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第6話 仮初めの日常、ポケットの中の招待状

 東京の下町、とあるファミリーレストラン。

 お昼時の店内は、ランチを楽しむ主婦たちやサボりのサラリーマン、騒がしい学生たちでごった返していた。

 その喧騒の中を、一人の店員が忙しく、かつ軽快に動き回っている。


「いらっしゃいませー! 二名様ですね、こちらのお席へどうぞ!」

「日替わりランチ一つ入りましたー!」

「はい、お冷のおかわりですね。少々お待ちください!」


 ネームプレートには『火村(ひむら)』と書かれている。

 清潔感のあるショートヘアに、愛想の良い笑顔。キビキビとした無駄のない動き。どこからどう見ても、真面目で好感度の高い好青年だ。

 客のおばさまたちも、彼の爽やかな笑顔を見て「あら、感じのいい子ね」とひそひそ噂しあっている。


 彼こそが、昨夜、新宿中央公園で黒炎を撒き散らし「俺は凶暴だぜ」とほざいて飛び去ったあの青年――組織でのコードネーム『ライト(右腕)』である。

 本名、火村(ひむら) 陽介(ようすけ)。23歳、フリーター。


(……チッ、今日はまた一段と客が湧いてきやがる)


 表向きの爽やかスマイルとは裏腹に、彼の脳内は大荒れだった。


(ハンバーグ三つにドリンクバー、ガキがこぼしたスープの処理、レジの行列……ああ、うざい。実にうざい。すべて焼き払ってしまいたい衝動に駆られるぜ)


 だが、彼はそれを微塵も表に出さない。

 なぜなら、それが「強者」の振る舞いだからだ。


 『本当の実力者は、日常の中に完璧に溶け込むもの』。それが彼の信条(美学)だった。

 彼は二十年以上、この世界に違和感を抱きながらも、誰よりも普通に、誰よりも健康的に「社会不適合者」の仮面を被って生きてきた。

 「本当の俺」を隠すために、あえて人畜無害な好青年を演じる。この背反する二律背反(アンビバレンツ)こそが、彼の心をくすぐるのだ。


「あ、火村くーん! 悪いんだけど、3番テーブル片付けてくれる?」

「はーい、了解です!」


 バイト仲間の女子大生からの指示に、一オクターブ高い声で応じる。


「あ、私がやっとくよ? 火村くん休憩まだでしょ?」

「いえいえ、これくらい俺がやりますよ。先輩こそ足、痛そうじゃないですか。座ってていいっすよ」

「えーっ、火村くん優しすぎ! イケメン!」

「あはは、よしてくださいよー」


 心の中では『愚かな……俺の優しさなど、偽善の皮だとも知らずに』と舌を出しながら、完璧な配膳テクニックで皿を回収していく。


 ――ズキン。


 ふと、右腕に鋭い痛みが走った。

 いや、痛みではない。脈動だ。昨夜「開花」させられたあの力が、内側から自己主張をしている。


 食器を落としそうになるのを、超人的な反射神経で寸前でキャッチする。


(おいおい……大人しくしてろよ、相棒。ここは戦場(フロア)だぞ?)


 彼はエプロンの下、右腕をさする。


 あの日以来、彼の身体能力は明らかに向上していた。

 トレーに乗せた10人分の料理も羽毛のように軽く感じるし、走り回る子供の動きがスローモーションに見える。


 これは「覚醒」の後遺症か。あるいはギフトか。


「ふぅ……」


 一通りのラッシュを捌き終え、バックヤードで一息つこうとした時だった。


「火村くん、外に知り合いって人が来てるよ?」


 店長から声をかけられた。


「知り合い? ……誰だろう」


 友人と呼べるような人間はいない。借金取りか? いや、まだ返済日ではないはずだ。

 訝しみながら、彼は裏口のドアを開けた。


 そこには、路地裏のダストボックスにもたれかかるようにして立つ、一人の男がいた。

 黒いパーカーにジーンズというラフな格好だが、その佇まいは明らかに「カタギ」ではなかった。顔立ちは平凡なように見えて、どこか焦点の合わない、深淵を覗いているような目。


 ライトの「厨二センサー」が、即座に反応した。

 そして、その声を聞いた瞬間に確信した。


「ふふふ……馬子にも衣装だな、右腕(ライト)君」


 男――御影 迅が、低く含みのある声で囁いた。


 あの時マスク越しに聞いた声。


 ライトは周囲に人がいないことを確認し、爽やかスマイルを瞬時に消し去った。

 纏っていた「好青年」のオーラが消え、昨夜の狂犬の雰囲気が滲み出る。


「……ふん、アンタか」


 ライトは腕を組み、挑発的に顎をしゃくった。


「わざわざバイト先までご訪問とは、随分と暇な組織だな。まさか俺の接客態度(ロールプレイ)を評価しに来たわけじゃねえだろ?」


「まさか。君の擬態能力は見事なものだ。店長も君の採用には太鼓判を押しているようだしな」


 御影は肩をすくめる。

 その手には、キラリと光る銀色の物体があった。


「約束のモノを届けに来た」


 彼が放り投げたものを、ライトは片手でパシッと受け止める。

 ずっしりと重い、古銀で作られたアンティーク調の『鍵』だった。


 柄の部分には髑髏の装飾が施され、その瞳には小さな赤い宝石が埋め込まれている。いかにも、というデザインだ。


「……なんだこれ?」


「鍵だ」


 御影は短く答えた。


「それがあれば、世界中のどこの扉からでも『アジト』へとアクセスできる」


「はあ? どこでもドアかよ」


「我々の拠点は、通常の座標には存在しない。次元の狭間にある『黄昏の宮殿』だ。選ばれし者だけが、その門をくぐれる」


 御影は、壁際の錆びついた裏口の鉄扉を指差した。


「試しに、そこのドアノブに触れてみるがいい」


 ライトは半信半疑のまま、受け取った鍵を握りしめ、ボロボロの鉄扉に近づいた。


 鍵を鍵穴に近づけると、カチリと吸い込まれるような感触があった。


 回す。


 ギギギギ……と重苦しい音が響く。ファミレスの裏口が開く音ではない。まるでダンジョンの最奥部が開かれるような音。


 僅かに開いた隙間から、ひやりとした冷気と、見たこともない蒼い光が漏れ出してきた。

 その奥に、どこまでも広がる黒大理石の床と、紅い月が見える。


「!!」


 ライトは思わず扉を閉めた。バタン!


 心臓が高鳴る。


 マジか。こいつら本気だ。

 ただの能力者集団じゃない。拠点すら異次元に構えているのか。


「円卓がお前を待っているぞ」


 御影は満足そうに告げた。


「その鍵は君の所有物だ。いつ来るかは任せる。だが、次の『作戦』は近い」


「……へっ、気を持たせやがる」


 ライトは鍵をジーンズのポケットに深く突っ込んだ。冷たい金属の感触が、なぜか心地よい熱を持って太ももに伝わる。


 これが招待状か。


「まったく……こっちは好青年を演じるのが大変だってのによ。面倒なもん渡しやがって」


 口では悪態をつくが、その口元は緩みっぱなしだった。


 彼は今まで、空虚なアルバイト生活を「演じる」ことに虚しさを感じていた。だが、この鍵があるだけで意味が変わる。


 俺はただのフリーターじゃない。

 ポケットの中に「異次元への鍵」を隠し持った、世界を揺るがす組織のエージェントなのだ。


 その優越感が、彼を震えさせる。


「まあいい。鍵は預かるぜ」


 ライトはニヤリと笑った。


「退屈すぎて死にそうだったんだ。……期待してるぜ、ボス」


「ああ、また円卓で会おう」


 御影は踵を返した。

 路地裏の影に紛れるように、その姿がかき消える(もちろん『認識阻害』を使ったフェードアウト演出だ)。


「……円卓で、か」


 ライトはもう一度、ポケットの膨らみを確認した。


 その時、バックヤードのドアが開いた。


「火村くーん? 誰と話してるの? オーダー立て込んでるよー!」


 店長の声だ。


 一瞬で、彼の表情が変わる。

 狂気じみた光が瞳の奥へ潜り、人懐っこい好青年のマスクが装着される。


「あっ、はい! すみませーん! 今、戻りまーす!」


 ライト――火村陽介は、元気よく答えると、軽い足取りで店内へと戻っていった。


「お待たせしました! こちら、Bランチです!」

「いらっしゃいませ!」


 爽やかにバイト仲間たちの輪に戻り、笑顔で客を迎える彼。

 しかし、そのトレーを持つ右手のポケットには、世界の裏側へと通じる銀の鍵が、重く、確かに存在していた。


 彼の「日常」は、もはや退屈な牢獄ではなく、スリリングな潜入任務へと書き換わっていたのだ。

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