第82話 親友のスタンス
前話の予告と、少し話の順序を入れ替えましたm(_ _)m
「これ、すごく高得点なんじゃない?」
「——店員さんを呼ぼう」
翔と潤の採点結果に声のトーンを上げた彩花の隣で、琴葉が鋭い声を漏らした。
「えっ、どうして?」
「機械の調子が良くないみたいだから」
琴葉はそう答えると、険しい表情でじっと画面を注視した。
そこでキラキラ輝いているのは、翔と潤のデュエット歴の中での過去最高点だ。
「そ、そうなの……?」
彩花がオロオロと翔のほうを窺う。助けを求めるような視線だ。
翔は頬の内側を噛み、どうにか真顔を保った。ここで笑ったら、絶対に怒られる——彩花にも、琴葉にも。
「私、行ってくる」
琴葉がすっと立ち上がる。
「ちょ、ちょっと琴葉——」
「ドリンクバーに」
「……へっ?」
腰を浮かしかけた中途半端な体勢で、彩花は固まった。
「ん? 彩花も一緒に飲み物を取りに行く?」
「っ……紛らわしい言い方しないでよ」
彩花の緊張が、目に見えてほどけた。
「素直な子はいいねぇ」
「もう、びっくりしたじゃん」
琴葉に笑われた彩花は、頬をふくらませ、ストローをつまんで、やや乱暴に氷をかき混ぜた。
真剣な話し合いの後でも、相変わらずおもちゃにされているようで、何よりである。
「他、いる人?」
「——俺も行くわ」
琴葉の声かけに、潤がすぐに反応した。
まるで野球の試合中かのような、俊敏な動きだった。
飲み物を取りに行くことだけが、潤の目的ではないのかもしれない。
翔はふと、そう思った。
◇ ◇ ◇
琴葉と潤が部屋を出ていくと同時に、採点画面がフェードアウトし、話題のアーティストの新曲紹介コーナーが始まった。
派手なテロップと、歌っている姿のダイジェスト映像が流れる。
しばらく、テレビだけが喋っている時間が続く。
「……さっきの点数、すごかったね」
沈黙を破るように、彩花が笑みを浮かべた。
「歌に関しては、私がプロデュースしてもらわなきゃだ」
「最初、マイク入ってなかったのにな」
「あのときの草薙君、いい表情してたね」
「絶対面白がってただろ」
「そんなことないよ?」
彩花が、どこかすっとぼけたように眉を上げる。
自然と、翔の口角が上がった。
これまでのような空気感が戻ってきたことに、胸の奥で安堵する。
「というか、双葉は歌、あんまり得意じゃないのか?」
「わかんない。人前で歌ったこと、ほとんどないし」
「じゃあ、試しに何か歌ってみればいいんじゃないか?」
「い、今?」
翔がマイクを差し出すと、彩花が声をわずかに上ずらせた。
「いや、別に後でもいいと思うけど」
個人的な関わりの少ない潤が不在時のほうが、彩花も多少はリラックスして歌えるのではないか。
ただ、そう考えただけだ。
(双葉の歌声、どんな感じなんだろうな)
どちらかといえば、かわいい系のイメージが強い。
けど、歌うときだけ格好良くなる女性ボーカルもいる。彩花がどちら寄りなのか、興味がないといえば嘘になる。
ただ、興味があるからといって、無理やり歌わせるつもりはない。
「じゃ、じゃあ……歌うかは別として、これの使い方だけ教えてよ」
そう言いながら、彩花はデンモクを手にこちらにやってきた。
「その、美波とはウィンドウショッピングとかお茶が多くて、あんまりこういうの、来たことなくて」
もじもじと付け加えつつ、翔の隣に腰を下ろす。ソファのクッションがふわりと沈んだ。
鼻先をくすぐるのは、少しだけ久しぶりの、フローラルな香水の匂い。
「もちろん。まず、一番使う曲の検索は——」
翔はソファーに座り直しながら、画面を指でなぞった。
◇ ◇ ◇
部屋を出ると、廊下にはいくつもの歌声が溶け合っていた。
扉ごとに違うメロディが漏れ聞こえてくる。
文化祭準備みたい、と琴葉は思った。
次回からはまた気兼ねなく、翔と彩花のクラスに遊びに行けると思うと、少しだけ胸が躍る。
ここ数日は、気が抜けない時間が続いていた。
「あ、これ、最近流行ってるよね」
「だな」
潤の相槌は、いつになく短い。
角を曲がったところで、琴葉は立ち止まった。潤もすぐに足を止める。
「それで、潤は、何か私に言いたいことがあるんじゃないの?」
「わかるんだな」
「あんな急いで立ち上がったらね」
「そりゃそーか」
潤が片手で二つのコップを器用に持ち、もう片方の指先でぽりぽり頬をかく。
けれどすぐに、その表情が引き締まった。
「あいつらが仲直りできたのは、間違いなく琴葉のおかげだけどさ。翔に厳しかったんじゃねーかって思ってよ。映画だって双葉から誘ったんだし、翔が特別に何かしたわけでもねーんだから、今回は正直、どっちもどっちじゃねーの?」
「うん……まさしく、今回に限ればそうなんだけどね」
琴葉は、ゆっくりと歩き出す。
ドリンクバーのほうへ向かいながら、言葉を続けた。
「けど、これまでを考えるとさ……私が彩花だったらって考えたら、あの鈍感さに腹が立っちゃって」
翔が彩花の気持ちをどこまで理解しているのか、琴葉にはわからないし、彩花の気持ちだってちゃんと確かめたわけじゃない。
けれど、その可能性を少しも考えていないように見える翔の態度は、同じ女として、見過ごせなかった。
「俺は翔の気持ちもわかるぜ。はっきり言われてねー以上、勘違いだったら気まずくなるだけだし」
「潤も、私と付き合う前はそうだったの?」
琴葉が潤と付き合い始めたのは、中学三年生になってからだ。
中学二年の途中までは、潤は別の女の子と付き合っていた。
「いや、そもそも好かれてるなんて思ってなかった」
「……結構アピールしてたつもりなんだけど」
つい、声が低くなる。
わざとらしくはしなかったつもりだが、あれだけ一緒にいる時間を増やして気づかないのは、それはそれで問題だ。
「わりぃわりぃ。なんか仲良くなったな、くらいにしか思ってなくて」
「なに、意外に潤も翔族なの?」
ちっとも悪びれていない様子の彼氏に、琴葉はじっとりとした眼差しを向けた。
潤は片手をひらひらと振って、肩をすくめる。
「フラれると、また付き合うのが若干怖くなるんだよ。それに、そもそもそういうこと考えなくなるっつーか……今の翔も、そんな感じなんじゃねーか?」
「ふーん……」
琴葉が好きになったのは潤だけで、それも彼が別れてからの話だ。フラれた経験はない。
けれど——もし潤にフラれるようなことになれば、すぐに次の恋愛に切り替えられる自信は、とてもじゃないが持てない。
(潤の言う通り、翔に対して厳しすぎたかな……)
琴葉はそっとため息をこぼした。
「ま、琴葉はちゃんと好きって伝えてくれたから、俺は大丈夫だったけどな」
「そ、そういうことは言わなくていいの」
声がほんの少し上ずった自覚があり、琴葉は慌てて前を向いた。
ちょうど、ドリンクバーに到着した。
「私から先に入れるからね」
ずいっと割り込むように前に出て、彩花のコップをセットする。
そのまま、ボタンに触れてる指先にグッと力を込めた。
――ジャバッ。
思っていた以上に勢いよく流れ出したオレンジ色の液体が、コップの縁に当たって跳ねた。
「あ……!」
慌てて指を離したときには、袖口に冷たい感触が広がっていた。
白いシャツに、じわりとシミができ始める。
「やばっ……」
「なにやってんだ」
潤が苦笑しながらも、素早く棚から二枚のおしぼりを取った。
そして、一枚を琴葉の袖の内側に滑り込ませ、もう一枚で外側からトントンと叩き始める。
気がつくと、潤の顔がすぐ顎の下まで近づいていた。
(ち、近……っ)
琴葉は、その顔からそっと視線を逸らした。
オレンジ、コーラ、グレープ、アイスティー……飲み物の名前を、意味もなく脳内で呼び上げていく。
「ん、こんなもんか」
処置にそこまで時間はかからなかった。
潤がおしぼりをくるくると丸めてトレーの端に置いたときには、シミはほとんどわからなくなっている。
素早い対処のおかげだ。
「……ありがと」
「おうよ」
潤がニカっと白い歯をみせる。
琴葉の肩から、思わず力が抜けた。
「潤ってさ、意外と器用だよね」
「意外とは余計だっつーの。——まーでも、とりあえずは無事に仲直りができてよかったな。ナイスリリーフだったと思うぜ」
「四死球と暴投で三塁くらいまでランナー進めた気がするけどね」
「かもな。でも、あいつらには、それくらい必要だったろ」
潤がポンポンと肩を叩いてくる。
「そうだね。けど——翔のことを理不尽に責めちゃったのは事実だし、少しくらいは手助けしてあげるのが礼儀だよね」
琴葉は、ふふふ、と含み笑いをこぼした。
「あんま暴走すんなよ」
「わかってるよ。——じゃあ早速、翔と彩花のコップを入れ替えようか」
「ダメに決まってんだろ」
「えー、面白いと思ったんだけどなぁ」
そう嘘ぶく琴葉の脳内には、すでにいくつものアイデアが浮かんでいた。
第83話は「お姫様はアイドル?」です!
琴葉さんとのデュエットという形で歌う彩花さんを見て、翔君は一体何を思うのでしょうか……




