第60話 女性陣の不安
昨晩に第59話をゲリラ投稿をしています。まだお読みになっていない方は、そちらからお読みください!
門扉をくぐったところで、琴葉は彩花の腕を解放した。
ふと、顔を覗き込んでみる。
「彩花、大丈夫?」
「な、なにが?」
首を傾げる彩花の瞳は、左右に揺れていた。
琴葉はそれを指摘せず、「ううん、なんでも」と首を横に振った。一拍置いてから、何気ない口調で尋ねる。
「それより、彩花はどこ行きたい? ——ダブルデート」
「な、なっ……!」
彩花が息を呑み、足を止めた。
「ちょっと暑いかもだけど、ピクニックとか行ってみたいんだよねー。楽しそうじゃない?」
「う、うん……でも、だ、ダブルデートじゃないからね? 私たちは、その……付き合って、ないんだし」
彩花の語尾が萎む。琴葉は喉の奥で短く悶えを押し殺し、息を整えた。
「でも、明確にペアの男女がお出かけしたら、それはもうデートだと思うけどな。私と潤も、付き合う前に何回かデートしてるし」
そう言って、琴葉は潤の肘に自分の肘を軽く引っかける。潤も意外そうに目を丸くしたものの、すぐに肩を寄せた。
「……」
それを見た彩花は、再び赤面する——ことはなく、唇を噛みしめてうつむいた。靴の先で、アスファルトの白線を辿る。
「あっ、ごめん……さすがにしつこかった?」
「えっ? ——あ、いや、そんなことないよっ」
眉を下げる琴葉に、彩花は慌てたようにパタパタと手を振った。
琴葉は安堵すると同時に、首を捻った。それならばなぜ、彩花はそんなに暗い表情をしているのだろうか。
「そうじゃなくて、その……勉強会する前、琴葉と草薙君のこと、ちょっと邪推するようなこと言っちゃって、ごめんなさい。嫌、だったよね」
「あ、そういうことか……心配しないで。全然気にしてなかったよ」
今度は琴葉が否定する番だった。首を振りながら、潤の手を握る。
すかさず握り返した潤に笑みを向けてから、琴葉はその表情のまま、彩花に視線を戻した。
「だって、私たちの仲は、あの程度では傷一つ付けられないからね」
「っ……うん、ありがと」
彩花は頬を染めて、小さな声でつぶやいた。
琴葉は「なんのこと?」と肩をすくめて受け流した。しかし——
「双葉って、他のカップルを見て喜ぶのか?」
「っ、このアホ!」
潤が不思議そうに問いかけた瞬間、琴葉の拳が、雷の如く潤の脳天に落ちた。
「いてぇ⁉︎ なんでだよ? 今、双葉がありがとうって言ったから——ふぐっ」
「お口チャックだよ、潤」
「ふぁ、ふぁふぁりふぁひたっ」
潤が目に涙を浮かべながら、コクコクと勢いよくうなずく。
琴葉は最後にもう一度、頬をむにっとつまんでから、彩花に向き直り、器用に片目を瞑る。
「ウチの潤がごめんね、彩花」
「い、いいけど……けっこう容赦ないんだね、琴葉」
彩花は口角を上げたが、その頬はわずかに引きつっていた。
「ダメなことをしたら、ちゃんと叱ることが大事だから」
琴葉は腰に手を当てて、親指を立てた。
今のように、潤は発言の裏を読むようなことはしない。ちゃんと言葉にして伝えたほうが、お互いのためなのだ。
「緑川君にすっごく失礼だけど、犬の育て方を聞いてるみたい」
「昔のプロ野球では、本当に犬の育て方を参考に選手を育てたコーチがいたんだって。それにほら、潤って大型犬みたいなとこあるでしょ?」
「そ、そうかな……」
「彩花はほんとにいい子だねぇ」
言葉を濁した彩花の頭を、琴葉がポンポンと撫でた。
彩花が、自分の頭を往復する手を睨むように見上げる。
「やめてよ。それこそ、犬扱いしないで」
「別にそういうつもりじゃないって。ただ——」
琴葉は、彩花のスカートのポケットへ視線を滑らせた。
「彩花が相棒のうさちゃんにするみたいに、しただけだよ」
「っ……!」
すでに薄っすら色づいていた彩花の頬が、再び真っ赤に染まる。
ぷいっとそっぽを向いた彼女を見つめて、琴葉は「かわいいなぁ」と、瞳を細めた。
「……お前、やっぱり性格悪いよな」
「ふふ。その性悪女を好きになったのは、誰かな?」
琴葉が指で潤の頬をつつく。潤は無言で両手を上げ、降参のジェスチャーを作った。
そのやり取りを見て、彩花がオロオロと恥ずかしがり、琴葉が身悶えた結果——
三人は、予定の電車を乗り過ごした。
◇ ◇ ◇
潤と琴葉の最寄り駅は、彩花が降りてからさらに二駅先だった。
改札を抜け、商店街の明かりがまばらになる辺りで、琴葉がふっと足を止めた。
「……ねぇ、潤」
「ん?」
琴葉は言い出しづらそうに視線をさまよわせ、指先でトートの持ち手をいじる。
潤はなにも言わずに、黙って琴葉を見つめた。
「潤も……彩花みたいに、私と翔のやり取りが嫌だったりとか、しなかった?」
「いや、全く。こいつらおもしれーとは思ったけどな」
「……即答されると、それはそれでムカつくんだけど」
琴葉は肩をすくめてみせるが、頬の熱を誤魔化すことはできなかった。
「さっき琴葉が言ったんじゃねーか。俺たちの仲は、あの程度じゃ傷一つ付けられないって。それに、琴葉が俺のことを好きなのは伝わってくるし」
「な、なんで、そういうことをさらっと言うかな……」
潤に頭を撫でられ、琴葉は口の中でもごもごと文句をこぼした。
言いたいことはあるはずなのに、はっきりとした言葉にならない。
「あっ、だから、わざわざ翔と双葉の前でイチャついてたのか」
「……それくらい、あの場で気づいてよ。野生の勘がなくなったら、潤じゃないんだから」
「俺って野生の勘そのもの⁉︎」
愕然としたように目を丸くする彼氏を見て、琴葉は思わず吹き出した。
安心したからだろうか。しばらくの間、笑いは収まらなかった。
「あー、お腹痛い……もう、心配して損したよ」
琴葉はふっと息を漏らしながら、涙を拭った。
「肉切り損ってやつか?」
「骨折り損だよ。肉を切らせて骨を断つ、が混じってない?」
「おう、それだそれだ」
肉を切らせて骨を断つ。まさに先程の自分のようだ、と琴葉は思った。
友人たちの前で彼氏とイチャイチャするなんて、恥ずかしくないわけがないのだから。
(それも、ただの空回りだったし……あのとき、潤が気にしてないって伝えてくれたらよかったのに)
繋いだ手に、ぎゅっと力を込めてみる。
しかし、八つ当たりだと自覚はあった。潤はずっといつも通りだった。琴葉が勝手に不安になっていただけだ。
(って、なんか、私が一方的みたいじゃん)
さらに強く、潤の手を握りしめてしまう。
すると、潤は痛がるそぶりも見せずに、握り返してきた。
「琴葉、どうした? 夜道が怖いか?」
「っ……なんでもない」
さりげなく距離を詰められ、琴葉はそそくさと歩き出した。
うつむきがちに潤を引っ張りながら、二度と心配なんてするもんか、と心に誓った。
もっとも、ぽつりぽつりと並ぶ街灯の下を抜けて、琴葉の家が近づいてくるころには、握る手の力などすっかり抜けていた。
門扉の前で向かい合い、二つの影が近づく。お互いの吐息が触れそうな距離で、視線が交差した。
「琴葉、いいか?」
「うん……ん」
唇がそっと触れ、琴葉の喉が小さく鳴った。
これ以上のことだってしているのに、この瞬間はいつまで経っても鼓動が早まってしまう。
(まあ、それでいいんだけど)
琴葉は一歩下がり、はにかむように笑いながら、潤を見上げた。
「送ってくれてありがと。気をつけて帰ってね」
「おう。じゃーな」
「バイバイ」
潤が軽やかに手を振りながら、遠ざかっていく。
その背中が角を曲がって見えなくなるまで、琴葉は門の前で手を振り続けた。
静けさが戻る。琴葉はそっと自分の唇に指先を当て——ハッと指を離した。
(な、何やってるの、私……!)
彼女は胸を押さえてその場にしゃがみ込み、声にならないうめき声を漏らした。
◇ ◇ ◇
——一方、その頃の草薙家。
「お兄ちゃん。今日の、世間一般では普通にダブルデートだからね」
「うるさい。お前はさっさと寝ろ」
「まだ夕食前だよ」




