第2話 邂逅あるいは漆黒の炎を宿す狂気
時刻は深夜二時を回っていた。
新宿中央公園。高層ビルの明かりも疎らになり、大都会の喧騒が不気味な静寂へと変わる時間帯。
俺、御影 迅は、公園の深奥、街灯すら届かない鬱蒼とした植え込みの影に潜んでいた。
服装は、先ほど能力で生成した特注品だ。
光を吸い込むような高級ベルベット素材の黒マントに、顔半分を覆う幾何学模様のマスク。
そして、歩くたびにカツカツと小気味よい音を立てるロングブーツ。
完璧だ。どこからどう見ても「謎の組織の幹部」、あるいは「事件の元凶」である。
「……さてと」
俺はマスクの下で、小さく笑みをこぼした。
舞台の準備は整っている。
俺が書き込み、拡散させた『新宿に怪物現る』の記事は、まだネットの片隅で嘲笑われているだけだ。
だが、ここには既に、俺が能力で創造した 【怪物(下級魔獣)】 を三体ほど解き放ってある。
透明化の設定を付与しているため、一般人の目には見えない。
ただ「なんとなく空気が重い」「寒気がする」程度の違和感を撒き散らすだけの存在。
だが、この舞台には主役が足りない。
俺の茶番を真実へと昇華させる共犯者が。
その時だった。
俺の『魔力探知(これも自分で自分につけた設定だ)』のアンテナに、微弱だが強烈な「ノイズ」が引っかかった。
「ほう……」
公園のベンチ。自動販売機の薄明かりに照らされた場所に、一人の若者が座り込んでいた。
年齢は二十代前半だろうか。
着古したパーカーのフードを目深に被り、どこか社会に馴染めていないような危うい雰囲気を纏っている。
彼は、誰もいない空間に向かって、必死に何かと戦っていた。
「――クソッ……また腕が疼くぜ……」
若者は苦悶の表情を浮かべ、自らの右腕を左手で強く鷲掴みにしている。
まるで血管の中で暴れまわる何かを、必死に抑え込んでいるかのように、指が肉に食い込んでいた。
「……静まれ。今はまだ……その刻じゃない……!」
荒い息遣い。脂汗。
演技? いや、独りで夜中の公園でこれだ。もし演技だとしたら、アカデミー賞モノの迫真さだ。
「クソッ……あいつらが近づいてきやがる気配がする……。今の俺に 『視え』 さえすれば……ぶっ殺してやるのに……!」
俺は、ゾクゾクと背筋が震えるのを感じた。
これだ。俺が探していたのは、こういう人材だ。
平凡な現実に適合できず、自分だけの「物語」を脳内で構築し、それこそが真実だと信じて疑わない純粋な魂。
世間一般ではそれを「痛い人」「厨二病」と呼ぶ。
だが、俺にとっては最高の「原石」だ。
俺は、音もなく木の上から飛び降りた。
黒マントを夜風に靡かせ、彼の背後に着地する。
「――ほう。まだ君には『視え』ないのか……?」
意図的に声を低く加工し、威圧感たっぷりに語りかける。
若者がバッと振り返った。
「ッ!? 何者だ!」
警戒心剥き出しの眼光。
俺はその目を覗き込みながら、能力の一つである 『精神分析』 を密かに発動した。
こいつの脳内を覗いてやる。
もしこれが YouTube の撮影とか、あるいはただのファッション厨二病なら興醒めだ。
……解析結果。
『右腕に封印されし闇の神』『世界は偽りの光に覆われている』『俺だけが真実に気づいている』……。
思考の海は、見事なまでの黒一色。微塵の疑いもない。
彼は本気だ。本気で「自分の右腕には化け物がいる」と信じ込み、その恐怖と選ばれし者としての孤独に震えている。
――すげえ。本物の患者だ。精神チェックしたけど、マジで信じてるよこの子。
俺は内心でガッツポーズをした。
これほどの逸材、そうそう見つかるものじゃない。
「ふふふ……」
俺は余裕たっぷりに、肩をすくめた。
「私の名前など、どうでも良いではないか……。ただ、この世界に来たばかりでな。私の覇道を手助けする有能な『部下』を探していたのだ」
「世界に来たばかりだと……? まさかアンタ『あちら側』の……」
若者が勝手に解釈(補完)してくれる。話が早くて助かる。
俺は彼に一歩近づき、見下ろすように言葉を紡いだ。
「君からは芳醇な闇の匂いがする。だが……ふむ。まだ『回路』が繋がっていないようだな。宝の持ち腐れとはこのことか」
「なっ、何が言いたい!?」
「素質はあるようだ。だが、開花させねばただの出来損ないだ」
俺は意地悪く、しかし甘美な提案を口にする。
「どうする? その疼く右腕の枷……私が外してやってもいいが?」
若者の目が、大きく見開かれた。
疑い? 恐怖? いや、そこにあるのは強烈な「渇望」だった。
彼は二十数年間、待ち続けていたのだ。
自分の妄想を「そうだ」と肯定してくれる誰かを。
そして、自分をこの退屈な日常から連れ出してくれるトリガーを。
若者は震える声で叫んだ。
「……どうするって? 決まってるだろ……!」
彼は自分の右腕を突き出した。
「開花させてくれ! 俺の右腕が……中の『獣』が暴れたくて疼くんだよぉッ!」
「……ふ、いい子だ」
俺は口元を歪め、彼の眼前に手をかざした。
さあ、ショータイムだ。
俺の『設定実体化』をフルドライブさせる。
彼の妄想を読み取り、それをそのまま物理法則として、この世界に上書き(ペースト)する。
――対象の設定:【右腕に冥府の黒炎を宿す者】。出力リミッター解除。視覚認識フィルター解放。
――承認。
「では、能力を開花させるといい」
パチンと乾いた指パッチンが、夜の公園に響いた。
瞬間。
ドォォォオオオン!!
突風のような衝撃波とともに、若者の右腕からとてつもない量の「闇」が噴き出した。
「ぐあぁあああッ!?」
若者が絶叫する。
だがそれは苦痛の叫びではない。歓喜の産声だ。
彼の肘から先が、陽炎のように揺らめく漆黒の炎に包まれていた。
アスファルトを焦がす熱量。パチパチと爆ぜる音。
そして、周囲の光を飲み込むような禍々しい黒。
俺が生み出した、紛れもない本物の『魔法』だ。
若者は自分の手を見つめ、呆然と呟いた。
「ハハ……ハ……。あー……なんかすげぇすっきりした……」
彼はゆっくりと、黒炎を纏った拳を握りしめる。
「完全に目が覚めた。いや……解放されたって感じかな……」
その表情からは、先程までの悲壮感は消え失せていた。
あるのは、絶対的な力への陶酔と余裕。
俺は心の中で拍手喝采を送った。
素晴らしい適応力だ。
普通の人間なら「手が燃えてる!」とパニックになるところを、彼は「やっと解放された」と受け入れた。
さすがは現役患者だ。
グルルルルゥ……!
その時、植え込みの奥から唸り声が響いた。
俺が配置しておいた【下級魔獣】だ。
異形の野犬のような姿をした影の化け物が、若者の発する強大なエネルギーに引かれて姿を現したのだ。
能力を開花させた彼には、もうその姿がはっきりと見えているはずだ。
「邪魔」
若者の反応は、刹那だった。
驚きもしない。怯えもしない。
まるでそこにいる羽虫を払うかのような、無慈悲な一言。
彼は無造作に右手を振った。
ゴオォォォッ!!
右腕の黒炎が津波のように膨れ上がり、飛びかかろうとした魔獣を飲み込んだ。
断末魔すら上げさせない。
圧倒的な火力が、影の怪物を一瞬で灰へと変え、夜の風に溶かしていった。
後に残ったのは、焼け焦げた地面と硝煙の匂いだけ。
「……ふぅ。加減が難しいな」
若者は気だるげに髪をかきあげ、炎を小さく鎮火させながら、俺の方を向いた。
その瞳は、ギラギラと危険な光を宿している。
「で……? あんたの部下になれって言ったか? 謎の仮面さん」
彼は挑発的に、口の端を吊り上げた。
「悪いけど俺は凶暴だぜ? 飼い慣らせる自信あんのか?」
俺はマスクの下で、堪えきれない笑みを漏らした。
こいつ……!
『悪いけど凶暴だぜ俺』って! 一回言ってみたかったやつだそれ!
この短時間でここまでキャラを作り込み、しかも本物の黒炎まで使いこなすとは。
俺の想定を遥かに超えている。
――順応性凄いなこいつ……まあいっか!!! 面白そうだし!
俺は尊大な態度を崩さず、彼に頷いてみせた。
「ふふふ……。それでこそ我が部下に相応しい狂犬だ。安心しろ、首輪くらいは用意してやる」
ウゥーーウゥーー……!!
遠くから、パトカーのサイレンが近づいてくるのが聞こえた。
先程の炎と騒ぎを通報されたのだろう。
「おっと、国家権力の犬どもがお出ましのようだ」
俺はマントを翻す。今日はここまでだ。
これ以上の接触は、またの楽しみにとっておく。
「興が削がれたな。名残惜しいが契約は成立だ。……また接触する。それまでその力を磨いておけ」
俺は『身体強化』と『飛翔』の設定を発動。地面を蹴り、一気にビルの屋上へと跳躍した。
「ああ。了解したぜ、ボス」
下から若者の声が聞こえた。
振り返ると、彼はニヤリと笑っていた。
「アバヨ。……解放してくれて感謝してるぜ」
ドッ!!
次の瞬間、若者の背中から二対の「翼」が噴出した。
右腕の黒炎を背中に回し、強引に翼の形に変形させたのだ。
俺の基本設定にはなかった応用技だ。
彼は炎の翼を羽ばたかせ、俺とは反対方向の闇夜へと飛翔していった。
その姿はまさしく堕天使。現代の空に舞う異質の怪物だった。
ビルの屋上で一人、俺は夜空を見上げて独り言ちた。
「……おいおい、即興で翼まで作るとか、とんでもない奴拾っちまったな」
だが、俺の心は高揚感で打ち震えていた。
一人ぼっちだった「世界征服」が、今、共犯者を得て動き出したのだ。
「御影 迅。コードネーム『右腕』……なんてな。これから忙しくなるぞ」
新宿の夜景は、いつになく輝いて見えた。




