36話:再会の時
「おはよう。アリエル。」
柔らかな光を浴びて私は目覚めた。
ルイスは私を包みこみ、髪を愛おしげに撫でている。
「お、おはようございます、ルイス様。」
しどろもどろに目を逸らす。逃げた先にあるのは、シワのできたジャケットの袖。昨晩の秘め事が現実のものであると告げていた。
覚醒していく意識が、輪郭を明確にする。その時、気づく。手と手が繋がれたままであることに。
私は身動き一つ取れずに固まってしまった。
「名残惜しいが、そろそろ行こうか。」
彼は結び目を見せつけるように手を布団からだし、口元に近づけた。生暖かい風が肌を滑る。そして、戸惑う私をよそに平然と起き上がると、ドレッサーからコンパクトな瓶を手に取った。
香水をつけられている間もドレスを着せられている間も、私は彼の顔を全く見ることができなかった。けれど、指先の動きを敏感になり過ぎた肌が追ってしまう。
「あぁ。僕のアリエルは今日も美しい。」
アッシュピンクのドレスの上からひしと抱きしめられる。横抱きに移行し、ダイニングホールまで連れられた。
デザートのブランマンジェを食んだ後、私は意を決して尋ねた。
「あの、夜更けに目が覚めたりしませんでしたか……?」
「いや?君を感じて朝まで深い眠りについていたよ。」
答えるまで僅かな”間”があった気がする。ただ予期しない問いに詰まるのも当然だ。だけど、もしも——。
不安が渦巻く。頭の中で思案していると、唇の端を優しく拭われた。
確かな違和感。触れたのはナプキンでもハンカチでもなかった。彼の右手の人さし指は、白い液体で濡れている。ブランマンジェに載せられていた生クリームを彼は口に含んだ。
「舌の上でとろける濃密な甘み。……君の味だ。」
喉仏が動く。それは、私の一部が彼に取り込まれた瞬間だ。
背徳的な昂揚の前に、不安は霧散した。私は全身を彼に委ね、思考を放棄した。
ルイスは五感全てで私という存在を堪能し、支配する。檻が完成したかに思われたその日の夕暮れ。転機は訪れた。
ジェラルドの呼び出しから執務室に戻ったルイスは言った。
「君に客人が来ている。”イヴ”と名乗っているようだ。会いたいかい?」
彼女の名前を聞いた刹那、なぜ、どうして、と嵐が吹き荒れた。私にはイヴにあわせる顔なんてない。
「……ヴェルザードに帰るように伝えていただけますか?」
「もう一度問おう。君はどうしたい?」
眼前に迫る端正な顔立ち。彼は私の目を真っすぐに見つめていた。
顔を固定されて逃げることはできない。熱い雫が、顎を掴む手を濡らした。
彼は、有無を言わせず私を抱き上げると、ワードローブに連れ込んだ。そして、私の右手を絡め取り、指輪をするりと抜き取った。彼の手のひらの中で、黄金の瞳を映すトパーズが輝く。
薬指に残った虚ろな赤い環。私の身体は彼の愛を失うことを恐れていた。
(あ……)
震える肩で金属が擦れる音を聞いた。
ルイスが取り出したのは、純金のチェーンだった。彼は指輪をそこに通し、私のうなじに回す。冷たい金属に触れたにも関わらず、肌は歓喜の歌声をあげた。
トパーズがドレスの胸元へと押し込まれる。白い肌の上を滑り落ち、胸の中央、心臓の隣で止まった。鼓動に合わせて微かに上下する。それは外からは決して見えない、所有の証だ。
ルイスは、ドレス越しに位置を透視したように、胸に人差し指を押し当てた。正確に円環の中央を射抜いた指先。彼の温もりを、脈打つ心臓が全身に運ぶ。
「大丈夫、僕が君のそばにいる。さぁ、行こうか。」
ピンヒールから上質な革のパンプスに手早く履き替えさせられる。
手を引かれて応接室までの廊下を歩いた。
彼は私の手を一度強く握りしめてから離し、扉を開いた。そこには、小柄な体躯に、ミルクティーブラウンの髪を編み込んだ少女が立っていた。
「イヴ……。」
彼女はゆっくりと顔を上げて、黄色みがかったヘーゼル色の瞳で私を見つめる。しかし、私には言葉を返さず、ルイスに向けて優雅にカーテシーをとった。
「お初にお目にかかります。ヴェルザードより参りました。イヴと申します。」
「長旅ご苦労。」
彼が威厳に満ちた声で短く応じる。
イヴの凛とした顔と声、それから洗練された所作。一目見れただけで、私の心は十分に満たされていた。
涙を堪えて彼女を拒絶した。
「少し休んだら直ぐに国に帰りなさい。ここはあなたの来るべき場所ではありません。」
「罪人の指図は受けません。私は、レオン殿下の命を受けて参りました。罪人の世話を何か月も他国にさせる訳にはいきませんから。」
イヴは冷ややかな表情を隠すように、口元を手で覆った。
「それにしても拘留期間が長すぎはしないでしょうか?随分と優秀な捜査官が揃っていらっしゃるようで。」
私は、俯いて唇を固く引き結んだ。胸が太い針で貫かれたように痛い。イヴの性格を考えれば、こうなることはわかっていた。だけど、会いたいと思ってしまった。全ては私の罪だ。
ルイスの目にはイヴの姿はどう映っているのだろう。
彼は部屋の外で待機していたマヤに合図を送った。
イヴはマヤから差し出された封筒を受け取ると、中から羊皮紙を抜き出した。調書に視線を走らせ、わざとらしくため息をつく。
テーブルの上に無造作に調書が投げ捨てられた。
「出来の悪い作文にございますね。」
彼女の反応はもっともだ。行商の襲撃事件は彼の捏造なのだから。加えて、事件の当事者である”らしい”私は、取り調べを受けた記憶すらない。
「心外だな。国家間の事件故、配慮した表現となっているだけだ。拘留期間もレオン殿下の許可を得ている。」
レオンの名前を出されても、イヴが怯むことはなかった。彼女は次に、私ではなく私の纏うドレスを舐めるように観察した。
「罪人には不相応な装いですね。貴国でも指折りの仕立て屋による作品と存じます。」
「……ヴェルザードでの事件を我々は関知しない。この国での罪が確定するまで、彼女を公爵家の令嬢として扱うのは当然だろう?」
「ご冗談を。公爵家の汚点の噂は、フロストリアスにも届いていますでしょう?」
両者全く譲らない舌戦が続く。
数十分に及ぶ議論の末、意外にも先に折れたのはルイスだった。
「そして、今日これから、第一王子たる僕が直々に聴取を行う。……部屋を用意させた。貴女は旅の疲れを癒やすといい。」
「お気遣い感謝いたします。ですが、私までお世話になっては本末転倒です。お嬢様の部屋の片隅で問題ございません。」
彼女は最後まで譲らなかった。




