もっさりメガネ仕様じゃ、恋は非対応ですか!?
その夜。
食卓に並ぶ湯気たっぷりのシチューを前に、私はちょっと気まずい顔をしていた。
「で? 今年の恋愛学の課題って、『想いを伝える手紙』なんですって?」
……出た〜、ママの早耳ネットワーク。ほんと、どこから情報仕入れてきてるのか、謎すぎるんだけど。
「しかもあんた、恋愛学の成績ギリギリなんですってね? 先生から連絡あったわよ! 落第なんてしたら、ほんとしょうちしないわよ!」
ひぃっ……! いきなり追い打ちきた。スプーンを持つ手が震える。
ローザ先生、外堀から埋めてくるのヤメて、マジで。
「まあまあ、いいじゃないか。半年も猶予があるんだろう? リシアならきっと……うまくやれるさ」
パパが優しくフォローしてくれた。
ううっ……パパ、やさしい。でもごめん、それフラグだから……!
あなたの娘は、現時点で恋愛偏差値ほぼゼロです。うまくやれるビジョンなんて、顕微鏡で探しても見えません。このままじゃ、卒業どころか、最終的に魔石掘りの洞窟暮らしコースまっしぐらかも……。
私は思わずスプーンをぎゅっと握りしめ、心の中でパパにそっと手を合わせた。
するとママが、ふっと目を細めた。
「でもね、懐かしいわ。私とパパも、あの課題がきっかけだったのよ」
「……え?」
パパがぴたりとフォークを止める。私も思わず顔を上げた。
「最終的に、パパがくれた手紙でお付き合いが始まったの。あれはほんと、いまだに取ってあるんだから」
「ちょ、リサ……その話、今ここでしなくても……!」
「なによ、リシアの励ましになるかもしれないでしょ?」
からかうような笑い声に、パパの耳がじわじわ赤くなっていく。
う、嘘でしょ!? パパとママの付き合うきっかけって、あの学年末課題だったの?
え、やば……普通に、すごいんだけど。
憧れカップルの出会いが、学校イベントって、なんかもう物語じゃん……!。
ちょっと待って、じゃあやっぱり——もし、もしもよ、私もこの課題で手紙を渡せたら……とか。
……って、また私は!!
バカか私は!? 秒で脳内劇場始めるのやめて!?
そもそも私は、パパみたいにちゃんと気持ちを伝えられるタイプじゃないし? もっさりメガネだし? 渡せる未来なんて、まったく見えませんけど?
はぁぁぁ……。
シチューの器に手をあてると、なんとなく、そのぬくもりに救われる気がした。
今この瞬間、唯一私に優しいのがこのシチューという現実。つらい。
そのとき、ふと、昼間のミナの言葉が頭をよぎる。
「……そう言えばさ、恋って、成績のためにするもんじゃないって、ミナが怒ってたんだけど。……なんか、わかる気がするんだよね」
そう呟くと、ママが、ふふっと笑った。
「たしかにね。でも、だからこそ——成績のための恋なんて、きっと誰にもできないのよ」
「えっ?」
「本気の気持ちじゃなきゃ、書けないもの。誰かに想いを伝える手紙なんて、そんなに簡単なことじゃないでしょ?」
パパも頷きながら、そっと言葉をつなぐ。
「恋愛学の先生たちも、それを分かってて課題にしてるんだと思うよ。自分の気持ちと向き合うって、勉強じゃなくても、すごく大事なことだから」
「……そっか」
何気なくつぶやいたその言葉が、胸の奥で、じんわり広がっていく。
手紙を渡せる気はしないけど……せめて、ちゃんと考えてみるくらいは、しないといけないのかもしれない。
いや、向き合うのこわいけど!? でも、ちょっとだけ……
私はそっとスプーンを動かして、もうひと口だけシチューをすくった。
夕飯のあと、私はずっと自分の部屋にこもっていた。
もやもやした気持ちのまま時間だけが過ぎて、気づけばもう寝る時間。魔導ランプの灯りだけが、机の上をぼんやり照らしている。
目の前にあるのは、恋愛学のノートと、白紙の便箋。
……でも、ペンは一文字も進んでない。
——あなた、恋してるわね。
ローザ先生のあの一言が、頭の奥でぐるぐる回ってる。というか、脳内スピーカーでエンドレスリピート中。いやもう、ほんと勘弁してほしい……。
「……恋、なのかなぁ」
ぽつりとつぶやいた声が、やけに部屋に響いた。
たしかに、セレクくんを見たら、ドキッとするし、つい目で追っちゃってるし。
いつも、すれ違うだけで心臓バクバクしてるし。
でも——話したことも、ないんですけど!?
名前と、クラスと、いつも見てる横顔くらいしか知らないし?
好きな食べ物も、趣味も、ペット飼ってるかも知らないよ!?
——最初に気づいたのは、あの時。
雨上がりの帰り道。校門のそばの植え込み。
小さなかたつむりが、道のど真ん中に出てきてて。このままじゃ、誰かに踏まれちゃう……って思ってた、そのとき。
すっと前に出たのが、セレクくんだった。
ローブの袖が濡れるのも気にせず、落ちてた葉っぱにかたつむりを乗せて、端の草むらまで運んであげてて。
……それだけのこと、ほんと、それだけのことなんだけど。
なんか、すごく気になった。
それからなんとなく、目で追うようになって……。
Aクラスで頭もよくて、廊下に貼り出される優秀者リストの上の方に、しれっと名前があるのを見つけて、私とは住む世界が違う……って震えたよね。
親友のレントくんと一緒にいるときだけ、ちょっと子どもっぽく笑ってて、……なんか、可愛いって思っちゃったし。
食堂で、週に一回は決まって『白パンのグラタンセット』を食べてるのにも、気づいちゃった。それそんなにおいしいのかな? 今度こっそり食べてみようかな……とか思ってる私、完全に変な人。
って、そんなのばっかり覚えてんの、私。ちっちゃな発見がどんどん溜まってく。
——でもさ、それで「好き」とか言っていいの?
「……わかんないよ」
私はうつむいて、机に肘をついた。
『恋ってね、自分で変わりたいって、願って、選ぶのよ』
ふいにローザ先生に、頭の中で話しかけられる。
……じゃあ私、変わりたいって願ってる?
そもそも、変わるって、どういうこと?
メガネ外して前髪切ればいいの?
魔石オタクやめろってこと? いや、それは無理!
ママは、『想いを伝える手紙は、本気じゃなきゃ書けない』って言ってたし。
じゃあ私、書けるわけないよね? だって、わかんないんだもん。
自分の気持ちが、本気かどうかなんて。
パパとママみたいに素敵な恋がしたいって、ずっと憧れてる。
でも、二人が始まったきっかけは——手紙だったんでしょ?
ってことは、私みたいに手紙ひとつ書けないやつは、そもそもスタートラインにも立てないってこと!?
……てか、仮に書けたとしてだよ?
もしそれを渡したとしてだよ?
あのセレクくんだよ? この学園の王道イケメン代表だよ!?
私の手紙なんて、読んでもらえるどころか、その場でファイアボールで燃やされてもおかしくないからね!?
「うわ、なんか呪詛的な気配する」とか言って封印される未来しか見えないんだけど!?
「……じゃあ、どうすればいいのよ〜〜〜」
どっかに答え落ちてませんか!? このへんとか! ランプの下とかに!!
ていうか……
え、ローザ先生って、両思いの魔法とか使えるんだよね?
じゃあ、てっとり早く、私に魔法掛けてほしいんだけど!?
でも……『あんたが変わりたいって思うなら、使ってあげるかも〜』って。
それって、私が変わりたいって思わなきゃ、魔法かけてもらえないってことじゃん……?
今のままじゃ、ダメ? もっさりメガネ仕様じゃ、恋は非対応なんですか!?
「……む、り……」
小さな声がこぼれた。
目をぎゅっと閉じて、頭を抱える。
「やっぱ、無理。無理無理無理。無理すぎる……!」
勢いよく椅子にもたれて、天井を見上げる。
だめだ。冷静に考えれば考えるほど、無理なやつだこれは。
「ていうかなんで私!? なんで恋愛で赤点で、よりによってセレクくんで、しかもローザ先生なの!? もういい! 行かない! 明日は絶対行かないから!!」
小さく、ひとりごちた。
それが、今の私にできる、精一杯の決断だった。
……で。
現実逃避って、時に人を救うよね。ほんと、大事。
私はおもむろに机の引き出しを開けて、『月刊 魔石♥感応クラブ』を取り出す。
推しの魔石特集が載ってる最新号。表紙の光彩反射プリント、神すぎる。
「……ふふ……やっぱ、コイツよ……」
そっとページを開いて、光る鉱石たちの写真を見つめる。
この完璧な結晶構造。なんて神聖……なんてエモい……。
恋はむりでも、魔石は裏切らない。魔石は……やさしい……。
そっとページに頬を寄せたそのとき、机の上の便箋が目に入った。
ぴくりと、胸の奥がちょっとだけざわめく。
……いいの。明日は行かないって、もう決めたんだから。
私は便箋の上に『魔石♥感応クラブ』をそっと重ねて、ふぅっと一息ついた。