第7話 お姫様からのお誘い
「ねぇ、成長期って終わってるよね?」
注文を済ませるなり、彩花がそう切り出した。
「決めつけんなっていうのは置いておいて……いきなりどうした?」
「筋トレとかしてみたらどうかなって思って。もう少し自信を持ってほしいところはあるけど、そのためにもまずは外見を整えるのが手っ取り早いからさ」
「あー、なるほどな」
成長期のうちはあまり筋トレをするべきでないというのは通説だ。
「で、どう? なんとなく、終わってそうなんだけど」
「失礼だな。まだ伸びる可能性はある」
「中三の一年間で?」
「……一センチ」
「うん、筋トレしよっか」
「ぐっ……」
間髪入れずに切り返され、言葉に詰まる。
体操服も、ひとまわり大きなサイズを購入して密かに後悔している身としては、反論の糸口が見つからなかった。
「体つきで印象はガラッと変わるし、筋肉がつけば姿勢も自然と良くなるよ。ジムとか入る気はない?」
「会費も結構高いだろ? さすがに入れないよ」
「ま、確かにね。なら、もしタダで使えるところがあるとしたら?」
「そんなとこ、ないだろ」
「仮定の話だよ」
質問の意図がわからないが、何か狙いがあるようだ。
「まあ、それならやってみたい気もするけど」
その瞬間、彩花は望み通りの答えだと言わんばかりに、グイッと身を乗り出してきた。
「——じゃあ、ウチでやろうよ」
「え……」
翔は一瞬、言葉を失った。
「えっと……どういうこと?」
「実はお父さんが筋トレオタクでさ。趣味で色々集めてて、ちょっとしたホームジムになってるの。ほら」
彩花がスマホの画面を見せてくる。
ランニングマシーンなどの見たことあるものから、どこを鍛えるのか見当もつかないものまで、多種多様なマシーンが並んでいた。
「ただのジムじゃん」
「なかなかだよね」
どうやら、実家がお金持ちという噂は本当だったようだ。
「お父さんが凝り性なおかげで、器具は充実してるし、誰にも見られないから恥ずかしくないよ。何よりタダだし、悪くないんじゃない?」
「むしろ良すぎるくらいだけど、でも、女の子の家に行くのはちょっと……」
「家族全員ゆるいから、気にしなくていいよ」
サラリと告げた彩花に、翔は眉をひそめる。
「そういう問題じゃなくて、一応男を招き入れるんだぞ? もう少し、警戒すべきだろ」
「草薙君なら別にいいし、筋トレするだけだよ。大袈裟だって。それとも——他に何かするつもり?」
「なっ……そんなわけないだろ!」
声が裏返った。しまった、完全に動揺がバレた。
彩花はイタズラが成功した子どもみたいに、口元を緩める。
「ふふ、じゃあいいじゃん。実は弓弦も会いたがってて、それで来てほしいっていうのもあるんだよね」
「なら、それを最初に言ってくれよ……」
「えっ、なに?」
彩花は不思議そうに首を傾げた。
ここで抗議をしても、変に意識してしまっていた翔が滑稽になるだけだろう。
「いや、なんでもない。でも、さすがにタダっていうのは申し訳ないんだけど」
「私が集めた物じゃないし、お父さんは絶対に拒否するよ。そもそも一人も二人もあんまり変わらないし、正直一緒にやってくれる人がいると、こっちもモチベ上がるから嬉しいんだよね」
こちらが気を遣わないで済むように、という側面はもちろんあるのだろう。
しかし、誰かと一緒にやったほうがいいというのは理解できる感覚だったし、ここで建前を使ってまで翔を誘う理由などないから、本音ではあるはず。
それに、もうウジウジしないと決めたのだ。
ここまでお膳立てしてもらっているのに、逃げるわけにはいかない。お礼は、また別の形ですることにしよう。
「じゃあ、お邪魔してもいいか?」
「もちろん。プロデュース仕様の特別コースにご招待してあげるよ。覚悟はいい?」
「う、うす……」
「よろしい」
翔が若干口元を引き攣らせながらうなずくと、彩花は満足げに首を縦に振った。
◇ ◇ ◇
約束の時間が近づいてきても、どこか実感が湧かなかった。
傷心中にヤケクソで助けた男の子がクラスのお姫様の弟で、プロデュースをしてもらうことになって、気づけばその家で筋トレをすることになっていた。
(……うん、やっぱり訳がわからない)
でも、香澄のことを少し客観的に見られるようになったし、不安もあるけど、少しだけ楽しみでもある。
筋トレをするだけでどこまで変われるのか、とも思うが、やってみなければわからない。やる前からあれこれ悩んで行動しなければ、それこそ何も変わらないのだ。
「一日一歩、ってやつだな」
クローゼットを開き、一番手前にかかっていた服を取り出す。彩花が選んでくれたものだ。
ちょっと恥ずかしいけど、筋トレもプロデュースの一環だし、せっかくなら着ていくべきだろう。
(髪は……軽くとかすくらいでいいか)
運動をするのだから、むしろワックスはつけないほうがいいはず。
「——お兄ちゃん」
一応クシだけ通していると、妹の花音がドアのところに立っていた。
「どうした?」
「女の人に会いに行くんでしょ」
「な、なんでわかった?」
「いきなりちょっとおしゃれな服買ってるし、なんかソワソワしてるもん。髪もいつもそんな入念に整えないじゃん」
服は一緒に買ったからだし、髪も怒られそうだから整えているだけなのだが、どうせ流されるだけだろう。
それでも、素直にそうだとうなずくのは、少し悔しくて。
「……悪いか」
「別に? なんか楽しそうだし、いいんじゃない。ただし、何か進展あったら報告はしてもらうけど。我が家のルールだから」
香澄と別れたことを気にかけてくれているのか、しつこくは絡んでこないが、ちゃっかり釘を刺してくるあたりが花音らしい。
でも、兄として負けるわけにはいかない。
「人に言うからには、まずお前が報告しろよ。北斗君だっけ? 小学校から仲良いの」
「は、はあ? あいつはただ一方的に絡んでくるだけだし」
「でも、今も席隣なんだろ?」
「そうだけど、そんなのただの偶然じゃん」
先程までの威勢はどこへやら、花音は視線を合わせようともせずにスマホをいじり始める。
攻めてこない理由のひとつには、これもあるのだろう。
翔は彩花とどうこうなりたいとも思っていないし、なれるわけもない。だから現状、この話題で不利なのは花音だ。
ちょっと赤くなった頬を見ると、さらにイジりたくなるが——嫌われたくないため、それ以上はやめておいた。
十分に、兄の尊厳を守り通すことはできたはずだ。
「じゃあ、行ってくるなー」
「……いってらっしゃい」
玄関の扉を閉める直前に聞こえた小さな声に、翔は思わず笑みを漏らした。
少しだけ、背中を押された気がした。
双葉家は、彼女や弓弦と偶然出会った公園を挟んで、草薙家からちょうど反対側に位置していた。
さすがに歩く気にはならないので、最寄駅に向かう。途中で予定通りの電車に乗れそうだとメッセージを送ると、間もなくして既読がついた。
『改札出たとこの柱にいるからねー』
(えっ、まさかもう着いてる?)
電車で一駅とはいえ、出発予定時刻を考えると十分以上は待たせることになる。
それは申し訳ないと思いながら、返信を打ち込むと、すぐに返事がきた。
『まだ池だよ』
……ザリガニでも取っているのだろうか。
続けて、『間違えた。家』というメッセージが送られてきた。わんぱくお姫様ではなかったようだ。
(いや、ただのクラスメイトを家のジムに誘う時点で、結構わんぱくではあるか)
スタンプを選びながら、翔は自然と笑みをこぼしていた。
次回はいよいよ一緒に筋トレします!
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