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43話:旅愁の時

「できました! 今日もとっても素敵です、お姉様。」


 イヴが最後の一刺しを終え、声を弾ませた。

 鏡の中にいたのは、緻密なギブソン・タックに髪を纏め上げた、完璧なる公爵令嬢の姿。腫れた目元を化粧で、荒れた指先を手袋で覆い隠している。内側の崩壊を誰にも悟らせぬ造形は、美しく、痛々しい。


 早朝。ルイスは、ソフィーとジェラルドを伴って私を迎えに来た。下船口に降り立った私たちを待っていたのは、カーキ色の軍服に身を包んだ男だった。


「ルイス殿下。僭越ながら、これより私がご案内役を務めさせていただきます。」


 規律正しく敬礼を行う逞しい肩に、ルイスは手を置いた。


「寂しいじゃないか、兄弟。君と僕の仲だろう?」


「……その呼び方はよしてくれと昨日も言っただろう。誤解を招く。」


 ため息混じりの声で、彼の手を振り払われる。


「どうした、遅れてきた反抗期か?……カイ、今回も世話になる。」


「あぁ、あんたの頼みだから引き受けたんだ。感謝してくれよ。」


 彼は、昨夜ルイスが私のエスコートを託そうとしていた相手だ。隣国の王子と対等に軽口を叩き合うこの男は、果たして何者なのだろう。


 カイと呼ばれた男は、私に一瞥をくれると手短に自己紹介を済ませ、おもむろにその掌を地面へとかざした。

 突如、足元の砂が重力を嘲笑うかのようにふわりと舞い上がる。それは瞬く間に凝縮され、私たちの体を支える強固な”雲”へと形を変えた。


「”能力”での移動につき、少々揺れます。お気分が優れないようであれば、すぐにお仰ってください。」


 砂の雲は、馬車の何倍もの速度で滑り出した。


 私の祖国ヴェルザードは”雷の国”とは敵対しており国交もない。

 初めて訪れる地で、広大な領土に点在する村と町の情趣を楽しむ間もなく景色が流れていく。夕暮れには、港と王都のおよそ中間にある領主の屋敷まで辿り着いた。


 豪奢なエントランスで、この地を治める壮年の領主が、片手を首元に添えて頭を下げた。


「お久しゅうございます、ルイス殿下。……先の陛下の成人の儀以来ですね。あのような歴史的な場にご一緒できましたこと、今も誇りに思っております。」


 旧知の仲であることを示し、力強く握手を交わす。次いで、驚きと好奇の混ざった視線が、ルイスの背後に控える私へと向けられる。

 やっぱり、彼が公務に女性を連れているのは珍しいらしい。


「おや? そちらにいらっしゃるのは……?」


 場に緊張が走る。

 ルイスは、眉をわずかに動かしたイヴを制止するように、穏やかな口調で告げた。


「ご紹介しましょう。彼女は我が王家の血を引く——」


 背後から息を呑む音が聞こえる。

 促された私は、震える膝を必死に抑え、教え込まれた通りの淑女の礼を執った。


「お初にお目にかかります。アリエル・ツー・フロストベルクにございます。この度は、ルイス様と共に貴地を訪れることができ、大変光栄に存じます。」


 領主は表情を和らげ、より一層深く頭を下げる。


「左様でございましたか。殿下が守護される尊き御方、当家も全力でおもてなしさせていただきます。」


 ルイスは満足げに頷くと、私を見つめて微笑んだ。


「部屋を用意してくださっているから、君たちは先に休んでいるといい。僕は領主殿と、少々片付けなければならない会議があるからね。」


 遠ざかる彼の背中を見送り、私はあてがわれた部屋へ。


 扉が閉まり、廊下の喧騒から遮断される。


「イヴ……。その……ルイス様は、私の素性が露呈してしまわないようにと、あのような……」


「はい、わかっています。……それより、お姉様! 見てください、この国は噂通り、本当に雷を崇拝しているのですね。」


 彼女はぎこちない笑顔で快活な声を上げると、すぐさま窓の外を覗き込んだ。眼下にある屋敷の門では、領主の家紋よりも大きく掲げられた稲妻を象った旗が、風にたなびいている。


 そう言えば、領主はネクタイも締めず、シャツのボタンを開けて首元を露出させていた。カイも港に着いて以降、左の袖をまくり上げたままだ。

 そこにあるのは”雷の国”の民の証である、肌に刻まれた青白い稲妻の紋章。彼らはたとえ正装を着崩してでも、それを誇示し世界に晒す。


(私たちとは何もかもが違う……)


 軍国主義の空気に当てられ、視界が揺らぐ。

 ふいに目の前に、ティーカップが置かれる。部屋の備え付けではなく、イヴが密かに持参した祖国の茶葉。懐かしい香りに強張っていた身体がわずかに緩む。私はソファの背もたれに体重を預けた。


「ありがとう、イヴ。永久の午後パーペチュアル・ヌーンね?丁度、飲みたいと思っていたの。」


「お姉様のことは何でもお見通しです!」


 イヴが肩の触れ合う距離で腰掛ける。

 私はカップに手を伸ばしながら体勢を変えて、拳一つ分の空白を作った。今の私に彼女の温もりに癒される資格などない。

 けれどイヴは、その迷いも見透かしているのだろう。最初よりも身体を近づけられる。


「髪型が少しだけ乱れています。直ぐに整えますね。」


「砂の雲の上で、風を浴びたからかしら。あなたも疲れているでしょう?少し休んでからで大丈夫よ。」


「っ!!」


 刹那、気圧されてしまう程の敬愛が表情を塗り替えた。

 カップを手に持っていて良かった。手ぶらだったならば、飛びつかれていただろう。



 とりとめのない会話をして過ごすこと2時間程。

 正確なリズムで扉が叩かれる。

 入室したルイスは、ネクタイを緩めながら告げた。


「領主殿が、従者も含めてディナーを振る舞いたいそうだ。会食に相応しい装いの準備を。」


 私とイヴは一瞬、視線を交わした。

 身分に峻別された祖国ではありえない提案だ。ここが異質な文化圏であることを改めて突き付けられる。


「承知しました。イヴ、お願いできるかしら?」


 私の問いかけに、イヴは背筋を伸ばしたが、その瞳には困惑と躊躇の色があった。


「勿論です。しかしながら、私は制服しか用意がございません。せっかくのお誘いですが、ご辞退させていただきます。」


 彼女の言葉は単なる謙遜ではない。ルイスが私たちの領域へ踏み込みすぎることを警戒する、彼女なりの防壁だ。だが、彼は、外堀を埋めて突破してみせた。


「いや、”既に”人数は伝えてある。——マヤ、彼女を頼めるか?」


 パチン、と彼が指を鳴らす。

 影から滑り出るようにしてマヤが姿を現した


「お任せください。」 


 視線の矢印が複雑に絡み合う。

 ルイスは絶対的な確信を持ってイヴを見つめ、マヤは淡々とイヴの傍らへ歩み寄る。挟まれたイヴは、主への忠誠と、この国の強引な流儀の間で揺れていた。


「ですが……」


「好意は受け取るべきよ。領主殿の顔に泥を塗るわけにもいかないもの。」


 私がそっと背中を押すと、彼女はついに観念したように小さく息を吐いた。


 マヤの後について、イヴは幾度も私を振り返りながら部屋を出ていく。



 密室に残されたのは、私とルイス。空間を支配する静寂に反して、心臓の音が騒がしい。

 二人きりならきっと——。罰を予感して、血流が加速する。


「さて、君も着替えが必要だな。ソフィーを呼んでこよう。」


 私はもう限界だった。


 ジャケットの裾を掴み、顔を見上げる。

 黄金の瞳が妖しく煌めいていた。

次回は、久しぶりの……

明日も更新します!

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