第98話 将暉の意図
「草薙君。上手いか下手かじゃなくて、楽しむのが大事だからね」
翔が無難な曲を探していると、隣で彩花が口の端をつり上げた。
「自分が終わったからって余裕そうだな」
「そんなことないよ?」
彩花はさっきまでの緊張が嘘みたいに、楽しげな表情を浮かべている。
翔は、ため息が漏れそうになるのを堪えた。
「……まあ、これでいいか」
「——はい、草薙君」
曲を選択すると、美波が身を乗り出し、翔にマイクを差し出してきた。
「期待してるよ」
「プレッシャーかけんな」
軽く睨むようにして受け取ると、美波はウインクをして自席に戻った。
待っていたかのように、将暉が何やら話しかけている。
これまでは、あまり見られなかった光景だ。
(……まあ、いいか)
翔は画面に意識を戻し、マイクを構えながら深呼吸をした。
今は何よりも、無事に歌い切ることだけに集中しなければならない。
音程を外さないことだけを考え、歌詞を追いかける。
途中で声が裏返りそうになって喉に力が入った。
だが、なんとか踏みとどまり、最後のフレーズを歌い切った。
(なんとか事故なく歌えたか……)
マイクを手放すと、またもや宮城が真っ先に手を叩いた。
「草薙君も上手いじゃん! めっちゃ音程合ってたし」
「音程だけな。宮城のほうがよっぽど楽しい空気だったよ」
「ご謙遜を。双葉さんも上手いと思ったよね?」
「草薙君は意外とやればできる子だからね」
彩花はどこか得意げにうなずいた。
「うんうん。双葉さんもこう言ってくれてるし、草薙君はもっと自信を持っていいと思うな」
「わかってるよ」
翔は肩をすくめた。
ほんとにわかってるのかなぁ、という隣から漏れたつぶやきは、聞こえないフリをした。
その後も何人かが歌い、時間が進んだところで、十分前のコールが鳴った。
美波の提案で合唱曲をみんなで歌った後、その美波が注目を集めるように手を挙げた。
「それじゃあ、集金しまーす。予約したの、私だしね」
「吉良さん、ありがと! そしたら、私が名簿と照らし合わせるよ」
宮城がスマホを片手にすかさず続いた。
「助ります! じゃあみんな、グループに電子決済のID貼っておくからよろしくね。全然現金でもいいよー」
美波はそういったが、集金や確認作業の楽さを考えると、やはり電子決済のほうがいいだろう。
「草薙君——」
翔がスマホを取り出すと、彩花が言いにくそうに声をかけてきた。
「双葉、どうした?」
「私、今ちょっと電子決済の残高なくて。現金を渡すから、まとめて払ってもらってもいい?」
「もちろん」
宮城に報告しておけば問題ないだろう。
そう思って、翔が二人分の料金を美波に送金したところで、
「あ、吉良さん。男子の分は僕が集めるよ」
将暉がワンテンポ遅れて名乗りを上げた。
「本当? なら、お願いしようかな。ありがとね」
「いやいや、予約してもらってる身なんだから、これくらいは当然だと思うけどね。——そういうわけだから、男子は僕に送金するように。別に現金でもいいけど」
将暉は周囲に向かって声を張り上げた。
間もなくして、彼のIDがグループチャットに送られてきた。
「草薙君。もう払っちゃった?」
「タッチの差でな」
小声で尋ねてきた彩花に、翔も小声で返した。
「男女それぞれ集めるなら、別々で払ったほうがよかったよね……ごめん」
「双葉が謝ることじゃないし、集金が終わったら言えばいいだろ」
途中で報告をしても、逆に混乱する可能性がある。
翔は集金が済むまで待つことにした。
「えっと、草薙君がまだかな」
「あれ、草薙君から二人分送られてる?」
クラスの大半が部屋を出た頃、将暉と美波が同時に声を上げた。
翔は二人に近づきながら、
「悪い。俺と双葉の分をまとめて吉良に送っちゃってさ」
「私が現金しかなかったから、お願いしたんだ。ごめんね」
隣で、彩花も手を合わせて謝罪をした。
「なるほどね。じゃあ、これでオッケーか」
美波はすんなりと受け入れた。
しかし、将暉は眉を寄せ、メガネの奥から翔に鋭い視線を向けてきた。
「今回は大丈夫だったけど、混乱する可能性もあるからさ。そういうときは草薙君が電子決済を双葉さんに送って、それぞれ別々に送金するべきだったんじゃないかな。そもそも男女ごとに集めてたわけだしさ」
「……ごめん。次から気をつけるよ」
送金したのは将暉が名乗り出る前のことだ。
だが、結果として混乱させてしまったのも、将暉が集金してくれているのも事実だ。
反論しても、空気を悪くするだけだろう。
(……いや、もう微妙な空気になってるな)
彩花は眉を寄せ、宮城も困ったように笑っている。
とはいえ、翔にこの場を切り抜けるトーク力はない。
視界の隅に、大量の小銭が映った。
翔は黙って財布を開き、集められた小銭を札と交換し始めた。
「お、草薙君。なかなか気が利くねぇ」
美波が大袈裟に目を丸くした。
翔は「これくらいはな」と肩をすくめた。
「よし、私も手伝うよ」
「私も。元はと言えば、私が草薙君に頼んじゃったのが悪いんだし」
「俺も参戦するぜ」
宮城と彩花、それに野球部四人分の現金を持ってきた潤も財布を取り出した。
四人なら、各々の負担も最小限で済むだろう。
「——って、今のでお札ゼロになったんだったわ」
「何してんだよ」
翔は思わず潤の頭を叩いてしまった。
「本当に何してんの」
「さすがだね、潤は」
宮城と美波が揃って噴き出した。
彩花も顔を背けながら、くすくす笑っている。
「あ、でも五百円玉なら四枚もあるぜ!」
潤が得意げに黄金色に光るそれらを掲げてみせた。
再び笑いが起こる中、翔は集めていた百円玉の集団を潤の近くに押しやった。
「なら、ここら辺を両替しておいてくれ。俺が五百円玉もらうから」
「おうよ! にしても翔と双葉、吉良が集金するって言ったら、すぐに金のやり取りしてたよな」
「危ない商売してるような言い方すんな」
翔はもう一度、潤の頭を軽く小突いた。
今度はもちろん意図的だ。
「なるほど。だから二人分を吉良さんに送ってたんだ」
「確かに、草薙君が一番くらいに送ってきてるね」
宮城と美波が納得したように声を上げた。
「——あ、吉良さん」
そのとき、将暉の声がすっと入ってきた。
「料金、僕がまとめて払おうか? 女子の分は、現金でも電子決済で送ってくれてもいいし、小銭も少し整理したいからさ」
「あ、そう? じゃあ、お願いしちゃおうかな。集金から何からありがとね」
「いやいや、これくらいは当然だよ」
将暉はヒラヒラと手を振ると、なぜか翔に向かって口元を歪めた。
(……え、何だ?)
翔には、その意図が読めなかった。
美波にお礼を言われた直後だ。翔にもお礼を求めているのかもしれない。
「ありがとな。助かった」
「っ……ああ」
将暉は驚いたように眉を上げると、視線を逸らして唇を噛んだ。
まさか、照れているわけではないだろう。
翔の言葉か態度が気に入らなかったのだろうか。
上から目線だったつもりはないのだが。
「草薙君。通路狭いし、私たちは先に出てようよ」
「ん? ああ、そうするか」
わからないものは、考えても仕方がない。
翔は将暉から意識を逸らすと、彩花と並んで店の出口へ向かった。
外に出ると、すでに先に出ていた者たちが、店の前で数人ずつ固まっている。
「邪魔にならないように、端に寄ってるか」
「そうだね」
二人で建物の影へ移動し、壁際に寄る。
少しだけ人波から外れると、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに遠くなった。
「……なんかさ」
「ん?」
「俺たち、友達少ないですって自己紹介してるようなもんじゃないか?」
「そ、そんなことないよ。ほら、二人で固まってる人たちもいるし……」
言いながら、彩花の声が少し小さくなる。
「……それとも、草薙君はどこかに混ざりたい? 緑川君たちのとことか」
潤たちのほうを気にしており、彩花の表情は読み取れない。
けれど、その尋ね方は妙に遠慮がちなような気がした。
翔は即座に首を振った。
「いや、二人でいるのが嫌とかじゃないから、このままでいいよ」
「あ……そっか」
彩花の肩がふっと落ちたように見えた。
「そういう双葉は?」
「私も無理に他のグループに混じる必要はないと思うな」
そう言ってこちらを向いた彼女の表情は穏やかだった。
少なくとも、無理に意見を合わせているようには見えない。
「そもそも、こっちの都合で押しかけても困惑させちゃうだろうしね」
「それもそうだな」
潤のおかげで、野球部の面々とは少し話すことができたし、彩花も宮城と親しげに言葉を交わす場面が見られた。
色々なことがあったが、結果としては参加して正解だったと言えるだろう。
「それより草薙君」
「なんだ?」
「私を遮った一件については約束通り、後でじっくり話を聞かせてもらうからね」
「——あ」
すっかり忘れていた。
翔は、確かにそのような趣旨のメッセージを受け取っていたことを思い出した。
「うやむやにはさせないよ?」
彩花は小首を傾げ、にっこり微笑んだ。
かわいらしいはずのその表情を前に、翔の背中を冷たい汗が伝う。
……やはり、参加は見送るべきだったのかもしれない。
第99話は「二人きりの時間」です!
長い1日を終え、電車で二人きりになった翔君と彩花さんは、何を話すのでしょうか……




