33話:捜索の時
「私が目を離したから……リゼちゃんが……。」
リゼと呼ばれていたのは、まだあどけない少女だった。ソフィーは『新しい妹』だとも言っていた。
涙ぐむソフィーをマヤがなだめる。
「いえ、私の責任です。」
彼女は、遠く森の奥に沈もうとしている夕日を見つめた。
「私は森へ探しに行きます。ソフィーは院長に報告してから、街を探してください。」
孤児院の裏手には、切り立った崖へと続く深い森が広がっている。フロストリアスの冬の森は、日が落ちれば命に関わる極寒の世界だ。
ソフィーは顔を拭うと建物へと駆け出した。残されたマヤが私に向かって頭を下げる。
「アリエル様、申し訳ございません。私に着いて来てくださいますか?」
「お断りするわ。私も手分けして探すべきよ。」
「……あなたには前科があります。私に同行いただけない場合は、ここで拘束することになります。」
マヤの瞳には、苦渋と焦燥の色が滲んでいた。
彼女だって、すぐにでも森へ飛び込みたいはずだ。ここは彼女の故郷で、いなくなったのは家族同然の子供なのだから。
けれど、私の存在が彼女を縛り付けている。私を一人で自由にすることで逃走に及ぶことを警戒しているのだろう。
こうしている間にも刻一刻と周囲は暗く染まっていく。森の奥からは、泣き声のような風鳴りの音が聞こえる。
引き下がるわけにはいかない。
「私はっ!子どもを見捨てて逃げたりしない!!」
「…………リゼは何故居なくなったと思いますか?もし見つけられたなら何と声をかけるおつもりですか?」
彼女は静かに言った。
どくんと私の心臓が跳ねた。祖国の孤児院で聞いた言葉がよみがえる。
『お姉さんは、僕たちが強制的に儀式に参加させられてると思ってるの?』
『どうして私たちは孤児院にいると思いますか?……お嬢様なんかには知る由もないことです。』
あの子たちの冷めた瞳が、今もなお私を貫く。私は震える足で地面を強く踏みしめ、マヤの腕を掴んだ。
「わからないわ。だけど、何もできないのはもう嫌なの……!!」
彼女は真っすぐに私の目を見つめ返すと、腰のカバンから発煙筒を取り出した。
「もし何かあれば、これを焚いてください。私は土地勘がありますから森の奥を探します。」
監視者の姿は闇に消えた。
後を追って森の中へと足を踏み入れた。
針葉樹が巨人のように立ちはだかり、地面を覆う雪と枯れ葉が足音を吸い込む。気温は急速に下がり、吐く息が白く凍りつく。
枝が頬を掠め、茨がスカートを裂く。痛みなどどうでもいい。少女の小さな身体が、この寒さにどれだけ耐えられるか。それだけで頭がいっぱいだった。
私は必死に獣道を駆けた。
(お願い、間に合って……!)
声が枯れるまでリゼの名を呼び続けた。しかし、反応が返ってくることはなかった。
一時間、いや二時間彷徨っただろうか。
感覚のなくなった足が木の根に躓き、無様に転んだ。冷たい雪が顔に触れる。
その時、木々の隙間から、青白い月の光に照らされた小さな影が見えた。岩陰にうずくまり、雪を被った小さな背中。
「リゼちゃん!!」
私は這うようにして近寄り、その体を抱き起こした。
氷よりも冷たい。唇は紫色に変色し、瞳は虚ろに開かれていた。
「……マ……マ………?」
「よかった……! よかった、生きてて……!」
私は自分のショールと外套を彼女に巻き付け、さらにドレスの上から強く抱きしめた。私の体温を全て分け与えるつもりで。
「はなして……。ママとパパのところに行くの。」
リゼが途切れ途切れに呟く。
「それにリゼがいなくなれば……パンが、あまるのに……。」
その言葉が、私の心臓を雑巾のように絞り上げた。
今になってようやく気づいた。
リゼは森に迷い込んだのではない。生家に帰ろうとしたのでもない。彼女は家族と同じ場所に行こうとしているのだ、と。
私は言葉を失い、彼女の頭を胸に押し付けた。
「……さむい……ねむいよぅ……。」
彼女の意識が遠のいていく。
まずい。低体温症だ。早く連れ帰らなくては。 私は彼女を背負おうと立ち上がった。けれど、その瞬間、視界がぐらりと回った。
辺りはいつの間にか完全な漆黒と濃い霧に包まれていた。月と星が雲に隠れ、方向感覚が失われる。発煙筒も期待できそうにない。加えて、急激な冷え込みで、私の身体も限界を迎えていた。
ドレスは湿気を吸って重く、足が思うように動かない。一歩踏み出そうとして、その場に崩れ落ちた。
このままでは、二人とも凍死してしまう。私は岩陰に身を寄せ、リゼを抱きかかえたままうずくまった。せめて、彼女だけでも温めなければ。
意識が朦朧とする。寒さが痛みに変わり、やがて足だけでなく全身の感覚がなくなっていく。
今度こそ死ぬのか。
元は断頭台の上で終えるはずだった命。
日が昇り救助が来るまで少女の命を繋げたなら生き延びた価値もあったのかもしれない。
私は欲張りだ。心残りはある。使命を果たせないことと、あとは——。
(ごめんなさい、ルイス様。)
彼の温かい腕が、どうしようもなく恋しい。
「――――アリエルッ!!」
幻聴が聞こえた気がした。雷鳴のような、それでいて焦がれるような声。
そして、世界が朱に染まった。
ボウッ。
暗闇を切り裂いて、巨大な炎の柱が立ち昇った。凍てつく空気が一瞬で熱波に変わる。
私は薄目を開けた。
雪を溶かし夜を焼き払いながら、真っすぐに黒い影が疾走してくる
影が私の目の前で止まる。炎の照り返しを受けた赤い耳飾りが揺れていた。
「すまない。遅くなった。」
ルイスは、膝をつくと、私とリゼちゃんをまとめて固く抱きしめた。
彼の身体から、炉のような熱が流れ込んでくる。
「あったかい……。」
彼の背後から、息を切らしたマヤが駆けつけてきた。火柱が目印になったのだろう。
「リゼ!!」
彼はリゼを慎重にマヤへと預けた。
「申し訳ございません、殿下。私の不手際です。」
「いや、いい。」
ルイスは、ぐったりとした私を軽々と横抱きにした。鍛え抜かれた筋肉が私の劣等感を刺激した。
「私は無力でした。」
「君は極寒の中、リゼを守り抜いた。」
どうして彼はいつも私の欲しい言葉がわかるのだろう。
腕の中で彼の優しさと体温を感じて、張り詰めていた糸は緩んでしまった。たるみきった思考が気にしたのは、一日中庭と森を走り回ってこびりついた土と汗の匂いだった。
「その。ルイス様?臭ったらごめんなさい。」
「王宮に帰ったら、君には新たな罰を与えようか。」
「私は逃げようとしたわけでは——」
彼は苦笑して、私の頬に自身の頬を擦り寄せた。
「そんなこと疑ってすらいないさ。よく頑張ったね、僕の愛しいアリエル。」
”能力”で作られた炎の玉が、帰路を明るく照らしていた。
孤児院に戻ると、暖炉の前には毛布と温かいスープが用意されていた。
院長とマヤが心配そうに見守る中、ソフィーはリゼを膝に乗せ、スープを飲ませていた。
少し顔色の戻ったリゼが、ぽつりと言った。
「ごめんなさい……。ソフィーちゃん、ごめんなさい。」
「どうして謝るの?」
「だって、リゼ、ママもパパもいないもん。ひとりぼっちだもん……。」
マヤは、彼女の隣に座り、小さな手を両手で包み込んだ。いつもの鉄仮面のような無表情はそこにはなく、ただの一人の傷ついた人間としての顔があった。
「私も親はいません。ソフィーにもです。」
「……おなじ?」
「はい。同じです。確かに、パパやママの代わりになれる人はいないかもしれません。」
マヤは、リゼをぎゅっと抱き寄せた。
「ですが、家族にはなれます。」
「かぞくじゃないもん。」
「血が繋がっていなくとも、心配して生きていてほしいと願うなら、それはもう家族です。」
雫が頬を伝い、一筋の軌跡を描いた。
「マヤおねえちゃん……。」
ソフィーがスプーンを置いてリゼの頭を撫でる。
「リゼちゃんがいなくなったら、私は寂しい。心が引き裂かれるほど痛い。だから、お願い。勝手にいなくならないで。あなたは私たちの大切な妹なのよ。」
リゼの瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。彼女はマヤの胸に顔を埋め、大声で泣きじゃくった。その後ろからソフィーが二人を腕を回している。
私は、傍観者としてその光景を眺めていた。
涙で滲んだ視界に映ったのは、暖炉の火に照らされた、三人の姉妹の泣き笑いする顔だった。




