伝説の恋愛学教師、ローザ様君臨!
「あ、あなた、口にケチャップついてるわよ〜」
「ん、とって」
「ふふっ。もう、自分で拭けばいいのにぃ〜」
朝の食卓で、ママが嬉しそうにパパの口をナフキンで拭いてあげてる。
テーブルには焼きたてのパンと、目玉焼きと、ハーブの香りがほんのりするスープ。その中でひときわ甘ったるい空気を醸し出してるのが、向かいに座るこの夫婦だ。
……ねえ、ほんと、仲良しすぎない?
結婚して何年目だよ! ってツッコミたくなるよ。
私は目玉焼きの黄身にフォークを突き刺しながら、心の中で毒づいていた。
……うそ。
ほんとは——めっちゃ憧れてるんだよね。
何年経っても、こんなやり取りできゅんとできて。
言葉がなくても通じ合ってて。
目が合えば、ふっと笑い合える。
——そんな恋、いいなぁって、ずっと思ってる。
私も、パパとママみたいな恋ができたらなって。
……いやいやいや、ムリムリムリ。
現実、追いつかなすぎて泣けるんだけど?
気になる人は……いる。いるけどさ。
話しかけたこと? もちろんあるわけないし、顔が見えただけで心臓バクバクで、目が合ったら最後、頭真っ白。
……ねえ、こんなんでどうやって恋すんの。
詰んでるよね、私。
——って!!
ちょ、ちょっと待って、『今月の編集部・推し魔石』、ノクターン・アゲートじゃん!? え、なに、見開きカラー!? やば、これあとでファイリング案件……!
私は読んでいた雑誌に、思わずバッと顔を近づける。
アゲートのこの色、この光沢、この断面ッ……最高すぎる……ッ!!
うっとりとしながら写真を撫で撫でしていると、
「ちょっとリシア! あんたまた朝からそんな雑誌読んで!」
ママの声に、私は慌ててページを閉じた。
「おっ、それ『月刊 魔石♥感応クラブ』の最新号か? あとで貸してくれな、リシア」
パパがフォークを持ったまま、目ざとく食いついてくる。
「いつまでもそんな変な石ばっかり眺めてないでさ、あんた、もう三年生なんだから……彼氏のひとりくらい連れて来なさいよね。その前に、せめて前髪くらい切るとか、メガネをちゃんとしたやつにするとかさ〜」
はいきたー、恋バナ強制コース。面倒くさくなるやつだ。
「ごちそうさま。……いってきます」
私はスープを飲み干して席を立つと、玄関で制服のローブをふわりと羽織った。
……わかってるし、そんなこと。
わざわざママに言われなくたってさ。
うん、今日こそはちゃんと目を合わせる。できれば、声も掛け……
……って、ムリムリ。考えただけでお腹痛い。吐きそう。
ローブの裾を軽く整えて玄関の扉を開けると、朝の光がふわっと差し込んできて、まぶたが少し熱くなる。
いつもの通学路。石畳の街道には、今日も朝のせわしない空気が満ちていた。
私の通うセレスティア魔法学院は、ここから徒歩十五分。
通りのあちこちに、私と同じ制服のローブ姿がちらほら見える。
紺色のロングローブに、胸元の学院章。襟元の留め具は小さな水晶石。……って、なんで水晶石なのよ。そこはレムナイトでしょ!? 光の通し方も耐久性も全然ちがうんだから! ああもう、実用性わかってない人が選ぶ典型って感じ! 魔石好きとして、ほんと、そこだけはずっと許せない。
魔法学園って聞くと、空を飛んで火の玉ドーン! みたいな派手な授業を想像するでしょ? 実際は、「魔法理論学」とか「魔導史」とか、がっつり座学ばかりだからね。ノート取りすぎて腕が死ぬやつ。
おまけに「恋愛学」なんて謎すぎる科目まである。ほんと何なの、それ。
しかもこのセレスティア学園、なぜかカップル成立率が異常に高いとかで……。
つまり、恋に奥手な私は、完全に絶滅危惧種ってわけ。
素敵な彼氏できるかも〜、なんてほんのり夢見てた二年前の私に言ってやりたい。
——残念! 彼氏どころか、男友達すらできてません!
……やだ、泣きそう。
まあ、今となってはもう諦めモードだけどね。
あと半年、なるべく静かに過ごして、無事に卒業できたら御の字……それでいい。
なんて考えていたら、後からサッと気配がして、誰かが私のすぐ横を追い越していった。ふわりと風が巻き起こって、ローブの裾がひるがえる。
思わず見上げると——
ちょっと癖のある黒髪。すっと通った鼻筋。ちょっと伏せ目がちの、あの涼しげな横顔。
——セ、セレクくん!?
え、ちょ、近っ! ていうか、さっきまで真後ろにいたの!?
朝の光が彼の髪に差して、一瞬だけさらっと風がなでていった。ねえ、朝からその光の差し方反則でしょ!? 王子様かよ!
……ていうか、かっこよすぎじゃない……?
心臓が、急にドラムロールを叩き出した。
声なんてかけられるわけもなく、私はただ必死に呼吸を整える。いや、完全やばい人じゃん、私。
……でももしかしたら……振り返ったりする……? なんて思ってみたけど、セレクくんはちらりともこちらを見ず、制服のローブを揺らしながら、すたすたと歩いて行ってしまう。
うん、知ってた。そういう人って、ちゃんとわかってた。……わかってたのに!
なのに、ちょっとだけ期待したこの心臓がうるさい。ほんとやめて。マジで。
そんなことをぐるぐる考えていた、そのとき——
ふと、背中に、じんわりと視線を感じた。
え……?
私は立ち止まり、さりげなくあたりを見渡す。
けど——人気のない小道に、見慣れた登校風景が広がっているだけ。校舎までの道のりには、ぽつぽつと生徒が歩いているけれど、誰かがこっちを見ている気配なんて、どこにもない。
……あれ、まただ。
なんか最近、よく、誰かに見られてる気がするんだよね……。
でも、振り返ってもいつも誰もいないし、気のせいでしょ、たぶん。
ていうか、こんなもっさりメガネ女子、見て楽しい人なんている!?
私は自分にツッコミを入れながら、もう一度かばんを持ち直して、歩き出した。
* * *
教室のドアを開けると、いつもの二人がすでに席についていた。
「おはよ〜リシア!」
ミナが手を振ってくれる。……すご、座ってるだけで素敵って何?
金色のストレートヘアがさらりと肩に流れてて、肌は透けそうなくらい白くて綺麗。いわゆる、綺麗なお姉さんってやつ。
……しかも性格まで明るくて気さくとか、反則じゃない?
そんなミナのところには、案の定というか、もはや恒例行事のように男子が通りすがりざまに声をかけていく。
「おはよう、ミナ」
「今日も綺麗だね」
「そのリボン、似合ってる」
はいはい、今日も安定のミナ無双ってやつです。
「おはよう、リシアちゃん……あの、見ましたか? 今朝もアレインくんとジークくん、一緒に登校していて……無意識のシンクロ登校……尊すぎて……わたくし、朝から浄化されそうでした……」
フローネは、恋愛学のノートを開いてはいるけれど、視線は完全に別世界でうっとりしてる。……今日もこの子は平常運転です、はい。
黒髪ストレート、見た目は清楚で品のいいお嬢さま。……なのに、脳内は完全にBL一色っていうギャップがすごいのよ。
「……おはよう。ミナもフローネも早いね」
カバンから一時間目の恋愛学の教科書を取り出しながら、ふたりに挨拶を返す。
「……あら? リシアちゃん、今日もローブの裾、魔石の粉でちょっと汚れてますわよ?」
フローネが手元のノートを閉じながら、私の足元をちらりと見る。
「うそっ……わかる?」
慌ててローブの裾をさりげなく払う。けど、きらきらした粉はごまかしきれない。
「ふふ、リシアちゃん、朝からまた魔石いじってましたわね?」
「ち、ちょっと確認しただけだし。あれは昨晩の残留魔力の検証というか……!」
「ほんと、相変わらずリシアは、恋より魔石ってやつね〜。 リシアの好きな人の話とか、聞いたことないし」
ミナが机に肘をつきながら、苦笑まじりに口を挟む。
「だ、だって、べつに……そんな人いないし……」
ふと、さっきの黒髪がふいに頭に浮かんできて、顔が熱くなりそうになる。あ、ダメダメ、いま思い出したらアウト! 顔、赤くなる! 絶対バレる!!
二人にはなんとなく言えないんだよね。言ったところで、「リシアが?」って顔されそうで……なんか、こわい。
「でもさ、リシアってさ、もうちょっと、こう……なんかあると思うんだよね」
「なんか、とは?」
「たとえば前髪とか、メガネとか。ううん、ぜんぶじゃなくていいんだけど、ちょっと整えるだけでも変わると思うの」
ミナが机に身を乗り出してきて、私の前髪をつまんでひょいっと持ち上げる。
ちょ、ストップ! 前髪は私の命なんですけど!?
「わかりますわ。お肌とか、とっても綺麗なのに……いつもローブのフードで隠してるでしょう?」
フローネが、まるで花でも見るみたいに私の顔をのぞいてくる。や、やめて〜〜〜! その慈愛に満ちた笑顔、逆にメンタル削れるんだけど!?
「うっ……そ、それは魔石の風で髪が舞うと邪魔で……」
「ほら、それ」
ミナがくすっと笑う。責めてるんじゃなくて、ほんとに惜しいって顔で。
「ま、リシアがその気になったら、全力で応援するからね?」
「……うん。ありがと」
うまく笑えたかどうか、自信はないけど。
だってさ、私、オタクだよ!? 魔石に夢中で恋愛偏差値ゼロの、もさもさ系オタ女子だよ!? はぁっ……自分で言っといて凹むわ。
私は教科書をカバンから取り出して、そっとローブの袖を引き直した。
一時間目は恋愛学。
教室内はいつものようにゆるくざわついていて、席についた生徒たちは朝の眠気を引きずりながら、それぞれの時間を過ごしている。
私は教科書を開きつつ、さっきの「もさもさ会議」をなんとか頭から追い出そうとしていた。……ううっ、前髪つままれた感触、まだ残ってる。
「そういえばさ、今日から恋愛学の先生変わるらしいよ」
隣の席で、ミナが何気ないふうを装いながら、声を落として囁いてくる。……いや、その目のきらめき、絶対なにか期待してるやつじゃん。
「ええ。ローザ様のことですよね? わたくしも聞きましたわ。以前、この学園で教鞭をとっていた方だそうですの」
フローネがさらりと言ってのける。
「様!?」
思わず声が裏返る。え、なにそのゴージャス仕様。
「だってそう呼ばれてたらしいよ? 当時の在校生たちから、恋愛成就の魔法を使える伝説の教師って崇められてたとか」
ミナが肩をすくめる。
「どんな二人でも、気づいたらくっついてるんですって。『ローザ様に目を付けられたら、もう逃れられない』って噂もあるくらいですわ」
フローネの口調はどこかうっとりしていて、もはや伝説の勇者を語るノリ。
何それ……。まあ9割がた盛られてるんだろうけどさ。
でも、もし噂がほんとで……。
しかもそんなすごい人が、もし私に目をつけたら——
なんて、一瞬よぎったけど。
いやいやいや、ないないない! そんな伝説級の人が、私なんかに興味持つわけないでしょ!?
見た目も地味、視界にすら入らないタイプなんですけど!?むしろ存在感なさすぎて、椅子と間違えて座られそうなレベルだし!!
と、そんなことを話していた矢先——
コツ、コツ、コツッ。
……うわ、来た。
高いヒールの音が廊下に響いた瞬間、教室のざわめきがぴたりと止まる。みんな一斉にドアの方を見た。
ガラッ。
「おまたせぇ〜〜♡」
はい、声のでかさ!!!
えっ、えっ、なにこの人、いきなりインパクト強すぎる……!!
教室に現れたのは、紫がかった長い髪をふわっとなびかせた、モデルみたいな体格の人物。黒のロングローブの下は、ピタっとした革パンツに深いVネック。赤いルージュ、きらきら光るピアス、そして高すぎるヒール。
「今日から恋愛学を担当するローザよ♡ よろしくねぇ〜ん!」
テンション高い! 見た目強い! 声デカい!
えっ、えっ、これが伝説の……!?
オネエっぽい!? いや、ぽいどころじゃない!? ていうか、『様』つけたくなる感じ、なんか分かった気がする……!
「さ、座って座って〜♡ 最初の授業、張り切っていくわよぉ!」
ぐいっと手を振ると、真っ赤なマニキュアが光った。
……教室内、全員ぽかーん。
こうして始まった、ローザ先生の伝説(?)の恋愛学。
とりあえずインパクトだけは満点です。