第83話 お姫様はアイドル?
「——あれれ、いつの間にか隣に座ってらっしゃる」
扉が開いて、トレーを抱えた潤と琴葉が戻ってくる。
「デンモクの使い方を教えてただけだよ」
「ふーん、なるほどね。——いちいち座り直す必要もないし、そのままにしよっか。潤もいいよね?」
「もちろん」
琴葉は彩花の前に、その隣、翔の正面に潤が、それぞれ腰を下ろした。
男子二人が出口に近くなったという意味では、いいかもしれない。
「というか、どっちか歌ってなかったの?」
「一曲歌うほどの時間はないと思ってさ」
潤たちが戻るまでの間、下手に曲を入れて途中で切るよりは、と雑談をしていた。
彩花も、どこか歌うのを躊躇しているように見えたし、翔も彼女に一対一で披露できるほどの歌唱力は持ち合わせていない。
「そんなの気にしなくていいのに。というか、翔の持ち曲ならすぐ終わるでしょ」
「俺の持ち曲?」
そんなもの、心当たりはない。
「森山直太朗の『うんこ』」
「なんだそれ」
「マジであるんだぜ。短すぎて、採点されなかったけど」
潤がケラケラ笑いながら補足した。
「すごいな……というか、そもそもなんで歌ってるんだよ」
「楽しかったな。野球部のやつらと合唱するの」
どんな歌なのかは知らないが、少なくとも隣の部屋にはあまりいてほしくない集団だ。
「翔も覚えといて損はねーと思うぞ」
「得もないから遠慮しておく」
即答すると、潤が「そりゃそーだ」と肩を揺すった。
「それより、何も歌ってないってことは、まだデュエット採点のままってことだよね?」
「多分な」
「じゃあ、せっかくだし彩花、今度は女子組でデュエットしようよ」
「えっ……?」
突然の指名に、彩花が固まった。
視線が、ほんの一瞬だけ翔のほうをかすめる。
(なんで俺を見たんだ?)
もしかしたら、助けを求めてきたのかもしれない。
「琴葉はこう見えてうまいし、いいんじゃないか?」
翔はフォローのつもりでそう言った。
いきなり自分の声だけが流れるよりは、緊張しないはずだ。
「こう見えてっていうのが気になるけど、それはひとまず置いておいて——彩花」
「な、なに?」
琴葉は腕を組みながら、鋭い眼差しを翔と潤に向けた。
「うんことか言ってる下品なやつらに負けてはいられないでしょ、女として」
「言い出したの、琴葉じゃなかった?」
「この曲とかどう?」
「聞いてないし……って、あ、アイドルの曲っ?」
琴葉から差し出されたデンモクに、彩花が声を裏返らせた。
「そ。人気メンバーのデュオ。知らない?」
「知ってはいるけど、美波ともあんまり来ないし、アイドルって私っぽくない気がするんだけど……」
「クラスのマドンナが何言ってんだか」
琴葉がやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、今度は翔のほうを見る。
「翔、彩花よりもこの曲が似合う女の子、いる?」
「それとこれとは別だろ」
そうは言いつつも、実際に脳裏に浮かぶのは、彩花だけだ。
お姫様などという大層なあだ名をつけられるような顔立ちなのだから、それは当然だろう。
「でも、ぶっちゃけ聞いてみたいでしょ? 彩花がこれ歌ってるとこ」
「……それは、そうだけど」
「お、素直になったねぇ」
「いや、二択なら普通にそうなるだろ」
下心などは関係なしに、男子高校生ならば当然の選択だ。
クラスの男子に匿名でアンケートを取ったら、全員が躊躇いなく「YES」を選ぶだろう。学校全体でも、同じ結果になるかもしれない。
「うんうん、そうだよね。——じゃあ、ミュージックスタート!」
琴葉の指先が、勢いよく決定ボタンを押す。
イントロが流れ始めると同時に、困惑している彩花の手に、強制的にマイクを握らせると、琴葉はノリノリで歌い始めた。
「……お姉さんぶってる割に、意外とこういう曲も似合うよな」
翔はこそっと隣の潤に耳打ちした。
「かわいいよな」
潤はサラリと言った。何を当たり前なことを、という口ぶりだった。
もはや感心するしかない。
サビのラスト、琴葉がくるりとターンしながら、潤にウインクを飛ばす。
潤は迷いなく拳を上げて応えた。
向かい側で握り締めていた彩花が、頬をほんのり染める。
「……はいはい」
翔は小さくため息を吐いた。バカップルのラブコールにいちいち付き合っていたら、体力が持たない。
パートが変わると、琴葉が「はい、ここから彩花」とマイクを振るジェスチャーで促した。
「う、うん……」
彩花は恥ずかしそうにまつ毛を伏せながら、それでも決心したように声を出し始める。
琴葉は相変わらずノリノリで踊り、潤もタイミングよく合いの手を入れていく。
「ほい、お前も手拍子手拍子」
潤に肘で小突かれ、翔も手を叩き始めた。
最初はおずおずとしていた彩花の声も、サビに入るころには少しずつハリが出てきている。
身体を左右に小さく揺らしながら、画面の歌詞を追っていく表情は、さっきよりも柔らかかった。
琴葉のように大きなアクションを取るわけではない。
けれど、その控えめさが逆に対比になって、目を引いていた。
「……あっ」
歌詞を一箇所、少しだけ言い間違えた彩花が、気恥ずかしそうに笑う。
その笑みが乗った吐息が、スピーカーを通して部屋に広がった。
翔は飲み物を吸い上げながら、ふと考える。
(……本気で目指したら、アイドルにもなれそうだな)
「えっ……? ——ゲホ、ゲホッ!」
自分でも妙なことを考えていたと自覚した瞬間、変なところに飲み物が入ってしまった。
喉が焼けるように痛い。
彩花が歌いながら、心配そうにこちらを覗き込んでくる。
翔は片手で口元を押さえ、もう片方の手で大丈夫だと合図を送った。それでもしばらく、咳は止まらない。
「大丈夫かよ」
横で潤が笑いながら背中を軽く撫でてくる。
「むせたにしては、顔が赤いな。変なことでも考えてたんじゃねーの?」
「うるさいこの野生児」
翔は咳き込みながらも、潤の脛を遠慮なく蹴った。
◇ ◇ ◇
曲のラスト、主旋律は彩花、琴葉が綺麗にハモリを重ねる。
二人の声が、思っていた以上にぴたりと噛み合っていた。
画面に「採点結果」の文字が出る。
「えっ……私たちの友情が負けた……⁉︎」
画面には、先程の翔と潤のデュエットより、二点だけ低い点数が表示されている。
琴葉はマイクを握ったまま、その場に立ち尽くした。
「最初からこれは普通に相性いいだろ」
潤が笑いながらツッコむ。
ふと、彩花がこちらを見た。翔は親指を立てた。
「上手かったよ」
「そっか、よかった……」
彩花が安堵するように、ホッと息を吐き出した。
(そんなに俺からの評価を気にしてたのか)
どうやら歌うま認定されてしまったようだ、と翔が肩をすくめた瞬間——
「くぅ〜……っ!」
琴葉が胸を押さえて、ソファーに倒れ込んだ。
うめくような声が、マイクを通して部屋に響き渡る。
「こ、琴葉っ!」
彩花が耳の付け根まで色づかせながら、それでも控えめに琴葉の肩を叩いた。
「うぅ〜……!」
琴葉はますますソファーの上でもぞもぞと動く。
翔のわからない何かが、心の琴線に触れたのだろう。
「琴葉はビブラート、それでいいじゃん」
「確かに。夢のビブラートボーナスあるぞ」
潤の苦笑混じりの言葉に、翔も適当に相槌を打った。
琴葉はようやく上体を起こし、ソファーに座り直すと、ポンと手を打った。
「なるほど。私たちが負けたのはビブラート不足か」
「いい落とし所だな」
「上から目線なのが腹立つけど、デュエットって楽しいね」
琴葉に視線を向けられ、彩花が「合わせられると気持ち良かった」とはにかんだ。
「くっ……潤、あとで私たちも二人でデュエットしようよ」
「おう、いいぞ」
彩花にアテられながらの琴葉の提案に、潤が即答する。
そのやり取りの直後——気のせいかもしれないが、琴葉の視線が一瞬だけ、翔と彩花の間を往復したように感じた。
(……これ、もしかして)
嫌な予感が、翔の胸の内側で芽吹いた。
「ね、彩花。トイレ行こうよ」
「え? あ、いいよ。いこいこ」
突然のお誘いに困惑しながらも、彩花は素直に従った。
「ほらほら、行った行った」
琴葉は弾んだ足取りで、彩花の背中を軽く押しながら出口へ向かった。
扉が閉まる直前、琴葉がこちらを振り返る。口元には、さっきから張り付いているニヤついた笑み。
翔の中で、嫌な予感がさらに大きくなる。
(……なんか、ろくでもない打ち合わせしてそうだな)
とはいえ、その前に、今やっておくべきことがある。
「……なあ、潤」
扉が閉まると、翔は躊躇いながら、友の名前をよんだ。
「ん?」
「ありがとな。お前も琴葉も、色々気を回してくれて」
「ほとんど琴葉だけどな」
潤は肩をすくめてから、少し真面目な顔つきになる。
「けどまあ、答えを急ぐ必要はねーと思うけど、自分の気持ちには素直になっとけよ。赤月にフラれた経験、無駄にすんな」
「……わかってる」
恋愛においては二つも三つも進んでいて、誰よりも素直な男にそんなことを言われたら、受け入れるしかない。
「というか、はっきりフラれたとか言うな」
「事実だからな。それに、もう全然引きずってねーだろ?」
「そうだけど」
翔は苦笑しながら、意味もなくストローでジュースをかき混ぜた。
テーブルの上で、潤のスマホが震える。
「なるほどな」
潤が画面を一瞥し、口の端を上げる。
なんだか、先程の琴葉に似ている気がしたのは、恋人だからだろうか。
「——翔」
「ん?」
「ストレッチと発声練習、しっかりしておけよ」
「……はっ?」
唐突に音楽の先生のようなことを言い始めた潤を前に、翔は目を瞬かせることしかできなかった。
第84話は「お姫様とのデュエットと、親友の彼女からの提案」です!
ついにデュエットした二人ですが、琴葉さんがそこにさなる爆弾をぶっ込みます笑




