第58話 四人での勉強会④ —ダブルデート?—
「翔、脳が焼き切れそうだー……」
潤がそう言って机に突っ伏したのは、勉強を再開してから一時間以上が経過していた。
普段の彼に比べれば、頑張っているほうだろう。それに、体力を使い切る前に休憩することも大切だ。
「じゃあ、ちょっとだけ休んでていいぞ」
「マジ⁉︎ ラッキー!」
潤がガバッと起き上がり、リビングのソファーへ走っていく。
「私も休憩しようかな」
琴葉が教科書類や文房具を整理すると、翔の隣——潤の席にやってきて、消しカスを集め始めた。
自分の分と合わせてゴミ箱に捨ててから、足取り軽く潤の隣へ向かう。
「琴葉。潤がゲームとかしないように、見張っててくれ」
「マネージャーとして、責任を持って管理するよ」
翔の言葉に、琴葉は顔だけで振り返って親指を立てた。
潤の「俺の信用どこいった?」という嘆きは、その場の全員に黙殺された。
翔が次に何をやるか迷っていると、目の前にノートが差し出された。
「双葉、どうした?」
「邪魔しちゃってごめんね。この問題、どうやって解くのか忘れちゃって」
彩花がペン先で示したのは、苦手だと言っていたグラフ絡みの問題だった。
「あれ、今日は数学やらないんじゃなかったのか?」
「えっ? あ、えっと、なんかそういう気分でさ」
彩花が早口に告げた。基本的に、自分の立てた計画には忠実に——本人によれば頭を使わずに——従っている彼女にしては、珍しいことだ。翔はわずかな違和感を覚えた。
だが、それだけだ。断る理由にはならない。
「ノートを見せてくれるか?」
「うん、そのまま書き込んじゃっていいよ。——緑川君、椅子を借りるねー」
「どーぞー」
潤がソファーに沈み込んだまま、片手を上げた。
「そもそも、俺のじゃねーしな」
「確かに。家主さん、この椅子を使っていいですか?」
「っ——」
不意に無邪気な笑みを向けられ、翔は一瞬、言葉を失った。
「家主さん?」
「い、いや、俺は違うから、母さんに聞いてくれ」
買い物に行ってるけど、と付け足し、翔は彩花のノートに目を落とした。
実際に解いたことのある問題なのに、なかなか解法が浮かばない。
「解説、見る?」
「いや、大丈夫」
誰のせいで頭が回っていないのか、という文句は、喉の奥に飲み込んだ。
実際に声に出しながら、もう一度、問題文を読む。
「あぁ……この問題か」
「いけそう?」
「おう。俺も、最初は解説を見た気がするな」
彩花のノートに書き込みを始めると、彼女は身を乗り出して肩越しに覗き込んできた。
ふわりと甘い香りが鼻先をくすぐり、翔の鼓動が否応なく速まる。
(……けど、近いほうが見やすいもんな)
「草薙君。矢印をよく使うよね」
「あっ、双葉の書き方に合わせたほうがいいか?」
日本語を書くのが面倒で、翔はどの教科でも矢印を多用していたが、彩花のノートはきちんと整理されている。
「ううん、書きたいように書いちゃって。意外と綺麗にまとまってるし」
「意外とは余計だ」
「ねぇ、この計算はどういうこと?」
翔の抗議をさらりと聞き流し、彩花がノートの式を指す。
文句の代わりにじっと見つめても、彼女は真剣な顔のまま、こちらを見ようともしない。
ふざけているのだろうが、その横顔は思わず目が吸い寄せられてしまうほど凛々しかった。
(ほんとに綺麗だよな……)
「草薙君、どうしたの?」
「えっ? あ、あぁ、ごめん。えっと、ここは——」
翔は慌てて式の脇にペンを走らせた。
——そんな二人のやり取りを見ていた潤と琴葉は、ソファーでヒソヒソと言葉を交わす。
「あれ、さっきの私たち以上だよね」
「俺たち、もうダブルデート経験者ってことでいいよな?」
「さすがにいいでしょ。じゃなかったら、今の状況に説明がつかないよ」
ソファーとダイニングテーブルは少し距離があるため、翔には何を言っているのか聞き取れなかった。
しかし、その表情とチラチラ向けられる視線から、自分たちのことを話しているのだと推測した。
「潤、琴葉。なにか言ったか?」
「「いや、なんでも」」
潤と琴葉は、息ぴったりに首を振った。それでも、どちらも恥ずかしがる気配はない。
なんだか格の違いを見せつけられている気がして、翔は小さく息を吐き、意識をノートに戻した。
彩花は翔の説明に自分なりのメモを加えると、身を乗り出してワークを手に取った。
「ね、ついでにこの問題もいい?」
「もちろん」
翔が彩花のノートに書き込み、彩花が覗き込む。
——先程から繰り返されているその光景に、琴葉は潤の脇腹を突いた。
「……顔、近くない?」
「俺も思ってた」
潤が、我が意を得たりとばかりに大きくうなずく。
「たまに、俺の肩にあごを乗っけてくんじゃん。多分、あんな感じだぜ」
「確かに」
関係性は異なるはずなのに、距離感が共通しているのは、果たして正常なのだろうか。
「……ま、あの二人の自由だけどね。それより潤、今度は私たちもああいう感じで勉強してみる?」
「いや、俺たちじゃ一ミリも進まねーだろ」
「イチャついちゃうから?」
「ち、ちげーよ」
潤の頬に、薄っすらと朱色が差す。
「お互いに馬鹿なんだから、教える側がいねーだろってこと」
「なんだ、そういうことか」
「お前、ぜってーわかってただろ」
琴葉は黙って肩をすくめ、潤の抗議を受け流すと、翔と彩花の観察に戻った。
(同時に横を向いたら、キスしそうだな……)
さすがにそれは言い過ぎかもしれないが、どちらかに一ミリでもその狙いがあるのなら、実行は容易いだろう。
ふと、彩花の手がポケットに伸びる。
スカートのポケットから顔を覗かせた、白いうさぎのキーホルダーに触れているようだ。
翔の説明を聞きながらメモを取った彩花は、ペンを置くと、再びポケットに指先を忍ばせた。
意図的か無意識かは、琴葉にはわからないが、隙を見ていじっているのは間違いなさそうだ。
「あれは……」
次回、名探偵コトハの登場です笑




