37話:尋問の時
——数分後、王宮のある一室。
執務室とは違う無機質なテーブルを挟んで向かい合う二つの椅子。冷たい空気と薄暗い照明の下、ルイスの尋問は始まった。
「彼女は司教の暗殺未遂についてどこまで知っている?」
「イヴは関係ありません。」
私は机の下でドレスを強く握りしめた。
僅かな沈黙のあと、彼は窓の外、遠くヴェルザードの方角を見つめた。
「なぜ今更になって彼女は送り込まれた?」
私にもわからない。思い当たることがあるとすれば。
「祖国では10年ほど前の事件以来、未成年の派遣も受け入れも禁じていますから……。今日がその日だったというだけかと。」
「そうか。まぁいい、本題だ。彼女の好む料理は?」
「はい?」
取り調べはものの数分で終わった。
彼はマヤを呼び出してメモを手渡した。
唖然とする私を抱いて、椅子に座り直す。身体に回した両腕に強い力をこめて、私の首筋に顔を埋めた。そして、長い冬に備えて花々の香りを貯め込んでおくように、深く息を吸い込んだ。
私の胸と彼の硬い胸板の間でトパーズが存在を主張する。温もりが、私の存在を無条件に認め、価値を証明してくれる。
夕食の時間が近づいてきた頃、彼はやり残した公務があると言って私を解放した。
部屋に戻ればイヴがいる。脳裏に彼女の顔が浮かぶ。もう恐怖はない。気づけばドレスの裾を上げて廊下を走り出していた。
息を切らして私室の扉を押し開く。視界に飛び込んできたのは、部屋を入念に掃除するイヴの姿だった。
「ごめんなさい、イヴ。あなたに——」
彼女は人差し指を唇に当てて、私の言葉を遮った。
「この国では、客人の会話を盗み聞きするように教育されているのですか?」
マヤが音もなく影から姿を現した。ルイスと別れて以降、尾行されていたのだろう。
「失礼いたしました。私は殿下よりアリエル様を警護するよう厳命を受けています。」
「でしたら、私がレオン殿下より受けた命の重みも、ご理解いただけるはずです。」
二人がじっと睨み合う。マヤは視線を外すと、部屋を見渡した。窓枠に至るまで埃一つなく、クローゼットにはイヴが祖国から持ち込んだであろう大量のドレスがある。
確かに、イヴとマヤは似ているところがあるのかもしれない。
「……はい。貴女を信じましょう。」
マヤは頭を下げると、部屋を後にした。
扉が閉まり静寂が訪れる。イヴは左手で寝台を指し示し、私に扉から離れるよう促した。彼女は扉に耳を張り付けて、足音が遠ざかるのを確認しているようだった。
こうなると立って待つには長い。
私はベッドに腰掛けて彼女の様子を伺っていた。
やがてイヴは、肺の奥から息を吐き出した。扉に背を向け、腰を低くして唸るように床を蹴る。
次の瞬間、どしんと鈍い音を立てて、私たちは倒れ込んだ。
「お姉様!!よかった……生きてて……!」
彼女は大粒の涙を流しながら、私の胸に顔を擦り付けた。
「ごめんなさい、イヴ。あなたに迷惑をかけて。一人でこんな場所まで……。それに、あなたに辛いことを言わせてしまって。」
しっかりと”妹”を抱きしめ返す。
「ううん、私っ、酷いこといっぱい言って……!」
「いいの、わかってるわ。」
イヴとは物心つく前からの付き合いだ。没落した貴族の子女だった彼女は、公爵家に侍女見習いとして引き取られて育った。
だから、彼女の考えは手に取るようにわかる。
祖国で罪の確定した私を身内の人間が庇えば、フロストリアスから見た私の心証を悪くすると考えたのだ。加えて、巧みに会話を誘導し、私が残虐な扱いを受けていないかを探っていた。
「お姉様……お姉様…………!!」
嗚咽をあげて泣きじゃくる彼女が落ち着くまで、私は背中をさすり続けた。
——半刻後。
「アリエル様、お食事のご用意ができました。」
ソフィーが扉をノックした。フォレストグリーンの給仕服の裾をつまみ、上品にお辞儀する。
「ありがとう。新しい給仕服、似合わってるわね。」
「……はい!姉様にも褒めてもらえました。」
彼女に案内されて、ダイニングホールへと赴いた。ルイスの姿はない。まだ公務の途中だろうか。
用意された二人分の座席。イヴは私の席の隣に背筋を伸ばして立っていた。
「お嬢様のお世話は私が代わります。」
「つ、着いて早々に手を煩わせたとあっては給仕人の名折れです。せめて本日だけは私どもにお任せください。」
ソフィーは、控えめな口調でありながらも、職務への強いプライドを滲ませた。
彼女の意思を私は尊重したい。私は視線を送りイヴに訴えかけた。
イヴは一瞬迷いの表情を見せたが、すぐに姿勢を正して指定された席に着席した。
無駄のない洗練された動作で煌びやかな料理が並べられていく。銀食器と陶器の皿は、私とイヴの会話を妨げなかった。
格式高いデカンタが、テーブルに置かれる。
「殿下より。こちらは、フロストリアスが誇る銘酒、『白銀の吐息』にございます。イヴ様の来訪を祝う品になります。」
ソフィーは、イヴと私、それぞれのグラスに淡い黄金色の液体を注いだ。
静かにグラスを合わせる。
グラスを伝って舌に落ちたのは、アルコールを感じさせない、清涼な甘さだった。軽やかな蜜と、畑の香りが溶け合った風味が、口の中でサラリと広がる。軽やかでまろやかな口当たりが、イヴの成人を祝福していた。
「こちらは本日のメインディッシュ、白身魚カプリスのソテーでございます。ソースは——」
ソフィーがシェフの意図を汲み、淀みなく説明を行う。けれど、イヴの耳には全く入っていないようだ。彼女は目の前に現れた大好物に釘付けになっていた。
肉厚な白身には、焼き色のついたバターと焦がしハーブの香りがしっかりと纏わりついている。添えられたソースは、クリームが森のきのこのブラウンに染まり、皿の上で鮮やかに輝いていた。
フォークを入れる。
——サクッ、と、ナイフ要らずの軽やかな音。
表面の薄く色づいた焼き目は、抵抗を感じさせず、身の中に吸い込まれていく。熱で溶けたバターが魚の繊維の奥まで染み込み、鼻腔を抜ける香りが意識を酔わせる。
噛みしめた口腔で弾けたのは、驚くほどの水分と、凝縮された魚の旨味。 外側はカリッと焼かれているのに、中は絹のようなふっくらした柔らかさだ。
向かいに座る彼女は無表情のままだが、初めてのワインで上気した頬がほんの僅かに緩んでいる。
マヤに自慢してやりたい。私の妹だってこんなにも可愛いのだと。
食事を終えてホールから去ろうとした時、ソフィーは私にだけ聞こえる声で囁いた。
「姉様より伝言です。殿下より預かった”忘れ物”をお部屋にお持ちした、とのことです。」
はっとして振り向くと、彼女は一瞬片目を閉じて微笑んだ。
10話で贈られたドレスがようやく初登場です。
小さな、けれど、確かな一歩です。




