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同居人  作者: 杠秋星
11/11

十一、書庫に潜む怪異の話・追想

「………花譜か?」

 唐突な燈。暗い中で、永く永く時を過ごしていた彼にとって、それは十分に驚愕に値することであった。

 ぱらりと、頁を繰る音がした。手に取られている。

「……和算、ね」

 複雑そうな声を漏らしたその主は、それなりに丁寧な(少なくとも古書に対する敬意のようなものは感じる)動きで、その本を袂に入れた。

 衣ずれの音――――扉が開かれる音――――眩しいばかりの、ひかり。

 幾年ぶりかの日輪の輝きに、彼は様々なことを思う。

「爺の日記……まあ、何もないよりはマシか」

 思考の合間に聞こえる様々な音は、彼の心を大変に賑やかす。

 少し前から、意識はあった。

 恐らく、自分は作られてから百年経ち―――妖となるに相応しい姿を持つことも出来るのだろう。曲がりなりにも書物なのだから、そのくらいの知識智恵は有る。

 けれど、人の(なり)をしたところで、彼が居た蔵は外からの閂が掛っていた。中から出ようと思い、出られるところではない。 ―――――閉じた処であった。

 誰かが、自分を外に出してくれた。

 遠い昔の、春の日のようなあたたかい気持ちが、心に溢れた。

「薫様!」

 今度は別の声が割り込んでくる。女の声だ。

「……お鈴」

 苦虫を噛み潰したような声で、渋々と答える袂の主。薫、という名らしい。

「どこへ行っていたんですか! 早くお部屋に御戻りくださいまし!」

「あーうるさいうるさい、別にいいだろ蔵ぐらい」

「えっ、蔵へ行っていたんですか! あんな埃っぽくて、のどに悪いところに」

 だんだんと高くなっていく女の声を振り切るように、また袂が規則的に振れる。歩き出した薫を、背後から「頼むから大人しくしていてくださいな!」と叫ぶ女。お鈴、と呼ばれていたか。その声には、怒りというよりも困憊といった色が滲み出ていた。

「……誰がバラしたんだこんちくしょう」

 ぶつぶつと復讐の計画を呟いている薫は、しばらく歩いたところで足を止めた。木が擦れる音が響き、畳に足を踏み出す些細な軋みが聞える。

 ややあって、細い指が、袂の中のものに触れ、それを取りだした。

「本当に爺の日記かよ……つまらなそうだな」

 結構不敬なことを口走っている薫は、精緻な筆遣いで描かれた牡丹の絵を、面白くもなさそうな表情で見ながら、ぱらぱらと紙を捲り始めた。

「……花譜なのか和算本なのかはっきりしろよ……」

 変異朝顔の隣に鶴亀算の算術。またその下には八重咲きの躑躅。……なるほど嫌気が差すやもしれない。我が身ながら、彼は思わず内心頷いてしまった。

 一刻ほど、それなりに見入っていた薫だったが、所詮は祖父の手慰み。中途でそれは途切れてしまい、あとは綴じられた白紙が延々と続く書物に飽き、文机の上に放った。少々乱暴と言えなくもない行動だったが、彼は何も言わなかった。

 まるで女子(おなご)のように長い髪を、ゆるく項の辺りで束ねた薫。名からも、その端正な容姿からも、彼の性別は分からないが。その声を聞く限り、女ではなさそうだ。

 その黒髪を揺らし、薫は部屋を出てゆく。








 夜半。

 煌々と輝く十六夜―――昨夜はさぞ美しい満月だったのだろう。

 白い光が、開け放たれた障子から差し込む。

 いったい何所へ行っていたのか―――夜も大分更けた頃に、音もなく障子が開け閉めされた。

黒い着流し。病に侵されたように白い肌は、月光を受けて気味が悪いほど青白い。

 その切れ長の瞳が、すっと細められる。

 文机の上に正座した(・・・・・・・・・)彼を見て、薫は寸の間、固まる。

 直後、


 げしっ


 蹴り落とされた。

「誰だお前」

 あまりにも冷たいその声音、完全に開いた瞳孔、なんというかその、

「……閻魔様?」

「黙れ」

 彼が、生まれて初めて出した自らの声をきく余裕もなく、薫の足が頭を蹴る。長い髪が畳に広がった。

「僕は……僕は、」

 名はない。

 そのことに気がついて、そこで黙りこんでしまったのがよくなかった。


 がんっ


 今度は額が文机の角に当たった。

「つかなんだその着物。彼岸花柄か? あり得ねぇな」

 あたかも血飛沫のように散った、彼の着物を見て呟く薫。

「乱菊なのか?」

 問われても答えられない。知らないのだから。

「名前がないんならこれから"お前"ですませるからな」

 そんな!

 と言う前に、彼の頭部はいとも容易く持ち上げられてべしっと落ちた。

「とりあえずきこうか。お前誰だ」

「………」

 何も言わず、言えず、彼は机の上の書を指差す。

「…………?」

 数秒考える間をおいて、恐る恐る、といった様子で口を開く。

「………付喪神?」

 こくっと頷いた瞬間、襟首を掴まれた。

「神社に供養に持ってく」

「やめてぇぇぇぇ!」

 絶叫すると、すっと手が緩んだ。

「冗談だ」

 へ? と首を傾げた彼を見遣り、薫はこう言った。

「要するに、これは夢なんだな」

「……は?」

「外を出歩いたから熱が出たのかなー。とにかくこれは幻想だ」

「ちょっ、ちょっと待って、」

「寝る」

「って、ええええええ!?」

 瞬く間の早業、あっというまもなく布団を押し入れから引っ張り出して柏餅のようにくるまる。なんというか、布団の使い方を誤っているような雰囲気があるが、それはそれとして。

「お、起きてよぅ! 起きてってば!」

 彼の叫びは、虚しく静寂に吸い込まれるままだった。












 明くる朝。

「………」

 不機嫌そうな表情で押し黙っている薫。

 出来るだけ不敵に見えるよう心がけながら、彼は笑顔を形作る。


「おはよう、薫! これからよろしく!」

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