第78話 お姫様との初めての……
「くそ、次こそ絶対——」
「弓弦、もうやめておきなさい」
弓弦が勢い込んで、クレーンゲームの硬貨投入口に百円玉を差し込もうとする。
彩花が横から手を伸ばして、それを制した。
「こういうのって、そんな簡単に取れるものじゃないから。諦めて普通に買ったほうがいいよ」
「やだ、絶対取れる!」
弓弦は握っていた残り二枚の百円玉を、くるっと体をひねって背中側に隠した。
これまで三回挑戦したが、アームは景品にかすりもしなかった。
一度は応援に回った彩花も、このままでは何も取れないと察して、弓弦のために止めているのだろう。怒っている様子はない。
(理屈としては、双葉が正しいしな)
けれど、翔には、弓弦の気持ちもよくわかった。
彩花が鈍いわけではなく、単純にクレーンゲームの「あと一回」を経験しているかどうか、その違いなのだろう。
彩花が「どうしよう」と言うように、困り眉を向けてくる。
翔は小さくうなずくと、膝を曲げて、弓弦の目線に合わせた。
「弓弦」
そっと弓弦の頭に手を置く。
悔しさからか、ほんのり赤くなっている目元が、見上げてきた。
「俺も昔、今の弓弦みたいに五百円を全部使ったんだ。けど、何も取れなくて、それなら普通にお菓子を買えばよかったって、すごく後悔したのを覚えてるよ。弓弦はどうする? それでも挑戦したいなら、俺はそれでもいいと思う」
「えー……」
弓弦は手の中の小銭を見つめたまま、考え込むように眉を寄せる。
足先で床をつんつん突いたり、百円玉をカチャカチャ鳴らしたりしながら、しばらく唸っていたが、
「……何も食べられないのはやだ」
ぽつりとそうこぼして、弓弦は観念したように百円玉をぎゅっと握りしめた。
彩花が、ほっとしたように胸に手を当てる。
「よし。じゃあ、コンビニでも寄るか」
「その前に、おしっこしたい」
「わかった。トイレは……あっちだな」
翔は案内板をちらっと確認し、弓弦の背中を軽く押した。
弓弦が用を足し終えるまでの間、翔と彩花は並んで、入口脇の壁に身を預けた。
「さっきの話、ほんと?」
「半分くらいは本当だよ。父さんに昔、同じようなことを言われたんだ」
「そういうことか」
彩花は小さくつぶやき、壁に背中を預けた。
「そういえば、草薙君のお父さんって単身赴任してるんだっけ?」
「そう。八月中に一回帰ってくるみたい。多分、中旬かな」
「楽しみだね」
「まあな」
それこそ弓弦くらいの年の頃は、父親の正志が帰ってくるのが楽しみで仕方がなくて、赴任先に戻るときには泣いて困らせたこともある。
だが、もう高校生だし、たまに家族でテレビ電話もしている。昔のようにはしゃぐことはなくなった。
「もう、照れちゃって」
彩花がツン、と翔の肩を指先で突いてくる。
「別にそういうのじゃないって。そっちこそ、輝樹さんはいつ帰ってくるんだ?」
「わかんないけど、同じくらいじゃないかな。草薙君が筋肉を見てほしいって頼んだら、仕事を放り出してすっ飛んでくると思うけど」
「遠慮させてもらうよ」
「またまた」
彩花はニヤリと笑い、今度は翔の二の腕をつついてくる。
翔も口角を上げて、わざとらしく肩をすくめた。
「照れてるんじゃなくて、あえて輝樹さんに頼む必要がないんだよ。——しっかりチェックしてくれる人がいるからな」
「っ……」
彩花の手がぴたりと止まる。
耳のあたりが、みるみるうちに色づいた。
「お待たせー!」
ちょうどそのタイミングで、弓弦がトイレから飛び出してきた。
翔はそちらに向き直り、軽く手を振る。
「じゃあ、コンビニ行こうぜ」
「うん!」
弓弦がスタスタ歩き出すので、翔もそれに続く。
背後から「……やっぱり、いい性格してるよね」というぼそっとした声が聞こえた。
◇ ◇ ◇
「嘘だ……っ」
コンビニのアイスコーナーを前にして、弓弦が固まっている。
視線の先のカップアイスは、二百円をゆうに超えていた。
「……クレーンゲームなんて、やらなきゃよかった」
弓弦はしょんぼりと肩を落とし、別のアイスに目を向けた。
すると、彩花がおもむろに財布から百円玉を一枚取り出して、彼の目の前に差し出す。
「はい、弓弦」
「……えっ?」
「これで足りるでしょ?」
彩花が、弓弦の狙っていたカップアイスを指で示した。
「……いいの?」
「弟は遠慮なんてしなくていいの。——ほら、買ってきなさい」
「っ、ありがと!」
ぱっと顔を輝かせた弓弦が、百円玉を握りしめてレジに向かって駆けていく。
彩花は腰に手を当て、満足そうにその背中を見送った。お姫様ならぬ、お姉様モード全開だ。
「俺のことを優しいって言ってくれるけど、双葉のほうが優しいだろ」
「べ、別にそういうわけじゃないよ。……ただ、どこかの誰かさんと違って、さっきは弓弦に厳しくしちゃったから、そのお詫び」
どうやら、翔との対応の差を気にしていたらしい。
「双葉はそもそも、ああいう状況になったこと、なかっただろ?」
「まあ、そうだけど」
「じゃあ、ただの経験の差だよ。俺は父さんに止められたことがあったから、たまたまうまく立ち回れただけ。それに、同じ男だからな」
「……なんか、悔しい」
「いつもの俺の気持ちがわかってくれたか」
筋トレは男女の体格差があるからまだいいが、勉強に関しては、翔はいつも「経験の差」を見せつけられている側だ。
たまには、自分が優位に立つ場面があってもいいだろう、と思ったのだが。
「ふん」
彩花は鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまう。
どうやら、プロデューサーはお気に召さなかったらしい。
◇ ◇ ◇
コンビニを出るとすぐ横に、小さなベンチがいくつか並んでいた。
日陰になっているベンチを選んで三人で腰掛けると、真ん中に座った弓弦が「いただきます!」と元気よく宣言し、アイスにスプーンを突き立てた。
「うまっ!」
足をぱたぱたさせながら、弓弦は幸せそうに頬を緩める。
翔と彩花は、その頭越しに、小さく笑みを交わした。
「そうだ。二人にもあげるよ!」
弓弦が思いついたように声を上げ、カップからすくった一口分のアイスを、まずは彩花のほうへ差し出す。
「お姉ちゃん、はい」
「ありがと。——ん、美味しい」
彩花はスプーンを口に含み、瞳を細めてほっと息をついた。
「翔くんもどうぞ」
弓弦は、今度はアイスのついた先端を翔の口元へぐいっと差し出してきた。
「おう、ありがとな」
「えっ——」
翔がスプーンを咥えた瞬間、弓弦を挟んだ向こう側から、張り詰めたような声が漏れた。
声の主、彩花の眼差しは、翔の口元に釘付けになっていた。
「……あ」
一拍遅れて、翔も思わず自身の口元、スプーンを見つめた。
……これ、双葉が食べたやつだ。
「っ……」
顔を背ける。頬にじわじわと熱が集まっていく。
「お、お花摘んでくる!」
彩花は突然、勢いよく立ち上がった。
膝に乗せていたバッグを抱え上げると、そのまま小走りでコンビニのほうへ駆けていく。
ヒールが一度、つま先にかかるが、なんとか立て直して、店内へ入っていった。
(……いや、今のは不慮の事故だよな)
狙っていたわけでもなければ、確信犯でもない。
あくまで、弓弦の善意を受け入れた結果だ。
その弓弦は、姉の背中を見送りながら、無邪気に首を傾げる。
「お姉ちゃん。漏れそうだったのかな?」
「そんなことはないと思うぞ」
彩花の名誉のために、翔は一応フォローを入れた。
「そうかなぁ。——って、翔くん、顔赤いよ? 暑いなら、もう一口あげよっか?」
「い、いや、大丈夫」
再び口元に迫ろうとするスプーンを、翔は両手でそっと押しとどめた。
「それより、水を買ってくるから、ここで待っててくれるか?」
「はーい」
早く帰ってきてねー、という弓弦の健気な言葉を背中で受けながら、コンビニの自動ドアをくぐる。
店内の冷気が頬を撫でていくのが、やけに心地よい。
レジ傍のトイレの前で順番待ちをする彩花の姿が、視界に映った。
視線がふと交差するが、すぐにお互い顔を背ける。
翔はアイスコーナーには目もくれず、そのまま飲み物の冷蔵棚へ向かった。
そして、ペットボトルの水を一本手に取る。
冷たいものはほしいが、糖分はもう十分だ。
第79話は「お姫様が視線を合わせてくれません」です。
いったい、何があったのでしょうか……。
ちなみに翔君、糖分は当分要らないそうです✌︎('ω'✌︎ )




