恋のカルテは突然に
その日の放課後。
私は、ローザ先生の研究室の前で、なんども深呼吸していた。
「……大丈夫、死にはしない。たぶん……」
だけどドアの向こうにいるのは、昼間、あのテンションで教室の空気を全部もってった、ローザ様。インパクトだけで授業時間のほとんどを記憶から吹き飛ばした、あの人。
「……よしっ!!」
覚悟を決めて、ドアをノックする。
「失礼します。リシア・アルメリア、参りまし——」
「いらっしゃ〜〜い♡ 待ってたわよぉ〜〜ん!!」
うわ、やっぱり声デカい!!!
……って、え、ここが研究室!? なんか、思ってたよりずっとこぢんまりしてる。
部屋の奥には大きな窓があって、その前にローザ先生のデスクがドーンと鎮座。机の上には、魔導書らしき分厚い本と、派手な羽根ペン、あと謎の香水ボトルとか、いやそれいる? みたいな小物がずらり。
ローザ先生はそのデスクの向こう側——ちょうど私に正面を向く形でにこにこ座っていて、背後から差し込む光に、サラサラの紫の髪がきらっと光ってた。
……なんか、絵になる。けど圧がすごい。
「そこそこ、あたしの正面のおイスにどうぞぉ♡」
「あ、は、はい……」
おそるおそる腰かけたら、クッションがやたらふっかふかで……逆に落ち着かないんだけど……。
ローザ先生は、いつのまにか手にしていたノートとペンをひょいと掲げると、すくっと立ち上がって、つかつかとこちら側へ回ってきた。
そして、カッ! と目を光らせたかと思えば、私の椅子のまわりをぐるぐる回りながら、熱心にノートに何やら書き込み始める。
「……なるほどなるほど、栗色のセミロング、毛先に若干の枝毛、ふむ、ネコっ毛ね。シャンプーは……カメリアのローズ系かしら? コンディショナーが若干足りてないわねぇ〜。あと、艶が出てないのは……日光の浴びすぎ? うーん、ちょっとケア不足ねぇ。というか、前髪も長すぎだし、全体的にモサいわね」
「えっ!? な、なんですか!? これって、何が始まってるんですかっ!?」
ローザ先生は髪をひと束すくい、指先で軽くねじりながら、くんくんと匂いまで嗅いでくる。
「はい次、肌! うん、キメ細かい! 透明感あるし、いいわね〜。ちゃんと睡眠とってる証拠。しかも、トーンはピンク寄りの中間色! ほんっと、チーク映えしそうなお顔!!」
「ちょ、ちょっと……」
顔が……ち、近い、近いですってば! ていうか、視線がガチなんですけど!!
そして突然、私の前髪をガバッとあげる。ちょ、やめて! 前髪はっ! 無理!!
「んま〜〜〜♡ パッと見は地味だけど、お顔立ちが整ってるじゃな〜〜い♡ 目元が特にいいわあ。ぱっちりしてるのに、ちょっと困り眉なのが守ってあげたくなる系で……くふふ♡ モテ顔よ、これは!」
「や、やめてください!! そういうの一番恥ずかしいんですから!!!」
「はいはい、それもメモっとく〜。『自覚なし・かわいいタイプ』と……♪」
「なんですか、それぇ!!」
ローザ先生は鼻唄でも歌い出しそうなご機嫌な様子で、小指を立ててノートにサラサラとなにか書き込んでいたが、突然その手をぴたりと止めると、スッと私の正面に回り、顔をずいっと寄せてきた。
「ひっ……」
「メガネ、……ん〜〜〜、ダサい!!」
「えええっ!?!?」
「でもそこがいいのよ! そのダサさ、計算じゃ出せない。天然のもっさり、嫌いじゃないわぁ〜♡」
ローザ先生は胸の前で手を組んだかと思うと、まるで恋に落ちた乙女みたいにその場で体をくねらせ始めた。
「いや褒めてますそれ!? ていうか何のチェックですかコレ!?!?」
ローザ先生はにっこりと笑って、ノートにカリカリと『親しみやすさ、良』と書き足していた。
「というわけで、リシアちゃんの、恋のカルテ完成っ♡ ふふ、思ったより、いい素材だわ〜……♪」
……いい素材ってなに!? 何されるの私!?
ローザ先生は妖しく微笑むと、手元のノートをぱたりと閉じて、机の上に置いた。
そのままくるりと踵を返すと、ヒールの音をコツ、コツ、と響かせながら、ゆったりとデスクの奥へ戻っていく。
私は、まるで手術台の上の患者のように固まったまま、その背中を見送るしかなかった。
ローザ先生は椅子に腰かけると、優雅に脚を組む。
「さて……」
少しだけ先生の声のトーンが落ちて、私は思わず背筋が伸びた。怖い! 怖いって! 次は何が始まるの!?
「リシアちゃん、あなた——恋してるわね?」
「っ……!?」
は? はい?? こ、こい!? してる!? え、今、聞かれた? 聞かれたよね!??
「え、な、なな、なに言ってるんですかローザ先生!!」
パニックになった私は、椅子ごと後ろにずりっとのけぞった。
そんな私を見て、ローザ先生はにやりと笑うと、さらに私に畳みかける。
「図星って顔してるわよぉ?♡ ねえ、どんな子? クール系? ちょっと抜けてる感じ? それとも、ちょっと不器用な優しさでドキッとさせてくるタイプ〜?」
ローザ先生は、机に両肘をついて身を乗り出すようにしてきた。目をきらきらさせながら、まるで宝物の話でも聞くようなテンションで、私の顔をじーっと覗き込んでくる。
「そ、そんな……私が恋してる前提で言わないでください!」
慌てて言い返したけど、声がちょっと裏返った気がする。やばい、今の絶対ツッコまれるやつ……。
「いいのよ、隠さなくたって。恋してるって、自分で気づいてない子の方が多いんだから〜♡」
ローザ先生は、頬杖をついたままニコニコ笑ってる。けどその目は全然笑ってなくて、なんか……全部見透かしてくる感じ。
「……はぁ?」
出てきた声が、思った以上に間抜けだった。いやいや、なにこの状況。私、今なにされてんの?
「胸の奥がチクっとしたり、気づいたらその人を目で追ってたり……ねぇ? あるでしょ?」
先生は私をまっすぐに見つめたまま、さらっと言った。声のトーンは優しいのに、刺さる。そんなの……そんなの、あるに決まってるじゃん。
「そ、その、もしかしたら……ないとは……その、言い切れないですけど……」
——負けた。自分で言いながら、どんどん顔が熱くなるのがわかる。うわ、やだもう。
「ほ〜ら♡ ビンゴ♡」
ローザ先生は満足げに頷いて、机の引き出しに手を伸ばした。カタン、という控えめな音とともに、一枚の紙をすっと取り出して、それを私の目の前に差し出してくる。
「でね、そんなリシアちゃんの、成績表が——これ」
「…………は?」
見せられたのは、私の魔法履修状況一覧。
「あら〜……なるほどなるほど。あなた、恋愛学だけ……極端に悪いわね」
ローザ先生は眉をひそめる。視線は成績表、でもその口元には楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「うっ……」
「あんた……このままだと留年するわよ」
「えっ!? えええっ!?!?」