呟いたので、だろう?とクレインも返して、二人して少し笑う。




 「大丈夫、ふつうはトールだけでいいよ。全部言うのは……僕が同じように言うときだけでいいから。」




 すっかり安心した顔つきになったトールを見て、クレインもなんだか嬉しくなってしまう。


弟、というのがこういうことなのか、それもただ単にトールが気に入っただけなのか。


クレインには判断がつかなかったが、この初体験の高揚感の前ではどちらでも良い。


 


 「クレインも」


 「ん?」


 「いい名前だと、思う。髪も、太陽みたいで」


 「太陽」


 「うん、太陽」


 「そうか、太陽か。いいね」




 単純な例えであったが、クレインはとても好ましく感じた。


きっと、仲良く、それも楽しくやっていけるだろう。これからの日常を想像すると、期待であふれそうになった。




 「どうやら、気は合いそうですな。よかった」


 「ええ、本当に。ありがとうございます」


 「母上、トールを案内してくるよ。あと、話もたくさん」


 「いってらっしゃい。私は先生とお話がありますから」


 「ありがとう。先生も、ありがとう」




 いうが早いか、クレインはトールの手を引いて家中を回り始めた。


ちら、と見えたアズライトの顔は今まで見た事も無いほど嬉しそうで、却ってクレインの方が気恥ずかしさを感じてしまう。


意外に自分、そしてトールも祝福されているのだと思うと、更に浮ついてしまって仕方がない。




 右手の暖かさを感じながら、クレインは隣の部屋のドアを開ける。


きっと、明日からのアズライトの授業も退屈でなくなるだろう。



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