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42話:慟哭の時

 ルイスは、毎晩私の身体を丹念に解きほぐし、支配する領域を広げていった。

 彼に触れられた太腿や腰は、容易く翻弄され、蕩けるような音色を奏でた。彼に甘やかされて暴かれた、私が死体ではなく、血の通った女であることの証左。


 一際激しく啼く足裏の土踏まずと耳たぶの先を自分で弄ってみたことがある。だけど、凄絶に調律された楽器は、己の手さえ異物として拒んだ。

 機械的なダンスのリードと、”エルトマン令嬢”という呼び名。私の指はそれらよりも遥かに空虚だった。



 下腹部がずっと、傷が開いたように脈打っている。その疼きを僅かでも鎮めることができるとすれば、直接触れること以外に考えられなかった。


 きめ細かなネグリジェの裾をくしゃくしゃに丸め込み、追い払う。清浄な純白の絹が、腿の間であられもなく捲り上げられた。空気に触れた肌は凍えるのに、内側は煮えるように熱い。


 そして、彼が聖域のように頑なに侵そうとしなかった場所に、震える指先を押し当てた。


「……っ、うぅ……んっ。」

 

 食い込ませた瞬間、痺れるような違和感が駆け巡った。


 目を閉じれば、今も断頭台の、冷酷な鉄の感触が蘇る。

 魂を永遠に閉じ込める極寒の虚無から逃れるために、必死に生を確かめる。按摩と罰の記憶をなぞり、こびりついた痕跡をより集めて模倣していく。



 イヴが信じ、ルイスが守ろうとした偶像を、自ら踏みにじる背徳感に胸が詰まった。


 でも、だって、仕方がない。汚辱に塗れた指でも、使命の刃を握るために、私は死ねないんだ。私が死ねば、孤児院の子どもたちがまた”儀式”に巻き込まれてしまう。


 荒れた息がデッキの手すりを白く曇らせる。

 内に沈めた指を動かすたび、涙が溢れて止まらない。けれど、細い指は滑るばかりで、頼りない。脳天を揺らす彼の重みにはほど遠い。



「……ルイス様……ルイス、様っ!!」


 身体を労ってくれる彼の優しい手つきからかけ離れ、自傷行為のように爪を突き立てた。

 徹底的に掻き鳴らしても、芯を押し込んでも、最後の一音がどうしても響かない。奏者を失った体は、ただ不協和音を垂れ流し、出口のない熱に浮かされるだけだった。


 正解を教えられないまま、指先はまとわりつく劣情で迷走し、無様に腰を揺らす。

 しんとした夜の海に、密やかな水音と、薄い絹が湿り気を帯びて肌に張り付く音が、卑しく響き続ける。


「ルイス様……!もっと……、お願い……っ。」

 

 頭の奥が白く火花を散らし、全てが剥がれ落ちようとした、その刹那。


 ばさりと夜風に煽られた髪が、視界を横切った。鏡の前で、イヴが慈しみ梳いてくれた、誇り高き貴族の象徴たる長髪が。


『私がずっと傍にいます。何度だって、髪を整えます。』


 脳裏に妹の顔が浮かんだ。


「……っ!!」


 火傷でもしたかのように汚濁から手を引き抜いた。その指先は、誰のものでもない、私自身の欲望で濡れている。

 

 安堵の代わりに全身を覆ったのは、嘔吐したくなるほどの自己嫌悪だった。

 私は子どもたちの命を言い訳にして——。果たして、世界にこれ以上に醜い人間が存在するのだろうか。


 床にうずくまり、甲板を掻きむしる。声を殺して泣きじゃくった。




「お姉様……?」

 

 しばらくして、ふいに背後からかけられた声に、心臓が跳ね上がった。月明かりに晒されて艷やかに光る指を、反対の手で隠すように握りしめた。


「来ないでっ……!私を見ないで……!」

 

 目を固く瞑って絶叫する。

 しかし、足音は徐々に速度を増しながら近づいてきた。直後、柔らかな腕に包み込まれた。


「独りで泣かないでください。誰が何と言おうとも、誰が信じなくとも……お姉様は私の自慢の主です。」


「やめて!!私は……っ、汚いの……。 」


 イヴはハンカチを取り出して、私の泣き腫らした目元と頬を拭った。


「お姉様の涙は絶対に、汚くなんてありません。」


 一瞬、彼女の言っていることが理解できなかった。いや、嘘だ。理解を拒もうとして、それすらできなかった。

 彼女の目には、乱れたままの寝衣など映っていない。私への信頼が、過去の苦しみ——裁判での糾弾や断頭台での民衆の嘲り——に怯える悲痛な姿に見せているのだ。


 潮の匂いが混じり濡れそぼった指先さえも、夜の闇が真実を覆い隠してしまう。

 彼女はその布で、次に私の手を包んだ。


 反射的に、身体をよじって温かな手を払い除ける。


「あっ……!」


 ハンカチが風に乗り、手すりの向こう側へと飛ばされていく。

 端っこに黄色の文字が見えた。拙い刺繍で施されたイヴのイニシャル。あれは、幼い私が、彼女が公爵家に来て初めての誕生日に贈ったものだ。


 彼女が肌身離さず何年も使い続けてくれた宝物で、私は彼を思って溢れさせた蜜を拭きとらせた。


 思い出は取り返しのつかない形で海の藻屑と化す。

 宙を舞い遠ざかる白は、いつか断頭台から見上げた、流れゆくちぎれ雲のようだった。救いなどないのだと、あの時も世界はこうして、私を突き放した。


「お姉様から貰ったハンカチが……。ごめんなさい、一生大切にすると約束したのに。」


 イヴはうなだれて呟いた。


 口を動かす。けれど、涙の真実を告げることなく、言葉は喉の奥で血の味となって消えた。



「一番つらい時に、傍にいてあげられなくて、ごめんなさい。」


 イヴが再び私を抱きしめる。

 

「もし……もし、冤罪が晴れず、また断頭台に上る憂き目に遭ったとしても……」


 彼女の腕に力がこもる。抱き寄せられた耳元で囁かれる、覚悟の言葉。

 

「その時は、私も一緒です。」

 

 狂えば狂うほど、妹の首に、私が死の縄をかけていくことになる。命を懸けた献身を裏切りながら、明日もきっと生を求めてしまう。

 

「……ぁ、ああああああ……っ!」

 

 イヴの胸に顔を埋めてしがみつき、獣のような声を上げた。彼女はそれを主従の絆だと信じて、さらに強く抱擁する。



 違うの、イヴ。あなたが信じる私はもうどこにもいない。



 慟哭は、疲れて意識を失うまで続いた。

次回は明るくなります……。

47話がデート会です!!


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