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第10話 神の如き饗宴、または国家権力への恫喝

 東京、六本木。

 超高層ビルの最上階に位置する高級フレンチレストラン『ル・シエル(天空)』。


 通常ならば、数ヶ月先まで予約で埋まり、政財界の重鎮やスターたちが極上のディナーを楽しむ場所だ。

 だが今夜、この広大なフロアには、たった一人の客しかいなかった。


 貸切? いや、店のスタッフですら追い出され(催眠誘導された)、完全なる空白地帯となっていたのだ。


 その中央の特等席。

 夜景を一望できるテーブルで、御影 迅は優雅にワイングラスを傾けていた。


 もちろん中身はグレープジュースだが、能力で最高級のロマネ・コンティに見えるように外見を変えている。

 料理も、シェフの不在に関係なく、テーブルクロスの上に自動生成された三ツ星クラスのフルコースだ。


「……美しい」


 御影は、宝石箱のような東京の夜景を見下ろし、陶酔したように呟いた。


「何百万もの光。何百万もの命。これら全てが、私のシナリオの上で踊っているかと思うと……最高の酒の肴だな」


 彼は、孤独を楽しんでいた。

 今や世界中が、自分の組織の話題で持ちきりだ。国連すら動き出したという速報は、つい先程スマートフォンのニュースアプリで確認済みだ。


 すべてが順調。あまりに順調すぎて、怖いほどだ。


 その時。

 カチャリと、背後で複数の金属音がした。


 拳銃のスライドを引く音だ。それも一つや二つではない。十人以上のプロフェッショナルが、音もなく背後の空間に展開していた。


「……美しいとしか言いようがない夜景だと思わないかい? 公安の皆さん」


 御影は、振り返りもせずに言った。

 声色はもちろん、ダンディでセクシーな速水奨ボイスだ。ワイングラスを回しながら、さも「来ることを知っていた」風を装う。


 レストランの入り口や柱の陰に、ダークスーツを着た男たちが立っていた。

 警視庁公安部及び内閣情報調査室から選抜された、エージェントたちだ。


 その先頭に立つのは、初老の鋭い目つきをした男。公安のベテラン指揮官、室戸むろとだ。


「……流石だな、『黒の総帥マクスウェル』」


 室戸は、緊張感を押し殺して言った。ネットや海外メディアが勝手に名付けたコードネームだが、御影としては「総帥」という響きが気に入っていたので訂正はしない。


「こちらの包囲網ステルスに気付いていたか。……あるいは、わざと招き入れたのか?」


「フフッ。招待した覚えはないが、悪くないタイミングだ。デザートがまだ来ていなくてね」


 御影は椅子を回転させ、初めて彼らに向き合った。


 黒髪に漆黒のマント、そして目元を覆うマスク。

 その姿は、周囲の現実感を狂わせるほどに浮世離れしていた。


 対峙する公安の男たちが、無意識に一歩下がる。圧倒的な「格」の違いを、肌で感じたのだ。


「……何の用かな? わざわざ国家権力の犬が、私のディナーを邪魔しに来るとは」


「単刀直入に言おう」


 室戸は、意を決したように踏み出した。ここで彼らのペースに飲まれてはいけない。こちらは日本という国家の代表として、交渉に来たのだ。


「我々に、協力して欲しい」


 室戸の言葉に、周囲のエージェントたちがざわめいた。逮捕でも排除でもなく、協力要請。

 だがそれが、政府の下した現実的な判断だった。彼らを敵に回すには、リスクが高すぎる。


「協力?」


 御影は小さく首を傾げた。マスクの奥の瞳が、侮蔑の色を浮かべる。


「ほう。私に、君たちの下請けをやれと?」


「誤解しないでいただきたい」


 室戸は、早口で続けた。


「貴公らが明らかに、この世界(人類)のために、魔獣という未知の脅威を排除してくれていることは理解している。我々にも警察のプライドがある。市民を守りたいという目的は、同じはずだ」


 室戸の目には、真剣な色が宿っていた。


「魔獣の被害を考えると……過去、どれだけの人間が被害に遭い、真実を隠蔽され、闇に葬られてきたか分からないぐらいだ。我々は、ずっと無力だった。だからこそ……今度こそ君たちの知識と力を借りて、共に戦いたいのだ! ぜひ協力したい!」


 それは心からの叫びだった。警察官としての良心が、彼を突き動かしている。


 御影はワイングラスを置き、静かに立ち上がった。


 カツーン……。


 靴音が、静まり返ったレストランに冷たく響く。


「協力?」


 彼は、あざ笑うかのように室戸との距離を詰める。


「……力なき者の協力など、無意味だと思わないかい?」


 ズシッ。


 見えない圧力が、室戸の肩にのしかかる。『領域支配権』だ。


「ぐっ……」


 室戸は呻き、膝が折れそうになるのを意思の力で堪えた。エージェントたちの何人かは、恐怖で銃を取り落としそうになっている。


「我々が戦っているのは、ことわりの外側にいる怪物だ。蟻が象の戦いに加わって何になる? 踏み潰されて終わるだけだ」


「だが……ッ!」


 室戸は脂汗を流しながらも、食らいつく。


「何もしないわけにも行かないんだ……! 我々は国を守る組織だ! たとえ無力でも、指を加えて見ていることなど――」


「フッ」


 御影はその言葉を遮るように、再び窓の外を向いた。まるで興味を失ったかのように。


「……この美しい夜景の背後に、おびただしい死人がいることを、私は悲しいと思うよ」


「え……?」


「この街の下にも、昨日も一昨日も、何十、何百という骨が埋まっている。魔獣の餌食となり、『行方不明者』として処理された哀れな子羊たちが」


 御影は、ガラス越しに虚空を指差す。


「彼らの声が聞こえるかい? 誰にも知られず食い散らかされた無念が」


 それはもちろん、御影が考えたハッタリだ。でも、言ったもの勝ちだ。


「私がこの世界に来なければ、人類はずっと……そう、未来永劫気づくこともなく、魔獣のエサだっただろうにな……」


 その言葉に、室戸の表情が凍りついた。


 『私がこの世界に来なければ』?


 エージェントの一人が、思わず呟いた。


「……異世界から来たとでも言うのか? あなた方は宇宙人か未来人だとでも……?」


 御影はニヤリと、口角を吊り上げる。


「ああ、そうだ。否定はしないよ」


 これも設定通り。あくまで「別次元から来た高位の存在」というていを貫く。


「とある猫に言われてね……」


「猫?」


 室戸が呆気にとられる。こんなシリアスな場面で、なぜ猫?


「彼は……そう、便宜上『賢者』と呼んでおこうか。彼は、私が『神の座』に座ることを望んだようだが……」


 御影は、大げさに肩をすくめてみせた。


「生憎と私はへそ曲がりでね。創造や破壊よりも、こうして底辺のドブ浚い(治安維持活動)をしているというわけだ」


 彼は自虐的に笑う。


「彼(猫)からしたら、しなくても良いことをしてると思われるだろうね……。『お主もっと高みを目指せと言ったじゃろ!』とな」


 猫と交わした会話を、さも神話の一節のように語る。これぞ至高のミスリード。


 室戸の脳内は、パニック寸前だった。


 猫。賢者。神の座。治安維持。

 断片的なキーワードを、必死に繋ぎ合わせようとする。


(……つまり彼は「神」になり得る存在だが、それを拒否して、わざわざこの世界の人類を守るために降臨した堕天使、あるいは管理者のような存在ということか!? 我々は、とんでもない存在と交渉しているのでは……!)


 彼の沈黙は、御影の話術に見事にハマっている証拠だった。


「その言葉の真意は……我々には量りかねるが……」


 室戸は、震える声で搾り出した。


「だが、あなたが人類の敵ではないということは、信じていいのだな?」


「フフッ。敵か味方か。それは君たちの定義次第だ」


 御影は懐から一輪のバラ(能力で生成した黒薔薇)を取り出し、香りを嗅ぐような仕草をした。


「協力関係はまだ無理だよ、公安諸君。君たちは、あまりにも『視えて』いない。世界を理解していない」


 彼は冷たく突き放した。


「今は、我々の邪魔をしなければいい……。それで十分だ」


「……邪魔はしないと約束しよう。だが、情報だけでも――」


「欲張りだな」


 御影は微笑む。


「一つだけヒントをやろうか。……魔獣の力を認知した今なら、そのエネルギーを解析し、逆に利用して超常的な力を得ることも可能だろう」


 これもアドリブだ。人間側にも少しばかりパワーアップイベントを与えておかないと、今後のパワーバランスがつまらないからだ。


「魔獣の細胞、血液。研究してみるといい。科学で説明できないエネルギーソースが見つかるはずだ」


「それは……兵器利用できるということか?」


「あるいは、強化人間の生成か。……しかし」


 御影は、低い声で警告した。


「深淵を覗く時は、気をつけたまえ。魔獣を狩るために、魔獣に身をやつすことになるかもしれんぞ? ミイラ取りがミイラに……とね」


 彼は意味深に言葉を濁した。


「いや、どうなるかは分からないか……。人の進化の可能性、見せてもらうとしよう」


 室戸は唾を飲み込んだ。


 これは神からの試練なのか? 「魔獣の力を使ってでも、生き残ってみせろ」という?


「さて」


 御影は唐突に、マントを翻した。


「食事も済んだ。長居は無用だ、私は去るとするよ」


「待ってくれ! まだ聞きたいことが!」


 室戸が一歩踏み出すが、御影の周囲の空気が歪み始める。

 空間転移の前兆だ。


 黒い霧が足元から噴き出し、彼の体を包み込んでいく。


「公安諸君、そして人類よ。せいぜい足掻くがいい。黄昏は近いぞ」


「総帥!」


 エージェントたちが銃を構え直すが、もう遅い。


「では、また」


 その一言を残し、黒マントの怪人は掻き消えた。


 後には、飲みかけの(ように見える)ワイングラスと、彼が残した一本の黒薔薇だけが、テーブルの上に寂しく置かれていた。


 静寂が戻ったレストラン。

 室戸は、力尽きたように椅子に手をついた。


「……神の座か……」


 彼は黒薔薇を手に取り、その冷たい感触に震えた。


 国家の命運を握る交渉は、一方的な「宣告」で幕を閉じた。しかし彼らは、大きな収穫(宿題)を得た。


 魔獣の力の利用。そして、彼らが単なるテロリストではなく、上位の目的を持った超越者であるという情報。


「すぐに研究所へ連絡だ! 回収した魔獣の死体を再分析させろ! 彼が言った『利用法』を見つけ出すんだ!」


 室戸の怒号が響き渡る。


 東京の夜景は変わらず煌めき続けていた。

 しかしその光の意味は、もはや昨日までとは決定的に異なっていた。

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