恋のトキメキゲート、開いちゃった!?
——コン、コン。
乾いた音が廊下に吸い込まれ、しん……と静寂が戻る。
…………。
あ、あれ?
いる……よね?
一瞬、不安になりかけたその時——
バァンッ!!
突然、勢いよく扉が開いた。
と、同時に——
ぽんっ! ふわぁっ……!
ピンク色のスモークがもくもくと噴き上がり、宙にはハート型の紙吹雪と、星屑みたいな光の粒が、ぶわぁっと舞い踊る。しかもなぜか紙吹雪は「キュピィ〜ン☆」という音つきで、くるくる回ってる。
…………は?
呆然としている私の前に、ヒールの音を響かせて現れたのは——
「ついにその手で──恋のトキメキゲートをノックしたのねぇ〜〜ッ♡」
全身全霊でテンションMAXのローザ先生。
「来たわね、恋する金平糖ちゃん♡」
スモークを背に、両腕をバーンと広げて、ド派手にポーズをキメる。
いやいやいや、色々おかしいからっ!!
なにこの登場!? 思ってたのと違うんですけど!? 紙吹雪とスモークって、魔法の無駄遣いにもほどがあるでしょ!? ていうか金平糖ってなんなの!? 私、そんなにラブリーな存在だったっけ!?!?
思わず後ずさりかけたところで、ローザ先生がひとつウインクする。
「でも……その顔。いい顔してるじゃない」
その一言で、胸の奥がすっとざわついた。
『いい顔』なんて、言われたことない。
言われるような顔、してきたこと、なかったはずなのに——。
「さあ、お入りなさい。恋の特別レッスン、開幕よ♡」
先生の手が、ふわっとこちらに差し出される。まるで、舞台に上がれとでも言うように。
……はぁ。
やっぱり、戻れないとこまで来ちゃったかも。
私はちょっとだけ息を吐いて、ローザ先生の手をすり抜けるように、そっと研究室の中へ足を踏み入れた。
……で、また座らされてる。
ローザ先生のデスク前にある、やたらとふかっふかで、逆に落ち着かない椅子に。
お尻が沈みすぎて姿勢が定まらないし、柔らかすぎて逃げ場もないし、何これ罠?
私は椅子の上でちょこんと固まりながら、そわそわと視線だけを泳がせた。
目の前にローザ先生が座ってから、数十秒。
私、完全に観察されてる。
「ふ〜〜ん……♡」
なんか納得してる!? いや、こわっ。なんかこわっ!!
「昨日より、目に力が宿ってるじゃない? さては何かあったわねぇ♡」
「な、なにもっ……べ、別にっ……!」
私はぶんぶん首を振って目をそらした。
ローザ先生は、そんな私の挙動をまるごと見透かすように、頬杖をついたままにっこりしている。その顔やめてください。圧がすごいんです。じわじわくるやつなんです。
落ち着かなくなって、椅子の上で姿勢を正そうとしてみたけど、クッションがふかふかすぎて沈むだけ。もはや沼。
私は観念すると、机の端に視線を落として、言葉を選ぶ。
「……その、先生に言われたこと……昨日、帰ってから……ちょっとだけ、考えたり、しまして……」
しどろもどろになって、だんだんと声が小さくなっていく。
「でも、その……好きって、なんなのか、よくわからないんです。ていうか、もともとそういうの、避けてきたというか、苦手で……。だから、自分が変わりたいのかどうかも、よくわからなくて」
指先が制服の袖をぎゅっとつかんでいた。気づけば手が震えてる。この状況、ほんと何? なんでこんなに緊張してるの私。診察室ですかここ。
「だから、ほんとは……今日は来ないつもりだったんです。もう、決めてて……」
一回だけ、息をのむと、あの時の光景が、ふっと頭をよぎった。
「でも、さっき、ちょっと……気になる人を見て。その人、笑ってて……」
胸のあたりが、きゅっと締めつけられる。
「それ見たとき……この笑顔が、自分にも向けられたらなって、思っちゃって。そしたら自然と、足がこっちに向かってて……」
頭がぽわぽわしてきた。顔も熱い。たぶん今、耳の先まで赤い。
「……だから、ちゃんと考えて来たとかじゃなくて……その、自然に、なんとなく来ちゃっただけで……。すみません。ほんとに」
最後の言葉は、ほとんど息だった。
私はひとつ深呼吸をして、ようやく顔を上げる。
ローザ先生は、何も言わずに、ただ静かに微笑んでいた。
けれどその目は、まっすぐに私を見ていて……なんか、くすぐったい。
さっきまで真剣にしゃべってた自分を、今になって急に思い出して、顔がまた熱くなる。うわ、私、けっこう本音言ったな……恥ずかし。
「……ふふ、ちゃんと考えてないって言うけど——あんた、ちゃんと『感じてる』じゃない」
やわらかな声でそう言うと、先生はゆっくりと椅子に身を預けた。
高く組んだ脚を、くいっと優雅に組みかえる。
「わからないって、ほんとはすごく大事なのよ。好きって何か、変わるってどういうことか。……それを自分に問いかけるところから、恋は始まるんだから」
その言葉は、じんわりと胸の奥にしみこんでくる。
私はそっと視線を落とした。
「そのうえで、『あの笑顔が自分にも向けられたら』って……ふふん♡」
先生は肘をついたまま、いたずらっぽく微笑む。
「それ、立派な第一歩じゃないの」
私の胸の内で、何かがちいさく、きゅっと動いた。
「いいのよ。答えなんて、今すぐ出さなくて」
その声は、今度は少しだけ低く、静かだった。
「……でも、足は、ちゃんとここに向いた。あんたはもう、変わり始めてるのよ♡」
私は、ほんの少しだけ、顔を上げることができた。
するとローザ先生は、その顔を見るなり——
「やだ〜〜〜♡ いいわぁ〜〜!!」
突然、椅子から勢いよく立ち上がって、ヒールの音を高らかに鳴らした。
そして、こみ上がる感情を抱きしめるように、両腕で自分の体をぎゅっと包み込み、腰をくねらせながら悶えるように揺れ出す。
「無意識に向かっちゃったなんて……恋の導きじゃないの、それ〜〜!? ハァ〜〜〜ン、青春〜〜〜〜〜♡」
そしてその瞬間——
ローザ先生の背後に、キラキラとした金粉のような光の粒がふわっと舞い上がり、空中に「青春♡」の文字がふわ〜っと浮かび上がった。
なんか出た!!?!?!??
私は思わず椅子ごと身を引く。
さっきまでのしっとりした雰囲気、完全に吹っ飛んだ。
「青春♡」ってなに!? それいる!?
ローザ先生はその文字を見上げながら、胸の前で手を組み、「……尊いわ」とぽつりと呟いた。
——いや、だからなに!?
ローザ先生の背後に現れた「青春♡」の文字が、きらきらと空中で揺れながら、音もなく弾けて消える。
まるで演劇のクライマックスみたいな光景のなか、先生は両手を胸の前で組んだまま、うっとりと目を細めた。
そのままふっと視線を落とし、ローザ先生は静かにひと息ついた。
ほんの少し、熱のこもっていた体が、すっと落ち着いていくようだった。
「でも、ねぇリシア——」
そこで声色がほんのわずかに変わった。
柔らかいのに、鋭い。芯に触れてくるような問いかけだった。
「あんた、今のままで……ほんとに満足?」
「……え?」
思わず、声が漏れた。問い返すように顔を向けると、
ローザ先生はもう、次の言葉を重ねていた。
「笑顔が向けられたらいいなって思った。……でも、自分なんかって引っ込んじゃいそうになる。そうでしょ?」
図星だった。
私は反射的に唇をぎゅっと噛んで、言葉を返せずにいた。
先生はそれを責めたりしない。変わらず穏やかに、ただ少しだけ真剣に、私を見つめている。
「だったら、ちょっとだけ——背伸びしてみない?」
静かに、手を差し出すような口調だった。
「もっともっと、自分を変えてみようって、思ってみたら?」
そして、ふわりと、魔法のように微笑んだ。
「大丈夫。怖がりな子は、あたしの得意分野よ♡」
その言葉に、私は思わず息をのんだ。
不安も、恥ずかしさも、まだある。でも……
——セレクくんの、あの、くしゃっとした笑顔。
目尻がきゅっと下がって、整った唇の端が、ふわっとやわらかくゆるむ。なんていうか……反則みたいに、無防備で、眩しくて。
「……」
一拍、間を置いてから、私は胸の奥の言葉を絞り出した。
「……変わりたい、です。たぶん。……いえ、変わりたい、って思います」
少しだけ震えた声だったけど、ちゃんと、自分の意思で出した言葉だった。
ローザ先生は、しばらく何も言わなかった。
ただ、じっと私の顔を見て、それから、ゆっくりと微笑んだ。
「……いいわね。そうやって、自分の言葉で言えるようになっただけで、もう十分」
その笑顔は、どこまでもやさしくて、けれどどこか誇らしげでもあった。
「ふふ……この瞬間が、一番好きなのよ」
ローザ先生は、そっと目を細めた。
「だって、心ってやつは……動き出したら、止まらないんだから」
その言葉は、ふわりと胸の奥に触れて、あたたかく波紋を広げた。
……うん。たぶん、今の私は——動き出してる。
よし……がんばろう。少しずつでもいいから、ちゃんと、自分の足で。セレク君に……いつか笑ってもらうために。
……でもその前に。
これは……聞いておかねば……たぶん、今しかない。
「あの、……先生?」
おそるおそる顔を上げると、ローザ先生は「なあに?」とにこにこしながらこちらを見ている。
うっ、優しい笑顔が逆にプレッシャー。いやでも、いま言っとかないと……!
「その、えっと……先生、前に言ってたじゃないですか。変わりたいって思ったら、魔法かけてあげるって……」
魔法。そう。みんなが噂してる、伝説の教師・ローザ様の恋愛成就の魔法。
いや、がんばりますよ!? 努力するつもりはあるんですけど!?
自分に言い訳するように、頭の中で叫ぶ。
でも……ほら、私、もっさりメガネだし? 見た目で勝負とか無理だし? せめて……魔法っていう名のサポートくらい、あってもいいかな〜っていうか……。
もごもごしながらも、ちらっとローザ先生の様子をうかがう。
……だって、保険って、大事じゃないですか……ね?
「その〜、今すぐじゃなくていいんですけど、いつごろ……かけてくれるのかな〜なんて……。っていうか、先生の魔法ってどんなのですか? 恋愛成就の魔法……ですよね? 惚れ薬的なやつとか……あるいは私を絶世の美女にしてくれるとか……?」
ローザ先生は、くすっと笑って、小指を立てたまま顔を近づける。
「う〜ん、そうねぇ……それは、まだ内緒♡」
イタズラっぽく片目をつぶって、続ける。
「でも安心なさいな。必要な時が来たら——あたしのとっておきのを使ってあげるから」
……なんだろう。はぐらかされた気もするけど、ちゃんと、約束された気もする。
私はポカンとしたまま、でもどこかほっとしたように、静かにうなずいた。
ローザ先生は、そんな私を見て、にっこりと笑う。
「さ、じゃあ——」
椅子に座り直すと、手元のノートをパタンと開きながら、声に少しだけ張りを持たせた。
「恋愛補習、始めましょ♡」