第89話 ピクニック① —名前呼び発表会—
「ねぇ」
「ん?」
「そっち、もうちょっと引っ張ってくれる?」
「わかった」
彩花の指示を受け、翔はシートを押さえる指先に、さらに体重をかけた。
「あや……そっちもちゃんと押さえといてくれ」
「う、うん」
彩花がシートに片膝を乗せる。
その背後では、家族連れの賑やかな笑い声が弾んでいた。
「なあ。これ、そっちに置くのはどうだ?」
「あ、いいかも。じゃあ、これはそっちお願い」
「おう」
ペグ代わりの荷物を四隅に置き終えたところで、琴葉が腕を組んで首を傾げた。
「彩花と翔は、なんでツンデレカップルみたいな呼び合い方してるの?」
「別に、特に意識はしてないけど」
翔がぶっきらぼうに返すと、琴葉は一度納得したように「ふーん」とうなずいた。
そして、リュックを漁るそぶりを見せてから、
「もしかして、しれっと名前呼びするようになったとか?」
「っ……!」
突然の指摘に、翔は言葉に詰まった。
「ふふ、やっぱりね。さっきも彩花って呼ぼうとしてたでしょ」
「……そうだけど」
翔は頬の熱を逃すように、ため息をこぼした。
これはもう、誤魔化せないだろう。
「ねぇ、どっちからの提案? 確か翔は渋ってた記憶あるんだけど」
「……俺からだよ。潤はともかく、俺が一人だけ名字呼びなのは、確かに変だと思ったからな」
「そっかそっか。翔も成長したねぇ——って言っても、本当は彩花から報告受けてたんだけどね」
「えっ?」
翔は思わず彩花を見る。そんな話は聞いていない。
彩花は目を逸らしながら、申し訳なさそうに身を縮こまらせた。
「その、仲介してくれたし、元々琴葉の提案だから……」
「ああ、いや、別に責めてるわけじゃないから。……一応、琴葉のおかげなのはそうだしな」
「よくわかってるじゃん。でも、他の人たちの前で呼ぶ気はないってこと?」
「面倒なことになりそうだからな」
「ふーん」
琴葉の疑うような眼差しが、答えた翔ではなく彩花に向けられる。
彩花はこくんと小さくうなずいた。
「それで色々問い詰められても面倒だからって、ちゃんと二人で決めたよ」
「……まあ、彩花もそう思うならしょうがないか。翔だけだったら許してなかったけどね」
「扱いの差がひどすぎるだろ」
「だって、私も女の子だもん」
「それはそうか」
翔は妙に納得してしまった。
「その分、翔には俺が味方してやっからよ!」
「要らない」
「うえっ⁉︎」
翔が即答すると、潤は大袈裟にのけぞった。
「潤、つぶれかけのカエルみたいな声出さない」
「確かにつぶれたときよりは元気だったね」
琴葉が真顔で放った言葉に、彩花が笑いを堪えるように続いた。
「三対一……単純に扱いがひどすぎるぜ……」
肩を落とす潤に、他の三人は揃って吹き出した。
「でもさ」
場が収まったころ、琴葉がやや真面目な表情で切り出した。
「もうバレてるんだし、私たちの前では名前呼びしてもいいんじゃない? さっきのツンデレ同士は論外としてさ。わざわざ名字にするのもおかしいでしょ」
「それは、まあ、そうだけど」
「だよね。それなら、二人が名前で呼び合うまで、三、二——」
「待て。そんな発表会みたいにする必要はないだろ。一緒にいたら自然と呼ぶだろうし」
翔が言い返すと、潤がニヤニヤしながら肘で突いてきた。
「翔、男見せろよ」
「おい、味方してくれるんじゃなかったのか」
「味方してほしそーな態度じゃなかったからな」
翔は押し黙った。ぐうの音も出ない。
「それか、彩花から呼んでもいいとは思うけど」
「えっ? あ、いや、でもっ……こういうのは、男の子がエスコートするものだと思うし……」
さらりと水を向けられ、彩花は一瞬固まったが、すぐに小さな声で言葉を続けた。
琴葉は「うんうん、そうだよね」と満足そうにうなずいている。
彩花はすでに、抵抗を諦めているようだ。
こうなった以上、琴葉は半端なことでは引かないだろう。
変なあだ名じゃない。ただ名前を呼ぶだけだ。恥ずかしがることはないはず——。
そんな思考とは無関係に、鼓動が早まる。
(……いや、あんな煽り方されたらしょうがないだろ)
翔が琴葉を睨むと、彼女は逆におもしろそうに瞳を細めて、
「ほらほら、翔」
「ああ、もう、わかったよ——彩花」
翔が勢いのまま呼ぶと、彩花はふっとまつ毛をふせた。
そして、膝の上で拳を握り、消え入りそうな声で、
「えっと……翔君」
「ぐはぁ!」
琴葉が胸を押さえてその場に倒れ込んだ。
そのまま呻く姿は、何も知らない人から見れば緊急事態と捉えられてもおかしくない。
「おい、お前ら。俺の彼女に何してくれてんだ?」
潤が翔と彩花を見た。
言葉こそ責めているようだが、目元は和らいでいる。
「こんなに自業自得が似合うシチュエーションもない、というか、大袈裟すぎるだろ」
「い、いや、今のは……!」
琴葉がゴロゴロ転げ回り始めた。
パンツスタイルなので見えてしまう恐れはないが、華の女子高生の所作ではない。
「ちょ、服汚れちゃうよっ!」
琴葉がレジャーシートからはみ出るのを見て、彩花が慌てて止めにかかるが、琴葉のローリングはむしろ加速している。
(……ただの名前呼びで、ここまでになるわけないだろ)
無理やり名前で呼び合わせたことに対しての、彼女なりの誠意——もしくは贖罪——なのかもしれない。
「あぁ、芝生がいっぱい……!」
徐々に緑色に染まっていく琴葉を前に、彩花は自分ごとのようにあわあわしている。
さすがの人の良さだ。
翔が頬を緩めていると、不意に肩を叩かれた。
「意外に翔もやるときはやるじゃねーか。なんだかんだで逃げ切ると思ってたけど、ちょっと見直したぜ」
「……そりゃ、どうも。それより、お前の彼女は何してんだ?」
「ああいう飾らないところも好きなんだよな」
潤が愛おしそうに瞳を細める。
翔は「はいはい」と投げやりに答えた。
それから程なくして、琴葉はようやく起き上がった。
「うわ、めっちゃ草ついてる……」
正気に戻ったのか、自分の服を見下ろし、嫌そうに顔をしかめている。
「だから言ったのに」
彩花がぶつぶつ文句を言いながらも、甲斐甲斐しく一つ一つ芝生をつまみ取り始めた。
さすがプロデューサーである。
(いや、これはただの世話好きか)
ただ、世話好きでなければ他人のプロデュースなどしようと思わないだろう。
「もちろん琴葉はかわいいけど、双葉もかわいいじゃねーか」
潤がさらっと言う。翔は反射的に眉を寄せた。
「……逆にかわいくないって言う男子がいたら、見てみたいけどな」
「素直じゃねーなぁ」
「うるさい」
潤が首に腕を回してきた。翔は「暑苦しい」と抗議しながら、潤の腹を突いた。
そのタイミングで、ぐう、と潤のお腹が鳴った。
「なっ……⁉︎」
潤がパッと距離を取る。
「翔、お前……すごい能力を持ってんな」
「俺が鳴らしたわけじゃないから」
翔は肩をすくめ、彩花たちに目を向けた。
「にしても、お昼はどこで食べるんだろうな?」
急かすつもりはないが、正直なところ、翔もお腹が空いてきていた。
「さぁな。けど——」
潤は一度言葉を切ると、何やら言葉を交わしている彩花と琴葉を見て、ニヤリと口角を上げた。
「期待はできると思うぜ」
第90話は「昼食の正体」です!
おそらく、みなさんの予想している通りだと思われます笑




